調理器の一つ。おもに金属製で円形、釜(かま)よりは浅く、把手(とって)・つるなどをつけることが多い。鍋の調理上の使用は、火にかけて直接使用したものから出たものではなく、おそらく、器あるいは石のくぼみに水を入れ、そこに材料を適当に入れたのち、たき火で焼いた小石をほうり込んで沸騰させたものではないかと考えられる。この形態は、いまでも海岸などで、とれたての魚を煮たりする地域料理として、その形をとどめている。この場合、加熱に耐えられるものであれば器はなんであってもよいわけで、かなり広範囲のものが材料として使用できたのではないだろうか。たとえば、木でつくった桶(おけ)のようなものでも、鍋として使用できるからである。
現在、鍋とは、常識的には熱源にのせて煮たり焼いたり炒めたりする加熱用の器具を称している。しかし、電磁調理器の出現などにより、鍋そのものが発熱することにより、火にかけないで加熱することも調理上行われるようになった。この場合は、鉄を含む鉄鍋が中心となり、これにほうろう鍋などが加わる。また、電子レンジ加熱の場合は、耐熱性であり、金属でなければどんな容器でもよく、加熱が可能である。この場合も、いままでの鍋の概念とは大きく異なる。つまり、中の材料中の水が発熱するのであるから、料理そのものが熱源であることになる。
一般に、火などの熱源にのせて使用するものを中心に考えれば、鍋は熱伝導率などを考慮する必要がある。また、調理するものの形態によっても、かなり鍋の形が制約される。たとえば、平均に底面全体が沸騰することが望ましい煮魚のようなものは、浅くて底が平らなものがよく、全体が熱に包まれて保温的な役目を果たすものとしては、丸い型のもののほうがよい。また、水を主として使用し加熱する鍋であるか、油のような高温を使用して加熱する鍋であるかによっても、その材質は自然と制約される。
[河野友美・大滝 緑]
鍋は各種の分類をすることができる。鍋は加熱中あるいは加熱後に手で持たねばならない。そのとき便利なように手がついている。片側だけのものが片手鍋、両方に持ち手のついているものが両手鍋である。ただし、片手鍋は、片手で持てる範囲の重量のものに限られるから、家庭用の小型のものや炒(いた)め鍋などに限定される。使用法による分類としては、煮るための鍋、蒸し鍋、高熱をかける圧力鍋、特殊な用途に使用するすき焼き鍋、土鍋、フォンデュ鍋、スープストックなど長時間煮るずんどう鍋などがある。また、長時間ことことと汁とともに煮るおでん鍋なども、特殊用途鍋に分類できる。いまは少なくなったが炊飯専用の羽釜(はがま)なども、以前はたいていの家庭にあった。現在では自動炊飯器がとってかわっている。
[河野友美・大滝 緑]
深鍋、浅鍋、丸鍋、角鍋、揚げ物鍋などがあり、深鍋ではシチュー鍋、ずんどう鍋、浅鍋では魚を煮る煮魚鍋、鍋焼きうどんの専用型の鍋もあげることができる。
[河野友美・大滝 緑]
金属鍋、土鍋、ガラス鍋、石鍋などに分けることができ、もっとも多く使用されているのが金属鍋である。そのうちでもアルミ鍋がもっとも多く、厚みを調理の目的にあわせたものがあり、さらに焦げつき防止上、内側に樹脂加工したものもある。金属では、そのほか電磁調理器の普及で鉄鍋が多くなってきているが、ほうろう鍋は装飾的な要素もあるので、これもよく使用される。このほか銅鍋、ステンレス鍋もよく使用される。土鍋も保温性がよいので、装飾的な要素とともに使用されている。一方、電子レンジに使用するためには、金属では電波を反射し、効率がよくないので、耐熱プラスチック鍋、ガラス鍋なども利用される。ガラスも耐熱のものができ、鍋として使用できるものが多くなった。なお、鍋の熱効率のよしあしよりも、調理の目的にあわせたものを選ぶほうがよいといった考え方が、近年は強くなっている。
[河野友美・大滝 緑]
語源には数説があるが、「な(魚、野菜など副食物)」を調理する「へ(瓶(かめ)の類)」に起源をもつというのが、もっとも普及する説である。平安時代初期の分類体字典『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』には、「堝」の字に「なべ」の訓が与えられ、「鍋」には「かななべ」という訓がつく。さらに「堝」は「瓦(かわら)(土器の意)」であり、「鍋」は鉄製であるという解説がつく。つまり、当時は土器製のなべが一般的であり、金属製(おもに鉄製)のものは、区別するために「かな(鉄)なべ」と称したのである。しかし、しだいに金属製が一般に普及し、現在ではついに土器製をとくに「土鍋(どなべ)」とよぶようになっている。
江戸時代中期の語源の字典『東雅(とうが)』(新井白石(あらいはくせき)著)には、当時すでに前記のような使い分けが普通になっていることを記す。形状について、江戸時代中期の図説百科事典『和漢三才図会』(寺島良安(りょうあん)編)には、鍋の類は種々あるが、どれも3本の脚をもつ点が共通すると記す。室町時代末の『七十一番職人歌合(うたあわせ)』に収める鍋売りの絵にも、小さな脚をもち、つるをつけた鍋を売る姿が描かれる。
鍋の産地は、河内(かわち)(大阪)、大和(やまと)(奈良)、薩摩(さつま)(鹿児島)の各国が著名で、『延喜式(えんぎしき)』には、大和・河内の両国から調進することを記す。『庭訓(ていきん)往来』にも、河内国の名産に鍋をあげる。また江戸時代初期の俳書『毛吹草(けふきぐさ)』には、大和国の早鍋(さわなべ)と播磨(はりま)国(兵庫)の野里(のざと)鍋を特産にあげる。
[森谷尅久]
鍋は、古い生活においては、釜とともに炊飯具として重要な道具とされ、種々の民俗を伴っていた。たとえば、いろりの主婦の座は、ナベザ・ナベジロ・ナベドッコなどとよばれ、以前は、夫婦世帯をナベジリヤキといった。また、いまも花嫁の入家式に鍋蓋(なべぶた)を頭にかぶせる地方があり、結婚後初めての正月に、若夫婦が里の親たちと会食することをナベカリという。このほか、出産祝いに近親が会食することをナベワリといい、鍋の湯で産湯(うぶゆ)を使わせ、その鍋をかぶせると、生児がじょうぶに育つと言い伝える地方もある。また、滋賀県筑摩神社の筑摩祭は、女たちが鍋をかぶって、神輿(みこし)の渡御に供奉(ぐぶ)するため、古くから鍋祭として有名である。一方、集落中が葬家で働くとき、各戸のナベドメをする俗信や、鍋鉉(なべつる)は一般に静かに下ろせといわれ、鍋鉉を鳴らすのは貧乏神を招くとされた。また、鍋を掛けたまま、鍋鉉越しに飯や汁を盛ることも忌み嫌われた。
[宮本瑞夫]
『朝岡康二著『鍋・釜』(1993・法政大学出版局)』▽『日本民具学会編『食生活と民具』(1993・雄山閣出版)』▽『かみつけの里博物館編・刊『鍋について考える――土なべの生産・地域性・民俗からさぐる室町・戦国という時代』(2000)』▽『鈴鹿市考古博物館編・刊『鍋の一万年――煮炊きの歴史』(2001)』
食物の煮炊きに用いる調理具の一種。〈肴(な)を煮る瓮(へ)〉,つまり副食物を煮るための土器の意味で,〈なへ〉と呼ばれたとされ,〈堝〉などの字をあてた。奈良時代にはすでに鉄製のものもあり,これは〈かななへ〉と呼んで〈鍋〉と書いた。《和名抄》には,金属製のものを〈鍋〉といい,瓦製(土製)のものを〈堝〉というとある。やがて鉄なべの普及にともなって,なべといえば金属製のものを指し,堝は土なべと呼ばれるようになるが,鎌倉初期成立の《続古事談》には〈銀ニテ土鍋ヲツクリテ〉という表現が見られる。《延喜式》には大和,河内から鉄なべの貢進されていたことが見えるが,江戸時代にもこの2国のなべは播磨の野里(のざと)なべなどとともに全国的に著名であった。江戸後期の安永(1772-81)ころから鉄製の浅い小なべが出回るようになったと大田南畝は《一話一言》に書いているが,それと符節を合するごとく,天明(1781-89)以後なべ料理が盛んになっている。江戸時代にはほかに銅なべが使われ,また製菓用のカステラなべも用いられていた。
現在使用されているなべは,鉄,銅,アルミニウム,アルマイト,ステンレススチール,ホウロウ引きなど金属製のものと,陶製の土なべや耐熱磁器,耐熱ガラス製などのものがあり,形状もさまざまなものがつくられている。用途別に種類をあげると,(1)煮る料理には,浅型,深型,中間型のすべてが調理目的によって使い分けられる。浅型のものでは湯豆腐,寄せなべ,その他のなべ料理に土なべが適するが,すき焼には厚手の鉄なべがよい。魚の煮物などにはアルミニウム,アルマイトのものが使われる。深型のものは煮込み用で,ずんどうなべと通称されるシチューなべやスープなべは,容量に比して口径が小さいので長時間加熱しても水分の蒸発が少なく,温度を一定に保ちやすい。中間型のなべは,みそ汁その他の汁物やゆで物,野菜の煮物などに用いられる。両手つきのものが多いが,ミルクパンのように小型の片手なべもある。焦げつきやすい材料を加熱するには,ダブルパンと呼ぶ二重なべを用いる。これは外なべと内なべとの二重構造になっており,外なべに水を入れて湯煎(ゆせん)しながら内なべの中の材料を煮る。(2)油脂を使う調理には厚手の鉄なべがよい。いため物にはフライパンのような浅いもの,揚物にはてんぷらなべのようにやや深めのものがよい。中華なべはいずれにも用いられている。(3)炊飯兼用のものには文化なべと呼ばれるものや圧力なべがある。前者は鋳物製で落しぶたになっており,後者はふたを密閉して蒸気をにがさぬ構造にしたもので,いずれも豆類やかたい肉などを煮るのに便利である。(4)その他では,西洋料理や中国料理のなべ料理に用いられるフォンデュなべや火鍋子(ホーコーズ)があり,またジンギスカン料理では兜形の鉄の焼きなべが用いられている。
いろりの上の自在かぎになべをかけて飯を炊き,副食を煮ることは,最近まで日本各地で広く見られた習俗であり,いろり端の主婦の座を〈なべざ〉〈なべしろ〉などと呼ぶ地方は多い。また,なべぶたの上で物を切ったり,なべづるごしに飯や汁を盛ることを忌む風習があり,そうした飯や汁を食べた子は盗人になるともいわれた。こうしたことは,なべが最も基本的な炊事具として神聖視されていたことを物語る。出産祝の会食を,香川県などでは産屋で別なべで食べる生活を終えた意味で〈なべわり〉といい,長崎県の五島では,葬式の日に村人全部が出て準備万端ととのえるため,葬家以外は〈なべどめ〉といって炊事をしない風習がある。また,埼玉県ではかつて子どものよく育たぬ家などでは,新生児になべの湯で産湯を使わせたり,なべをかぶせるとじょうぶに育つともいい,同じ信仰から子どもに〈なべ〉と名付けることも行われた。佐賀県小城郡などでは〈なべぶたかぶせ〉といって,嫁の入家式になべぶたをかぶせ,めでたい唱え言をとなえる風習があった。なお,〈なべかぶり祭〉と呼ぶ奇祭が滋賀県米原市の筑摩(ちくま)神社に伝えられている。《伊勢物語》などに見られるごとく,〈筑摩(つくま)の祭〉として平安時代すでに都にも知られていた祭りで,女たちが交渉をもった男たちの数だけ,なべを重ねてかぶり,神幸にしたがったもので,なべの数を偽れば神罰をこうむるとされていた。いまは張子のなべをかぶった少女たちが神輿に随行するが,これはなべが呪具(じゆぐ)としての意味をもっていたためだとされる。
執筆者:鈴木 晋一+飯島 吉晴
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…火鉢,七輪,こんろなどの熱源に,材料を入れたなべをかけ,煮ながら食べる料理。〈なべ物〉あるいは単に〈なべ〉ともいい,小なべを用いる意味の〈小なべ立(こなべだて)〉もほぼ同義である。…
※「鍋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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