



(けい)+攴(ぼく)。卜文の
の字形は、羊頭の人の前に祝
の器(
(さい))をおく形。羌人を犠牲として祈る意であろう。
はそれに攴を加えて、これを責め
(いまし)める意を示す。
は
の初文。
(警)もその意に従う。〔説文〕九上に「肅(つつし)むなり」、また肅(粛)字条三下に「事を持すること振
なるなり」とするが、敬はもと神事祝
に関する字である。それで神につかえるときの心意を敬といい、金文に「夙夜を
(つつし)む」とは先祖を祀る意、また〔詩、大雅、雲漢〕「
を
恭す」、〔詩、大雅、板〕「天の怒りを
む」のように、神明に対して用いる。
・
の初文。
字鏡〕
ツツシム・カシコマル 〔名義抄〕
ウヤマフ・ツツシム・オガム・ツトム・ハヂ・タカシ・ウヤ 〔字鏡集〕
ツトム・ウヤ・ウヤマフ・ツツシム・タフトシ・ナラフ・タカシ・ヲガム・ハヂ
声として
・
・
(驚)など五字を収める。
・
は〔説文〕にともに「戒むるなり」とあって、
の派生字。
は馬の
走することをいい、そのことを神異として怪しむ意がある。
・
・
・
kiengは同声。みな
の声義を承ける。
はもと神を驚かせ戒める呪儀をいう。のち神につかえ、神意をおそれることをいう。
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中国,朱子学の修養法。居敬,持敬,主敬などともいう。敬とは本来,天,神々,君,父母などに対する敬虔でうやうやしい気持,ないしは態度をいうが,朱熹(子)はこれを自己の自己に対する心のあり方に転化させ,自己変革の修養法として確立した。このような敬は,朱熹以前にすでに北宋の道学者によって提唱され,次のような定義が与えられている。程頤(ていい)(伊川)の〈主一無適〉(心を一点に集中させどこへも逸(そ)れてゆかぬようにさせること)。同じく程頤の〈整斉厳粛〉(外貌をきちんと整えることによって心を専一にさせる)。謝良佐(上蔡)の〈常惺惺〉(心をたえず目ざめさせておく)。尹和靖(いんなせい)の〈収斂(しゆうれん)〉(心の高度な集中)。朱熹はこれらを踏まえ,心の静なるとき(未発(みはつ))も動くとき(已発(いはつ))も敬を持すことによって心の主体性を確立しようとしたのであった。しかし敬だけでは現実世界の筋道が見えてこないので,居敬と窮理(道理の追求)の双修を強調した。
執筆者:三浦 国雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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