吉川(読み)キッカワ

デジタル大辞泉 「吉川」の意味・読み・例文・類語

きっかわ〔キツかは〕【吉川】

姓氏の一。
[補説]「吉川」姓の人物
吉川惟足きっかわこれたり
吉川広家きっかわひろいえ
吉川元春きっかわもとはる
吉川霊華きっかわれいか

よしかわ【吉川】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「吉川」姓の人物
吉川英治よしかわえいじ
吉川幸次郎よしかわこうじろう
吉川惟足よしかわこれたり

よしかわ【吉川】[地名]

埼玉県南東部の市。平成8年(1996)市制。近世は二郷半領とよばれた早場米の産地。近年は住宅地化が進む。人口6.5万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「吉川」の意味・読み・例文・類語

よしかわよしかは【吉川】

  1. 埼玉県南東部の地名。江戸川と中川に挟まれた地で、江戸時代には盛んに新田開発が行なわれた。現在はJR武蔵野線が通じ、住宅地化が進む。平成八年(一九九六)市制。

きっかわキッかは【吉川】

  1. 姓氏の一つ。

よしかわよしかは【吉川】

  1. 姓氏の一つ。

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日本歴史地名大系 「吉川」の解説

吉川
よしかわ

中世の史料に散見する地名で、遠賀おんが川支流犬鳴いぬなき川の上流域にあたる。文明一〇年(一四七八)一〇月一三日、大内政弘は配下の国人に知行を宛行った。うち黒瀬有真には「鞍手郡吉川内拾八石地田数三町七段、伊佐助太郎跡、同所拾七石余地田数三町五段、宮川四郎跡」などを、黒瀬吉清には「吉川内拾石地古曾河内左馬允跡四十石内、同所拾町地御手洗三郎跡」などを、吉賀貞綱には「吉川内四町地御手洗蔵人跡」などを、内海定光には「吉川千万弐拾石地宮川掃部助跡」などを、勝屋重為には「吉川拾石地田数弐町、伊佐助太郎跡内」などをそれぞれ与えている(いずれも大内政弘袖判下文「正任記」同年同月一八日条)。同年一一月一三日、政弘は同様に河津弘業に対し、「鞍手郡吉川参拾町原田主計允跡」を宛行っている(「大内政弘袖判下文写」河津伝記/宗像市史 史料編二)。永正八年(一五一一)一一月五日、大内義興は河津興光に旧領の「鞍手郡吉川参拾町之地」を与えている(「大内義興書下」同上)


吉川
よしかわ

[現在地名]南有馬町吉川

南有馬村の南東部、白木野しらきのの南に位置し、南東部は海に臨む。地内に有馬氏の家臣荒川小伝次の吉川城の跡がある。海岸部の東田原ひがしたばる共同墓地に無紋無銘台付樽型キリシタン墓碑二基があり、うち一基(県指定史跡)は長さ五八センチ、幅(最大)二九・五センチ、高さ一七・八センチ。宝永四年(一七〇七)検地と記す島原領内村明細帳および「島原大概様子書」では南有馬村内の六名の一つとして吉川名とある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉川」の意味・わかりやすい解説

吉川(新潟県)
よしかわ

新潟県南西部、中頸城郡(なかくびきぐん)にあった旧町名(吉川町(まち))。現在は、上越(じょうえつ)市の北東部を占める一地区。1955年(昭和30)吉川、源(みなもと)の2村と旭(あさひ)村の一部が合併して町制施行。2005年(平成17)、安塚(やすづか)町、柿崎(かきざき)町、大潟(おおがた)町、板倉(いたくら)町、名立(なだち)町、浦川原(うらがわら)村、大島(おおしま)村、牧(まき)村、頸城(くびき)村、中郷(なかごう)村、清里(きよさと)村、三和(さんわ)村とともに上越市に編入。吉川渓谷と吉川中流平野は頸北(けいほく)地方の穀倉地帯で、古くから頸城杜氏(とうじ)の本場として知られる。中心地区原之町(はらのまち)は頸北の買い物町をなす交通の要衝である。JR信越本線柿崎駅からバスの便がある。尾神(おがみ)岳は林道が開発され、キャンプ場、スキー場、パラグライダーハンググライダーの基地がある。

[山崎久雄]


吉川(兵庫県)
よかわ

兵庫県南東部、美嚢郡(みのうぐん)にあった旧町名(吉川町(ちょう))。現在は三木(みき)市の北東端を占める一地区。旧吉川町は1955年(昭和30)奥吉川、中吉川、北谷の3村が合併、町制施行して成立。2005年(平成17)三木市に編入。国道428号、中国自動車道が通じ、吉川インターチェンジがあり、吉川ジャンクションで舞鶴若狭(まいづるわかさ)自動車道と接続する。『播磨国風土記(はりまのくにふどき)』に「吉川の里」と記される地。地域の中央部を美嚢川が西流し、流域の肥沃(ひよく)な沖積地は灘(なだ)の酒造米山田錦(にしき)の県下一の産地である。京阪神に近く、施設園芸が盛んで、ピーマントマトは県の指定産地。東光寺本堂、天津神社(あまつじんじゃ)本殿、稲荷(いなり)神社本殿、歓喜院聖天堂はともに室町時代の建築で、国指定重要文化財。

[二木敏篤]


吉川(市)
よしかわ

埼玉県南東部、江戸川と中川に挟まれた市。1915年(大正4)町制施行。1955年(昭和30)旭(あさひ)、三輪野江(みわのえ)の2村と合併。1996年(平成8)市制施行。JR武蔵野(むさしの)線が通じ、吉川駅がある。常磐(じょうばん)自動車道が通る。中川(古利根(ふるとね)川)と江戸川とに挟まれた沖積低地で、中川べりの自然堤防帯を除くと低湿地が広がっている。江戸時代は二郷半領(にごうはんりょう)と称された穀倉地帯で、早場米(はやばまい)の産地として、また、古利根川の舟運を利用した商品米の集散地として発展した。近年はネギ、レタスを主体とした野菜の産地で、ハナショウブを特産する。武蔵野線開通後は東京近郊の住宅地として、都市化が進んでいる。面積31.66平方キロメートル、人口7万1979(2020)。

[中山正民]



吉川(高知県)
よしかわ

高知県中央部、香美郡(かみぐん)にあった旧村名(吉川村(むら))。現在は香南市(こうなんし)の南西部を占める地域。土佐湾に注ぐ物部(ものべ)川河口に位置する。旧吉川村は、1889年(明治22)以後行政区画の変更はなかったが、2006年(平成18)赤岡、香我美(かがみ)、野市(のいち)、夜須(やす)の4町と合併して市制施行、香南市となった。集落は物部川と香宗(こうそう)川間に発達した海岸砂丘上に立地し、後背湿地は水田化されている。砂丘上ではサツマイモが栽培される。かつてはイワシ地引網漁も行われていたが、沿岸漁業は不振で、かわってハウスでのウナギ養殖業が中心産業となっている。土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線が通じる。

[正木久仁]

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百科事典マイペディア 「吉川」の意味・わかりやすい解説

吉川[町]【よしかわ】

新潟県南西部,中頸城(なかくびき)郡の旧町。中心の原之町は高田平野北東部にあたり,溜池(ためいけ)農業が発達。豪雪地帯のため古くから越後杜氏(とうじ)として出稼(でかせぎ)する者が多い。天然ガスも産出。2005年1月東頸城郡安塚町,浦川原村,大島村,牧村,中頸城郡柿崎町,大潟町,板倉町,清里村,頸城村,中郷村,三和村,西頸城郡名立町と上越市へ編入。76.61km2。5556人(2003)。

吉川[市]【よしかわ】

埼玉県南東部の市。1996年4月北葛飾(きたかつしか)郡吉川町から市制。江戸川中川の間の沖積低地を占め,江戸時代初期からの早場米産地で,古利根川の自然堤防上にある主集落の吉川は,舟運による米の集散地であった。1960年代以降小規模工場が多く進出し,1973年武蔵野線が開通,公団団地が造成されてから住宅地化が著しい。31.66km2。6万5298人(2010)。

吉川[町]【よかわ】

兵庫県南東部,美嚢(みのう)郡の旧町。加古川の支流美嚢川上流域を占める。古くから良質の酒造米の産地での酒造地に送られる。トマト,ピーマン,ブドウの栽培も行われる。中国自動車道が通じ,舞鶴若狭自動車道が分岐する。2005年10月三木市へ編入。56.45km2。9349人(2003)。

吉川[町]【よしかわ】

埼玉県南東部の旧町。1996年4月市制し,吉川市となる。

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改訂新版 世界大百科事典 「吉川」の意味・わかりやすい解説

吉川[市] (よしかわ)

埼玉県南東部の市。人口6万5298(2010)。1996年市制。江戸川と古利根川(中川)にはさまれた低地を占め,東は江戸川を隔てて千葉県に接する。中心集落の吉川は古利根川東岸の自然堤防上に位置し,中世からの市場町で,江戸時代には舟運による米の集散地であった。低地は江戸時代初期に新田開発され,洪水を避けて早場米がつくられた。耕地の大半は水田であるが,近郊性を生かして,吉川ネギその他の野菜づくりが盛んである。1960年代末以降,東京東部から小工場が多数進出した。また73年に国鉄(現JR)武蔵野線が開通し,住宅・都市整備公団の吉川団地がつくられたのを契機に人口が急増し,東京方面への通勤者がふえている。
執筆者:


吉川 (よかわ)


吉川(新潟) (よしかわ)


吉川(高知) (よしかわ)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吉川」の意味・わかりやすい解説

吉川
よかわ

兵庫県南東部,三木市北東部の旧町域。加古川の支流美嚢川流域にある。 1955年奥吉川村,中吉川村,北谷村の3村が合体して町制。 2005年三木市に編入。台地,丘陵地が広く,長い歴史をもつ灘五郷の酒米の産地として知られる。 1974年中国縦貫自動車道のインターチェンジ設置により国道 428号線に連絡できるようになり,ゴルフ場ができた。西部の東光寺は行基ゆかりの名刹で,本堂は国の重要文化財に指定されている。国の重要文化財としてはこのほか,天津神社本殿,歓喜院聖天堂,稲荷神社本殿がある。

吉川
よしかわ

高知県東部,香南市西部の旧村域。物部川と香宗川の河口間に位置する。 1889年村制施行。 2006年赤岡町,香我美町,野市町,夜須町と合体して香南市となった。香長平野の沖積地にあり,米の二期作地帯として知られる。県下屈指の好漁場を有し,カタクチイワシの加工品やウナギを特産。

吉川
よしかわ

新潟県南西部,上越市北東部の旧町域。高田平野の北東部にある。 1955年吉川村,源村の2村と旭村の一部が合体して町制。 2005年上越市に編入。豪雪地帯として,また越後杜氏の出身地として知られる。米,山菜を産する。奈良時代開基の報恩寺には薬師如来懸仏がある。

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事典・日本の観光資源 「吉川」の解説

吉川

(広島県東広島市)
美しい日本のむら景観100選」指定の観光名所。

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