出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
福岡県中部の市。2006年3月甘木(あまぎ)市と旧朝倉町,杷木(はき)町が合体して成立した。人口5万6355(2010)。
朝倉市中南部の旧町。旧朝倉郡所属。人口9560(2005)。南端を筑後川が流れ,北は旧甘木市に接する。筑紫山地に連なる北部を除くと,筑紫平野の東部にあたり,筑後川のはんらん平野から成る。中央部の比良松(ひらまつ)はかつて博多~日田の街道沿い(現国道386号線)の宿場として栄えた。大分自動車道のインターチェンジがある。主産業は農業で,米,麦のほかキュウリなどの野菜の施設園芸が盛ん。また山麓地帯の柿も一大産地をなす。661年,斉明天皇が百済救援の途次病没したといわれる朝倉行宮跡,重要文化財の薬師如来座像を有する南淋寺,恵蘚宿の隠家森(かくれがのもり)(幹まわり18mの大クス,天然記念物)などがある。南部の筑後川流域は県立自然公園に含まれる景勝地で,300年前より周辺約700haの水田をうるおしてきた山田堰,堀川にかかる水車などがある。
執筆者:松橋 公治
朝倉市中北部の旧市。1954年甘木町,秋月町と安川,上秋月,立石,三奈木,金川,蜷城(ひなしろ),福田,馬田の8村が合体,市制。人口4万1674(2005)。北半は馬見山(978m)を最高峰とする山地,南半は筑後平野の北部を占め,扇状地とそれに続く筑後川中流北岸のはんらん原が広がる。旧甘木町は小石原川の谷口に甘木山安長寺の門前町として古くから発達,江戸時代には豊後街道に沿う宿場町・市場町として栄え,明治以後も農業の盛んな朝倉郡の中心をなしてきた。秋月は1203年(建仁3)古処(こしよ)山(860m)に築城した秋月氏が16代居城し,1623年(元和9)から廃藩まで福岡黒田藩が5万石の支藩をおいた城下町であった。農業のほか家具,繊維,農薬などの諸工業に加えて,近年ビール,タイヤの大工場が立地し工業化も顕著である。特産のスイゼンジノリ,葛粉,特別天然記念物の古処山ツゲ原始林,90年代初めに発見された弥生集落跡の平塚川添遺跡(史)。県文化財の秋月城黒門・秋月眼鏡橋,江川ダム,寺内ダムなどがある。大分自動車道のインターチェンジがあり,鹿児島本線から分岐する甘木鉄道,久留米からの西鉄甘木線の各終点をなす。
執筆者:土井 仙吉
朝倉市南東部,筑紫平野の最東端に位置する旧町。旧朝倉郡所属。人口8151(2005)。南端を西流する筑後川流域に沖積低地があるほかは筑紫山地に属する山地で占められる。古くは杷伎と記され,豊後への交通の要地であり,筑前国の東の要衝として秋月城の出城が置かれた。また近世は日田(ひた)街道の宿場町として栄えた。米作のほか,富有柿,ブドウなどの果樹栽培を営み,シイタケ,木材,竹製品も産する。志波(しわ)の円清寺は黒田如水ゆかりの寺で,高麗時代の朝鮮鐘(重要文化財)を伝え,普門院には鎌倉時代末期の遺構とされる本堂(重要文化財),藤原時代の木造十一面観音像(重要文化財)がある。また杷木神籠石(こうごいし)(史)が残る。毎年3月28日に行われる穂坂の阿蘇神社の泥打祭は,田の泥を投げあって農作物の豊凶を占う奇祭である。筑後川沿いに原鶴温泉,筑前林田温泉(放射能泉,25℃)がある。大分自動車道のインターチェンジがあり,国道386号線が通じる。
執筆者:松橋 公治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報
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