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紗(しゃ)、絽(ろ)、縠(こめ)などと同じ綟(もじ)り織(からみ織)物の一種で、「うすばた」「うすもの」などといわれる。中国では古く漢代から行われた織物で、日本には7世紀ごろまでにその技術が伝わっていたものと思われる。組織は非常に複雑で、紗が2本の経糸(たていと)のよじれを主としているのに対して、これは2本がその外側の2本とさらによじれて、つまり4本の経糸が互いによじれて、網目のような形をつくる。この網綟りが一つ置きに外れると、中の開いたいわゆる籠(かご)綟りの形ができる。これが無文の羅で、この籠綟りを地として組織の密な網綟りの部分で文様を織り出したのが文羅(もんら)である。文様は綟り組織による斜直線を用いるのがもっとも自然でつくりやすいので、菱(ひし)を主とした四つ菱、子持(こもち)菱、入子(いれこ)菱などが多いが、まれには花文唐草(かもんからくさ)などを用いたものもある。羅を織るには、組織が網目のように千鳥に絡んでいて筬(おさ)打ちが困難なので、古くはへらを用いて緯(よこ)を打ち込んだもののようである。『延喜式(えんぎしき)』(927)によれば、織幅2尺6寸(約78センチメートル)の羅を織るのに長功(日の長い4~7月)で1日に有文で1尺1寸(約33センチメートル)、無文で2尺(約60センチメートル)、短功は有文7寸(約21センチメートル)、無文1尺4寸(約42センチメートル)とある。
鎌倉から室町時代になると羅を織る技術はしだいに衰え、『実隆公記(さねたかこうき)』に、冠師が近来羅が織れなくなったといっている。江戸時代には先年発掘調査した2代将軍の冠に網目羅が用いられていたが、一般にはほとんど廃絶していたようである。
昭和の初め京都の喜多川平朗(へいろう)ほか2、3の人が上代羅の復原を試みている。羅の織技は現在国の重要無形文化財に指定されており、前記喜多川平朗のほか北村武資(たけし)(1935―2022)が技術保持者として認定された。
[山辺知行]
中国に始まった東洋の羅に対して、これとほとんど同じ組織のものが南アメリカ、ペルーのプレ・インカの織物のなかにあることは驚異に値する。ペルーの羅はすでに紀元前から一部に行われていたものとみられ、主として弾力のある強撚(きょうねん)の綿糸が用いられている。したがって絹糸による東洋の羅のような精細なものでもなく、織機は素朴な居座機(いざりばた)で、へらで経糸をすくってよじらせながら織っていくもので、これらは、もとよじり編物のスプラングに緯糸を通すことによって発生したものではないかと考えられる。
[山辺知行]
紗(しや)をさらに複雑化した綟(もじ)り織の一種。経糸4本を組織単位とし,地緯(じぬき)1越しごとに1本の経糸が左右の経糸と搦(から)みあって組織される薄い網目状の織物。宇須波多(うすはた),宇須毛乃(うすもの),阿幾豆志(あきつし)ともいう。籠目状の粗い組織と,網状の細かい組織とがあり,文様を織り出した紋羅は,この2種の組合せによってつくられる。羅は絹織物の盛んな中国に発達し,その影響下にある朝鮮,日本でも織製されたが,ヨーロッパはじめ他の諸国にはこの種の織物は認められない。ただし南アメリカのペルーのプレ・インカ時代の染織出土品中に,木綿による羅が発見されていることが特筆される。中国では先秦時代から羅が織製され,漢代以降には各種の紋羅の出土例があり,その隆盛が知られる。日本にこの技術が伝えられた時期は判然としないが,遺品の上では飛鳥時代の国宝《天寿国繡帳》(622。中宮寺)の刺繡の台裂に羅が用いられている。日本で羅の織製が本格化するのは,令制の織部司に〈正一人〉が〈錦綾紬羅を織ることおよび雑染のことを掌る〉,〈挑文師(あやとりし)四人〉が〈錦綾羅等の文を挑することを掌る〉と見える8世紀ころからと考えられる。正倉院伝世の染織品中には斜格子や菱格子,子持菱など各種の紋羅があり,纈(きようけち)や刺繡の地裂として使用されるほか,袈裟,半臂(はんぴ),帯,幡などに供せられている。しかし羅の織製が,中国では漢代以降,明・清代に至るまで一貫して続けられてきたのに対し,日本では平安時代以降中世を経るうちに衰微し,江戸時代にはわずかに無紋の羅が冠に供されるためにのみ織製されてきたにすぎない。紋羅の復興は昭和に入り,京都の喜多川平朗(きたがわへいろう)(1898-1988)による,上代羅の復元を契機に可能となったもので,これにより氏は1956年に重要無形文化財に指定された。
執筆者:小笠原 小枝
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…また中国周辺にとどまらず,旧ソ連邦オグラクティ,キルギス共和国ダラス郡ドーロのケンコル,シリアのパルミュラなどから発見された漢代の絹織物は,東西交渉史のうえにも貴重な足跡を残している。出土遺品から当代の絹織物の種類をみると,粗密・厚薄のさまざまな平絹,後世の綾の祖型ともいうべき平織地に浮糸で文様を織り出した単色の紋織物である綺,複雑な綟り(もじり)組織の羅,経糸に多色の彩糸を用いて文様を織り出した経錦,輪奈(わな)織に似た起毛錦,鎖繡を主体とした刺繡,さらに彩絵(描絵)や印花(摺絵)などの加飾技法も行われている。文様は前代からあった祭服の十二章(日,月,星辰,山,竜,華虫,作会,宗彝,藻,火,粉米,黼黻)をはじめ,さまざまな動物文,植物文,幾何学文が用いられているが,いずれも象徴的に図様化され,特に錦文や繡文には霊気を感じさせるような力強さがある。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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