新潟市(読み)ニイガタシ

デジタル大辞泉 「新潟市」の意味・読み・例文・類語

にいがた‐し〔にひがた‐〕【新潟市】

新潟

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日本歴史地名大系 「新潟市」の解説

新潟市
にいがたし

面積:二〇八・七九平方キロ

県中央部北寄り、信濃・阿賀野の二大河川の河口部を中心とした日本海沿いの蒲原かんばら平野の一端を占める。大河による沖積平野は低湿湛水地帯であり、近代に至るまで大小の潟沼が無数に散在するなかで米作が続けられてきた。治水・圃場整備が進んだ現在も、その名残を鳥屋野とやの潟にとどめている。海岸線に沿って砂丘が延び、内陸には三―四条の砂丘列が認められ、集落が立地する。北から東は北蒲原郡聖籠せいろう町・豊栄とよさか市、南は中蒲原郡横越よこごし村・亀田かめだ町・新津市白根しろね市、西は西蒲原郡黒埼くろさき町・西川にしかわ町・まき町に接する。

〔原始・古代〕

明らかな遺跡としては弥生後期の六地山ろくじやま遺跡が市の西部に認められるほか、古代遺跡と思われる場所が砂丘列上に散見する。そのなかで、市域北東端にある出山でやま遺跡は製塩遺跡として貴重。大化三年(六四七)大和朝廷渟足柵ぬたりのきを設けたが(日本書紀)、位置・遺構ともに不明である。地名は後世の沼垂ぬつたり町とは結び付くものの、位置はむしろ当時沼垂郡域であった北蒲原郡の阿賀野川に近い辺りと推測する説もある。一方、蒲原津と称される外港の存在が「延喜式」にみえ、敦賀津つるがのつ(現福井県敦賀市)と結ばれていた。蒲原平野に産する官物積出しの拠点であり、信濃川の河口港であったことは想像されるが、地形変化が著しく所在地も設置年代も不明。設置は渟足柵構築前とする説もある。また「延喜式」神名帳所載の蒲原郡青海おうみ神社・船江ふなえ神社、沼垂郡大形おおがた神社・美久理みくり神社などに比定される神社も市域にある。

〔中世〕

蒲原津は古代に引続いて繁栄してきたと思われ、軍事上の拠点として攻防の焦点となった。南北朝の争乱は日本を二分する勢力争奪戦であり、当地方も阿賀野川を境に北部は北朝方に、南部は南朝方に加勢、建武二年(一三三五)蒲原津には南朝方の小国氏が築城して北部への進出をはかった。北部の加地氏色部氏はこれによく対抗し、蒲原津城はたびたび争奪の対象となっている。暦応四年(一三四一)には北朝方の手に落ちて焼きはらわれた。またこの頃、阿賀野川の河港として沼垂津も繁栄していたとみられる。戦国時代には蒲原津と沼垂津とが併存していたことが、永正一五年(一五一八)の頤神軒存算用状(伊達文書)に「のつたりのわたしもり」「かんハらの舟もり」とあることで知られる。


新潟市
にいがたし

2005年3月21日:新潟市が白根市・新津市・豊栄市、西蒲原郡岩室村中之口村月潟村潟東村・味方村・西川町、中蒲原郡小須戸町横越町・亀田町を編入
【岩室村】新潟県:西蒲原郡
【中之口村】新潟県:西蒲原郡
【月潟村】新潟県:西蒲原郡
【潟東村】新潟県:西蒲原郡
【味方村】新潟県:西蒲原郡
【新潟市】[変更地名]新潟県
【西川町】新潟県:西蒲原郡
【小須戸町】新潟県:中蒲原郡
【横越町】[変更地名]新潟県
【亀田町】新潟県:中蒲原郡
【白根市】新潟県
【新津市】新潟県
【豊栄市】新潟県


新潟市
にいがたし

2005年10月10日:新潟市が西蒲原郡巻町を編入
【新潟市】[変更地名]新潟県
【巻町】新潟県:西蒲原郡


新潟市
にいがたし

2007年4月1日:新潟市が政令指定都市となる
【新潟市】[変更地名]新潟県
【西蒲原郡】新潟県:西蒲原郡


新潟市
にいがたし

2001年1月1日:新潟市が西蒲原郡黒埼町を編入
【黒埼町】新潟県:西蒲原郡
【新潟市】新潟県

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「新潟市」の意味・わかりやすい解説

新潟〔市〕
にいがた

新潟県中部,信濃川阿賀野川下流域の新潟平野に広がる市。1889年市制。1954年松ヶ崎浜村,南浜村濁川村,坂井輪村の 4村,1957年大江山村,曽野木村,両川村の 3村,1960年内野町,1961年赤塚村,中野小屋村の 2村,2001年黒埼町をそれぞれ編入。2005年3月白根市,豊栄市,新津市,小須戸町,横越町,亀田町,西川町,岩室村,味方村,潟東村,月潟村,中之口村の 3市 4町 5村を,さらに 10月町を編入。2007年政令指定都市に移行し,北区東区中央区江南区秋葉区南区西区西蒲区の 8区を設置した。元和2 (1616) 年港を開設。寛文12 (1672) 年奥羽米回送の寄港地に指定されて繁栄した。安政5 (1858) 年日本海岸唯一の開港場となり,以来貿易港として発展。明治4 (1871) 年廃藩置県により新潟県庁を設置。県政の中心地となり,明治末期からは油田開発に伴う工業の発展で工業都市の性格も加えた。1955年の新潟大火,1964年の新潟地震後は堀も埋め立てられ,近代都市として躍進。1964年新産業都市に指定され,その一環として新潟東港を開港し,東新潟地区は石油,化学,鉄鋼,機械を総合した重化学コンビナートを形成,県下最大の臨海工業地域となっている。また古くから織物業が盛んで,綿織物の葛塚縞,小須戸縞は有名。仏壇の生産も多い。農村部は穀倉地帯をなし,中西部の旧潟湖鎧潟は文政年間 (1818~30) より干拓が始まり,現在は大型機械化農業のモデル地区となっている。河川の自然堤防上や砂丘地ではモモ,ブドウ,ナシの果樹園芸,チューリップ,ヒヤシンスの球根など花卉園芸が行なわれる。1972年関屋に信濃川の分水路を完成し,長年の水害との戦いに終止符を打った。菖蒲塚古墳,古津八幡山遺跡 (ともに国指定史跡) ,旧新潟税関庁舎 (国指定史跡および重要文化財) ,旧笹川家住宅,新潟県議会旧議事堂,萬代橋,種月寺本堂 (以上,国指定重要文化財) などの文化財がある。鳥屋野逆ダケの藪,月潟の類産梨は国の天然記念物。市域の一部は佐渡弥彦米山国定公園に属し,南西部の岩室には国民保養温泉地の岩室温泉がある。上越新幹線,JR信越本線,羽越本線,磐越西線,越後線,白新線,国道7号線,8号線,49号線,113号線,116号線,402号線,403号線,460号線などが通じる。中心部の新潟中央ジャンクションで北陸自動車道,磐越自動車道,日本海東北自動車道が結節。北部の日本海沿岸に新潟空港がある。面積 726.27km2。人口 78万9275(2020)。

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