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プロレタリア文学 プロレタリアぶんがく

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

プロレタリア文学
プロレタリアぶんがく

おもに日本文学において,プロレタリアとしての階級的,政治的立場に立ち,社会主義ないし共産主義思想に基づいて現実を描く文学,およびその運動をいう。労働運動の高揚に伴い,1921年小牧近江らによって創刊された雑誌『種蒔く人』をもって組織的な出発とされるが,以後革命運動との関連において,マルクス主義的傾向を強く打出すようになり,『文芸戦線』や「プロレタリア文芸連盟」の文学運動として発展していった。

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デジタル大辞泉の解説

プロレタリア‐ぶんがく【プロレタリア文学】

プロレタリアートの階級的自覚と要求に基づき、その思想と感情を描き出した文学。日本では、大正10年(1921)の「種蒔(ま)く人」の創刊を出発とし、のち「文芸戦線」「戦旗」などにより、昭和9年(1934)弾圧で壊滅するまで続いた。

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百科事典マイペディアの解説

プロレタリア文学【プロレタリアぶんがく】

主として日本文学において,労働者階級の立場に立ち,社会主義思想に基づいて,現実を描こうとした文学をいう。労働運動の発達とともに1920年代小牧近江らの《種蒔く人》,《文芸戦線》の文学運動として現れ,昭和初期,労農芸術家連盟(労芸)とナップに分裂した後,1934年弾圧によって敗退し,転向文学があいついで書かれる事態を現出させた。
→関連項目青野季吉大宅壮一鹿地亘片上伸勝本清一郎蟹工船(文学)近代文学窪川鶴次郎傾向文学小林秀雄今東光佐多稲子市民文学白柳秀湖新興芸術派太陽太陽のない街日本浪曼派農民文学林房雄針生一郎平林初之輔文芸時代

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世界大百科事典 第2版の解説

プロレタリアぶんがく【プロレタリア文学】

プロレタリアートの階級的自覚の高まりとともに,その思想,感情,生活の表現を目ざした文学潮流。
[世界]
 ドイツの労働者詩人ウェールト,《インターナショナル》の作詞者ポティエEugène Pottier(1816‐87)らが源流と目される。20世紀初頭のロシア革命の中で,ブルジョア文学に対立するものとしてその概念が明確化され,1905年レーニンは《党の組織と党の文学》で,〈プロレタリアートと公然と結びついた文学〉の必要を強調した。

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大辞林 第三版の解説

プロレタリアぶんがく【プロレタリア文学】

ブルジョア文学に対して、労働者階級の自覚と要求、思想と感情に根ざした文学、および組織的運動としての社会主義的・共産主義的革命文学の総体をいう。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

プロレタリア文学
ぷろれたりあぶんがく

近代資本主義の内面的矛盾が生んだ、労働者階級の階級的自覚と要求に立脚した文学のこと。理論的には早く、マルクス、エンゲルスらによって論じられていたが、それが世界的同時性において多発化したのは、1917年ロシア革命の成功と、それに続くコミンテルンの結成(1919)以後である。[大久保典夫]

ロシア

まず、ロシアだが、革命がもたらしたもっとも重大な変化がプロレタリア文学の目覚ましい勃興(ぼっこう)だろう。概略すれば、「戦時共産期」(1917~21)、プロレタリア文化運動の中心機関になったのがプロレトクリト(プロレタリア文化協会)で、プロレタリア文学運動は、プロレトクリトの運動の一部として生まれた。プロレトクリトの目的は、プロレタリア階級の新精神文化を創造し、プロレタリアートをイデオロギーの領域においても指導階級たらしめることにあり、その階級文化の原則を集団主義と規定したが、この時期は革命的浪漫(ろうまん)詩と煽情(せんじょう)詩が主流で、人類最初のプロレタリア作家団体「クーズニツア」(鍛冶(かじ)屋)が組織される。続く「新経済政策期」(1921~29)は、ソビエト文学の復興期で、現実的・客観的なリアリズムが尊重され、国内戦を基本テーマにしたリベジンスキーの『一週間』やセラフィモービチの『鉄の流れ』などのプロレタリア小説が、個人の行為を透かしてその背後に集団の渾然(こんぜん)たる力を浮かび上がらせるのに成功する。そして1925年「全ロシア・プロレタリア作家協会」(略称ワップ)が成立。プロレタリア・イデオロギーと高度の芸術性の一致が要求され、「生きた人間」を描くことが主張される。この主張を裏づけた画期的作品として、ファデーエフの『壊滅』(1927)が現れ、個人の心理により多くの注意を集中している点が注目された。翌28年「第1回全連邦プロレタリア作家大会」が開催され、形骸(けいがい)化した「ワップ」を解消、各連邦ごとに独自の作家同盟を置き、その上に各同盟の統一機関「ブォアップ」をつくったが、全連邦の中心的勢力としてロシア・プロレタリア作家協会(ラップ)の活躍が目だつようになる。創作方法として心理主義的リアリズムを提唱した。
 しかし、「社会主義建設期」(1929以降)に入ると、「ラップ」の創作方法としての心理主義的リアリズムが批判され、プロレタリア文学運動の「ボリシェビキ」化が決議され、リアリズムとロマンチシズムの混合形態が現れる。続いて1934年、単一のソビエト作家同盟が成立し、社会主義的リアリズムをソビエト芸術文学の基本的方法と決めるに至る。そのもっとも早い現れがゴーリキーの『四十年』(1925~36、原題『クリム・サムギンの生涯』)で、以後、革命初期の国内戦を扱ったショーロホフの『静かなドン』(1928~40)や、農業集団化をテーマとした同じ作者の『開かれた処女地』(1932~60)、新世代のオストロフスキーの『鋼鉄は如何(いか)に鍛えられたか』(1932~34)などの大作が現れたが、作家同盟の官僚機構化と粛清の恐怖のもとで社会主義的リアリズムはドグマ化した。第二次世界大戦を経て、54年、スターリン批判(56年)を先取りしたエレンブルグの『雪どけ』が現れ、表題の「雪どけ」はソ連の自由化を表す世界的な普通名詞となる。しかし、58年のノーベル賞事件でのパステルナークの作家同盟除名に始まり、ソルジェニツィンの国外追放(74年)など、政治の介入はあとを断たず、国内の「ソビエト文学」と国外の「現代ロシア文学」が並存する状況が生まれたが、85年のゴルバチョフ政権による「グラスノスチ(情報公開)」とそれに続くソ連の崩壊は、プロレタリア文学そのものの存在基盤を消滅させたといえよう。[大久保典夫]

アメリカ

一方、アメリカは第一次世界大戦後の疲弊から縁遠く、一貫して未曽有(みぞう)の繁栄を享受したが、1929年のニューヨーク株式取引所の「暗黒の金曜日」に始まる大恐慌以後、「ラジカル」(急進派)ということばが知識人の同意語となる。30年代に入ると、社会問題が大きくクローズアップされ、プロレタリア文学が盛んとなり、左翼イデオロギーが一時文学の世界を支配するようになる。一例をあげれば、32年の大統領選挙戦に、アメリカ共産党はウィリアム・Z・フォースターを候補として出馬させたが、彼を支持し後援する文学者の組織がたちまちつくられた。これに署名した作家は意外に幅の広い顔ぶれで、シャーウッド・アンダーソンやドス・パソスから、コールドウェルや黒人のラングストン・ヒューズその他、エドモンド・ウィルソン、マルカム・カウリー、ケネス・バークら当時の中堅批評家まで入っていたという。アルフレッド・ケージンは、『祖国の土の上で』と題した現代アメリカ文学史で当時を回顧して、「1600万の人間が失業し、100万人がストライキをしている国では、社会主義政権以外に救いの道があろうとは思われず、当時の僕にとって、社会主義者たることは、道義的な責務と感ぜられていた」と述懐している。しかし、当時のアメリカの左翼内部のイデオロギー的抗争と紛糾はプロレタリア文学を不毛とし、むしろ政治闘争から多少とも離れたところで時代の問題を凝視していた作家たちに優れたものが多い。[大久保典夫]

イギリス

イギリスでは、アメリカに端を発した世界恐慌が深刻な影響を与え始めた1932年に、若い詩人たちによる詩華集『新署名』が出版され、翌年、詩のほかに散文をも加えた『新しい国』が、前者と同じくマイケル・ロバーツ編で出る。寄稿者は中産階級出身の若者たちだが、後者のほうがはるかに強く左翼的で、これらはイギリスに、新しい傾向をもつ若い一群の作家が登場したことを意味していよう。30年代には、デー・ルイス編の左翼的論文集『鎖につながれた精神――社会主義と文化革命』が出版されたし、また、36年にスペイン内乱が勃発(ぼっぱつ)すると、共和政府を援助する種々の行動をおこし、オーデン、スペンダー、マクニースたちもスペインに赴き、オーウェルは直接戦闘に参加し、若い作家たちの多くがその生命を反ファシズムのために捧(ささ)げた。オーデンは、4行ずつ26節からなる『スペイン』(1937)で、スペインを救うことによって歴史を創(つく)ろうとする人々の未来への希望を歌い、デー・ルイスは、人民戦線側のトロール漁船ナバラ号の勇敢な戦いをたたえた戦争叙事詩『ナバラ号』(1938)を書く。[大久保典夫]

フランス

フランスでは、日本にも大きな影響を与えた『地獄』の作者アンリ・バルビュスが、第一次世界大戦の体験を経てヒューマニストからさらにコミュニスムに帰依(きえ)し、『征服者』(1928)の行動的ニヒリスト、マルローが、スペイン戦争では共和派の飛行隊長として活躍しているのが目につく。第二次世界大戦が始まると、彼は正規軍の戦車隊に投じ、ドイツ軍の捕虜になるが脱出。のち、抵抗運動に参加してふたたび捕らえられるが、救出されてアルザス・ロレーヌ軍の旅団長に推され、ドゴール将軍と出会ったらしい。一方、アラゴン、エリュアール、ブルトンらは、1927年、政治革命とシュルレアリスムの主張する個人的・芸術的反抗との一致を求めて共産党に入党。ブルトンは、まもなく絶対的自由への希求から脱党するが、アラゴンは僚友エリュアールとともに、ファシズムの台頭と人民戦争時代を通してコミュニスムへの確信を強め、社会小説の連作『現実世界』(1934~44)や『レ・コミュニスト』(1949~51)を書いた。[大久保典夫]

日本

第一次世界大戦、ロシア革命後のヨーロッパの影響と国内の社会主義的、革命的な気運の高揚に伴って、急速に発展した階級的革命的文学をいう。宮嶋資夫(みやじますけお)の『坑夫』(1916)や宮地嘉六(かろく)の『放浪者富蔵(ほうろうしゃとみぞう)』(1920)、前田河広一郎(まえだこうひろいちろう)の『三等船客』(1921)などはプロレタリア文学の萌芽(ほうが)期を代表する作品である。大杉栄(さかえ)の『新しき世界の為(ため)の新しき芸術』(1917)はプロレタリア文学の方向をはっきり示し、先駆的な問題提起となった。
 プロレタリア文学の主張が時代を動かす大きな力となったのは、1921年(大正10)小牧近江(こまきおうみ)らによって『種蒔(ま)く人』が創刊され、社会主義的な知識人・文学者が結集して、労働者階級の解放運動と結び付いた運動が展開されるようになってからである。この時期は理論が実作に先行し、宮嶋資夫『労働文学の主張』、平林初之輔(はつのすけ)『第四階級の文学』『文芸運動と労働運動』、青野季吉(すえきち)『階級闘争と芸術運動』などが相次いで現れた。その後、関東大震災(1923)に際して大杉栄、平沢計七(けいしち)らが殺されたのをはじめとして、激しい弾圧によって社会主義運動は壊滅的打撃を受けた。『種蒔く人』も廃刊となり、プロレタリア文学は一時まったく沈滞したが、『文芸戦線』創刊(1924)を契機に新たな高揚期を迎えた。この時期の代表的作家は葉山嘉樹(よしき)で、『海に生くる人々』をはじめ『淫売婦(いんばいふ)』『セメント樽(だる)の中の手紙』などは新鮮な内容と文体で、既成文壇にも衝撃を与えた。このほか黒島伝治(でんじ)、里村欣三(きんぞう)、平林たい子、林房雄(ふさお)などが相次いで現れ、創作の面でも大きな成果をあげた。この間、1925年12月に日本プロレタリア文芸連盟(プロ連)が結成され、『文芸戦線』はその機関誌となった。プロ連は翌年12月に改組されて日本プロレタリア芸術連盟(プロ芸)となった。
 こうして、プロレタリア文学は組織的な文学運動として発展させられることになったが、それはまた、文学組織の分裂抗争の始まりでもあった。1927年(昭和2)プロ芸は分裂し、労農芸術家連盟(労芸)が成立、さらに労芸が分裂して前衛芸術連盟(前芸)が成立、プロ芸、労芸、前芸の三派鼎立(ていりつ)時代が出現した。しかし、28年3月、いわゆる三・一五の大弾圧の直後に、日本共産党を支持するプロ芸と前芸の合同が実現して、全日本無産者芸術連盟(ナップ)が結成され、機関誌『戦旗』を創刊した。その後ナップは全日本無産者芸術団体協議会に改組され、その構成団体の一つとして29年2月、日本プロレタリア作家同盟(ナルプ)が発足した。こうして、『文芸戦線』を機関誌とし、政治的には社会民主主義的な労農派を支持する、青野季吉、前田河広一郎、葉山嘉樹、金子洋文(ようぶん)、平林たい子、里村欣三らの文戦派と、ナップ派との対立時代が始まった。この時期、『戦旗』を機関誌とするナップは蔵原惟人(くらはらこれひと)が理論面で指導的役割を果たし、『一九二八年三月十五日』『蟹工船(かにこうせん)』の小林多喜二(たきじ)、『太陽のない街』の徳永直(すなお)をはじめ、中野重治(しげはる)、片岡鉄兵(てっぺい)、村山知義(ともよし)、藤森成吉(せいきち)、立野信之(たてののぶゆき)、橋本英吉(えいきち)など、続々と新しい作家が登場してプロレタリア文学の全盛期を迎え、既成文壇を圧倒する勢いを示した。
 しかし指導的メンバーが相次いで検挙され、機関誌もほとんど毎号発禁となるなど弾圧が激化し、1931年の満州事変以後はファッショ化、反動化の傾向が一段と強まった。これに対して蔵原惟人は『ナップ芸術家の任務』で共産主義芸術の確立を提唱し、ナップ芸術家の共産主義化を求めた。31年11月、ナップは日本プロレタリア文化連盟(コップ)に改組され、機関誌『プロレタリア文化』を創刊し、作家同盟の機関誌は『プロレタリア文学』となった。しかし、弾圧はいっそう激化し、指導的メンバーは根こそぎ検挙され、合法活動の可能性を奪われて、同盟員の動揺は強まった。小林多喜二、宮本顕治(けんじ)は地下に潜って運動を指導し、右翼的傾向の克服に努めたが、33年2月、小林が捕らえられて殺されるに及んで、動揺はいっそう強まり、その後、宮本も検挙されて、34年2月、作家同盟はついに解散した。その後、旧同盟員たちは、解散前後から刊行され始めた『文学評論』『文化集団』、さらには『文学界』などの同人雑誌によって、政治主義の呪縛(じゅばく)から解放された文学の創造を目ざし、「文芸復興」の旗を掲げたりしたが、結局、戦争の波に飲み込まれていった。戦後の民主主義文学運動は、この運動を受け継ぎ、発展させることを目ざしたものである。[伊豆利彦]
『岡沢秀虎著『ソヴェート文学概論』(1947・東京堂) ▽山田清三郎著『プロレタリア文学史』上下(1954・理論社) ▽鹿地亘著『自伝的な文学史』(1959・三一書房) ▽福原麟太郎・西川正身監修『英米文学史講座11 二十世紀』(1961・研究社出版) ▽『日本プロレタリア文学大系』全8巻(1969・三一書房) ▽平野謙著『文学運動の流れのなかから』(1969・筑摩書房) ▽佐伯彰一著『アメリカ文学史』(1969・筑摩書房) ▽栗原幸夫著『プロレタリア文学とその時代』(1971・平凡社) ▽鈴木力衛著『フランス文学史』(1971・明治書院) ▽小田切秀雄著『現代文学史 下』(1975・集英社) ▽大久保典夫著『物語現代文学史 1920年代』(1984・創林社) ▽『日本プロレタリア文学集』全41巻(1984~88・新日本出版社) ▽伊豆利彦他著『座談によるプロレタリア文学案内』(1990・新日本出版社) ▽湯地朝雄著『プロレタリア文学運動』(1991・晩声社)』

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