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ラッセル ラッセル Russell, Bertrand

29件 の用語解説(ラッセルの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ラッセル
ラッセル
Russell, Bertrand

[生]1872.5.18. トレレック
[没]1970.2.2. ペンリンダイドライス
イギリスの哲学者,数学者,評論家。フルネーム Bertrand Arthur William Russell, 3rd Earl Russell of Kingston Russell, Viscount Amberley of Amberley and of Ardsalla。

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ラッセル
ラッセル
Russell, Charles, Baron Russell of Killowen

[生]1832.11.10. ダウン,ニューリ
[没]1900.8.10. ロンドン
イギリスの法律家,政治家。カトリック教徒でダブリンで学び,故郷の町ニューリの法律事務所に勤めたが,1854年に独立。 59年に法廷弁護士の資格を取得,リバプールで活躍した。 72年に王室顧問弁護士となり,80~94年は自由党下院議員として,議会の内外で自由党の政策を促進し,特にアイルランドのために尽力した。

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ラッセル
ラッセル
Russell, Charles Taze

[生]1852.2.16. ピッツバーグ
[没]1916.10.31. テキサスパンパ
アメリカの宗教家。国際聖書学生協会の創立者。長老派,会衆派のプロテスタントとして育ったが,既成教会の信条を捨て,1872年独自の聖書研究会を生地に組織。 77年以降キリスト不可視の再臨を唱え,キリストの世界統治が 1944年に始ると予言,終生キリストの千年統治説を説き続けた。

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ラッセル
ラッセル
Russell, George William

[生]1867.4.10. ラーガン
[没]1935.7.17. ボーンマス
アイルランドの詩人,随筆家,ジャーナリスト。筆名 Æ。イェーツらとともにアイルランド文芸復興に指導的役割を果した。また政治運動にも興味をもち,「アイルランド農業組織協会」の創設に参加,雑誌『アイリッシュ・ホームステッド』 (1906~23) ,『アイリッシュ・ステーツマン』 (23~30) を編集。

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ラッセル
ラッセル
Russell, Henry Norris

[生]1877.10.25. ニューヨーク,オイスターベイ
[没]1957.2.18. ニュージャージープリンストン
アメリカ合衆国天文学者プリンストン大学に学び,連星の相互運動を研究。イギリスのケンブリッジ大学に留学,分光連星の運動を研究。帰国後プリンストン大学教授,同天文台台長。連星の運動軌道から質量,相互距離の計算法を案出。

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ラッセル
ラッセル
Russell, John

[生]1745.3.29. ギルフォード
[没]1806.4.20. ハル
イギリスの画家。パステル画を得意とし,1772年ロイヤル・アカデミーの準会員,88年に正会員。 89年以降宮廷画家としてイギリス王をはじめ貴顕高官の肖像を数多く描いた。彼の技法論"Elements of Painting with Crayons"も名高い。

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ラッセル
ラッセル
Russell, John, 1st Earl Russell

[生]1792.8.18. ロンドン
[没]1878.5.28. ロンドン
イギリスの政治家。6代ベッドフォード公の第3子。ホイッグ党の名門貴族の家に生れ,1813年下院に入り,ホイッグ党改革派に所属。 30年 C.グレー内閣軍事支払総監。第1次選挙法改正法案の成立に貢献。

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ラッセル
ラッセル
Russell, Lillian

[生]1861.12.4. アイオワクリントン
[没]1922.6.6. ピッツバーグ
アメリカの女優,歌手。本名 Helen Louise Leonard。 T.パスターウェーバーフィールズバラエティー劇場に出演,コミックオペラを得意とした。美貌とはなやかな雰囲気で「アメリカン・ビューティ」と称され,ショーの世界のスターとして人気を集めた。

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ラッセル
ラッセル
Russell, Morgan

[生]1886.1.25. ニューヨーク
[没]1953.5.29. ペンシルバニア,ブルームオール
アメリカの画家。アート・スチューデンツ・リーグで学んだのち,1906年パリに移り,同地で 40年間を過した。芸術的表現に関する科学的色彩論を追究した初めてのアメリカ人画家。 13~14年 S.マクドナルド=ライトとともに前衛運動としてのシンクロミズムを樹立し,ミュンヘン,パリ,ニューヨークで展覧会を開いた。

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ラッセル
ラッセル
Russell, Odo William Leopold, 1st Baron Ampthill

[生]1829.2.20. フィレンツェ
[没]1884.8.25. ポツダム
イギリスの外交官。初代ラッセル伯爵の甥。父もプロシア駐在公使をつとめた。 1871年ドイツ帝国成立後最初のドイツ駐在大使。 77~78年のベルリン会議にイギリス全権代表の一人として参加。

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ラッセル
ラッセル
Russell, Lord William

[生]1639.9.29.
[没]1683.7.21.
イギリスの政治家。ラッセル家の一員で,初代ベッドフォード公の3男。 1660年から下院議員になり,73年頃から国王チャールズ2世の親フランス的,親カトリック的政策を批判し,新教擁護の運動を展開。

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ラッセル
ラッセル
Russell, Ken

[生]1927.7.3. サウサンプトン
[没]2011.11.27.
イギリスの映画監督。フルネーム Henry Kenneth Alfred Russell。衝撃的でスキャンダラスな作風から,批評家の間でも評価が分かれる。靴屋の息子として生まれ,パングボーンの商船大学を経て空軍で 2年間にわたり電気技師の訓練を受けた。

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ラッセル
ラッセル
Russell, Bill

[生]1934.2.12. ルイジアナモンロー
アメリカ合衆国のバスケットボール選手。本名 William Felton Russell。NBA史上,最も偉大なディフェンシブセンター (守備的センター) と評された。カリフォルニア州オークランドで育ち,サンフランシスコ大学では,2季連続 (1954-55,1955-56年シーズン) でチーム全米大学体育協会 NCAA選手権優勝に導いた。

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デジタル大辞泉の解説

ラッセル(Bertrand Russell)

[1872~1970]英国の数学者・哲学者。記号論理学集大成ホワイトヘッドとともに「数学原理」を著し、分析哲学における人工言語学派の始祖の一人となった。平和運動の国際的指導者としても活躍。1950年ノーベル文学賞受賞。著「数理哲学序説」「西洋哲学史」など。

ラッセル(russell)

[名](スル)《ラッセル車の発明者の名から》
ラッセル車」の略。
登山で、深雪の中を雪を踏み固めて道を作りながら進むこと。「交替でラッセルしながら登る」

ラッセル

《〈ドイツ〉Rasselgeräuschから》⇒ラッセル音

ラッセル(Russell)

ニュージーランド北島北部、ノースランド半島東岸、ベイオブアイランズの町。19世紀初頭に捕鯨基地が置かれ、同国で最初にヨーロッパ人が定住した地として知られる。かつて近郊のオキアトがラッセルという名を冠する首府だったが、火災を機に同地にその名が移された。同国に現存する最古の教会であるクライスト教会をはじめ、歴史的建造物が多く残っている。

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百科事典マイペディアの解説

ラッセル

米国の天文学者。1912年プリンストン大学天文台長。天体物理学多方面に研究,なかでも星のスペクトル型絶対等級の関係を示すヘルツシュプルング=ラッセル図の考案で知られる。

ラッセル

英国の論理学者,哲学者,数学者。第1次大戦中,反戦行為によってケンブリッジ大学を追われ,以後,著述と社会運動の面で活躍。論理学ではA.N.ホワイトヘッドとの共著《プリンキピア・マテマティカ》3巻(1910年―1913年)によって,記号論理学数学基礎論の発展に貢献。
→関連項目記号論理学数学基礎論ラッセルルイスロートブラット論理主義

ラッセル

英国の自由主義政治家。名門のホイッグ貴族第6代ベッドフォード公の三男。1813年下院議員となり,以後1860年代末までホイッグ,自由党の重鎮として,審査法の廃止(1828年),カトリック解放法(1829年)をはじめとする多くの自由主義改革を推進し政界に重きをなした。

ラッセル

英国の映画監督。サウサンプトン生れ。軍隊,バレエ団などをへて,写真学校で学ぶ。写真家として活動する一方,《アメリアと天使》(1957年)などの短編映画を手がけたことがきっかけとなり,BBCで作曲家ディリアスの晩年を追った《ソング・オブ・サマー》(1968年)など芸術家の伝記映画を監督。
→関連項目エルガージャーマンレッドグレーブ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

ラッセル Russel', Nikolay Konstantinovich

1850-1930 ロシアの革命家。
1850年12月15日生まれ。ナロードニキ主義にたち各国で活動。日露戦争中の明治38年(1905),日本に抑留されたロシア人捕虜への革命宣伝のため来日した。戦後も長崎などにすみ,大正9年日本人妻とともに中国へ移住した。1930年4月30日死去。79歳。白ロシア出身。本名はニコライ=コンスタンチノビッチ=スジロフスキー。

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デジタル大辞泉プラスの解説

ラッセル

《Russell》イギリス海軍の戦艦。ダンカン級。1901年進水、1903年就役の前弩級戦艦。名称は、英蘭戦争大同盟戦争などで活躍したイギリスの軍人・貴族、エドワード・ラッセルの名にちなむ。1916年、第一次世界大戦中の「ガリポリの戦い」から帰還したマルタの港でドイツ軍の機雷に触れ沈没。

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世界大百科事典 第2版の解説

ラッセル【Bertrand Arthur William Russell】

1872‐1970
イギリスの哲学者,論理学者,平和運動家。ノーベル文学賞受賞者(1950)。伯爵。ケンブリッジ大学に学び,幾何学の基礎にかんする研究で母校のフェロー資格を得,のち講師となる。数学の基礎の研究を志したが,一方で新ヘーゲル主義の影響を受け,一時世界は分析不可能な全体だと考える。しかし20世紀初めころから世界を単純なものの複合体と考え,その単純なものとして感覚所与sense‐datumをとるに至る。ここに至るには主語‐述語形式を命題と存在の基本と考えるライプニッツの存在論の批判があずかって力があった。

ラッセル【Henry Norris Russell】

1877‐1957
アメリカの天文学者。ニューヨーク州出身。プリンストン大学に学び,1897年に〈火星による小惑星エロスの軌道長半径に対する一般摂動〉に関する研究で博士号を取得。卒業後体調をくずし静養していたが,1902年イギリスに渡り,キャベンディシュ研究所,ケンブリッジ天文台に滞在,A.R.ヒンクス恒星視差の決定に従事した。04年に帰国,05年からプリンストン大学の教職につき,11年教授,12年から47年の退官までプリンストン天文台の台長を務めた。

ラッセル【John Russell】

1792‐1878
イギリスの政治家。名門のホイッグ貴族,第6代ベドフォード公の三男。1813年に下院議員となり,以後,20年代から60年代にかけてホイッグ,自由党内に重きをなし,数々の自由主義的な改革を推進した。まず28年,カトリック教徒の公職就任をはばんできた審査法に反対,同法の廃止と翌29年のカトリック解放法の成立に尽力,30‐32年の第1次選挙法改正に際しては,法案の作成に参画,同法を下院に上程,これを通過させた。

ラッセル【William Lassell】

1799‐1880
イギリスの天文学者。初め醸造業をしていたが,独学で天文学を学び,リバプール近郊に私設天文台をたて,反射望遠鏡の製作に従事し,口径121cmに達するものをつくり,観測も行った。1846年海王星の衛星トリトン,48年ボンドG.P.Bondと同時期に土星の第7衛星ヒペリオン,51年天王星の衛星アリエル,ウンブリエルを発見。さらに600個の星雲も発見する。49年王立天文学会ゴールドメダル,58年ローヤル・メダルを受賞する。

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大辞林 第三版の解説

ラッセル【russel】

( 名 ) スル
〔ラッセル車の発明者の名にちなむ〕
「ラッセル車」の略。
登山で、深い雪をはらいのけ、道を開きつつ進むこと。

ラッセル【Russell】

〔Bertrand R.〕 (1872~1970) イギリスの数学者・哲学者。ホワイトヘッドとの共著「数学原理」で記号論理学を集大成し、論理学によって数学を基礎づけた。また、その論理分析の方法は現代分析哲学の出発点となった。社会評論にも健筆をふるい、核兵器廃絶運動やベトナム反戦運動などに尽力。
〔Henry Norris R.〕 (1877~1957) アメリカの天文学者。恒星のスペクトル型(色)と光度との関係を発見し、恒星進化論の基礎を築いた。

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世界大百科事典内のラッセルの言及

【感覚】より

…〈感覚与件sense‐datum〉の語はアメリカの哲学者J.ロイスに由来し,いっさいの解釈や判断を排した瞬時的な直接経験を意味する。代表的な論者にはB.A.W.ラッセルおよびG.E.ムーアがおり,そのテーゼは事物に関する命題はすべて感覚与件に関する命題に還元可能である,と要約される。マッハに始まるこれら現代経験論の思想は,要素心理学や連合心理学の知見,およびそれらの基礎にある恒常仮定(刺激と感覚との間の1対1対応を主張する)とも合致するため,19世紀後半から20世紀初頭にかけて大きな影響力をもった。…

【コギト】より

…われわれは自分自身を反省するまでもなく,いつもすでにおのれを非対象的,非定立的に意識しており,したがって人間のどんな在り方も自由な選択の結果にほかならないというわけであった。(2)しかし,われわれがつねに自己意識をもっているかどうかは問題であって,現代でも経験主義的な立場では,コギトを単なる〈意識内容(コギタティオ)〉の告知とみなし,コギトをむしろIt thinks within me(ラッセル)と言い換えようとする傾向がある。(3)それにしても,経験の統一ということを考えれば,われわれもカントのように,〈すべての表象には‘われ思う’が伴いえなければならない〉と言うことはできる。…

【集合論】より

…定理〈どんな集合Mについても,Mの部分集合全体の集合はMより大きい濃度をもつ〉。また,〈すべての集合の集合〉MM自身も含むという変なことになるので,B.A.ラッセルは1905年に,〈自身を元としては含まない集合全部の集合〉Nを考え,次のような矛盾を指摘した。NNならNの定義によって,NN。…

【数学基礎論】より

…ところが,19世紀末G.カントルによって創設された集合論はまもなく逆理を生じた(パラドックス)。カントル自身が発見した逆理(1899),ブラリ=フォルティの逆理(1897)やラッセルの逆理(1903)がそれである。集合論におけるすこぶる有効な用法ときわめて類似したしかたによって容易にこれらの逆理が導かれるのみならず,同時期に提出されたリシャールの逆理(1905)〈25字以内の字数によっては定義されない最小の自然数は,現にこの文章によって25字で定義されている〉とともに,ほとんど形式論理の範囲内で現れることから数学は重大な危機に陥った。…

【タイプ理論】より

B.A.W.ラッセルが1901年に発見したいわゆる〈ラッセルのパラドックス〉を解決しようとして提出した理論(1908)と,その単純化,制限の解除,および変形の総称。階型理論ともいう。…

【パグウォッシュ会議】より

…1955年7月に出された〈ラッセル=アインシュタイン宣言〉の呼びかけを具体化するものとして,第1回の会議がカナダ,ノバ・スコシア州のパグウォッシュで開かれた。以来,年1~2回の割合で世界各地で開かれてきているが,最初の開催地にちなんでパグウォッシュ会議と呼ばれている。…

【パラドックス】より

…集合論のパラドックスは最大の順序数ないし基数を考えるときにブラリ・フォルティおよびG.カントルのパラドックスとして現れた。B.A.W.ラッセルは,すべての集合を自分自身を元とする第1種の集合と自分自身を元としない第2種の集合との2種類に分けるとき,第2種の集合の全体(これも一つの集合である)をとるとパラドックスが導かれることを見いだした(1901)。つまりこの集合を第1種としても第2種としてもその反対が帰結されるのである。…

【プリンキピア・マテマティカ】より

A.N.ホワイトヘッドB.A.W.ラッセルの共著。3巻。…

【分析哲学】より

…言語の分析にかぎらず広く言語の考察から哲学的問題に迫ろうとする哲学をすべて〈分析哲学〉と呼ぶこともあるが,これは不正確である。 言語分析は20世紀の初頭,B.A.W.ラッセルG.E.ムーアによって始められたといってよい。彼らは当時イギリスにおいて盛んであった,世界は分析しがたい一つの総体だとするヘーゲル的思考に反対して,世界は複合的なものであり,要素に分解しうるとし,この考えを実体間の外在的関係の理論によって論理学的,形而上学的に基礎付けた。…

【ベトナム反戦運動】より

… 1965年2月の北爆開始以降の戦争のエスカレーションは,反戦運動を一挙に拡大させた。世界各地で数万,数十万単位の抗議集会がもたれ,またB.ラッセルらの呼びかけによる〈アメリカの戦争犯罪を裁く国際法廷〉(1967年5月,ストックホルムで開催。通称ラッセル法廷)や,たびたびの国際反戦統一行動デー(たとえば1967年10月21日)など,国際的連携による活動も盛んだった。…

【巨星】より

…さらにK型かM型の巨星になると,その半径は太陽半径の数十倍から数百倍に達する。このような星の存在は20世紀初頭にE.ヘルツシュプルングやH.N.ラッセルにより明らかにされた。すなわち当時集積しつつあった恒星視差のデータをもとに星の絶対等級を推定することが可能となり,その結果とくにG,K,M型の星ではスペクトル型が同じでも絶対等級の明るい星と暗い星の2種類があることが明らかにされた。…

※「ラッセル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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