(読み)ハリ

デジタル大辞泉 「針」の意味・読み・例文・類語

はり【針】

布などを縫う、細くて先のとがった金属製の道具。一方のはしに糸を通す穴(めど)がある。縫い針。また、布を刺して留めるための穴のない留め針待ち針もある。
形や用途が1に似ているもの。
㋐サソリ・ハチなどのもつ、他の動物に刺して毒を注入する器官。
㋑注射器の先端につけ、皮膚などに刺して薬剤を注入する器具。注射針。
㋒レコードの盤面の溝をなぞり、振動をひろい伝えるもの。レコード針。
㋓編み物に用いる棒針の類。
㋔書類などをとじるための金具。「ホチキス
㋕植物のとげ。
枳殻からたちの生垣のすき間もなく―を立てて」〈蘆花思出の記
時計・計器の目盛りを指し示すもの。「磁石の
裁縫。おはり。「を習う」
感情を刺激すること。害意。「言葉にを含む」
助数詞的に用いて、針で縫った目数を数えるのに用いる。「傷口を五縫う」
[下接語]縫い針(ばり)網結あみすき編み針置き針返し針かぎ掛け針蚊針革針擬餌ぎじ絹針くけ毛針小町針仕付け針千人針そら針・畳針釣り針じ針留め針縫い針刃針平針棒針待ち針メリケン針木綿針
[類語]縫い針待ち針留め針綴じ針編み針棒針鉤針編み棒

しん【針】[漢字項目]

[音]シン(呉)(漢) [訓]はり
学習漢字]6年
〈シン〉
ぬいばり。「針小棒大運針
漢方で、治療に用いるはり。「針灸しんきゅう針術
目盛りや方向を示すはり。はりのようにとがったもの。「針路検針指針磁針短針秒針方針避雷針
[補説]2は「」と通用。
〈はり(ばり)〉「針医針金/注射針」
[難読]針孔みぞ・めど

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精選版 日本国語大辞典 「針」の意味・読み・例文・類語

はる【針】

  1. 〘 名詞 〙 「はり(針)」の上代東国方言。
    1. [初出の実例]「草枕旅の丸寝の紐絶えば吾が手と付けろこれの波流(ハル)(も)し」(出典:万葉集(8C後)二〇・四四二〇)

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改訂新版 世界大百科事典 「針」の意味・わかりやすい解説

針 (はり)

皮や布を糸(ひも)で縫い合わせて衣服などを作るための道具。また,物を留めるための留針(ピンpin)もいうが,ここではおもに縫針needleを中心に述べる。

縫針は,旧石器時代後期には出現しており,洪積世最後のウルム氷期の寒冷な環境のもと,北部ユーラシア各地で狩猟生活を営んでいたホモ・サピエンスたちが,防寒具としての皮製の衣服を改良するなかでくふうされていったものと思われる。最初は剝片石器の一部を尖らせた錐で毛皮に孔を開け,そこに動物の腱や皮を細長くさいて作ったひもなどを通してとじ合わせていたのであろうが,やがて後期旧石器時代前葉のオーリニャック文化にいたって骨や角を細かく自由に加工できるようになると,硬く丈夫なばかりでなく弾性に富みしかも滑らかな骨角製の針様の尖頭器(穿孔具)が作られるようになった。そして,ソリュートレ文化の段階になると,穿孔具で毛皮に開けた孔に,逆刺(かえし)をもつ鉤針(かぎばり)状の道具でひもを引き通すくふうがなされ,同文化末期には明瞭に針孔めど(目処)をもつ骨針が発明された。ここに初めて〈孔開け〉と〈ひも通し〉という二つの機能が結合されたのである。後期旧石器時代末のマドレーヌ文化ではこうした縫針とその技術は確立,盛行し,ヨーロッパ各地の洞穴遺跡や,シベリアマルタ,中国の周口店山頂洞でもこのような骨針が出土している。

 縫針は,考古学的遺物としては微細で見逃されやすく,また断片では編針,錐,刺突具,あるいは笄(こうがい)などと区別がつかない場合も多いが,人類をしていよいよ本格的な衣服を仕立てることを可能にさせ,また,竪穴住居形式とともに沖積世初期における人類の寒冷な環境への進出・適応を可能ならしめた重要な道具といってよいのである。これ以降,縫針は新石器時代を通じておもに骨角材によって作り続けられ,やがて金属器時代に入ると,当然,銅,青銅,鉄などでも作られるようになるが,時代,地域によって基本形はあまり変わらずに今日に及ぶ。新大陸ではアーケイック期から骨製のめどのある針があるが,北米極北地域では皮製品の加工などでとくに多用され,またバスケットなど編物技術の盛行で編針も発達した。中国では陝西省西安市半坡など仰韶(ぎようしよう)文化に骨角製の針がある。日本では福井県鳥浜貝塚で縄文前期のめどをもつ骨針が出土し,古墳時代中期には鉄針の出土例もある。

 一方,留針の風習も後期旧石器時代に始まり,新石器時代を通しておもに骨角牙製のものが使用される。エジプトでは王朝時代に入るとこれが金属製となり,またメソポタミアでも初期王朝時代に骨角牙製あるいは青銅製で頭部を〈く〉の字状・環状に曲げたものが用いられた。これは周辺諸地域に伝わり,とくにイラン南西部のルリスタン青銅器の中に頭部に精巧な動物意匠などをもつ飾りピンがあり,また,これと密接な関連があるとされるザカフカス地方の青銅器~初期鉄器時代の文化,とくにコバン文化にも同様の優れた飾りピンを見る。パキスタン南部シンド地方のジューカル文化にも同様のものがある。ただし,これら飾りピンは留針か笄かはっきりしない場合も少なくない。前2千年紀後半,青銅器時代のヨーロッパに金属の弾性を巧みに利用した今日の安全ピン式留針フィブラfibulaが登場する。初め北欧で弓部と針部と別づくりのものがあらわれ,やがて前1千年紀,南欧で,両者をつなぐ部分をばねにしたものがくふうされて,鉄器時代,古代ギリシア・ローマ時代に及んで盛行する。
留具 →ブローチ
執筆者:

古代の針については,正倉院に実物が残っているほか,《延喜式》巻四十二には都の東西の市で売られていたことが記されている。また播磨国(はりまのくに)は《古事記》に〈針間〉と表記され,《今昔物語集》にも播磨の書写山の聖として有名な性空が,誕生のとき手に針を握っていたという話があって,針の生産地であったらしく,《新猿楽記》には播磨国の名産として針があげられている。中世に多く製作された職人歌合絵(うたあわせえ)の類には,針磨(はりすり)と呼ばれる針づくり職人の姿が見られるが,多くは舞鑽(まいきり)を用いてめど穴をあけているところを描いており,この作業が針づくりの工程の中で重要であったことを示している。針の穴については,早く平安時代の《宇津保物語》にも,〈いと使ひよき手作りの針の耳いと明らかなる〉と,耳(穴)が使いよさにつながることが語られており,後の《慶長見聞集》にも,小さな針に穴をあけることへの驚きが記されている。

 中世には京都の姉小路針が有名で,《庭訓往来》にもその名が見える。この姉小路針にかかわって,日本の縫針の始まりについての伝承がある。《庭訓抄》《慶長見聞集》によれば,聖徳太子が,身体に障害があって宮中を追放され,諸所をさまよう自分の姉に,生業として針のことを教えた,これが日本の針の始まりで,ゆえに姉小路針という,というものである。中世における姉小路針の著名さと,諸道の祖とされた聖徳太子の伝承とが結びついて形成されたものであろう。

 近世に入ると,京都では近松門左衛門の《浦島年代記》で〈高麗も唐土も及ばじ〉と評された〈みすや針〉が名高い。御簾屋(翠簾屋)(みすや)は三条河原町にあり,《京都土産》には〈針 みすや針を上とす。尤右本家は先年滅亡之由に付,針をひさぐ者,皆みすや本家と号し,何れが真の本元なる事を知るべからず〉という。ほかに大津の池川(いけのかわ)(池側)針も著名であったが,これは御池の側にあった姉小路針屋が移転したものともいう。

 豊臣秀吉が少年のころ,村を出る際に父の遺産で縫針を求め,それを売って歩いたという話が《梧窓漫筆》に見えるが,《守貞漫稿》には針売りについて,男子や老姥あるいは小間物屋が針を売る,京都のみすや針が著名なので江戸でも〈みすやはりはよろし〉という呼声をかけると記されている。針の値段は,《京都土産》に,〈本みすや製,角溝之品五本ヅヽ長短十品,都合五十本に而代二百四十八文,丸溝之分同代弍百文,其以下百四十八文之品も有之趣之処,是は性劣れる由〉とある。江戸時代には,針の生産は京都のほか大坂堺筋,江戸京橋・新橋など各地で行われた。なかでも越中(富山)氷見(ひみ)の針は,紙風船とともに富山の薬売りの土産品とされ,サイズの違うもの5本ほどが紙に包んで配られた。また広島の針は,18世紀前半ころから南京針の製法をとり入れて普及したものといわれ,近代に入って,広島市を中心にミシン針も加えて工業的に大量生産され,その大部分は海外に輸出される。

縫針には大別して和針,メリケン針,ミシン針,特殊針がある。和針は日本古来の裁縫用の針で,唐針ともいう。良質のものは印針(しるしばり)といい,番号で太さがあらわされる。メリケン針は明治以後輸入されたもので,めどのまるい和針に対し,長方形のめどをもち上に溝がある。針の種類,糸や布との関連については,表1~3を参照されたい。特殊針には用途によってししゅう針(日本ししゅう用,フランスししゅう用がある),毛糸とじ針,布団針,針頭にセルロイドや小さいガラス玉のついた待針(まちばり)(縫い印や,布が狂わないようとめる),畳用の畳針などがある。
執筆者:

針は裁縫道具であるだけでなく,呪具でもあった。三輪山伝説蛇婿入り(へびむこいり)の昔話では,女のもとに訪れた男の正体を探るために男の衣服に糸をつけた針を刺してあとをつけるというモティーフが見られ,また猿婿入り(さるむこいり)の昔話では猿のもとに嫁ぐことになった末娘が瓢簞(ひようたん)と針で猿を退治する話になっている。針は布など別のものを縫い合わせて結びつけ,以前とは異なった新しいものを作り上げる機能をもつが,蛇婿入り譚では鍵穴や障子といういわばこの世と異界の境をこえて二つの世界を結びつけており,また,猿婿入り譚では川や橋というやはり顕幽の境をなす場所で金属の呪力をもつ針と霊魂の容器である瓢簞とで異類聟を退治している。このように,針は金属の呪力で魔物を撃退させる力と,目に見えぬこの世ならざる存在の正体を暴露させる力を有している。〈夢見小僧〉の昔話には,生針・死針という呪力ある針が出てくる。また,憑き物落しに行われる影針(かげばり)行事は,男針・女針という長短2種の鉄針を憑き物を使った者の名前を書いた人形(ひとがた)の急所につきたてたり,あるいは左手を病者にあてて右手に持った針を気合いもろとも畳にたてるものであるが,針の呪力をよく示している。針をめぐる俗信にも,出針(出がけに針を使うこと)はケガをする,悪いことが起こると忌まれたり,障子に針を刺すと死んでからその穴を通る,針を粗末にすると死んでから針の山を登らされる,あるいは他人に針穴に糸を通してもらうと思うことがかなわない,出産のときその人が来るまで生まれないなど,なんらかの意味で異界とかかわるものが多い。

 また,針は正月三が日に使うものではないとか,寒中に針を買ったり使ったりすると火難にあう,盆の16日に針を使えば仏さまの足に刺さる,客商売の家で晩に針仕事をすれば針で客足がとまるなどともいう。針の使用を忌む日や時間があることがわかる。針を刺すと体いっぱい巡るとか,折れ針が刺さると脳天までのぼるともいい危険なものとされたが,針を刺したときにはさみで叩けばとがめないとか〈針さま針さま,針でなかったミズ(溝か)だった〉と3度いいながら針のミズのほうで刺した所を叩くという。また針をなくしたときには,はさみとものさしをからげておくと出るとか,〈清水の音羽の滝のつきるとも失せたる針のみえぬことなし〉と紙に書いてはさみに結びつけると出てくるという。このほか,虫歯のときは南天に針を刺すとか,死装束を縫った針で他の着物を縫うと中風にならぬなどともいう。

 裁縫や機織りは一人前の女が身につけるべきものであり嫁入りの条件ともされたが,女児の胞衣(えな)を埋める際に針と糸をいっしょに添える風習もある。また2月8日や12月8日には,針供養(はりくよう)が行われ,針仕事を休んで折れ針を豆腐に刺して川に流したりして供養した。また12月8日は,一年の大きな折り目とされ,富山県の海岸地方ではハリセンボン(針千本)という魚が流れてくるといい,石川県能登地方では針歳暮(はりせいぼ)といって,この晩女の子のいる家ではあん入りの焼餅をやいて裁縫の上達を祈ったり,近所に贈ったりしたという。なお,江戸時代には淡島(あわしま)願人が,古針,折れ針を集めて歩いたといい,《続飛鳥川》という随筆には,その唱えごとも記されている。

 戦争中には出征する兵士の無事を祈って,千人針の風習が街頭で行われたが,これは針に呪力を認め人々の魂を縫い込めて生命を守ろうと考えたのであろう。こうした呪力ある針などの裁縫道具を納める針箱は,女の霊魂の宿る私物入れとして神聖視され,しばしば〈へそくり〉をしまう所とされた。
執筆者:

縫針や留針など身近な針には,西洋でもさまざまな意味が付与されており,英語圏に限っても針にまつわる多くの成句や言いまわし,習俗がある。まずその形状から,針は槍や釘とならんで最も代表的なファリック・シンボル(男根象徴)で,ひいては結婚の象徴ともされる。鋭さが利発さに転用されて〈目から鼻に抜けるas sharp as a needle〉といわれる一方,そのけんのんさが強調されて〈びくびくひやひやpins and needles〉というようにも使われる。また,その小ささから〈無駄骨を折る〉という意味で〈乾草の中に針を捜すlook for a needle in a haystack〉といい,さらに〈富んでいる者が神の国に入るよりは,ラクダが針の穴を通る方がもっとやさしい〉(《マタイによる福音書》19:24など)という聖書の記述に基づいて,〈針の穴eye of a needle〉は不可能事の比喩とされる。なお,〈針の頭に何人の天使がとまれるか〉とは,スコラ学の煩瑣(はんさ)で無意味な議論を揶揄(やゆ)した表現。

 針はまた安価でとるにたらないものの代表で,〈命なんぞちっとも惜しくないI do not set my life at a pin's fee〉(《ハムレット》)などというが,実は金属製の留針は15世紀ころまでは高価であり,現在では〈主婦の小遣銭〉という意味でしかないピン・マネーpin moneyという言葉も元来は〈特別な出費〉という意味合いが強かった。民間伝承では,門柱に針を留めておくと魔女が寄りつかないとか,曲がったり折れたりした針を願かけの井戸や泉に供えるというような,日本の針供養に似たことが行われた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「針」の意味・わかりやすい解説

針(道具)
はり

主として布帛(ふはく)を縫い合わすための道具。手縫い用とミシン用があり、ほかに特殊針として革、畳用などがある。手縫い針は鋼製の細長い棒で、一端は布に刺すためとがらせ、他端は糸を通す小穴(みみ、めどという)をあけてある。縫い方の違いや、布の厚薄に適するように、先のとがり方、穴の形、太さ、長さなど種々ある。「はり」の語源については『和訓栞(わくんのしおり)』に「はり、針をいう。鍼(はり)も同じ、穿(ほり)の転なり」とあり、『和漢三才図会』巻36、女工具にも「縫鍼、縫針、毛乃奴伊波利(ものぬいばり)」とあって、鍼が本字で、針は俗字であることが知られるが、現在では医療に使うものに鍼の字を用いている。鉤(かぎ)状に曲がった釣り針(鉤)は漁業用のものである。なお、鉤については「釣り」の項を参照されたい。

[岡野和子]

種類

和裁用の和針、洋裁用のメリケン針のほかに特殊針がある。

[岡野和子]

和針

もと中国から舶来したので唐針(とうばり)とよばれ、江戸時代から昭和初期にかけて数多くつくられたものと、印針(しるしばり)といい、太さと長さを、たとえば「三の二」などと数で示したものがある。上の数字は針の太さを、下の数字は針の長さを示している。したがって三の二とは、三番目の太さの針で、1寸2分(3.6センチメートル、曲尺(かねじゃく)の1寸を略してある)の長さのものである。木綿縫いに適する。四の四は前のものより細く、1寸4分(4.2センチメートル)の長さである。絹の絎(く)けに用いられる。長さによって、縫い、絎け、しつけ、衿(えり)しめ用と使い分けられる。針の形は針先へ自然に細くなっていて、丸穴である。印針は、初めは仕立屋が用いたもので、品質がよく、縫う布の地質や厚薄によって、針の太さや、指の長さ、縫い方にあったものを選ぶことができる。

[岡野和子]

メリケン針

明治初年、洋服仕立職人が横浜で、メリケン(アメリカ人のこと)から西洋針を入手した。これにはイギリス製とドイツ製とがあった。メリケン針には長・短の2種があり、まつり絎け、置きじつけ、切りじつけなどに適している。穴は長方形で上部に溝があり、針先で急にとがった形になっている。

[岡野和子]

特殊針

おもなものに次のようなものがある。待ち針 布合わせを正しくして縫うために打つ針で、針頭にガラス玉、プラスチック、紙などがついている。日本刺しゅう針、フランス刺しゅう針、スウェーデン刺しゅう針、ビーズ針、文化刺しゅう針 いずれも手芸用。毛糸留め針、革縫い針などもある。

 針についての日本工業規格(JIS(ジス))は1953年(昭和28)2月に制定され、1981年10月に改正され、62種に適用されている。縫い針は25本を錫箔(すずはく)で包み、紙包みにされて売られている。

[岡野和子]

製造

針の製造は、明治中期に機械が導入されるまで、1本ずつの手作りであった。針をつくる職人は針師といわれたが、明治維新まで針を専門につくる業者や職人はごくわずかで、長屋住まいの小身者とか、下級の扶持(ふち)人が内職としてつくっていた。その方法は、針金を針1本の長さより少し長めに切り、鉄板の溝目の中に入れて、これを回して曲がりを直し、一端をやすりでとがらせる。他端を耳打ちといって、穴をあけるところを平らにする。次にろくろのような錐(きり)で穴をあけ、耳すりといって、やすりで両面をすり、形を整え、砥石(といし)で磨く。次に焼入れをし、油に入れて硬化させる。針の良否はこの硬度でほぼ決まるといわれる。砥石で研ぎ、最後に金剛砂で磨いて仕上げをする。このような手工業は明治中期ごろまでで、それ以後は需要増にこたえて機械を輸入することとなり、近代的な製針が行われるようになった。とくに機械による良質の針がつくられるようになったのは第二次世界大戦後である。

 現在の機械製造の工程は次のようである。(1)伸線(針の太さに伸ばす)、(2)切断(2本分の長さに切る)、(3)尖頭(せんとう)(両端をとがらせる)、(4)耳打ち(穴をあける)して2本を切り放す、(5)耳磨き、(6)焼入れ、(7)焼戻し、(8)針揃(そろ)え、(9)ロール研磨、(10)円筒研磨、(11)針揃え、(12)分類、(13)反り選(え)り、(14)先付け研磨、(15)パッキン研磨(特殊な研磨材料によって、いっそう光沢と滑りをよくする)。

[岡野和子]

歴史

日本における針の起源は、石器時代に骨、角でつくったくくり針があるが、石器時代末には、めどをつけた針が出現する。一般には竹や木の針も使われたと思われるが遺物はない。中国では3000年前から養蚕の技術がおこり、漢代には繊細な織物によるりっぱな衣服がつくられていた。この衣服の縫製には鉄製の細い針、現在の絹針の四の一、四の二ぐらいの短針が用いられていたと思われる。文献に初見されるのは『古事記』崇神(すじん)天皇の条で、「衣の襴(すそ)に針を刺し通した」とある。活玉依毘売(いけたまよりひめ)に通う男を知るために、衣の裾(すそ)に麻糸をつけた針を通して、その行き先を尋ねたという。このことから縫い針の存在を知ることができる。古墳時代になると、北方系の衣服が大陸や朝鮮半島から伝えられ、その裁縫技術とともに縫い針も、また製法も導入されたと思われる。飛鳥(あすか)・奈良時代には、隋(ずい)・唐の服制を取り入れ、正倉院に数多く残る薄地の絹織物や麻布の衣服の仕立てには、漢代の衣服にみた精緻(せいち)な技術が伝わっているのがうかがわれる。これらは当時の朝廷を中心とする貴族、官吏や、地方の豪族の間で行われたものである。

 正倉院には聖徳太子所用の撥鏤針筒(ばちるはりづつ)が伝えられ、針も現存する。鉄、銅、銀製の大針が1本ずつと、鉄製と銀製の小針が2本ずつ、計7本ある。

 平安時代には市(いち)で針が商われており、庶民はこれを求めて衣服を縫製した。当時の庶民衣服は麻、藤布など、太い糸でつくられた厚地であったから、針もいまの木綿針程度の太さで、つかみ針に便利な長針であったと思われる。『うつほ物語』の俊蔭(としかげ)の段には、「いとうつくしげに、つややかに、なめらかなるくけ針」「いと使いよきてづくりの針の耳いと明らかなる」とあって、裁縫する立場から、良質の針を求めていたことが知られる。室町時代のものとしては熊野速玉(くまのはやたま)大社(和歌山県)に7本の銀針が残されている。比較的長いものが多いことから、当時は公家(くげ)装束が強(こわ)装束になっていたため、縫い目は粗く、したがって縫い針も長針を用いるようになったと考えられる。

 針の産地としては、11世紀後半の『新猿楽(さるがく)記』に播磨(はりま)針の名がみえ、14世紀の『庭訓(ていきん)往来』には京都の姉小路(あねこうじ)の針とあり、江戸時代中期になると『雍州(ようしゅう)府志』(1684年刊)には同じ京都の池川針、翠簾屋(みすや)の名があがっている。これら京都のほかに但馬(たじま)国(兵庫県)、大坂、越中(えっちゅう)国(富山県)などが知られていた。『七十一番職人歌合(うたあわせ)』に筑紫(つくし)針の名が出ているのをみると、筑紫(九州)がそのころ産地であったことがわかる。なお、現在は広島県が第一の生産地となっている。

[岡野和子]

民俗

針を使うことは裁縫の基本であったから、裁縫の手ほどきを受けることを「針道(はりみち)をあけてもらう」という。以前は、上手に裁縫のできることが、女性の一人前の条件のように考えられ、嫁入りにも娘時代から使っていた針箱を持って行った。それは嫁の私物で、しばしば「へそくり」の隠し場所になった。へそくりのことを針箱銭(ぜに)という地方がある。正月2日ごろの仕事始めにも、縫い初(ぞ)め、針おこしなどといって、女性たちが簡単なものを縫う。逆に針止めといって、針を持たないことは物忌みの条件の一つであり、また出針(でばり)というのは外出まぎわに針を使うことで、忌むべきこととされている。針を口に含んで吹き付ける針打ちという正月の遊びもあった。虫歯を治す呪(まじな)いに、クワの葉に針を刺すなど、呪術(じゅじゅつ)に針を使う場面は多いし、「死人の着物を縫った針でほかの着物を縫うと中風にならぬ」など、針を比喩(ひゆ)に使った諺(ことわざ)や俗信も数多くある。縫い針のほかに、草屋根の屋根葺(ふ)きに用いるメド竿(ざお)や、漁網のつくろいに使う竹製の網針もある。

[井之口章次]



針(新潟県)
はり

新潟県上越市(じょうえつし)板倉(いたくら)区の中心地区。関田(せきた)峠越えの旧飯山(いいやま)街道の要衝で、古い伝統を誇る県立有恒(ゆうこう)高校がある。農村総合整備のモデル地区の指定を受け、光ヶ原(ひかりがはら)牧場の開発に成果をあげている。

[山崎久雄]

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普及版 字通 「針」の読み・字形・画数・意味


常用漢字 10画

(異体字)鍼
17画

[字音] シン
[字訓] はり

[説文解字]

[字形] 形声
正字は鍼に作り、咸(かん)声。咸に箴(しん)の声があり、〔説文〕に箴を咸声とするが、あるいは鍼の省声かもしれない。針は十に従うが、十は辛(しん)(はり)の小なるもので、象形。〔説文〕十四上に「以(ゆゑん)なり」とし、竹部五上の箴に「衣を綴(ぬ)ふ箴(はり)なり」という。いま針を縫針、箴を箴戒、鍼を鍼灸の字に用いる。

[訓義]
1. はり、ぬいばり。
2. とげ。

[古辞書の訓]
〔和名抄〕針管 波利々(はりつつ) 〔名義抄〕鍼・針 ハリ/針筒・針管 ハリヅヅ/鍼管 ハリヅヅ 〔字鏡集〕針 キリ・ハリ・イマシム*語彙は鍼字条参照。

[下接語]
按針・運針・棘針・検針・細針・指針・磁針・短針・長針・鈿針・方針・磨針

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「針」の意味・わかりやすい解説


はり

裁縫,刺繍の基本的道具の一つであり,変型に鉤針,編物針がある。縫い針は上端に糸を通す穴があり,先端は鋭くとがっている。穴の円形の和針 (唐針ともいい,中国から伝わったものも含む) ,穴の楕円形のメリケン針 (アメリカから伝わったもの) があって,それぞれ用途別の太細,長短を日本工業規格で定めている。和針の「三の一」とか「四の二」と表示されているものの,前の数字は,三が木綿用,四が絹用というように5つの用途別の太さを表わし,うしろの数字は曲 (かね) 尺 (1寸≒30.3mm) で,一は1寸1分,二は1寸2分というように長さを表わす。縫い針の歴史は古く旧石器時代の骨角製のものから始って,時代とともに黄金針,青銅針,鉄針,鋼針へと進展してきた。鉄針は中国が起源で,各国へ普及した。鉤針は先端に鉤があり,使用する糸の太さによって大きさが異なる。材質も鋼とプラスチックがある。編物針は,棒針ともいい,まっすぐの棒状で,2~4本を一組とし,材質もさまざまである。

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百科事典マイペディア 「針」の意味・わかりやすい解説

針【はり】

布や皮革を縫い,留めるための器具。旧石器時代後期,マドレーヌ文化に骨角器のめどのある針が見られるほか,古くから各地に骨製,象牙製,青銅製などの針が見られる。現在使われている針は鋼製で,裁縫用には和針,洋針,ミシン針,特殊針がある。和針は針穴が丸く,絹針,紬(つむぎ)針,木綿針などの別があり,それぞれに縫針,くけ針,しつけ針や穴のない待針などがある。洋針は俗にメリケン針ともいい,明治以後輸入されたもので針穴が細長い。留針には安全ピン,虫ピンなどのほかアクセサリーとしてのピンも各種ある。

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世界大百科事典(旧版)内のの言及

【板倉[町]】より

…古くから開発が進んだ地域で,《和名抄》に板倉郷の名がみえる。中心集落の針は近世に関田峠を越え野沢温泉に出る関田街道の要衝で,中江用水,上江用水によって開田が進められた頸南穀倉地帯の中核をなす。中心産業は稲作であるが,小規模経営の農家が多く,新井市,上越市などへの通勤者も多い。…

【痛み】より

…メチオニンエンケファリン,ロイシンエンケファリン,β‐エンドルフィンなどがそれである。古くから痛みの治療に使われてきたはり(鍼)も痛みを和らげる脳の仕組みと無関係ではないように思われる。
[ペインクリニックpain clinic]
 主として慢性の痛みを専門に治療する特殊な診療部門で,末梢神経の興奮伝導を遮断する神経ブロックが治療法の主体をなしている。…

【鍼灸】より

…なお近年の中国では,伝統医学を見なおす中で,針麻酔法が開発され,その効果にはなお批判があるとはいえ,多数の有効例が報告されている。鍼(はり)【赤堀 昭】。…

【盲人】より

…ことに身体的社会的理由から自宅での養育が困難とされる18歳未満の盲児には,児童福祉法に基づく盲児施設がある。また地域における自立のための生活基礎訓練を必要とする18歳以上の盲人に,リハビリテーションを行う施設として失明者更生施設があり,またあんま師,はり師,きゅう師の免許を持ちながらも自営したり,雇用されたりすることの困難な盲人に生活の場を与え,技術の指導を行い,自立更生を援助する施設として盲人ホームがともに身体障害者福祉法に基づいて設置されている。在宅盲人の通所施設としては,通所授産施設ならびに点字図書館と点字出版施設がある。…

※「針」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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