長野県中西部の市。2005年4月旧松本市が梓川(あずさがわ),安曇(あずみ),四賀(しが),奈川(ながわ)の4村を編入,10年3月波田(はた)町を編入して成立した。人口24万3037(2010)。
松本市中北部の旧村。旧南安曇郡所属。人口1万0162(2000)。松本盆地南西部を占め,東は旧松本市に接する。東部は南~東縁を流れる梓川の扇状地が広がり,西部は標高2000m前後の飛驒山脈東縁の山地である。古くから開けた地で縄文中・後期の荒海渡遺跡など遺跡が多い。中世には西牧郷といわれ,西牧(滋野)氏の一族が支配し,金松寺山の東麓には西牧氏館跡がある。東部の平地では稲作,灌漑施設の整備が進んだ山麓地帯ではリンゴ,桃,ブドウなどの果樹や蔬菜栽培が行われている。人口は昭和30~40年代は減少傾向にあったが,50年代以降は増加に転じ,旧松本市などへの通勤者が増加している。
松本市西部の旧村。旧南安曇郡所属。現地標音では〈あづみ〉。人口2686(2000)。旧松本市の西方,梓川の中・上流域に位置する。飛驒山脈中の村で,村域のほとんどを山林・原野が占め,また半分以上が中部山岳国立公園に指定されている。集落は梓川沿いと乗鞍高原に点在し,国道158号線などにより結ばれる。島々(しましま)をはじめとする集落は,江戸時代には松本藩の藩有林における杣業,製炭業を生業としていたが,大正期以降,村内各所に発電所が建設され,発電所従事者が増えた。1969-70年の奈川渡ダム,水殿ダム,稲核(いねこき)ダムの完成とともに道路整備が進展し,観光開発が進んだ。上高地,乗鞍高原,白骨温泉などの景勝地,槍ヶ岳,穂高岳,乗鞍岳など〈日本の尾根〉と呼ばれる高山の集まった日本有数の山岳観光地である。耕地が少なく,高冷地であるため農業は振るわない。上高地は特別名勝,特別天然記念物に,白骨温泉の噴湯丘,球状石灰石は特別天然記念物に指定されている。1997年国道158号線安房(あぼう)トンネルが開通し,岐阜県側との通年往来が可能となった。
松本市北東部の旧村。旧東筑摩郡所属。人口6108(2000)。筑摩山地に位置する山村で,総面積の約80%を山林・原野が占める。中央を西流する犀(さい)川支流の会田川と保福寺川沿いに水田が開けるほか,山間傾斜地も耕地化されている。中心集落の会田は江戸時代,北国西脇往還(善光寺道)の宿駅として栄え,1902年の篠ノ井線開通までは交通の要地であった。主産業は農業で,近年稲作,養蚕に代わって,養鶏,養豚,酪農が伸びている。国道143号線が通り,松本,上田方面に通じる。四賀化石館が代表的な文化施設で,穴沢クジラ化石は県天然記念物に指定。
松本市南西部の旧村。旧南安曇郡所属。人口1107(2000)。梓川の支流奈川の流域を占め,村域の9割が山林・原野である。奈川沿いに小集落があるが,耕地はきわめて少ない。野麦峠を越える野麦街道が飛驒高山と松本を結び,江戸時代から明治末期まで牛による荷運びを業とする者があり,奈川の牛稼と呼ばれた。また飛驒を出て岡谷の製糸工場で働く女工の通る道でもあった。街道は中央本線の開通後はさびれた。1969年奈川渡ダムが完成し,人造湖の梓湖ができた。奈川温泉(重曹泉,46℃),野麦峠スキー場があり,観光開発がすすめられている。
松本市中南部の旧町。旧東筑摩郡所属。1973年町制。人口1万4914(2005)。松本盆地の西部,梓川の南岸に位置し,北西から北,東は旧松本市に接する。南西部は鉢盛山(2446m)まで山地が続くが,北東部には梓川の開析扇状地が広がり,明治以降に開拓された水田と畑が多い。米作やリンゴ,モモ,スイカ,ナガイモなどの栽培と畜産を中心とする農業が主産業である。松本電鉄と国道158号線が通じ,旧松本市への通勤の便がよいため農地の宅地化が急速に進み,人口が増加している。松本電鉄新島々駅周辺は北アルプスの玄関口として夏季を中心に観光客でにぎわう。波田神社境内にある坂上田村麻呂をまつる桃山時代の田村堂(重要文化財)は,明治初年に廃寺となった若沢(にやくたく)寺から移築されたものである。
執筆者:柳町 晴美
松本市東部の旧市。1907年市制。人口20万8970(2000)。松本盆地の中心であるばかりでなく,木曾を含めた中信地方,さらに諏訪・伊那両地方を含めた中南信地方(広義の南信地方)の中心でもある。中世には信濃国守護小笠原氏の本拠地で,戦国時代から近世には,松本藩の城下町として栄えた。廃藩置県後,中南信4郡に飛驒国を加えた筑摩県の県庁が,松本城跡に置かれていた。諸河川が集まる松本は内陸交通の要衝であり,谷に沿って千国(糸魚川),野麦,伊那(三州),北国西などの諸街道が集中していた。現在でも交通の中心をなす。JR篠ノ井線,大糸線,松本電鉄の分岐点で,長野自動車道,国道19号線が通じ,市の南部には松本空港(1993年ジェット化工事完了)がある。電気機械工業や食品工業のほか家具,シラカバ細工,紬(つむぎ)などの伝統的工業もあり,松本・諏訪新産業都市の中核をなす商工業都市となっている。農業は稲作とリンゴ,ブドウなどの果樹栽培が主である。松本城,旧開智学校本館,信州大学などがあり,1月10~11日の飴市,8月中旬の青山様などの民俗行事も豊かである。浅間温泉,中信高原の美ヶ原,北アルプスの上高地,乗鞍高原などへの観光基地にもなっている。
執筆者:市川 健夫
信濃国の城下町。古代の筑摩(豆加万(つかま))郡西端に位置し,奈良時代後期には信濃国府が小県(ちいさがた)郡から移ったため府中,信府ともいい,中世には深瀬,深志,庄内などと呼ばれた。建武新政のとき甲斐の小笠原貞宗が信濃守護として進出し,井川に館を置いた。戦国大名武田信玄の進攻により小笠原貞時は林,埴原(はいばら)などの山城を退去したが,その子貞慶(さだよし)が,武田氏の滅亡,織田信長死去の1582年(天正10)深志城を奪還し,城名を松本城と改めた。これが地名の起りである。貞慶は90年子秀政とともに関東に移り,代わって入封した石川氏が関ヶ原の戦後まで在封して,近世の城下町と松本藩の開祖となった。石川氏は現存の天守を築き,小笠原氏の開いた本町,中町,東町の三つの親町に枝町を加えた。石川氏改易後再封された小笠原氏以後歴代藩主のもとで,町制はしだいに整うが,城下町としての発展は1642年(寛永19)入封の水野氏,1725年(享保10)入封の戸田氏の治世であった。城の周辺と北側に武家屋敷,東と南に町屋敷があり,親町庄屋は町奉行の監督下に枝町庄屋を支配し,本町庄屋今井家は御使者宿,同倉科家は問屋を兼ねた。同年武家屋敷は990,町屋敷は1233(世帯数2351),町方人口8206人を数え,地子免除であったが,219軒が伝馬人足を出した。水野氏時代は自給的色彩が強かったが,戸田氏の代になって領外との商品流通も盛んとなった。中馬稼(ちゆうまかせぎ)による在方(ざいかた)商業の荷替地ともなり,1776年(安永5)の綿屋火事その他たびたびの災害にもかかわらず,1830年(天保1)ころの産物会所の開設によって在方商業の統制,絞木綿(しぼりもめん)問屋の活動,上(のぼ)せ生糸など国産の拡充がうながされ,43年の《善光寺道名所図会》に〈当国第一の都会〉と記されるような繁栄をみた。
執筆者:金井 圓
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
長野県中西部にある松本盆地の中心都市。1907年(明治40)市制施行。1925年(大正14)松本村、1954年(昭和29)中山、島立(しまだち)、島内(しまうち)、芳川(よしかわ)、新(にい)、和田、神林(かんばやし)、笹賀(ささが)、寿(ことぶき)、岡田、入山辺(いりやまべ)、里山辺、今井の13村、1974年本郷村を編入。2005年(平成17)東筑摩(ひがしちくま)郡四賀村(しがむら)、南安曇(みなみあずみ)郡奈川村(ながわむら)、安曇村、梓川村(あずさがわむら)を、2010年、波田町(はたまち)を編入。2021年(令和3)中核市に移行。面積978.47平方キロメートル、人口24万1145(2020)。
東部は筑摩(ちくま)山地の美ヶ原(うつくしがはら)、西部は北アルプス脊梁で岐阜県と境を接する。内陸にあるため、降水量は比較的少なく、奈川地区などとくに冬の寒さは厳しいが、降雪量は県北部に比して少ない。市街地は奈良井(ならい)川、田川東岸の女鳥羽(めとば)、薄(すすき)両河川の扇状地末端部を占めている。女鳥羽川以北を古くから北深志(きたふかし)、以南を南深志とよび、前者は近世城下町の武家町、後者は町人町であった。市街地の西部、南西部一帯は奈良井、田川の扇状地末端部にあたり、地下水が豊富である。北部の筑摩山地の丘陵部や東部の薄川の扇頂部は砂礫(されき)土壌からなる。梓川の右岸に広がる河岸段丘上の波田地区は、北東に傾斜をなしている。広大な安曇地区と奈川地区は「日本の屋根」長野県を象徴する3000メートル峰を連ねた山岳美観の一大宝庫である。
JR篠ノ井線(しののいせん)、大糸線が通じ、JR中央本線の新宿、名古屋両駅から松本までの直通特急電車の運転も多い。上高地(かみこうち)方面へは新島々(しんしましま)まで松本電鉄上高地線が走り、国道19号、143号、147号、158号、254号が通じ、盆地の各方面へバスが発着する。南部の塩尻(しおじり)市との境界には松本空港があり、福岡、札幌(新千歳・丘珠(おかだま))空港との間に定期便がある。また北アルプスの遭難者救助ヘリコプター基地としても利用される。
[小林寛義]
奈良時代末か平安初期には、信濃国府(しなのこくふ)の所在地になった。国府の位置は確定されていないが、薄川左岸の筑摩(つかま)神社のあたりという説が多い。南北朝時代には甲斐(かい)(山梨県)の小笠原氏(おがさわらうじ)が本拠を構え、信濃守護を称した。戦国末期甲斐の武田氏はしばしば信濃侵略の拠点として松本に入っている。なお、松本は戦国末期まで深志とよばれ、武田氏の滅亡、織田信長の死後、1582年(天正10)小笠原貞慶(さだよし)がこの地を回復し、深志城を松本城に改称したのが松本の名称の始めである。1590年石川氏が入封し、1594年(文禄3)天守閣を築き、城下町を整備した。その後、小笠原・戸田・松平氏らが在封し、1726年(享保11)以降、明治維新まで戸田氏6万石の所領であった。城下町には長野善光寺へ通じる善光寺街道と、西方の飛騨(ひだ)(岐阜県)高山へ通じる野麦街道(のむぎかいどう)、糸魚川(いといがわ)(新潟県)へ通じる糸魚川街道が集まり、盆地の交通の中心をなした。松本城は本丸と二の丸などが国の史跡に、また天守や月見櫓(やぐら)などが国宝に指定されている。
1871年(明治4)には長野県の西半分と飛騨国をあわせた筑摩県の県庁所在地になったが、1876年県庁焼失で長野県に合併された。明治末に、陸軍歩兵第五〇連隊が設置され、第二次世界大戦終了までは軍都としても発展した。
[小林寛義]
1964年に諏訪(すわ)地方とともに新産業都市地域に指定された。松本には近代工業と伝統工業が並存する。電機工場や、松本盆地で産するトマト、アスパラガスなどを原料にしたジュース、牛乳、酪農製品、缶詰などの食料品工業のほか、近年諏訪地方の精密機械工場が進出し、国道19号沿いに工場が分布する。一方、城下町松本には和菓子、民芸家具などの木工製品、それに近世後期からの綿製品、足袋(たび)などの工業が現在も続いている。西部の島立・島内地区は米作地、東部の入山辺地区は古くからブドウ産地として知られる。波田地区では、リンゴ、モモなどの果樹栽培が行われ、下原(しもはら)スイカが有名。
[小林寛義]
松本城とともに松本市が誇るものに旧開智学校(きゅうかいちがっこう)がある。1876年女鳥羽川の左岸に開校した小学校で、東京の開成学校(東京大学の前身)に模した洋風2階建て建築で、中央に八角塔がそびえ、国宝に指定されている。松本城の北に移築保存され、教育博物館として明治以来の教育資料3万点余が展示されている。1919年設置の旧制松本高校(現、信州大学)の旧校舎と講堂は「あがたの森文化会館」となっている。国の重要文化財指定の建造物に、室町時代の筑摩神社本殿、桃山時代の若宮神社本殿などがある。松本市立博物館は、松本地方を中心に県下の考古、歴史、民俗などの資料を収蔵し、七夕(たなばた)人形、民間信仰資料、農耕用具の各コレクションは国の重要有形民俗文化財に指定されている。
1月初旬には女鳥羽川に沿う縄手(なわて)通りに飴市(あめいち)が立つ。かつて上杉氏が武田治下にあった松本地方の住民に塩を送った故事にちなむ塩市が前身といわれ、塩俵(しおだわら)を模した飴が売られる。
市街の善光寺西街道と野麦街道の分岐点には牛繋石(うしつなぎいし)が残り、また、生子(なまこ)壁の古風な建物もあって城下町らしい風情を漂わせる。一方、松本駅前は再開発により近代的建物が並ぶ。
東部の美ヶ原高原一帯は八ヶ岳(やつがたけ)中信高原国定公園の一部で、周辺には美ヶ原温泉がある。鉢伏山(はちぶせやま)北西麓の牛伏寺(ごふくじ)は真言(しんごん)宗の名刹(めいさつ)で、うしぶせ厄除観音(うしぶせやくよけかんのん)として知られる。市街北部の浅間温泉は長野県の代表的温泉の一つ。東方の美鈴(みすず)湖は釣りやオートキャンプの行楽に適している。このほか入山辺、扉(とびら)などの静寂な温泉がある。
西部の安曇地区と奈川地区はそれぞれ穂高山群と乗鞍岳という観光資源を擁し、夏の登山・キャンプ、冬のスキー、さらに点在する温泉で多くの来訪者に親しまれている。
[小林寛義]
『『松本市史』全2巻(1933・松本市)』▽『『東筑摩郡・松本市・塩尻市誌』全7冊(1957~1976・松本市教育会)』▽『『観光の松本シリーズ――史蹟文化財編』(1970・松本観光協会)』
中世における湖南の水上・陸上交通の要衝。南東の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報
…木曾(吉蘇,岐蘇)は美濃国との境界が明確でなかったが,879年(元慶3)県坂山岑(現,鳥居峠)を堺と決定した。国府は当初小県郡(現,上田市)に置かれ,国分寺,国分尼寺も同所に置かれたが,平安初期に国府は筑摩郡(現,松本市)に移された。官道である東山道の道筋は幾度か変遷している。…
…
[沿革]
県域はかつての信濃国全域にあたる。江戸末期には松本藩,飯田藩,高遠(たかとお)藩,高島藩(諏訪藩),田野口藩(後に竜岡藩と改称),松代藩,須坂藩,飯山藩,岩村田藩,小諸藩,上田藩の諸藩が分立しており,木曾は尾張藩領で,そのほかにも天領,旗本領,寺社領などが入り組んでいた。1868年(明治1)伊那県が置かれて,尾張藩の所管となっていた旧天領,旗本領などを支配下に置き,翌年三河県を併合(1871年額田県に編入),70年には一部を割いて中野県を設けた。…
※「松本」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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