田辺[市](読み)たなべ

  • 田辺

百科事典マイペディアの解説

和歌山県中部,田辺湾に面する市。1942年市制。中心市街は古来熊野街道の分岐点,牟婁(室)津(むろのつ)と呼ばれた港で,中世熊野水軍の拠点となった。1619年以後は紀州徳川藩付家老安藤氏の城下町として栄えた。現在も需要の多い備長炭も江戸,大坂へ移出された。紀勢本線,阪和自動車道,紀勢自動車道が通じる。紀伊山地に産する木材集散地で,製材・木材加工が盛ん。漁業,水産加工,真珠養殖,貝ボタン製造(戦後は化学ボタン)も行われる。田辺湾はリアス式海岸の景勝地で,かつて製塩が行われ,製塩関係の遺跡が多い。神島(かしま),鳥巣半島の泥岩岩脈,鬼橋岩はいずれも天然記念物。東部の熊野本宮大社湯峰(ゆのみね)温泉,川湯温泉は吉野熊野国立公園の一部に,北部の護摩壇山周辺は高野竜神国定公園の一部に属する。2004年紀伊山地の霊場と参詣道が世界遺産条約の文化遺産リストに登録された(熊野本宮大社,熊野参詣道)。2005年5月西牟婁郡中辺路町,本宮町,大塔村,日高郡龍神村を編入。1026.91km2。7万9119人(2010)。

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世界大百科事典 第2版の解説

和歌山県南西部,田辺湾に面する市。1942年市制。人口7万0246(1995)。古く〈牟婁津(むろのつ)〉(《日本書紀》),〈紀の国の室(むろ)の江〉(《万葉集》巻十三)と記される港は,当市の海岸部と考えられる。また熊野三山への参詣道(熊野街道)が,山間を抜ける中辺路(なかへじ)と海岸に沿う大辺路(おおへじ)とに分岐する交通の要地であった。 平安~鎌倉期には左会津川流域に摂関家領三栖(みす),右会津川の中・上流域に醍醐寺一乗院領秋津荘,そして市域西端を流れる芳養(はや)川流域には石清水(いわしみず)八幡宮領芳養荘が成立。

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