川崎(市)(読み)かわさき

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

川崎(市)
かわさき

神奈川県北東部にある日本有数の工業都市で政令指定都市。1924年(大正13)川崎、大師(旧、大師河原村)の2町と御幸(みゆき)村が合併して市制施行。1927年(昭和2)田島町、1933年中原町、1937年高津(たかつ)町、橘(たちばな)村、1938年宮前(みやまえ)、向丘(むかいおか)、生田(いくた)の3村と稲田町、1939年柿生(かきお)、岡上の2村を編入。1972年(昭和47)に政令指定都市に移行し、川崎、幸(さいわい)、中原、高津、多摩(たま)の5区を設定。1982年高津、多摩の両区をそれぞれ高津・宮前区、多摩・麻生(あさお)区に分区して7区となった。麻生区の岡上地区は南西の東京都町田市を挟んだ飛地。面積143.00平方キロメートル。人口147万5213(2015)。近年は北部地域で住宅地開発が著しく、人口増加が激しい。[浅香幸雄]

自然

地形は、多摩丘陵と多摩川下流平野からなる。市内の多摩丘陵はほとんどが標高100メートル以下で下多摩面とよばれ、JR南武線武蔵溝ノ口(むさしみぞのくち)駅付近から南西部は標高60メートル以下の下末吉(しもすえよし)台地で、もとは台地状をなしていた。台地は切土(きりど)、侵食谷は盛り土されて、住宅団地や遊園地となっている。しかし、東流する五反田(ごたんだ)川(小田急電鉄沿線)と南流する矢上川沿いには狭長な低平地が開けている。多摩川平野も、溝口(みぞのくち)(高津区)付近を境に、上流は扇状地、下流は三角州をなし、かつて三角州地域にみられた蛇行流は、大正時代の河川改修でほとんど直線状になっている。気候は、南東部は臨海性と都市気候とによってやや高温少雨であるが、中部、北西部では内陸性に移行する。そして、南部地区では工業開発に伴う大気と海水の汚染と、中部、北西部では住宅地開発による降雨期の崖(がけ)崩れ、河川の氾濫(はんらん)のおそれが増加する傾向にあり、それぞれの防止対策が進められている。[浅香幸雄]

歴史

多摩丘陵は、縄文、弥生(やよい)、古墳の諸時代遺跡の宝庫といわれ、先史時代にもよく開けていたことを物語る。なかでも子母口貝塚(しぼくちかいづか)(高津区、県指定史跡)は縄文時代早期後半の子母口式土器の標準遺跡とされ、夢見ヶ崎古墳群(幸区、県指定史跡)は古墳時代後期の円墳群として知られる。古代の東海道は市域の中部を通っていたと考えられ、これに沿う低平地には条里制の遺構がみられる。ついで古東海道は南東へ移されてほぼ現在の国道15号のコースとなり、大治(だいじ)年間(1126~1131)平間寺(へいけんじ)(川崎大師)が創建された。このころにはまた橘御厨(たちばなのみくりや)が置かれ、小沢、稲毛、河崎の諸氏によって名田(みょうでん)開発や荘園(しょうえん)が設けられ、これらの諸豪族は源氏に協力して鎌倉幕府の成立を助けた。近世初頭の宿駅制度の発足にあたっては、川崎は1621年(元和7)に東海道の宿場と定められた。川崎宿は初めは江戸幕府の補助金(冥加金(みょうがきん))によってようやく経営されていたが、江戸中期以後は多摩川を下す木材の集散が増えてしだいに栄えるようになった。また、そのころから江戸への消費物資輸送のため、中原、矢倉沢(やぐらさわ)、津久井(つくい)の脇往還(わきおうかん)が整えられ、これらに沿う小杉(中原区)、溝口・二子(ふたご)(高津区)、登戸(のぼりと)(多摩区)の3宿は、秦野(はだの)のタバコや津久井地方の絹織物、さらに駿(すん)・豆(ず)・遠(えん)州(静岡県)や甲州(山梨県)の産物輸送の中継地をも兼ね、また醸造(酒、しょうゆ)や木工(下駄(げた)、足駄)、製紙などの工業もおこってにぎわっていた。こうして各宿場町は、東海道、脇往還ともに旅行者の休泊のほか、沿道農山漁村の産物の加工と流通の基地となり、村々の生産活動もしだいに多角化していった。[浅香幸雄]

産業

川崎市は京浜工業地帯の中心で、かつては日本一の工業生産額をあげ、出入貨物量でトップクラスの大港湾を有し、世界的な大産業都市として知られた。しかし、1980年代後半から1990年代にかけてはその地位も低下した。1872年(明治5)の東海道本線の開通によって宿場町である川崎は深刻な打撃を受けたが、近代工業を導入して再起を図る方針を採用した。その効果はようやく日露戦争後に現れ、川崎駅付近と近接する多摩川沿岸に機械、食料品、繊維などが、また海岸の埋立地に金属などの近代工場が進出して工業化の先駆をなした。続いて第一次世界大戦中から関東大震災にかけては東京、横浜の大工場の移転地となった。さらに第二次世界大戦から戦後にかけては、臨海部(川崎区)に加えて内陸部(幸・中原区)にも工業が発達し、昭和30~40年代の高度経済成長期には京浜工業地帯の中核地域に発展していった。同時に、大気汚染などの公害が表面化してきて、大きな社会問題となった。
 工業地域は大きく二つの地域に分類できる。臨海地域には鉄鋼、化学、石油精製、石油化学などの基礎素材工業やエネルギー産業、それらに付属する諸産業や港湾などの関連施設が多く集まり、とくに工場専用埠頭群や貿易埠頭群は世界的規模を誇っている。一方、内陸地域には電機、自動車、機械、金属加工、食品など多種類の加工、組立工業が展開している。これらの諸工場は関連下請工場の多くを東京都内に依存し、また分工場や研究所を神奈川県央地域(相模原(さがみはら)・大和(やまと)・厚木(あつぎ)市など)にもっているのが特色である。
 1980年代後半以降に入ると、円高やバブル経済の崩壊などによって生産拠点の海外移転やリストラが断行され、事業所数が減少して「空洞化現象」が進んでいった。こうした「地盤沈下」に歯止めをかけるため、1988年(昭和63)には高津区にかながわサイエンスパークを設立して、最先端技術の研究を本格的に行っている。また川崎区水江町にある川崎ゼロ・エミッション工業団地は資源循環型の新しい工業団地として注目されている。
 川崎市の商業は、政令指定都市にもかかわらず、東京と横浜の間に埋没しがちであり求心力をもたない。そこで川崎市は「川崎新時代2010プラン」を策定し、大規模な都市開発計画を進めることになった。これは、都心として川崎駅周辺、新川崎・鹿島田駅周辺、小杉駅周辺、新百合ヶ丘(しんゆりがおか)駅周辺の各地区、副都心として溝の口(みぞのくち)駅周辺、宮前平・鷺沼(さぎぬま)駅周辺、登戸(のぼりと)駅周辺の各地区を位置づけ、商業地域の開発を進める計画である。また、農業は伝統的に多摩川流域に「長十郎」で有名なナシをはじめとした果樹栽培が盛んで、北部の多摩区などではカキ、クリも栽培され、近郊農業の野菜とともに川崎の農業の主力であった。しかし、都市化の進展するなかで農業は衰退の一途をたどり、耕地面積の減少や後継者不足などの問題が生じた。そこで、観光農園や農業祭りなどを開いて新住民との共生を目ざす農業もみられるようになった。[比佐隆三]

交通

多摩川右岸沿いに長く広がる市域は、東京都と横浜市、神奈川県央地域との中間地域をなし、南部にはJRの東海道本線、横須賀線(よこすかせん)、鶴見(つるみ)線、京浜東北線のほか、京浜急行電鉄本線・大師線、中央部に東京急行電鉄の東横線、田園都市線、北部には小田急電鉄、京王電鉄の各線が通じ、JR南武線は市域を南北に連絡している。幹線道路も鉄道と同じく東西方向が多く、南部に国道1号、15号、132号、357号が、中央部に246号が通じ、さらには東名高速道路、第三京浜道路、首都高速道路が走る。そのほか、多摩川に並行する形で国道409号が走り、東京湾横断道路(アクアライン)を通じて千葉県と結ばれる。川崎港には工場専用埠頭のほか、民営の三井、東洋両埠頭、川崎市営埠頭がある。また、長距離フェリーが宮崎に通じていたが2005年運行を休止した。木更津(きさらづ)(千葉県)との間のフェリーボートは1997年(平成9)12月に東京湾横断道路が開通したため廃止された。[浅香幸雄]

観光・文化

南部の川崎区にある川崎大師(平間寺)は、成田山新勝(しんしょう)寺(千葉県)、高尾山薬王院(やくおういん)(東京都)とともに真言宗智山(ちさん)派の関東三山の一として日本でも屈指の参拝客を集めている。多摩川沿岸は風致地区で、等々力(とどろき)緑地公園とスポーツ施設「とどろきアリーナ」、市民ミュージアムがあり、右岸堤防は県のサイクリングコース。生田(いくた)緑地は市民向けの緑地で、生田緑地内の日本民家園は民家博物館として知られ、国指定重要文化財の民家も10棟近くに上る。そのほか、夢見ケ崎動物公園、青少年科学館「かわさき宙(そら)と緑の科学館」、岡本太郎美術館などもある。また、よみうりランドなど民営の大規模遊園、それに東芝未来科学館などがみられ、ゴルフ場も多い。1927年に小田原急行鉄道(現、小田急電鉄)の開通と同時に開園したレジャー施設の向ヶ丘遊園は、1000種のバラが咲く「ばら苑(えん)」や大観覧車などで親しまれたが2002年に閉園した。文化財としては、影向寺(ようごうじ)(宮前区)の薬師如来(にょらい)および両脇侍(わきじ)像(平安後期)は国指定重要文化財、広福寺(こうふくじ)(多摩区)の地蔵菩薩(ぼさつ)(平安時代)と聖観音(しょうかんのん)(鎌倉時代)の両立像は県指定重要文化財。子母口貝塚、馬絹(まぎぬ)古墳、夢見ヶ崎古墳群は県指定史跡。民俗芸能にも興味あるものが少なくなく、年占いの悪魔払い神事の歩射(ぶしゃ)(中原区中丸子、多摩区長尾)と、獅子舞(ししまい)(幸区小向(こむかい)、多摩区菅(すげ))が知られる。また井田(中原区)、登戸(多摩区)、馬絹(宮前区)に田植唄(うた)、生田(多摩区)に馬引唄、上平間(かみひらま)(中原区)では甚句(じんく)(祝唄)が歌われる。年中行事では、川崎大師の初大師、下麻生不動堂のだるま市が有名。[浅香幸雄]
『『川崎歴史物語』(1957・川崎市) ▽中出栄三他著『躍進する川崎』(1964・実業之日本社) ▽小塚光治著『川崎史話』上中下(1962~1967・多摩史談会) ▽『川崎市史・年表』全2冊(1968・川崎市) ▽『川崎市の昭和史』(1995・千秋社) ▽『川崎市史』全9巻11冊(1988~1997・川崎市)』

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