ウシ(その他表記)domestic cattle
Bos taurus

改訂新版 世界大百科事典 「ウシ」の意味・わかりやすい解説

ウシ (牛)
domestic cattle
Bos taurus

偶蹄目ウシ科の哺乳類。世界各地で乳用,肉用,役用などに飼われる家畜牛(イエウシ)で,ヨーロッパ系とアジア系(コブウシ系)がある。ウシはまた,バンテンガウアヤクなどの野生牛を含むウシ属Bosの総称,またはさらにバイソンスイギュウを含むウシ亜科Bobinaeの総称ともされる。狭義のウシ(イエウシ)は肩高90cm,体重250kg以下の小型のものから肩高165cm,体重1450kgに及ぶ巨大なものまであり,形態は変化に富むが,これらはすべて後述のウシ科ウシ亜科の特徴を備えている。

イエウシは角の横断面がほぼ円形になる点で,それが三角形かそれに近いスイギュウ属,アフリカスイギュウ属と顕著に異なり,また肋骨が13対,体毛がほぼ等長の点で,肋骨が14対,前半身から側腹の毛が他部の毛より長いバイソン属やウシ属ヤク亜属のヤクと異なる。ウシ属のガウア亜属(ガウア,ガヤル,バンテン,クープレーを含む)も以上の点ではウシ属ウシ亜属のウシにほぼ等しいが,この亜属では角の横断面は楕円形でイエウシのように円形でなく,前頭部が短い。また胸椎(きようつい)の棘(きよく)突起が第11胸椎まで異常に長く,第12,13と急に短くなるため,後頸(こうけい)から背の中央までが顕著に高まり,境界の鮮明な肩峰(けんぽう)を形成し,四肢の下半部がつねに淡色であるが,イエウシと絶滅したオーロックスB.primigeniusなどを含むウシ亜属では胸椎の棘突起は最長の第3,4から後ろへしだいに短くなり,そのため背はほとんど直線をなす。尾は比較的長く,白斑をもたない毛色のウシと野生種では四肢は体と同色である。このようにウシはガウア亜属と形態的に異なるので,その原種はガウア亜属にはなく,ヨーロッパ系のウシではウシ亜属のオーロックス,アジア系のコブウシではオーロックスの亜種,または近似の独立種とされるB.namadicusと推定されている。しかしコブウシにはバンテンを家畜化したバリウシBali cattleの遺伝形質が浸透しているおそれがある。典型的なコブウシは肩に筋肉でできた瘤(肩峰)をもち,その後端付近の胸椎は棘突起の先が二またに分かれ,頸垂(けいすい)が大きいなど,ヨーロッパ系のウシと異なっているが,両者の間には多くの混血品種ができているので,両系を判然と分かつことは今日では不可能である。
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家畜としてのウシは新石器時代に西アジアで野生のウシから馴化(じゆんか)されたものである。ヨーロッパ家畜牛の祖先種であるオーロックスは黒褐色の大型のウシで,頭頂部に豊かな巻毛があり,背中の正中線に明るい色の線(鰻線(まんせん))が走っていた。森の中に小群をつくってすんでいたが,中世以降,森林の開発が進んですみかを奪われ,そのうえ狩猟の対象として乱獲されて17世紀の前半に絶滅してしまった。ヨーロッパ家畜牛とアジア家畜牛(コブウシ)は先祖を異にしており,外貌,性質にも顕著な差が認められるので,かつては別種として扱われたこともあったが,染色体数は両者とも60で核型は同一であり,雑種もでき,この雑種は雌雄とも繁殖力を有するので,現在は同一種とされ,両者の交雑による新品種も世界各地で作出されている。

家畜牛はその用途によって乳用種,肉用種,役用種,兼用種に分けられ,その代表的な品種には次のようなものがある。

(1)ホルスタイン種Holstein ライン河口地帯のドイツ・オランダ原産。黒白斑の大型のウシで,乳量はきわめて多く年に4500~6000kgくらい。1万kgを超すものもまれではない。脂肪率は3.4%くらい。〈乳牛の女王〉と呼ばれ全世界に広く飼われている。(2)ジャージー種Jersey イギリス海峡にあるジャージー島原産。褐色の小型のウシで体型は典型的な乳用型を呈す。乳量は年3500kgくらいであるが脂肪率が約5%と高く,脂肪球も大きいのでバターの原料乳として優れている。(3)ガーンジー種Guernsey イギリス海峡にあるガーンジー島原産。褐色に白斑があり体はジャージー種よりやや大きい。能力も同程度だが,気候風土への適応性に富んでいる。(4)エアシャー種Ayrshire イギリスのスコットランド原産。白地に赤褐色の斑紋がある。角は竪琴状に上方にのびる。乳量は年4400kgくらい。固形分が多くチーズの原料乳に適している。寒さに強い。(5)レッド・デーニッシュ種Red Danish デンマーク原産。暗赤褐色で肥育性も優れている。乳量は年3800kgくらい。(6)サヒワール種Sahiwal インド原産。乳量は少なく年約2200kgだが耐暑性に富む。(7)レッド・シンディ種Red Sindhi インド原産。赤褐色で乳量1500kgくらい。耐暑性に富む。

(1)ショートホーン種Shorthornイギリスのイングランド原産。体重650~1000kg。白・赤白斑,糟毛(かすげ)のものがある。早熟早肥で肉質もよいが,体質がやや弱い。(2)アバディーン・アンガス種Aberdeen Angus イギリスのスコットランド原産で黒色,無角のウシ。体重530~800kg。四肢短く典型的肉用型。皮下脂肪がつきやすい。(3)ヘレフォード種Hereford イギリスのスコットランド原産。毛色は赤褐色で,顔と体の上下の線が白色。体重600~1000kg。体質強健で粗飼に耐えるが肉質は劣る。無角の品種もつくられている。(4)シャロレー種Charolais フランス原産。白色,大型のウシ。体重700~1200kg。発育がきわめて早く,肉は脂肪が少なく赤肉の比率が高い。しりが丸いのが特徴。(5)ギャロウェー種Galloway イギリスのスコットランド原産。黒褐色でやや毛が長い。体重400~600kg。強健で放牧に適す。(6)ブラーマン種Brahman アメリカ南部でインド牛のカンクレージ種,オンゴール種,ギル種などを交雑してつくった熱帯地方に適する肉用種。体重500~800kg。耳が大きく垂れ,頸垂も大きい。(7)黒毛和種 日本の在来牛をブラウン・スイス種やデボン種で改良した黒色のウシ。体重450~750kg。肉質が優れていて,筋繊維間に細かく脂肪が沈着した〈霜降り肉〉を生産する。(8)褐毛(あかげ)和種 日本の在来牛をシンメンタール種や朝鮮牛で改良して作出した褐色のウシ。体重450~800kg。
和牛

ヨーロッパの役用牛はみな兼用種で労役専用の品種はない。アジアには多く,インド牛の大部分の品種(カンクレージ種Kankrej,オンゴール種Ongole,キラリ種Khillari,ハリアナ種Harianaなど)や中国南部から東南アジア各地の黄牛yellow cattleがある。

(1)デーリー・ショートホーン種Dairy shorthorn イギリスのイングランド原産で乳肉兼用種。毛色は糟毛や濃赤色,白色など。乳量は4000kgくらい。日本短角種の改良に用いられた。(2)ブラウン・スイス種Brown Swiss スイス北東部原産の灰褐色のウシ。原産地では乳肉役3用途兼用の品種として用いられているが,アメリカで改良されたものは純粋の乳用種になっている。乳量4000kgくらい。温順で飼いやすい。(3)シンメンタール種Simmental スイス西部原産。黄褐色に白斑。顔と下肢は白い。大型の乳肉役兼用種。乳量4000kgくらい。(4)レッド・ポール種Red Poll イギリスのイングランド原産で濃赤色,無角の乳肉兼用種。乳量3800kgくらい。(5)ゲルプフィー種Gelbvieh ドイツ原産。黄褐色の乳肉兼用種。早熟で乳量4000kgくらい。

飼養の形式は乳牛と肉牛で,あるいは経営の形態によって多少変わってくる。例えば都市近郊に見られる搾乳業者の場合には乳牛を畜舎内に繫養(けいよう)して,飼料も濃厚飼料を多給して乳の生産量を増すことに専心しているが,同じ乳牛を飼っていても繁殖,育成を目的とする牧場では,放牧を中心とした飼養形式がとられて,牧草を食べさせ運動も十分にさせるように留意している。肉牛の場合にも,子ウシ生産地帯,育成地帯,肥育地帯とそれぞれ飼育の形が変わっている。いずれにしても,ウシは草食動物であるから,飼料は青草を中心とし,冬季の青草のない場合は乾草やサイレージを給与するのがよい。体を維持する飼料としてこれら粗飼料を体重の2~3%与える。またタンパク質としては体重500kg当り1日約350gが必要である。ビタミンについては青草を十分与えていればとくに考慮する必要はない。ミネラルについても同様であるが,カルシウムと塩分については不足しがちであるから1日40gくらい給与する。これに加えて,泌乳中のウシには生産する乳の重量の1/3~1/4の濃厚飼料を生産飼料として与える。濃厚飼料としては穀類,豆かす,ぬか,ふすまなどが用いられ,これに魚粉などの動物性飼料を配合する。肥育に用いられる濃厚飼料の配合例をパーセントで次に示す。オオムギ30,トウモロコシ40,ふすま16,米ぬか6,ダイズ油かす6,食塩1,カルシウム1。

 ウシに快適な環境を与え,生産能力を十分に発揮させるには,寒暑を防ぐ牛舎が必要となる。牛舎には1頭ずつを飼育する独房式と群れで収容する追込式がある。独房単飼式は1頭当りの所要面積が大きく,作業労力も多くなるので,種雄ウシや分娩(ぶんべん)ウシの場合にのみ用いられる。乳牛の場合には牛舎の中にスタンチョンと呼ばれる首かせを設置し,1頭ずつつないで管理する方式がもっとも一般的である。追込式は肥育牛や育成牛などで用いられる。搾乳牛でもフリーバーンシステムといって運動場と追込式の休憩場をセットにした方式があり,管理の省力化に有効であるが,この場合には搾乳場の施設が必要である。

 牧草地に放牧する場合にも,自然牧野に一年中放牧しておく〈牧牛(まきうし)〉のような粗放な形式から,牧草地を電気牧柵(ぼくさく)で4~8区にくぎり,草生の状態を見ながら1区ずつ順を追って放牧地を移していく輪換放牧のような集約的方式までいろいろある。

 日常管理としては適度の運動と日光浴はウシの健康維持のために必要である。また清潔を心がけ金櫛(かなぐし)やブラシで皮膚をこすって血行をよくすることもたいせつである。年に何回かは削蹄(さくてい)してウシが正しい姿勢を保つように注意する。角は事故防止のために,子ウシのときに除角する。角の生えてくる部位を焼きごてか苛性カリのような薬品で焼く。肉用に肥育する場合,雄は去勢するのがふつうである。去勢すると性質が温順になり,肉質も向上する。搾乳は1日2~3回行う。3回搾乳の場合は2回搾乳より10~15%乳量が増すが,労力も要するので2回がふつうである。最近はミルカーが普及して手しぼりは少なくなった。

 ウシは品種によって差はあるが通例生後18ヵ月くらいから繁殖に供用する。周年繁殖が可能で,雌は妊娠しない限り21日ごとに発情を繰り返す。発情は1~2日間続き,その終了直前に交配する。最近では人工授精が広く普及し自然交配はほとんど行われなくなった。妊娠期間は平均284日で,単胎であるが5%くらいの比率で双子の生まれることもある。雄と雌の双子の場合は,しばしば雌は生殖器の異常を示し不妊となる。これをフリーマーチンという。分娩10日目くらいまでの乳は初乳といい,常乳と異なり人間の飲用にならない。この初乳には免疫グロブリンが多く含まれていて,子ウシはこれによって母親から抗体を受けとる。そのためこの期間の乳は必ず子ウシに飲ませなければならない。

 ウシの品種改良を進めるために,現在改良の進んだ品種については登録協会が設立されて純粋種の血統登録を行っている。また生産能力や体型,資質の向上を図るための優秀な種畜を選抜する手段として,外貌審査や能力検定などの事業が推し進められている。

ウシは飼育目的で乳用と肥育用に分けられるが,発生する病気にも相違がある。乳用牛では,泌乳のために妊娠,分娩に伴い生殖器,乳房などの器官に病気が多発し,肥育牛では消化器への負担が大となり,胃腸の病気が多い。また育成期の子ウシは,1頭当りの牛房面積の狭い追込牛舎で飼われるため,比較的呼吸器病の発生による損耗が著しい。日本で比較的多発するウシの伝染病,一般病について表1に示す。

(1)牛乳 新鮮な牛乳は白色不透明な液体で,かすかな甘みと特有な香りがある。成分は品種や飼養条件,泌乳期などにより変化する。人間の乳に比べ糖分は少ないがタンパク質や灰分は2倍以上高いので,母乳の代用にする場合は調整する必要がある。搾乳場から集荷された牛乳は,工場で乳質を検査した後,ろ過器を通してちりやごみを除去し,次に滅菌器に送られて加熱殺菌される。殺菌した牛乳はすぐ4℃に冷却され,滅菌した瓶に詰めて出荷される。現在,日本の市乳はこの殺菌の前にホモジナイザーという機械を通して均質化している場合が多い。牛乳を加工した乳製品としては,バター,チーズ,練乳,粉乳,生クリーム,アイスクリームなどがある。また加工副産物としての脱脂乳,乳清(ホエー),バターミルクなどはヨーグルトその他の乳酸飲料として利用されたり,工業原料として使われている。

(2)牛肉 ウシの肉は赤褐色で,かたくて弾力がある。老齢のものほど色は暗色になり,繊維も粗く,脂肪も黄色みを帯びて風味が劣る。2歳未満の子ウシの肉をビールvealと呼んでいるが,肉色が淡く脂肪分が少なく水分が多いので味は淡白でやわらかい。牛肉の成分は品種,年齢,栄養状態,体の部位によってさまざまである。屠殺(とさつ)後しばらくすると肉は硬直してかたくなる。これは筋肉中のグリコーゲンが分解して乳酸となり,タンパク質が凝固するためである。これをしばらく放置すると筋肉中の酵素の働きで自己消化が起こり,タンパク質が分解して,硬直がとけてやわらかくなり風味が増してくる。これを熟成といい,牛肉では0℃で2週間,4~7℃で1週間くらいかかる。

(3)畜力 機械力の利用が盛んになるにつれ,農耕,運搬などの役利用は著しく減少した。しかし発展途上国においてはいまだに重要な動力源として使われている。ウシの作業能率は人間の約10倍といわれ,瞬間最大牽引力は体重の100~150%だが,終日発揮できる牽引力は体重の約12~15%である。ウマに比べ速度では劣るが,坂道には強い。

(4) 牛皮は質が緻密(ちみつ)で,強靱であり,良質の皮革として用途は広く,需要がきわめて多い。

(5)厩肥(きゆうひ) 1頭で年間8000kgの厩肥が生産され,地力の維持に活用される。しかし近年,都市近郊の多頭飼育経営では,公害源の一つとしてその処理方法が問題となってきている。
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偶蹄目中現在もっとも栄えている類で,野生種は北アメリカ,ユーラシア,アフリカに分布し約45属,134種がある。第三紀の漸新世にアジアに現れ,中新世~鮮新世にユーラシアで目覚ましく適応放散した。今はアフリカにもっとも属が多いが,そのほとんどは,北アメリカの属とともに更新世にユーラシアから移住したものである。森林,砂漠,ツンドラ,高山と多くの環境にすむが大多数は草原にすむ。草食性で,4室に分かれ食道溝を備えた反芻(はんすう)胃と歯冠部の高い頰歯(きようし)(前臼歯(ぜんきゆうし)と臼歯)をもち,上あごには角質の歯板を備え,切歯と多くは犬歯を欠く。下あごの犬歯は切歯状に変わり,ために切歯が4対あるように見える。野生種の雄は必ず洞角(どうかく)hornをもつ。洞角は角質の角鞘(かくしよう)が中空で,前頭骨につながる骨質の角芯(かくしん)を覆う。枝がなく脱け替わらない角で,1対,まれに2対生じ,しばしば雌にもある。四肢は走行に適し,中手骨と中足骨のうち第3と第4は合一して1本の管骨(かんこつ)となり,ひづめを備えた第3,4指だけで体を支え,他の指は種々の程度に退化する。腓骨(ひこつ)は痕跡的。ウシ亜科,ヤギ亜科,ブラックバック亜科など7~14亜科に分けられ,ウシ亜科とヤギ亜科以外の亜科の分類はきわめて混乱している。表2に示したのは化石種を重視した分類の一つ。

右側の角(向かって左側の角)が根もとから先へ右巻きに,左側のが左巻きにねじれる。これに類する角はヤギ亜科のヒツジ類に見るだけで,他のものでは角がねじれるときは右側のが左巻きである。角は野生種では雌にもあり,前頭骨の後端部両側に生じて外方へのび,次に上に曲がる。角の表面はほとんど平滑で,竹の節状または瘤状の高まりを欠く。体と四肢はがんじょうで頭を背より低く保ち,尾は細長く先にはふつう長毛の房がある。吻端(ふんたん)は大きくて幅が広く,鼻孔間部は裸出して湿り,上唇に達する大きな鼻鏡(びきよう)となり,上唇はヤギ,ヒツジのように正中部で分かれていない。ヤギ,カモシカ,アンテロープ(レイヨウ)と異なり眼下腺,指間腺,鼠蹊(そけい)腺などの臭腺を欠き,頰歯は幅が広く,上あごの頰歯の内側中央には付属柱がある。乳頭は4個。ウシ属,バイソン属,スイギュウ属,アフリカスイギュウ属がある。
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人類が牛とかかわりをもち始めたのは,それが家畜化されて以後のみの話ではない。後期旧石器時代人の壁画であるアルタミラの洞穴壁画からは,バイソンが狩られていたことが知られる。同じく後期旧石器時代のラスコーの壁画では,最初に家畜化された北方系牛の祖先野生種と見られる原牛Bos primigeniusが狩猟対象となっている。すでに牛飼養が行われていた古代エジプトのラメセス3世時代に,この地域最後の野生牛が狩られたという。ただヨーロッパでは17世紀まで原牛は残存し,狩猟対象となっていた。アジアではミャンマー,タイ,マレー半島,ジャワの野生牛バンテンや,インドネシア,アッサム,ミャンマーのガウアが,家畜牛への野生の血の導入のための交雑以外,なお狩猟の対象となっている。ただこれらの野生種の頭数は,今やきわめて少ない。牛は,野生種に比し,人の管理下で繁殖した家畜品種が圧倒的割合を占めている数少ない動物種の一つであるといってよい。

原牛の生息地はヨーロッパ,北アフリカ,エジプト,パレスティナ,メソポタミア,イラン,そしてヒマラヤ以北の温帯域に及んでいた。ただ考古学的遺物の骨格データから見て,確実に家畜化されたもっとも古い牛の証拠は,トルコ,アナトリア高原のステップ帯の前6千年紀前半の遺跡に見いだせる。家畜化の起源地の確定はまず不可能であるが,それはヤギ,羊とともに,西アジアの肥沃な三日月地帯周辺の丘陵地帯で起こったと考えられ,麦の栽培化が行われた地域にほぼ合致する。牛は,他の草食性で偶蹄亜目の羊,ヤギよりは湿潤な低地に生息していたにせよ,ともに乾燥したイネ科草原を好む。麦の栽培化を早く実現したこの地域の人々は,このイネ科草原で,しばしばこの牛の群れに出会い,狩猟対象としたばかりか,早く家畜化の対象とみなすことになったと考えられる。

 もちろん家畜化といっても,人-家畜動物関係には,種々の段階がある。つまり特定野生群をマークした雄の選別狩猟,群れの餌づけ,搾乳開始,去勢,舎飼いなど種々の段階が考えられる。家畜牛と同じ形質をもつ骨格証拠が,考古学的に検出される時期をもって,家畜化の開始とする考古学的見解とは異なり,それ以前に幾世代にもわたる隔離群介入の時期を想定すべきであろう。ただ牛の家畜化は,ヤギ,羊のそれよりおそく,ヤギ,羊の家畜化を模倣して始められたと考えるのが妥当だろう。

おなじ偶蹄家畜といっても,小家畜のヤギ,羊に対し,牛はその生活条件,習性などでも差異があり,家畜化されて以後の人とのかかわり方も異なっている。まず搾乳に関係して述べるならば,近世ヨーロッパでの改良種の出現までは,人が直接乳をしぼったのではは出なかった。羊やヤギと異なり,実子が乳房をくわえ,哺乳しなければ,乳腺がひらかなかったのである。そのため実子を近づけ,哺乳させたのち,それを引き離してから搾乳するという催乳技術が必至であり,母子ペアの認知が搾乳者にとって必然であった。このほかに,口をあてて子宮に息を吹き込む方法もあるが,現在でもこの催乳はインド,西アジア,アフリカなどで見ることができる。ただこの母子紐帯(ちゆうたい)の強さは,別の点で牧夫にとって好つごうであった。子を幕営地にとどめておくかぎり,乳の張った母牛は牧地に放置していてもみずから戻ってくる。この帰巣的習性は,牛の放牧管理をより容易なものとしている。

 雄牛についていえば,性能力ある雄牛の数を削減し,数少ない種つけ牛を残すのが放牧管理の基本である。ただ小家畜では雄の子の大半が屠殺されるのに対し,利用価値の高い牛は去勢して肥育された。そして去勢することで雄牛が馴致しやすくなるということの発見から犂耕(りこう),牽引などの用途が開発され,牧民社会だけでなく,農耕民にとっても重要な家畜となったのである。

 そのうえ牛は,ラクダはもちろんのこと,ヤギ,羊に比べても乾燥には弱い。またヤギ,羊に比べ,より背丈の高い草しか食べられず,同じ中東の乾燥地帯で放牧飼養されるにしても,オアシスや川辺の湿性草原での飼育に適している。大量飼養によって初めて意味をもつヤギ,羊では,群放牧管理が一般であるのに,少数飼育でもすむ牛は,舎飼いでも十分意味がある。これらのことも,牛の定着農耕民との親和性の条件であり,中東の古代都市文明下で,牛が農耕の基礎的技術体系に早くからとりこまれ,豊饒(ほうじよう)儀礼などの重要な象徴要素として登場した背景には,これらのことが考慮されねばなるまい。なお牛の湿潤地への適応性は,東南アジア,インドネシアなどで,ヤギ・羊飼養がほとんど脱落するのに対し,ガウール牛やバンテン牛など野生種との交雑を通じて,飼育されている事実にも認められる。

牛が他の乳用家畜とともに,肉および乳資源として重要な意味をもったことはいうまでもない。雌は子を毎年生むばかりか,出産後長期間乳をもたらす。狩猟対象であるかぎり,それらは肉,骨,皮をもたらすものにとどまり,屠殺される対象であった。しかし搾乳対象となるとともに,それらは生かし,増殖し,搾取すべき対象となった。殺して消費する財から,生かして利益をうる資本財へと価値の移行がそこに生じた。古代ベーダ文献での〈家畜一般〉を指すpašuという語から,〈動産〉を指すpecuniaという語が生まれている。またラテン語の〈動産〉を指示するcapitaleという語が,英語のcattleという牛を指す語になっている。これらの事実は,資本財としての価値移行を如実に示している。アフリカでも事情は似ており,花嫁代償(婚資)として,つまり交換される女性の対価として牛が用いられるばかりでなく,ナイロート系の牛牧畜民の下では,生まれた子の取得を条件とした牛の預託制があり,融資による利子取得にも似た資本財としての牛の運用が認められる。

 乳利用以外,家畜化による牛の利用価値は,例えば血の利用にも見いだせる。東アフリカの牛牧畜民は,定期的に矢で頸(けい)静脈を傷つけ,血をとって飲む。乳と血は,乾燥地での移動可能な飲料の意味をもちうる。また糞は,乾燥地で入手しがたい薪に代わって主要な燃料となり,家屋の壁にぬり込めるしっくいとなり,その利用は地中海地域から乾燥アジア,アフリカにまで及んでいる。

乳という利子を生む資本財としての意味は牛だけでなく,乳用家畜全般の問題である。これに対して牛に特異な位置を与えることになったのは,その労働家畜としての利用からである。中東および地中海麦作農耕地域では,早くから比較的広い耕地を浅く耕して播種(はしゆ)する農法が展開し,犂(すき)が用いられ始めた。初期には人力で犂を引く耕作があったと考えられるが,それを牛で引かせることで耕起能率は飛躍的に増大し,古代農業革命の原動力となった。シュメール都市では前3千年紀に牛の犂耕(りこう)が認められ,エジプトでも前2700年ころ,第2王朝下でその利用が認められる。前2000年前後のキプロスの遺跡にもその利用の証拠があり,その伝播(でんぱ)は,地中海地域の国家権力の確立と展開にほぼ並行している。インダス世界でも前3千年紀後半,中国黄河流域でも前2千年紀後半には,その利用が見られ,深耕の必要なヨーロッパ森林地帯での重量犂の使用により,耕地の飛躍的拡大がもたらされている。またシュメール時代の犂には条播用の播種器が取りつけられ,神殿経済における定量的麦作経営が可能となっている。

 ところで麦作農耕での牛の利用は,犂耕にとどまるものではない。播種後に群れを追い込む覆土,そして脱穀にも利用されて,牛は中東での農耕技術体系の必須の要素として組み込まれることになった。雌牛が乳産のためにあるとすれば,種牛以外の雄牛は去勢され訓練されて犂耕用に用いられる。前3千年紀後半のシュメールの神殿経済管理の資料からは,特定の管理人によって雄牛が集団的に管理され,去勢後の訓練を受けてから犂耕牛として貸し出されていることが知られる。土地,人的労働力とともに,動力源としての牛が権力によって管理されているのである。

 他方,湿潤アジア稲作地域においても,数頭の牛を水田に放って踏ませ,稲田を整える踏耕という形での利用がインドやタイでも認められる。日本でも,石垣島では,つい最近まで踏耕が見られ,稲作文化圏での犂耕導入以前の牛利用の事例といえる。ただインド以西とは異なり,牧夫を伴う牛群管理および乳利用を欠く点で牛の意味は小さい。根栽文化圏での乳利用欠如という事実とともに,これらは東アジアの一特徴である。

 他方,牛の動力利用は,牛車という形でも展開した。それは馬車利用よりも早く,メソポタミアでは,ウル初期王朝アバルギ王の墳墓(前2600)から牛車の遺物が出土している。インダスのモヘンジョ・ダロの遺跡にもほぼ同時期にその利用が認められる。中国でも早くその利用がなされたが,日本での牛車の出現は,おそらく7世紀以後のことであろう。日本のように牛馬の保有数の少ないところでは牛車も貴人の乗物であったが,大陸においては,騎馬用の馬に対して,牛は農耕用の家畜として平民にとっての動力源であり,古代農業革命以来,近代の蒸気機関の発明,いやトラクターの出現までのほぼ5000年間,訓練を受けた牛の動力源としての意味は,いくら強調しても強調しすぎることはない。ただブラック・アフリカでは,耕作獣,輓獣(ばんじゆう)としての利用がなかったことは興味深い。

民俗学的立場から家畜化の起源を論じたハーンEduard Hahnの次のような説が,一時もてはやされたことがある。例えば,古代エジプトにおいてアピスApis牛といわれる牛がいた。それは聖牛であり,メンフィスのハトホルの神殿に一定期間飼われ,聖牛として人々の信仰の対象となった。そしてその期間が終わると盛大な儀式ののちナイル川に沈められた。そのアピス牛は彫刻として残っているが,新月形の角をもち角の間に満月をはさみもっている。バビロニアの月神シンもまた2本の牛角をもち,セム系の大地母神のイシュタルは雌牛の姿で表現されることもある。は満ち欠けする点で,死と成長を象徴するとともに,女性の月経のリズムとも合致する。月は女性原理の象徴,ひいては大地の成長と多産の象徴になった。他方,三日月形の角をもつ牛が月と重なることによって,牛は早くから古代オリエント世界で神聖な動物とみなされていた。この牛をとらえ,豊饒を祈る農耕儀礼用の聖獣として飼い慣らす。このような動機が牛の家畜化の始まりとなった。簡単に要約すればこのような説である。現在,このようなハーンの考えを支持するものはほとんどいない。ただハーンがこのような立論をするほど,古代オリエント世界において,牛が農耕儀礼で犠牲にされ,神話上の神シンボルに伴って登場したことは確かなことである。

 豊饒の女神,例えばフェニキアのアスタルテ,バビロニアのイシュタル,古代エジプトのイシス,ギリシアのイオはすべて月の女神とみなされ,かつ雌牛と密接なかかわりをもっている。農耕にまつわる祭儀や神話と牛とのかかわりは,前2千年紀後半,東地中海のカナンの地に栄えたウガリト王国の神話に登場するバアルとアナトの物語の中にみごとに示されている。

 父神エールは雄牛である。その子バアルは兄のモトによって殺される。しかしバアルは処女アナトによって見いだされ,それと交わることによって生きかえる。大地はそれとともによみがえるのである。この物語で,バアルは若い雄牛,アナトは雌牛として表現されている。雄牛と雌牛の交わりが男神と女神との交わりに,そして死せる雄牛の再生が春の大地の再生と重なっている。ギリシアでも雌牛と月と地母神との象徴的な重なりが,女神ヘラのうちに認められる。このようなイメージ連合は,古代オリエント農耕文化世界での基本的発想の基底にあり,牧民的へブライの発想と対立している。牛が早くから農耕と結びついていた地域の発想だろうか。

 ところで牛の神聖性は,ヒンドゥー世界においても古くから認められ,インドラのうちにその例がある。聖獣としての牛の食の禁止は,飢餓に苦しむインドでなおかたく守られている。また中国においても牛は雷神や水神とのかかわりで登場し,農耕と密接に結びついている。犠牲獣としての牛の意味だけでなく,踏耕など初期水田稲作とかかわっているのであろうか。

 他方,東アフリカの牛遊牧民は,固有のしかたで牛を思考や表現の素材として用いている。スーダンのヌエル族,エチオピアのボディ族で典型的に認められるが,彼らは,多様な牛の身体模様のパターンを,色,模様のあり方についての微細で多様な分類によって区別して認識している。しかもその分類語彙(ごい)は,他の自然物の形容にも転用される基本的語彙群をなしている。男性成員は1歳になると,この色と模様の組みでつくられる語彙の一つを名まえとして与えられ,その特徴をもつ去勢された牛をみずからの牛とみなす。つまりみずからの名まえであるとともに,その属性をもつ牛の名であることによって,その牛と個人とは特異な関係で結ばれたと感じられる。ボディ族の下では,この寵愛(ちようあい)する牛が病気になったり死んだりすると,他部族の男を殺す必要を感ずる。また彼らは,その牛のために歌をつくって歌う。まさに自分と当の去勢雄牛との情緒的同一化とも見られる関係が,そこに認められる。しかし特定の模様をもつ牛への同一化は,個人のみになされるのではない。部族やクランも,特定の模様をもつアイデンティティの標識としての牛をもつ。

 古代オリエント世界でも,牛の身体模様について個体識別上の分類がないわけではない。ただ彼らはむしろ性,年齢,去勢の有無を弁別の標識として分類し,象徴的表現の記号とみなし,性的交わりと生殖の相を,隠喩(いんゆ)の材料に用いている。それに対し,東アフリカ牛文化複合地域は,牛の身体特徴の個別性を個人や集団の個別性を表現する記号として用いている。犠牲獣としての牛の普遍性とは別個に,このあたりの差は興味深い。
執筆者:

牛はヨーロッパの旧石器時代の岩壁画に馬とともに多数登場するが,これは豊饒を象徴するものと解釈される。とくに雌牛は,その乳のゆえに生命を与えるものとして母神的意味を与えられ,エジプトではとくに大母神ハトホルの象徴で,ハトホルは頭上に牛角と日輪を頂く姿で表された。同様の意味づけは地中海から西アジアまで広がるが,牛はとくにインド神話において重要な役を演じ,今日でも,その力(運搬,農耕),乳,排泄物(燃料など)をもって人間に大きい恩恵を施す神聖な動物とされている。またヒンドゥー教ではシバ神の聖獣であり,ひいては仏教でも大威徳明王の乗物ともなっている。聖獣としての牛はしばしば雄牛であり,これはその強い力と湾曲した角(三日月と同形)ゆえにとくに意味をもつのであろう。黄道十二宮の一つである雄牛は,自然のよみがえる春の太陽の象徴であった。キリスト教で牛がルカの象徴となったのは,彼が福音書にキリストの犠牲について詳記したからだといわれる。
執筆者:

牛は日本には大陸から古く渡来した動物で,縄文時代の遺跡から存在が知られるが,家畜であったかどうかは疑わしい。弥生時代にも役畜ではなかったらしいが,古代国家の形成期からは主として農耕および駄載用として使役された。西日本でこれをタジシと呼んだ土地があるのは,シシが肉を食用とする獣類に用いられる呼称であることから,これを食用にも供したことを示す。しかし中央政権の支配下ではその屠殺,食用は禁じられ,これを犯した者にはそのむくいがあるとされた。これには仏教が強く作用していたことが確かであるが,牛乳の飲用や加工してバターやチーズをつくることが平安時代まで行われたことは《延喜式》その他の文献にも明らかである。したがって,牛肉と並んで牛から得られる産物いっさいを禁食とする風習は,仏教とは別に形成されたと考えるべきである。また,その他の獣肉を禁忌とする食習も,この時期まで鹿,猪その他の肉が忌まれなかったことから,初期仏教の作用とは無関係と認めてよい。牛は農耕用として重視されたから,牛牧も政府によって地方に置かれ,すきを用いて耕起することも行われた。平安朝では車を引かせて貴人がこれに乗る牛車(ぎつしや)が盛んに用いられ,また荷車を引かせるにも使役されたが,それはかなり激しい利用であったので苦役とみなされた。仏教の因果応報譚でもこの世で他人を苦しめた者は,次の世で牛に生まれて苦しい労働に服さなくてはならぬとされ,これが説教の事例とされたことは,《日本霊異記》その他に数多く見るところである。平安後期から荘園が多くひらかれ農地が開発されるにつれて,耕牛の需要も増大して各地に牛の特産地が形成され,とくに西日本では役牛として牛が普及した。《国牛十図》は優れた牛の産地を中部地方以西とし,東国の馬産と対比している。また,《駿牛十図》のように貴人の車を引く名牛を選び賞する風も盛んであった。

 もと牛は野外に放飼いにされ,必要に応じてとらえて利用する習慣であったらしく,中世まではそれを社寺境内では禁ずる制札が見え,八丈島や松前,あるいは九州の離島など僻遠(へきえん)の地では近世までこれが残存した。近世に飼養が専業化するにつれて,畿内ではこの風が絶え,これに代わって中国地方その他にしだいに専業の牧畜地が形成され,それから上方方面へ農耕および運搬用の役牛が供給されるようになった結果,各地に牛市場が開設されて仲買人の活動が盛んになった。彼らは馬の場合と同じく博労と呼ばれ,多くは獣医を兼ねたようである。牛馬の取引には種々の特別な慣行があり,また多数の隠語や符丁が用いられて,その一部は現代の家畜市場の慣習にも残っている。牛を運搬用の車に用いる風は馬に比べれば盛んであって,とくに京都周辺では牛車(うしぐるま)として専用の車道を設け,人道の破損を避けて重量物を運搬するために利用した。近世には江戸周辺でも牛車が行われるようになっている。牛を戦闘用に用いた例は源平合戦時の俱利加羅(くりから)峠の戦を除いてきわめてまれであった。馬と異なって重量物を積載して急峻(きゆうしゆん)な道路をいく耐久性に優れるので,飛驒山地や北上高原など急峻あるいは長途の旅程には,牛を集団的に使役する隊商運搬が行われた。主として魚類,穀物,塩,砂鉄などが海岸と内陸との輸送品としてこの貨物となったようである。飛驒ではこれを岡船(おかふね)と呼び,中馬(ちゆうま)と対比された。

 牛は貴人の車を引き庶民の常用でもあるとともに仏教でも尊ばれたので,日本の民俗では神仏の乗物ともされて尊敬された。祭りにも飾られて使用され,とくに田植の儀礼にはすきを引いて呪術的なシロカキをするため用いられ,その使い方には技術的秘伝があったし,また闘牛競技も本来は地域における農作の豊凶を占う意味があった。菅原道真を祭る天神社では牛を神使として尊崇し,京都の太秦では芸能神としての摩多羅(まだら)神を祭るにも牛が伴い〈牛祭〉の名がある。仏教の牛頭天王(ごずてんのう)も牛の化身とされ,出羽三山の信仰でも丑年の参拝を利益多しとして多くの登拝者が集中した。干支(えと)における丑の年と牛とが結合したのは,縁起を説く宗教者と庶民の信仰が結合した結果であるが,年のみでなく5月や8月の丑の日などに家畜の安全を祈願して潮をあびせ,水浴をさせる風もある。これはもともと人間のみそぎのように災厄を除こうとする民間信仰の強い要求が基底にあったからである。西日本では牛の守護神として大日如来の信仰が盛んであり,その縁日に牛をつれて参拝し,境内の草や樹枝を厩(うまや)にさしたり護符を牛小屋にはるなどの風習も広がった。また,農民は大日講,万人講などを結んで金銭を集め,それによって講員の耕牛を順次購入していく方式なども考えて実行していた。また,山地と平たん地のように農耕期にずれのある地帯が隣接した場合に,耕作用の牛馬を貸借して小作料に相当する代価を支払う牛馬小作も,農機具の普及前には各地に見られた。

 牛肉は表面的には禁忌として食べなかったが,牛の皮革は武具その他に重要で多く利用され,中世ポルトガル人の渡来時には屠殺して食用に供する風も広まった。この肉をワカと称したのはポルトガル語に由来し,鎖国後しだいに廃れたが明治時代になって文明開化の象徴のように牛なべが賞味されることになった。牛馬の腹の中の石は鮓答(さとう),あるいはヘイサラバサラと俗称し,昔は薬効があるとして貴重視され,随筆などに多く記載されているが,胆石などと同様の生成物である。近代まで《日本霊異記》以来の人間が牛に生まれ変わるという伝承は民間に残存し,死者の身体にその名を書いて埋葬したところ,某所に生まれた農牛の横腹にその文字がそのまま毛色を異にして現れ,その人物の生れ変りであることがわかったという類の話が各地に残っていた。近世の随筆にもこの話が散見している。
執筆者:

インドでは牛は神聖な家畜とされ,耕作や運搬用に使役されることはあっても殺して食用にすることは許されず,廃牛は放飼いにされる。古代中国では牛は〈太牢(たいろう)〉として神に対する供犠に用いられ,後世でも牛の頭部を供物とする風習はあったが,農耕社会では不可欠の役畜としてたいせつにされ,豚のように単なる食肉用とは考えられていない。華北で見られるのは通常の牛であるが,華南,華中には水牛が多い。水牛は水に潜る習性をもつため河川,湖沼にすむ水の霊物と考えられた。例えば杭州西湖の湖底には金の牛がすみ,干天で湖が浅くなると姿を見せ,金牛が水を吐くと湖水がみなぎると伝えられた。またこの金牛の尾や鼻綱を引きあげたところ黄金の鎖であったという口碑もある。さらに山の洞穴にすむ金牛を旅の異人が詭計(きけい)をもって盗み出そうとして失敗したという類の〈胡人採宝譚〉型の口碑もあって,各地に金牛山,金牛嶺,金牛洞,金牛池などの地名として残されている。
ウマ →家畜 →十牛図 →牧畜文化
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウシ」の意味・わかりやすい解説

ウシ
うし / 牛
cattle
[学] Bos taurus

哺乳(ほにゅう)綱偶蹄(ぐうてい)目ウシ科の動物。家畜の1種。ただし、広義にはウシ科ウシ亜科に属するすべての種をさし、家畜牛のほかに、スイギュウ、バイソン、ヤク、ガウル、バンテンなども含まれる。

[正田陽一]

起源

家畜牛にはヨーロッパ系とアジア系がある。ヨーロッパ系のウシは、オーロックス(原牛)Bos primigeniusが祖先種であると考えられている。オーロックスは新石器時代にはヨーロッパからアジアの大部分、アフリカ北部にかけて野生していた、体高1.8メートル、体重600~900キログラムの大形のウシで、毛色は黒褐色、背の正中線に明るい色の線が走り、90センチメートルにも達する大きな角をもっていた。16世紀ごろまではヨーロッパの森林に普通にみられたが、中世以降の森林の伐採と狩猟による圧迫で数が減り、1627年最後の1頭がポーランド南部のヤクトロウカで死んで絶滅した。一方、アジア系のウシは、このオーロックスの一地方型であるアジア原牛Bos namadicusに由来するとされている。古くはゼビューzebuとかコブウシ(瘤牛)Bos indicusとよばれてヨーロッパ系のウシとは別種として取り扱われたこともあったが、両者の間には雑種ができないという生殖的隔離機構はなく、また雑種の個体に繁殖力の低下も認められないので、現在は同一種とみなされている。

 家畜化の起源については諸説があるが、遺跡の遺骨などから、紀元前8000~前5000年ごろ西アジアのメソポタミアで農耕文化(前6000年ごろ発祥し、前5000~前4000年ごろ繁栄した)とともに発達したと思われる。シリアやエジプトでも同時代にすでに飼われていた。また、ヨーロッパでは前2700年ごろスイスの湖住民族が、西アジア伝来のものを飼育していた。さらに、インドでは前2500年ごろ、中国では前1800年ごろの遺跡から出土している。日本では縄文式・弥生式(やよいしき)文化期の貝塚から、朝鮮半島経由と思われる、ヨーロッパ系のウシに若干アジア系の血の混じった家畜牛の骨が少数出土している。これら世界各地の遺跡から出土した遺骨や出土品から、ウシと人類について後述するような多くの人類学的研究がなされている。

[正田陽一]

形態

ウシ科を別名洞角科ともよぶが、ウシの角は前頭骨の骨突起に角質の鞘(さや)がかぶさったもので、抜け替わることなく一生伸び続ける。普通は雌雄ともに有角であるが、無角の品種も作出されており、常染色体上の顕性遺伝子に支配されている。鼻端の裸出部の鼻鏡は大きく、この部分にある溝の紋様(鼻紋)は個体識別に用いられる。門歯と犬歯は下あごにしかなく、臼歯(きゅうし)はよく発達していて歯冠部が長く、咬合(こうごう)面にはエナメル質の半月形の横うねがある。胃は4室に分かれ、食物は第1胃(瘤胃(りゅうい))、第2胃(蜂巣胃(ほうそうい))に入り、ここに蓄えられ、これをもう一度口に戻してかみ直す反芻(はんすう)をしたのち、第3胃(重弁胃(じゅうべんい))、第4胃(皺胃(しゅうい))へ送る。第4胃が胃液を分泌する本来の胃である。第1胃にはバクテリアや繊毛虫類(インフゾリア)などたくさんの微生物がいて、繊維の消化を助けたり、タンパク源として役だったりしている。四肢端の爪壁(そうへき)は厚く発達して角質化し、円筒形に指骨を包み、ひづめを形づくっている。第3指、第4指の2本のひづめが地につき、第2、第5の両指は短い側蹄として残る。全身を覆う毛は普通は短く、毛色は品種によってさまざまで、黒、灰、褐、白の単色のものから、白地に斑紋(はんもん)のあるものや、糟毛(かすげ)のように2色の毛が混ざって生えるものなどがある。脊柱(せきちゅう)の骨の数は、頸椎(けいつい)7、脊椎13~14、腰椎5~6、仙椎4~5、尾椎14~19である。尾は丸く長く、先端には長毛が生えていて尾房をなしている。

 乳房は腹部にあり、4個の乳頭が付着していて、これにそれぞれ独立した乳腺(にゅうせん)が接続している。ウシ科の動物の乳腺の特徴は乳槽(にゅうそう)という構造をもつことで、乳腺組織で合成された乳汁は乳管を流下してここに一時蓄えられる。このことが、一定時間ごとに大量の乳を搾り取る乳用家畜として重要な意味をもち、すべての乳用家畜(ウシ、スイギュウ、ヤク、ヒツジ、ヤギ)がウシ科である理由もここにある。

 ゼビューにみられる肩のこぶ(肩峰(けんぽう))は脊椎の棘突起(きょくとっき)の高まりの上に僧帽筋や頸菱形筋(けいりょうけいきん)がかぶさったもので、雄では大きく発達しているが雌では小さい。栄養状態のよいときにはここに脂肪が蓄積し、重量の60%を占めるほどになる。ラクダのこぶや脂肪尾羊(中国の寒羊など)の尾と同様な役割を果たしている。

[正田陽一]

生態

家畜牛は生産を目的に人類に飼育管理されているのであるから、野生の状態にあるものと同じ生態を示すとは限らない。しかし家畜化され飼養条件下に置かれても、変わらぬ性質もある。野生のウシ(バイソンやスイギュウなど)は群れで生活をし、群れには順位制があり、指導者(ボス)の統率に従うことで群れの秩序を保つ。家畜牛も群飼をすると、群れのなかの体格の大きい個体がボスとなり、他個体を圧して一定の行動をとる。スペインの闘牛ではこの性質が利用される。興奮して荒れ狂っているウシを制御して移動させる場合に、体の大きな去勢牛をいっしょにして、この温和な去勢牛を人が誘導することで間接的に荒れ狂ったウシをコントロールしている。

 食性は草食性であり、長い草を舌で巻いて束ね、下あごの門歯と上あごの歯肉でかみ切り、粗雑にかんで一度胃に送る。食肉獣による危険を避けるため大量の草を短時間で食べる必要から、この反芻という行動が発達したといわれている。家畜牛を牧野に放牧した場合、朝と夕方にいちばん盛んに草をはみ、日中は休息してときどき反芻する。しかし1日のうちの反芻の大部分は夜間に行われる。群れをなして横たわって休息しながら反芻することが多いが、寒いときなどには立ったまま、あるいはぶらぶら歩きながら口を動かす。乳や肉の生産のために飼われるウシでは、草食獣ではあるが生産能力を高めるために、魚粉のような動物性のものや穀類、油かすなどの高タンパクの飼料を配合し給与される場合が多い。放牧場に出されたウシは、放牧場の広さ、状態、季節などによって異なるが、1日に4~8キロメートル歩き回る。子牛を連れている場合のほうが、連れていないときよりもよく歩く。日中、低木の茂みの中に身を隠すことがしばしばみられるが、これはアブ、サシバエなどの害を避けるためである。ウシの角は野生の場合、天敵である食肉獣の襲撃を防ぐ強力な武器となる。家畜牛でも興奮すると頭を下げて突っかかってくる。群飼の場合にウシどうしの事故の原因になるし、種雄牛の飼育では管理者の生命の危険もあるので、子牛のときに除角することが多い。ウシ属の野生牛(ガウル、バンテン)では繁殖季節が定まっていて、12月から翌年1月の乾期に交尾して、9~10月に子を産む。家畜牛は周年繁殖が可能で、雌牛は発情期が3週間ごとに回帰し、1~2日間継続し、交配し受胎すれば妊娠期間約284日で1、2子を産む。

[正田陽一]

ウシ亜科に属する家畜

ウシ亜科に属する広義のウシには家畜牛以外にも次の4種の家畜がある。

(1)スイギュウBubalus bubalis ウシ亜科スイギュウ属に含まれ、インド、ネパールに野生するヤセイスイギュウを家畜化したもので、沼沢水牛と河川水牛の2種がある。沼沢水牛は大きな三稜(さんりょう)形の角をもち、成獣では被毛がまばらにしかない。東南アジア一帯で役用家畜として使役されている。河川水牛は前者に比べ角が小さくて湾曲しており、染色体の数も異なる(沼沢水牛48、河川水牛50)。乳用種として改良され、ムラー種murahでは年間2000キログラム(脂肪率7.0%)ぐらい泌乳し、熱帯地方の乳用家畜として重要である。インドをはじめイタリア、ギリシア、ルーマニアに飼われている。

(2)ガヤルBos frontalis インド北西部の丘陵地帯に半野生の状態ですんでいる。体高1.6メートル、体重500キログラムぐらいで、ガウルBos gaurusを家畜化したものと考えられる。角が基部の太い円錐(えんすい)形で、雄は黒褐色、雌と幼獣は赤褐色の毛色をしている。

(3)バリウシBos banteng バリ島をはじめインドネシアに役肉用に飼われるウシで、ジャワヤギュウともよばれるバンテンbantengを家畜化したものである。四肢の下部と臀部(でんぶ)に白斑のあるのが特徴で、家畜牛との間に繁殖力のある雑種を生ずるため、東南アジアのウシのなかにはバンテンの遺伝子の流入もかなりあると考えられる。

(4)ヤクBos grunniens チベットの高地に野生している黒色、大形のウシで、体の上面の毛は短く滑らかであるが、側面と下面の毛が長く、尾も全体に長毛がある。家畜化されたヤクは、役、肉、乳、毛と多目的に利用されている。家畜牛との雑種はゾーdzoとよばれ役用に用いられるが、繁殖力は雌にしかない。

[正田陽一]

ウシの品種

ウシには多くの品種があるが、用途により乳用種、肉用種、役用種に分類され、そのほかに二つ以上の目的を兼ねて飼育される兼用種がある。

〔1〕乳用種(乳牛)
(1)ホルスタインHolstein オランダおよびドイツ北部を原産地とする代表的な乳用種。毛色は黒白斑であるが、改良の途中でショートホーンを用いたため、赤白斑の個体もまれにみられる。体高は雌1.4メートル、雄1.6メートル、体重は雌650キログラム、雄1100キログラムぐらいである。乳量がきわめて多く年平均6000キログラムを生産し、1万キログラムを超すものもまれではない。脂肪率は平均3.4%である。原産地が地味肥沃(ひよく)で草生の豊かな土地であるため、飼料条件のよい土地では高能力を発揮するが、体質は強健とはいいがたく、ことに暑熱に対する抵抗性は低い。世界の主要酪農国に広く分布し、日本の乳牛もほとんど本種である。

(2)ジャージーJersey チャネル諸島のジャージー島原産の小形のウシで、毛色は淡褐色から黒褐色までさまざまである。体高は雌1.22メートル、雄1.35メートル、体重は雌380キログラム、雄700キログラムぐらいである。乳量は年3500キログラムぐらいであまり多くはないが、脂肪率が平均5.5%と高く、カロチン含量が高く、黄色みが強いのでバターの原料乳として最適である。耐暑性も強く、亜熱帯の乳牛の改良にも用いられている。同じチャネル諸島のガンジー島原産のガンジーGuernseyも本種によく似ているがやや大形で、気候風土への適応力が強い。

(3)エアーシャーAyrshire イギリスのスコットランドにあるエアーシャー原産。角が竪琴(たてごと)状の独特の形をしている。毛色は赤褐色と白色の斑で、体高は雌1.3メートル、雄1.45メートル、体重は雌530キログラム、雄800キログラムぐらいで、粗放な管理によく耐え、寒さにも強い。北ヨーロッパ、カナダに多く飼われている。

〔2〕肉用種
(1)アバディーンアンガスAberdeen-Angus イギリスのスコットランド原産の、黒色で無角の肉牛。体型は丸みを帯びた長方形で充実し、四肢は短い。体高は雌1.2メートル、雄1.3メートル、体重は雌550キログラム、雄800キログラム。早熟早肥で肉質も優れているが、皮下脂肪が厚くなりやすい。世界に広く分布して飼養されており、日本の無角和種の成立にも貢献した。

(2)ショートホーンShorthorn イギリスのイングランド北東部原産の代表的肉牛。毛色は濃赤色、白色、糟毛などがある。角は短く側下方へ曲がる。体高は雌1.25メートル、雄1.35メートル、体重は雌650キログラム、雄1100キログラムぐらいである。早熟早肥で、肉質も優れているが、近親交配の影響のため繊細で体質がやや弱い。原産地のほか全世界に分布し、日本に最初に入った洋種は本種で、黒毛和種、日本短角種の改良に用いられた。

(3)ヘレフォードHereford イギリスのイングランド西部が原産地。毛色は赤褐色で、顔、前胸、下腹部、四肢端が白色。体高は雌1.27メートル、雄1.4メートル、体重は雌650キログラム、雄1200キログラムぐらいである。体質はすこぶる強健で、耐粗飼性、抗病性も高いが、やや晩熟で肉質も劣る。アメリカ、アルゼンチン、ウルグアイ、オーストラリアなどに多く飼われている。

(4)シャロレーCharolais フランス中部高地原産の白色の大形肉牛。体高は雌1.38メートル、雄1.5メートル、体重は雌700キログラム、雄1200キログラムぐらいである。非常に発育が早く15か月齢で580キログラムになり、1日増体重が1.3キログラムに達する。脂肪の少ない赤肉を生産するウシとして、フランスをはじめ各国で好評を博している。日本にも1963年(昭和38)からこの品種が輸入された。

(5)ブラーマンBrahman アメリカ南西部でインドウシの各品種を交雑し、これにショートホーンを交配して作出した熱帯地方向きの肉牛。肩峰があり、胸前にある垂皮も大きく耳も垂れている。体高は雌1.3メートル、雄1.4メートル、体重は雌500キログラム、雄800キログラムぐらいである。高熱を発し死亡率も高いダニ熱に対する抗病性が強く、耐旱(たいかん)性や耐暑性も高いので、中央・南アメリカ諸国、オーストラリアなどで飼われている。

(6)黒毛和種Japanese Black 日本の在来牛に明治以降ブラウンスイス、デボンDevon、ショートホーンなどを交配し改良された品種で、最初は水田耕作用の役肉兼用種として成立したが、第二次世界大戦後は肉専用へと改良目標が変えられた。毛は黒色で、有角。体高は雌1.24メートル、雄1.37メートル、体重は雌400キログラム、雄700キログラムぐらいである。肉質のよいのが特徴で、未経産の雌牛を長期肥育したものでは、白い脂肪が筋繊維間に細かく大理石模様に沈着し、いわゆる「霜降り肉」となる。日本の和牛の85%までが本種である。そのほかの和牛としては、熊本県、高知県で在来牛をシンメンタールや朝鮮牛で改良した褐色で有角の褐毛和種(かつげわしゅ)Japanese Brown、山口県でアバディーンアンガスにより改良された黒色で無角の無角和種Japanese Polled、それに東北地方の在来牛をショートホーン、デイリーショートホーンで改良した日本短角種Japanese Shorthornがあるが、飼育数が少なく、分布も限られている。

〔3〕役用種
(1)黄牛(こうぎゅう)Yellow Cattle タイから中国南部、フィリピンにかけて東南アジア一帯に分布する黄褐色単色のウシの総称。従順で勤勉な役畜で、体質は強健で粗飼に耐える。

(2)インドウシzebu 肩に肩峰のあるアジア系のウシで、カンクレージKankrej、オンゴールOngole、キラリーKillhariなどたくさんの品種がある。インドでは宗教的な理由で牛肉を食べないので、これらはもっぱら役用に使われるのみであるが、インド以外の国では肉用牛としても利用されている。

〔4〕兼用種
(1)デイリーショートホーンDairy Shorthorn 肉用のショートホーンのなかで泌乳能力の高いものを選抜してつくった乳肉兼用種。20世紀の初めまでイギリスの搾乳牛の大半を占めていたが、現在は減少している。体高は雌1.3メートル、雄1.45メートル、体重は雌650キログラム、雄900キログラムぐらいである。体質強健で、乳量は年4000キログラムほどに達する。

(2)ブラウンスイスBrown Swiss スイス北東部の原産で、乳肉役3用途を兼用する品種。毛色は灰褐色で、体高は雌1.25メートル、雄1.4メートル、体重は雌550キログラム、雄700キログラムぐらいである。性質は温順で、気候風土への適応性も強く、原産地のほか、東ヨーロッパ、旧ソ連地域に広く飼われている。アメリカで改良された系統は乳専用種となっているので、ヨーロッパの兼用種をスイスブラウンとよんでこれと区別する場合もある。日本の黒毛和種の改良に寄与した。

(3)シンメンタールSimmental スイス西部原産の乳肉役3用途兼用種。毛色は淡褐色と白の斑。大形で体高は雌1.4メートル、雄1.5メートル、体重は雌750キログラム、雄1150キログラムぐらいである。体質強健であるが、やや晩熟。日本では熊本県の褐毛和種の改良に用いられた。

(4)レッドポールRed Poll イギリスのイングランド原産の乳肉兼用種。毛色は濃赤褐色で無角が特徴である。体高は雌1.27メートル、雄1.38メートル、体重は雌520キログラム、雄750キログラムぐらいである。寒さに強い。

(5)ゲルプフィーGelbvie ドイツ中部の在来牛にブラウンスイスを交配してつくった乳肉兼用種。毛色は黄褐色単色。中形。

(6)ノルマンNormande フランスのノルマンディー地方原産の乳肉兼用種。毛色は、白面で躯幹(くかん)は白地に濃褐色の斑紋。大形。

(7)朝鮮牛 朝鮮半島原産の役肉兼用種。毛色は黄褐色。半島南部のものは小形(体高は雌1.22メートル、雄1.3メートル、体重は雌380キログラム、雄550キログラム)であるが、北部のものは中形(体高は雌1.24メートル、雄1.34メートル、体重は雌420キログラム、雄600キログラム)。体型は、前躯(ぜんく)が後躯よりも大きくなる役用型であるが、近年肉用型へと改良されつつある。第二次世界大戦前の日本では役牛として飼育され、高知県の褐毛和種の改良に貢献した。

[正田陽一]

飼育と管理

ウシの飼養管理法は乳牛と肉牛とで、また繁殖用の種畜と生産用の実用畜(肥育牛や搾乳牛)とで若干異なる。乳牛の場合、乳の生産のためには多量のタンパク質、炭水化物を必要とする。そのため毎日、乾物量として体重の3~4%の飼料が必要である。飼料は必要な栄養分を十分に含んでいるばかりでなく、草食反芻動物としての消化機能を十分に発揮させるための量も必要である。体重と泌乳量の両者から飼養標準によって飼料の適当な給与量を決め、飼料成分表を参考に給与飼料の配合を考慮する。普通、体重維持のために必要な栄養を、青草、乾草、サイレージ、根菜などの粗飼料で与えて量を満たし、生産に必要なタンパク、カロリーを濃厚飼料で補ってやる。

 適度な運動や日光浴が健康保持のためたいせつなことは乳牛も同じで、舎飼いの時間の長くなりがちな乳牛もなるべく放牧したり、パドック(小放牧地)へ出すのがよい。ブラシをかけて皮膚被毛の手入れをすることは、清潔を保つ意味ばかりでなく、血行をよくすることで乳の生産を増す効果もある。搾乳は1日に2、3回行う。回数を増やせば乳量は増すが、搾乳者の労働力を多く要するので2回搾乳が多い。最近では機械搾乳が増えてきて手搾りは少なくなってきたが、いずれの場合にも、搾乳に先だって微温湯と布で乳房をふいて清潔にする。これにより清浄な牛乳が搾れるばかりでなく、この刺激により排乳反射がおこって、正常な搾乳が行われるようになる。きれいにふいたのち、手搾りで最初の数搾りを外に捨てる。乳頭付近の乳汁が汚染しているおそれがあるからである。つなぎ飼い器具の一種であるスタンチョンストールにつながれた舎飼いの乳牛は、ひづめで乳房を傷つけることがしばしばある。運動不足でひづめが伸びすぎることもあるので、年2回以上の削蹄(さくてい)が必要である。

 肉牛を飼育し、栄養価の高い飼料を与えて、肉、とくに脂肪を極端につけるのが肥育である。ウシの肥育には若齢肥育、壮齢肥育、老廃牛肥育の三つがあり、肥育期間により短期肥育と長期肥育に分けられる。若齢肥育は、1歳内外の若い雄牛を1年から1年半肥育して出荷する。群飼の便と肉質向上の目的で去勢する場合が多い。乳用種の雄の子牛を肥育する場合は、すべてこの形式である。壮齢肥育は、4~5歳の和牛の雌を1年ぐらいかけて理想的な肉牛に仕立てる長期肥育と、5~7歳のものを100~150日肥育して中程度の肉牛にする短期肥育がある。老廃牛肥育は、100日ぐらい行って体重の増加を図るもので、肉質はあまり問題にしない。飼料にはオオムギ、トウモロコシ、コウリャン(マイロ)などの穀物を主とした濃厚飼料を多給する。外国では、牧野への放牧を主体として体躯(たいく)を充実させ、最後の仕上げ期間に穀物を与え脂肪をつけることが多いが、肥育期間はかなり長くなり、肉質は脂肪交雑の度合いが低い点で多少劣る。

[正田陽一]

繁殖

ウシは生後約10か月で性成熟に達し、以後3週間の周期で発情を繰り返す。普通、18か月齢ぐらいから繁殖に供し、その個体の能力にもよるが、10~15歳ぐらいまで供用する。最近ではほとんどが人工授精によっており、定期的に採取された雄の精液は零下196℃に凍結保存され、雌畜の授精適期にあわせて解凍され、注入器を用いて注入される。妊娠期間は284日ぐらいで、妊娠中の管理が悪いと、腟壁(ちつへき)が陰門外に露出する腟脱、流産、原因不明のむくみを生ずる妊娠浮腫(ふしゅ)、妊娠末期に発病し重症になると立てなくなる産前起立不能などの事故をおこしやすいので、注意が肝要である。分娩(ぶんべん)後、最初の1週間に出る初乳は胎便を排出させる効果のほか、雌親からの免疫物質を含むので、初生子にかならず与えなければならない。乳牛の場合は生後3日ぐらい自然哺乳したのち、子を離して人工哺乳に切り替える。生後2週間は全乳を与え、それ以後徐々に脱脂乳、代用乳に変え、5~6か月で完全に離乳させる。肉牛の場合は離乳時まで子をつけておいて支障はない。

[正田陽一]

育種

ウシの遺伝的な改良を図るためには、遺伝的素質のよい種畜を選抜することがたいせつである。このため改良種においては各品種ごとに登録協会が設けられて登録事業を行い、血統を明らかにするとともに、それぞれの個体の外貌(がいぼう)審査や能力検定の成績も記録して、遺伝的に優れた個体を高等登録や名誉高等登録などで選奨している。外貌審査は定められた審査標準に従って体型、資質を評価するもので、優れた体型のウシが優れた資質をもつことから、生産能力をある程度推定できるうえに、1回の検定成績では知りえない長命性なども判定できる利点がある。能力検定は、飼養の目的である生産能力について検定し評価するもので、育種上、重要な意味をもつ。一定の施設に集めて行う集合検定と、生産現場で行う現場検定がある。また育種においては、雄の選抜が次代に及ぼす効果が大きいため、雌でしか検定できない泌乳能力とか、殺さなければ判定しえない肉質などの形質には、子の成績で雄親の能力を推定する後代検定が実施されている。

[正田陽一]

病気

家畜伝染病に指定されているウシの病気としては、牛疫、牛肺疫、口蹄疫(こうていえき)、流行性感冒、流行性脳炎、狂犬病、炭疽(たんそ)、気腫疽(きしゅそ)、出血性敗血症、ブルセラ病、結核病、ヨーネ病、ピロプラズマ病、伝染性海綿状脳症、アナプラズマ病の15種があり、このほか、消化器疾患としては鼓脹症(こちょうしょう)、第一胃食滞、創傷性胃炎などが多く、肝蛭(かんてつ)の寄生による貧血もよくみられる。また、雌牛には卵巣嚢腫(のうしゅ)、子宮内膜炎、伝染性流産、トリコモナス症、乳熱、乳房炎などがみられる。

[正田陽一]

利用

ウシの用途は乳用、肉用、役用が主要であるが、そのほか皮革、厩肥(きゅうひ)(糞尿(ふんにょう)と敷き藁(わら)などを堆積(たいせき)・発酵・腐熟させた肥料)なども有用な生産物として利用される。

(1)牛乳 乳牛は分娩後約1年間泌乳期間があり、最初の1週間に分泌される初乳と子牛育成用の乳を除いて、残りは人間の食料として利用される。牛乳は白色、不透明な液体で、かすかな甘みと特有な香りがある。化学的組成は、品種、年齢、泌乳期、季節、搾乳法などの条件により変化するが、水分(87.3%)、タンパク質(カゼイン2.9%、アルブミン0.5%)、脂肪(3.7%)、乳糖(4.9%)、灰分(0.7%)で、比重は約1.03である。すべての必要な栄養素を含み消化がよく、タンパク質にはすべての必須(ひっす)アミノ酸が含まれており、ビタミンAなどビタミン類の含量も高く、栄養価の高い食品である。しかし、人間の人工栄養児の代用乳として用いる場合には、人乳に比べ灰分(無機質、ミネラル)の含量が高く、一方、乳糖が低いから、適当に調整する必要がある。タンパク質も人乳に比べて高く、ことにカゼインが多くアルブミンが少ないので、胃中でカゼインが凝固して白いカードをつくり、消化率は人乳より劣る。脂肪はタンパク質の被膜をもった細かい脂肪球となって浮遊し、これが反射光を分散させて白濁した色を示す。ジャージーの牛乳などは黄色みが強いが、これは脂肪中にカロチン色素が溶けているためである。搾ったままの乳を静置すれば、脂肪球が浮いて淡黄色のクリーム層が分離してくるが、市乳(市販の飲用牛乳)では、分離を防ぎ脂肪の消化吸収をよくするために、ホモゲナイザー(均質化装置)を通して脂肪球を細かに砕き均質化(ホモゲナイズ)してある。牛乳は市乳として飲用に供されるほか、バター、チーズ、粉乳、練乳などの加工品としても利用される。牛乳からセパレーター(分離装置)によりクリームを分離し、チャーン(攪拌(かくはん)装置)にかけて脂肪球を塊状に固め、機械的に練り合わせて水分を除き、食塩を加えて均一にしたものがバターである。チーズは、全乳もしくは脱脂乳に凝乳酵素レンネットを加えて、カードをつくり、発酵微生物(おもに乳酸菌)を加えて熟成したものである。現在日本で消費されているプロセスチーズは、こうしてつくった生チーズを数種混ぜて練り直し加熱して発酵を止めたもので、保存性に富む。練乳、粉乳は水分を除き、ときには糖分を加えて保存性を高めたものである。

(2)牛肉 色は赤褐色で、組織は固く弾力があり、肥育した和牛の肉では「霜降り肉」となって特異な芳香があり、きわめて美味である。老廃牛の肉は色が暗色で繊維は粗く、脂肪も黄色みを帯びて風味が劣る。2歳未満の幼牛の肉はビールvealとよばれ、肉色は灰色がかって淡く、脂肪分が少なく水分が多いので、味は淡泊である。牛肉の品質、成分は体の各部分によっても異なり、したがって適当な料理法も異なる。シチューのような煮込み料理には、運動の激しい筋肉、たとえばシャンク(すね)、ブリスケ(頸(くび))、テール(尾)などが味がよく出るし、ステーキにはロース、ヒレなどの柔らかい肉が適している。

(3)畜力 昔は農耕作業で和牛の作業能率は人の10倍といわれ、水田の耕うんなどに広く利用されたが、最近では機械化が進んで国内ではほとんどみることができなくなった。東南アジアではいまだに運輸、農耕に役牛の利用は盛んである。瞬間最大牽引(けんいん)力は体重の150%ぐらいであるが、終日発揮できる牽引力は体重の12~15%である。

(4)皮革 牛皮はほかの家畜の皮に比べると、繊維組織が細密に発達していて、もっとも堅牢(けんろう)、良質である。なめされた皮革は靴、ベルト、鞄(かばん)などに広く利用され、需要が多い。

(5)厩肥 1頭当り年間約8000キログラムの厩肥が生産される。最近は都市近郊の多頭化した経営では、糞尿はむしろ不用な公害源と考えられ、その処理方法が問題となっている場合が多い。しかし家畜の排出物は、その中に含まれる窒素、リン酸、カリウムの3成分の価値ばかりでなく、地力形成に関与する有機物の土壌改良の働きもあり、なるべく土地へ返して、再生産に有効に利用すべきであろう。

[正田陽一]

ウシと人類

主導権を握って支配することを意味する「牛耳(ぎゅうじ)る」あるいは「牛耳を執(と)る」ということばは、中国の春秋戦国時代に、諸侯が盟約を結ぶとき、盟主がウシの耳を執ってこれを裂き、血をすすり合ったという儀礼に由来するという。中国のウシの飼育起源は西方からの影響と考えられており、竜山(りゅうざん)文化(新石器時代)のころからの出土例がみられる。殷(いん)代になると多数のウシが犠牲に供され、牛骨は亀甲(きっこう)とともに卜占(ぼくせん)に用いられた。中国では、ウシを殺す儀礼は官民を問わずのちのちも盛んで、たとえば『漢書(かんじょ)』によれば、高祖は毎年農業神の祠(ほこら)に殺したウシを祀(まつ)らせたという。ウシと農業との結び付きは、農業神である炎帝神農氏(えんていしんのうし)の伝承に明らかで、人身牛首のこの神は耒耜(らいし)(犂(すき))をつくったと伝えられている。このようにウシが農業上、宗教上重要な意味をもってきたことは中国に限らない。ユーラシア大陸の東西においても、もっとも経済的価値の高い家畜として存在してきた。家畜化以前のウシも、狩猟生活のうえで人々と深くかかわっていた。なかでも狩猟の対象とされたのは、原牛よりもおもに野牛バイソンで、スペインのアルタミラの洞窟(どうくつ)壁画(後期旧石器時代)に描かれているのはバイソンである。北アメリカの平原インディアンは、19世紀後半まで野牛の狩猟を中心とする生活を送っていた。彼らは指揮者によって統制された集団猟を行い、野牛を木柵(もくさく)の中に追い込んだり、崖(がけ)や沼地に落とし入れて捕獲した。野牛は肉として重要なだけでなく、皮革からはテント、衣類、履き物などがつくられ、また骨や角なども、各種利器や道具類の材料に用いられた。旧石器時代の旧大陸の人々も、似たようなかかわり方をしていたと推測される。

 ウシは新石器時代の初期に西アジアで家畜化され、古代オリエント世界においては犂農耕と結び付き、乳、肉などの利用のほか、交通、運搬用、さらに宗教上の役割と多方面にわたって人類の生活にかかわってきた。家ウシの出土例で古いものは、アナトリア地方(トルコ)のハジュラル、チャユニュの遺跡(紀元前8000年紀後半から7000年紀前半)などからで、前6500年ごろのチャタル・ヒュユク遺跡からは、祭壇と牛頭の飾り、絵や浮彫りの備わる部屋などが出土しており、ウシの宗教上の役割もうかがえる。さらに古くは、後期旧石器時代のフランスのロセル遺跡から、右手に三日月形の牛角を持つ裸婦像の浮彫りが出土しており、ウシと豊饒(ほうじょう)の観念がすでに結び付いていたと推測される。このようにウシは信仰生活のうえでも重要な意味をもっており、ウシ飼育の起源を宗教的動機に求める説も、20世紀初頭に出された。すなわち、野生のウシは月の女神に供えるために飼いならされたとするものであるが、さだかではない。

 エジプトにおいて、紀元前4000年紀のアムラーおよびゲルゼー文化期に家ウシの出土例がみられ、先史時代の墳墓からは副葬品としてのウシの像が発見されている。王国成立以後はウシが王権と結び付いて、王は「強い牡牛(おうし)」の称号をもった。また農耕の大母神イシスの神聖獣としても崇拝され、選ばれた1頭のウシ、アピスがナイル川の氾濫(はんらん)の前に川の中に沈められた。これらは、農耕におけるウシの重要性を示している。他方、乳の利用も古くから行われ、メソポタミアのウル第1王朝の神殿にある一連の牛乳処理加工を示す浮彫りとともに、エジプト第11王朝の石棺にみえる搾乳の場面を描いた浮彫りが有名である。この乳利用の文化は、ユーラシア大陸の東西に伝播(でんぱ)するとともに、東アフリカにおいても、ウシを主要な家畜とする牧畜民文化を成立させたと考えられる。ここでは古くから雨期と乾期のリズムに従った季節的移動を伴う牧畜が営まれており、牧畜はもっとも価値ある仕事として、搾乳以外はすべて男性の仕事とされている。ウシは、乳、肉、首の静脈からとった血などが食用として不可欠なだけでなく、糞(ふん)は家の壁や床の材料、および燃料として重要であり、尿も洗顔や手洗いに利用されている。このように人々はいわばウシに寄生した生活をしており、社会的に重要な意味をもつウシは、賠償や婚資にも用いられる。したがって食用のために殺すことは行われないが、重要な儀礼の際にはウシが犠牲に供される。通過儀礼や病気、疫病、飢饉(ききん)などの危機的状況にあっては、罪や穢(けがれ)を払うためにウシの生命すなわち血が神に捧(ささ)げられ、肉が食される。これら習俗のいくつかはアジアの遊牧民と共通しており、両者の歴史的、文化的連続性を示している。なお内陸アジア草原地帯の遊牧民でも、ウシはウマ、ヒツジなどと並んで重要な家畜である。

 ウシはウマと異なり、粗食に耐え、あまり人間の世話を必要としない。したがって定住農耕生活をしながら飼育することが可能であるため、農民の間にあってはウマにその位置をとってかわられることがなかった。そして農耕の貴重な労役獣として、と畜が禁じられ、肉を食べることが忌避されてきた。ことにインドでは古くから神聖視され、コブウシやスイギュウの姿がすでにモヘンジョ・ダーロの印章や香炉などに描かれている。ヒンドゥー教徒の間では、今日なお牛肉を食することが禁忌されている。

 こうしたウシの重要性は、神話や信仰世界のなかに繰り返し反映されている。たとえば、古代オリエントのセム人の大地母神イシュタルの象徴は牝牛(めうし)とされ、また古代のイランの神話では、原初海洋に1匹の牝牛がおり、その角の上に大地は支えられていると伝えられていた。やがて後者はイスラム教のなかに入り、それとともにアラビアから北アフリカ、中央アジア、インドネシアへと広がっていったとされる。このウシと宇宙観の結び付きはエジプトでもみられ、牝牛ヌトは背中に太陽神ラーを乗せて立ち上がり、天になったと伝えられる。さらに北欧神話では、宇宙の始まりに、牝牛の乳房からほとばしり出た乳の汁が原古の巨人を養ったと語られ、インド神話では、バルナ神のかき混ぜた大海の水が乳に変じて、月、女神、不死の霊薬などが生じたと伝えられている。これらは、前述の乳利用文化の背景を示す一方で、改めてウシと豊饒の観念のより一般的なつながりを示している。東南アジアの農耕民の間にみられるウシあるいはスイギュウの供犠の風習も、豊饒の観念と結び付いている。それは農耕儀礼として、あるいは勲功祭宴や死者儀礼の一部として行われる。勲功祭宴の場合、規模の拡大するいくつかの祭宴を順次行うことにより、主催者には社会的地位の上昇や称号、衣服、家の飾りなどに特権がもたらされ、死後のより有利な運命がもたらされるといわれる。儀礼の中核はウシの供犠にある。誇らしく飾られたその頭は、また巨石記念物の建立と結び付き、豊饒と富の呪(じゅ)的促進の機能も果たしていた。中国で立春に行われる打春(だしゅん)・鞭春(べんしゅん)・鞭行(べんこう)の行事(彩色した土牛を鞭(むち)打って砕く風習)も、同じ豊饒の観念に基づいている。

 おそらくウシは、豊饒との結び付きを背景として、水や雷神とも深い所縁をもつと思われる。ヨーロッパでは、水中の怪牛や水底の牧場の俗信がみられ、中国でも水中の闘牛や、水患(すいかん)を鎮めるための「鉄牛(てつぎゅう)」「石牛(いしうし)」の伝説が語られている。『山海経(せんがいきょう)』に出てくるきという怪物は、形はウシのようであるが、水に入ると風雨を伴い、声は雷のごとし、と伝わる。水神の蛟竜(こうりゅう)(みずち)も雷雨神であり、しばしばウシの姿をとっている。ところで中国の闘牛も、敗れた牛を食べる習俗にみられるように本来の意味は豊饒儀礼的なウシの供儀にあったと考えられる。闘牛は、古く紀元前2000年代のエジプトの壁画に描かれているが、ここでも農業神の神事として発生したらしい。ローマ時代になると、その神聖な意味が失われた。今日、スペインやラテンアメリカ諸国で盛んに行われる人間とウシが闘う形式の闘牛は、地中海東方の文化の影響を受けてイベリア半島で生まれたとされる。

[田村克己]

民俗

ウシは平安時代には貴人の乗り物である牛車(ぎっしゃ)に用いられたが、一般にはもっぱら耕牛用や運搬用に使役された。農家の年中行事にはウシに関したものがみられ、大分県下毛(しもげ)郡では正月6日を「牛の正月」といって、粉餅(こもち)をこしらえて雑煮にし、これをウシに食べさせる。正月11日を、福岡県企救(きく)郡では「牛の使い初(そ)め」、和歌山県熊野地方では「牛の追い初(そ)め」といい、岡山県英田(あいだ)郡では「牛鍬(うしぐわ)」といって、この日ウシに犂(すき)をかけ初めして苗代田を鋤(す)かせる。西日本では6月にウシを川や海で水浴させる習俗がある。山口県では「牛の祇園(ぎおん)」といい、6月15日にウシを水辺に連れて行って体を洗ってやるが、同じように「牛の盆」といって海にウシを連れて行って泳がせる所もある。宮崎県西諸県(にしもろかた)郡では、6月28日を「牛越え」といって、氏神の社に連れて行ったウシに丸太ん棒の上を越えさせるが、これはウシの健康を祈って神の恩寵(おんちょう)を期待する行事である。このほかにウシを休ませる日というのがあり、香川県では、5月5日はウシを外に出さないで牛小屋の中に閉じ込めておき、ウシの角にショウブをかけたり、ウシの「イオ」といって、ちまきとチヌの干物をかけておいたりする。和歌山県日高郡では、夏の土用の丑(うし)の日に川でウシを洗い、小麦粉の団子をウシに食べさせて「牛休み」といっている。

 大阪の和泉(いずみ)地方を中心に、近畿、中国、四国の各地方には牛神(うしがみ)の信仰がみられる。大阪府岸和田市の牛滝山(うしたきさん)の大威徳明王堂(だいいとくみょうおうどう)が中心となっている信仰で、7月7日を祭日とする所が多く、「牛のほどこし」と称して瓦(かわら)焼きの牛型をウシにみせて祀(まつ)るが、子ども中心の行事となっている。和泉地方の南部でも、牛神講(うしがみこう)という子どもの行事があり、15歳の男の子の家を宿として、女竹の弓矢を持って牛神参りをしたのち、土俵をつくって角力(すもう)をとる。岡山県阿哲(あてつ)郡大佐(おおさ)町(現、新見市)には牛荒神(うしこうじん)という牛馬の神があり、これを念ずると馬屋(まや)が栄えるという。また、香川県では、道端に牛神と刻んだ石塔が立っているのがみられるが、これは死んだウシの供養という。なお中国地方で行われる田植儀礼「花田植」は、「牛供養」ともいわれ、ウシがいろいろな図形を描いて田掻(たが)きをする。徳島県から香川県にかけてはウシの貸借関係を結ぶ「借小牛(かりこうし)」という慣習があった。広島県と島根県との間にも、鞍下牛(くらしたうし)といって耕牛を借りる風習があったが、借りるほうでは鞍下米といって、もとは米2俵ぐらいをつけてウシを返した。

 日本でも行われている闘牛は、外国と違ってウシとウシとの闘いで、「牛角力」とか「牛の角突き」などとよばれているが、新潟県、愛媛県宇和島、八丈島、隠岐(おき)などのほか、沖縄、奄美(あまみ)大島、徳之島などでも行われている。

 ウシに関する伝説としては「牛塚」というのがある。旅人を乗せて善光寺(長野県)までやってきたウシが死んだので塚を築いたといい、これは「牛に曳(ひ)かれて善光寺詣(まい)り」の説話に付会されている。また石川県七尾市には「赤牛塚」という伝説があり、荒神が赤牛に乗ってこられたという。「牛ヶ淵(ふち)」という伝説も東京をはじめ各地にあるが、荷物を積んだウシが淵に落ちて死んだと伝えられている。

[大藤時彦]

『佐伯有清著『牛と古代人の生活』(1967・至文堂)』『内藤元男著『原色図説 世界の牛』(1978・養賢堂)』『エバンス・プリチャード著、向井元子訳『ヌアー族』(1997・平凡社)』


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百科事典マイペディア 「ウシ」の意味・わかりやすい解説

ウシ(牛)【ウシ】

偶蹄(てい)目ウシ科の哺乳(ほにゅう)類。広義にはスイギュウ属,ヤギュウ属も含めるが,ふつうウシ属のもの,特に家畜牛をいう。最も広く飼われ,家畜としての起源は新石器時代といわれる。ヨーロッパウシとコブウシの2系統がある。ヨーロッパウシは絶滅したオーロックス(ヨーロッパ,北アフリカに分布)を飼いならしたものとされている。多くの品種があり,いずれも体は頑丈(がんじょう)で,頸(くび)は低く,その下に肉垂がある。角は雌雄ともにあり,断面は円形。乳頭は2対。上顎には門歯がなく,下顎の犬歯は門歯状。胃は4室に分かれ,反芻(はんすう)する。用途により乳用,肉用,労役用などに分けられる。〔乳用種〕 一般に骨が細く,やせているが乳房は大きく,乳量が多い。ホルスタイン種,ジャージー種,ガーンジー種などが代表的。〔肉用種〕 一般に骨が太く,頑丈で肉量が多い。英国原産のショートホーン種,ヘレフォード種,アバディーン・アンガス種,シャロレー種などが著名。日本の和牛はコブウシの系統で役肉兼用のものが多く,明治〜大正時代にヨーロッパからブラウンスイス種,アバディーン・アンガス種,シンメンタール種などを輸入して品種改良を行った。現在では黒毛和種,無角和種,褐毛(あかげ)和種などの品種がある。黒毛和種(但馬(たじま)牛,神石牛,千屋牛などが原牛)はおもに中国地方で飼育され,肉の味がはなはだよい。無角・褐毛和種はそれぞれ山口県と熊本県で改良作出された。
→関連項目家畜

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウシ」の意味・わかりやすい解説

ウシ

(1) Bos taurus domesticus; cattle 偶蹄目ウシ科の家畜用ウシ。体高 90~150cm。体重は,肉用のショートホーンの雄では 1200kgにもなる。現存のものは約1万年前に西アジアで家畜化されたもので,原種はすでに絶滅したオーロックス B. primigeniusと考えられている。欧米などでは肉用,乳用に多くの品種がつくられている。 (2) Bos 偶蹄目ウシ科ウシ属の動物の総称。ウシ,ガウルバンテンヤクなどが含まれる。ときにスイギュウ属 Syncerusやバイソン属 Bisonのものも含むことがある。他のウシ科の動物と同様,胃は4室に分れる。

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普及版 字通 「ウシ」の読み・字形・画数・意味

祀】うし

雨乞い。

字通「」の項目を見る

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栄養・生化学辞典 「ウシ」の解説

ウシ

 [Bos taurus var. domesticus].哺乳綱正獣下綱ウシ目ウシ亜目ウシ属に属する.反すう(芻)動物で,肉も乳も世界で広く食用とされている.

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世界大百科事典(旧版)内のウシの言及

【繫駕法】より

…家畜に車や犂などの農具を牽引させる際の繫ぎ方をいう。繫駕の方法いかんによって,家畜がもつ本来の力がより効果的に発揮でき,作業能率を著しく向上させることが可能となる。繫駕法は時代とともに進歩があり,それぞれの地域の運輸や生産向上に深くかかわってきた。 古代に一般的であったのは軛(くびき)式繫駕法であった。この方式は腹帯なども並用するが,基本的には頸皮(くびかわ)と軛とで牽引力の重点が馬の脊柱の上にくるように繫ぐもので,古代オリエントや中国の殷・周時代の単轅2頭立て式戦車に顕著にみられる。…

【城攻め】より

…城を攻めること,攻城術をいう。
[日本]
 所領支配の拠点としての城の性格が強まり,その規模も拡大した戦国期から近世初頭までを中心に述べる。包囲,接近,突入と占領の三つの段階からなる。第1の段階は,城を政治的・軍事的に孤立させ,城内と外部の支援勢力との連絡を絶つことに目的がある。籠城する側は,城の周辺の土地から兵糧など必要な物資を城に取り込み長期戦に備えるとともに,攻め方にそれらの物資を利用されることを防ぐ。…

【畜産】より

…農業生産は植物生産と動物生産の二つに大別されるが,養蚕を除く動物生産にかかわる農業が畜産である。畜産は家畜飼養を中心にした農業だということになるのであるが,人間生活にとけこんでいる家畜家禽(かきん)のなかには犬,猫,小鳥といった愛玩用の動物も含まれており,畜産という場合はこれらの愛玩用家畜・家禽は含めない。役用に供する,肉にする牛・・鶏・七面鳥,卵をとる,乳を搾る乳牛,毛をとるなど,生産目的に飼養する家畜が畜産の対象家畜である。…

【乳】より

…哺乳類における乳腺の分泌液で,子の理想的な食物である。乳汁の組成は動物の種類によって異なり,ウシでは乾燥重量で,タンパク質と脂肪がおのおの20%,糖が60%を占める。それぞれの量は,子の成長が早い種類ほど多い。…

【角】より

…鼻骨ときに前頭骨の上面正中線にあたる部分に,雄雌とも1~2本生じ,一般に雄の角のほうが大きい。洞角horn coreはウシ科の動物に見られる角で,中空の角質の鞘(さや)(角鞘(かくしよう))と,頭骨につながる骨質の芯(角芯)からなり,前頭骨か頭頂骨に1対,まれに2対(ヨツヅノレイヨウ)生ずる。角鞘は,成長するにつれてその内側に新しい層が形成され,古い層は上方に押し上げられるが,抜け落ちない。…

【動物】より

…卵生で,巣をつくり,雛を育てる。哺乳綱は,カモノハシ,カンガルー,サル,ウシなど,約4500種よりなる。下あごは歯骨だけでできていて,上あごの鱗骨(りんこつ)と関節する。…

【屠殺】より

…食肉をとるために家畜を殺し肉とする一連の作業をいうが,遊牧民族をはじめとして屠殺には多くの文化的な事象の反映が見られる。儀礼的に屠殺法を定めている民族も少なくなく,たとえばアイヌの熊祭〈イオマンテ〉で主役をつとめる熊は,男の子の花矢によって倒され,決められた作法によって解体される。熊の魂を彼岸に送るには,それなりの儀礼的手続がなくてはならないのである。 一般に屠殺という行為は,自然界からの生命の略奪であり,放置しておけば再生・増殖する生命の奪取を意味する。…

【肉食】より

…鳥獣の肉を食することをいう。人類は雑食的な高等猿類の延長上にあって,単に植物食だけでなく動物食つまり肉食もするということは,あらためていうまでもない。肉食には動物の殺害が不可避であるが,他の動物を殺すことに,われわれと同じ生命の略奪を感じとるか否か,それは観念世界のあり方にかかわる。そこに人の殺害にも似た行為をみるとき,殺生あるいは肉食が,倫理的問題として浮上してくる。またそれとかかわって,肉食のための殺害法,解体法,そして調理法が,儀礼的作法として問題視される可能性をもつ。…

※「ウシ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

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