川崎(読み)かわさき

精選版 日本国語大辞典 「川崎」の意味・読み・例文・類語

かわ‐さき かは‥【川崎】

[1] 〘名〙
① 川の流れに突き出た所。
※謡曲・鵜飼(1430頃)「あれに見えたる川崎のみ堂へおん出であってお泊りやれや」
② 「かわさきぶね(川崎船)②」の略。
蟹工船(1929)〈小林多喜二〉三「一艘は水船になってしまったために、〈略〉別の川崎に移って、帰ってきた」
[2]
[一] 神奈川県北東部の地名。鎌倉時代に河崎氏の館があり、江戸時代には東海道の宿場として栄えた。現在の市域は東京都と横浜市との中間を多摩川沿いに長く広がり、東京湾に面する埋立地は京浜工業地帯の核心部。大正一三年(一九二四)市制。昭和四七年(一九七二)政令指定都市
[二] 神奈川県川崎市の行政区の一つ。昭和四七年(一九七二)成立。市東端に位置し、臨海部は京浜工業地帯の中心。川崎市役所、川崎大師がある。

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デジタル大辞泉 「川崎」の意味・読み・例文・類語

かわさき【川崎】[地名]

神奈川県北東部の市。多摩川の南岸にあり、東海道の宿場町として発展。京浜工業地帯の中核をなす大工業地。昭和47年(1972)指定都市。人口142.6万(2010)。
川崎市の区名。川崎大師の門前町。
[補説]川崎市の7区
麻生区、川崎区、幸区高津区多摩区中原区宮前区

かわさき【川崎】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「川崎」姓の人物
川崎九淵かわさききゅうえん
川崎かわさきのぼる
川崎洋かわさきひろし

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改訂新版 世界大百科事典 「川崎」の意味・わかりやすい解説

川崎[市] (かわさき)

神奈川県東部にある市。市域は北西部の多摩丘陵から南東部の東京湾岸まで多摩川に沿って細長く延びている。北は多摩川を挟んで東京都に接し,南は横浜市に隣接する。東京湾岸は埋め立てられて工業地区となり,京浜工業地帯の中核をなす工業都市である。1924年川崎町,大師町と御幸村が合体,市制。人口142万5512(2010)。市制施行後,数次の編入によって市域を広げ,72年政令指定都市となり,川崎,幸,中原,高津,多摩の5区を設けた。82年北西部の人口増にともない,高津区,多摩区から宮前区,麻生(あさお)区を分区した。江戸時代の川崎は多摩川の渡し場集落として,東海道の一宿であった。また多摩川の自然堤防上に川崎大師で知られる平間(へいげん)寺があり,その門前町があった。1907年国鉄の多摩川鉄橋の橋詰に横浜精糖(後に明治製糖)が設立されて近代工業の先駆けとなり,次いで東京芝浦電気,日本コロムビア,味の素などの工場も建設され,工業地区が形成された。13年浅野総一郎,安田善次郎らにより,横浜の鶴見川河口から川崎に至る臨海工業地区の造成が始まり,28年約5.8km2の埋立地と,横浜港と東京港を結ぶ京浜運河が完成,日本鋼管(現,JFE),浅野セメント(現,太平洋セメント),昭和肥料(現,昭和電工),日清製粉,富士電機などの並ぶ大工場地帯が生まれた。1924年横浜,横須賀に次いで県内3番目に市制を施行したが,当時の人口は4万人足らずであった。第2次世界大戦による戦災で工場地帯は壊滅したが,戦後の復興により地位を回復した。57年から63年にかけて多摩川河口に3.8km2の埋立地が造成され,日本石油系,東亜燃料系の石油コンビナートが生まれた。71年から75年にかけては,京浜運河の外側に扇島埋立地が造成され,日本鋼管の新鋭設備による工場が誕生した。この埋立地には公共用地が確保され,東京湾岸道路の一環となる。近年の科学技術の高速な進歩にともなって,それに対応する施設が市内各所に設立されている。県立のかながわサイエンスパーク(高津区)や市立の川崎総合科学高校(幸区)などがあげられる。川崎の市街地はJR東海道本線などの川崎駅東側を中心部とするが,東京と直結する東急東横線,同田園都市線,小田急線と,川崎駅から発し,市域を多摩川沿いに走るJR南武線との交点である武蔵小杉,溝ノ口,登戸の各駅周辺が,副都心的性格をもつ。北西郊の開発は急速に進み,田園都市線,小田急線・小田急多摩線・東急田園都市線沿線にニュータウンの建設が顕著である。国道1号線が通じ,東名高速道路のインターチェンジがある。
執筆者:

多摩丘陵には数多くの原始・古代の遺跡が分布しているが,そのうち60%以上が縄文時代の遺跡である。旧石器遺跡は麻生区黒川東遺跡のローム層から搔器と刃器などが発掘され,また縄文早期の高津区子母口(しぼくち)貝塚は,子母口式土器の標式遺跡として県史跡に指定されているが,マガキシジミイノシシ,シカなどが発見されている。なお縄文中期の宮前区潮見台遺跡や初山遺跡には6~8軒の住居址があり,集落景観がよくわかる。また高津区梶ヶ谷神明社上遺跡からは多量の土器,鉄器,管玉,磨石などが出土し,資料価値の高い鉄斧も発見されている。弥生後期から古墳時代においては,宮前区東高根遺跡に弥生時代の集落があり,多摩区長尾鯉坂遺跡からは一辺20mの大型の方形周溝墓が発掘されている。さらに幸区加瀬の周辺にある白山古墳は,4世紀後半に築造された87mの前方後円墳であるが,副葬品には三角縁神獣鏡が発見されており,これは大和政権の首長が分与したもので,初期の武蔵国造職に相当する人物が埋葬されたとみられる。市域では円墳も多く分布しているが,6世紀後半の仏教伝来により火葬の風習も広まり,50個余りの骨蔵器が出土している。7~8世紀に宮前区野川の影向(ようごう)寺が創建され,中央の文化が伝播してきたが,重要文化財に指定された薬師三尊は有名である。平安時代後期には武蔵平氏の一族河崎基家が開発領主であった河崎荘,また幸区には加瀬荘,中原区には丸子荘,中原区から高津区にかけては稲毛荘があった。鎌倉時代には稲毛荘の領主に源頼朝の姻戚稲毛三郎重成が多摩区の小沢城や枡形城を構えており,鎌倉の防衛線として重要な位置を占めていた。こうした山城の間に頼朝が源家の祈願所とした威光寺(現在は妙楽寺がある)があった。市域の中央部周辺は戦国時代には小田原北条氏の姻族世田谷吉良氏の勢力範囲にあり,中原区上小田中の泉沢寺には門前市が開かれていた。

 1590年(天正18)徳川氏の関東入国により,市域80ヵ村が検地によって成立したが,1611年(慶長16)には代官小泉次大夫が稲毛,川崎の二ヶ領用水を開削し,60ヵ村の水田地域の基礎を作った。また市域を横断して江戸に直結する中原・矢倉沢・津久井往還が発達したが,23年(元和9)には東海道の川崎宿が成立した。また大師河原村周辺に塩田が開かれた。川崎宿は財政窮乏化したが,本陣,問屋,名主を勤めた田中丘隅により1709年(宝永6)より川崎宿に渡船請負権が許可され,宿駅の財政維持に大きな役割を果たした。丘隅はのち民政の書である《民間省要》を将軍吉宗に献上し,支配勘定格となり約3万石を支配し治水,改修工事などに参画した。名主池上幸豊は,砂糖の製造や池上新田の開発に努めた。
執筆者:

川崎[町] (かわさき)

宮城県南西部,柴田郡の町。人口9978(2010)。名取川の支流碁石川上流の山間地を占め,総面積の8割が山林である。奥羽山脈をこえて仙台・山形両市を結ぶ笹谷街道(国道286号線)が通じ,明治中期までは物資の流通でにぎわった。中心集落の川崎は近世は笹谷街道の宿駅で,川崎伊達氏の居館川崎要害が置かれていた。山間地域のため畑地の比率が高いが,米作のほか肉用牛肥育や酪農なども盛んになっている。北蔵王東麓は蔵王国定公園に含まれ,仙台藩主の湯治場であった青根温泉や峩々温泉があり,1962年の蔵王エコーライン(85年無料開放)の開通によって観光客がふえた。70年には碁石川に仙台市の上水源として釜房ダム(釜房湖)がつくられ,90年には山形自動車道の宮城川崎と笹谷の二つのインターチェンジが開通して,仙台近郊の行楽地となっている。
執筆者:

川崎[町] (かわさき)

福岡県中央部,田川郡の町。人口1万8264(2010)。北は田川市に接する。南北に細長い盆地状の地形で,遠賀川の支流中元寺川が町域の中央を南東から北西に貫流し,東側は低い丘陵が起伏し,西および南側はかなり急峻な花コウ岩の山地となっている。明治末期から東部に炭鉱が開発されて,一時は三井,古河をはじめ大小29の炭鉱をもつ筑豊炭田有数の大炭鉱町となったが,石炭産業の衰退により炭鉱のすべてが閉山し,過疎現象を生み,鉱害を残した。その後,工業団地の造成など産炭地振興を続け,製造業の雇用は増えたが,往時の石炭に代わる地位に至っていない。JR日田彦山線が通じる。
執筆者:

川崎(岩手) (かわさき)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「川崎」の意味・わかりやすい解説

川崎
かわさき

岩手県南部、東磐井郡(ひがしいわいぐん)にあった旧村名(川崎村(むら))。現在は一関(いちのせき)市のほぼ中央部に位置する地域。1956年(昭和31)薄衣(うすぎぬ)、門崎(かんざき)の2村が合併して成立。2005年(平成17)一関市に合併。JR大船渡(おおふなと)線、国道284号が通じる。北上川に注ぐ砂鉄(さてつ)川、千厩(せんまや)川流域に耕地が開ける。かつては水害常襲地であったが、河川改修が進んだ。薄衣地区は北上川舟運の河港として栄えた。米作、葉タバコ栽培、養蚕、製糸が盛んであったが、養蚕、製糸は衰退した。テッポウユリを特産する。神楽(かぐら)をはじめ伝統芸能の継承に力を入れ、北上大橋下流の花火大会は有名。

[川本忠平]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「川崎」の意味・わかりやすい解説

川崎
かわさき

岩手県南端,一関市中南部の旧村域。北上川東岸に位置する。 1956年薄衣村,門崎村が合体して川崎村が成立。 2005年一関市,花泉町,大東町,千厩町,東山町,室根村の6市町村と合体して一関市となった。地名は中世以来のもので由来に諸説がある。大部分は標高 350m前後の丘陵で,耕地は南流する砂鉄川,西流する千厩川の流域にわずかに開ける。古くから水害に悩まされてきたが,薄衣地区に堤防が築かれてから水稲栽培が安定。タバコ栽培のほかに,乳牛飼育やリンゴ栽培も行なわれている。

川崎
かわさき

静岡県南部,牧之原市北部の旧町域。駿河湾西側に面し,勝間田川の河口に位置する。 1889年町制施行。 1955年2村と合体して榛原町に,2005年相良町と合体して牧之原市になった。河港のある中心集落の静波は,江戸時代掛川藩の年貢米積出港として栄えた。海水浴場として知られ,付近には勝間田城跡,石雲院,竜眼山の旧跡がある。海岸沿いは御前崎遠州灘県立自然公園に属する。

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事典・日本の観光資源 「川崎」の解説

川崎

(神奈川県川崎市川崎区)
東海道五十三次」指定の観光名所。

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