中国で編纂された書物の一形式。自然界と人間社会のあらゆる領域にわたる事物や現象を既存の書物から抜粋し,いくつかの部類に区分して体系化した書物をいう。その呼称は,宋の欧陽修などが編纂した図書目録《崇文総目》や《新唐書》芸文志が,これらの書物に類書という分類を与えたのに起源し,《四庫全書総目》以降一般に定着した。一種の百科事典ではあるが,編纂者がみずから著述した書物ではない点で,現在の百科事典と根本的に異なるところがあり,資料彙編的性格が強いので,むしろ叢書に近いといえる。類書は,一度世に出た単行書を集成した叢書とともに,中国で特異な盛行をみたのであり,六朝時代から清代まで各時代にわたって編纂され,叢書の場合と同じく王朝の事業として当時の知識人を結集して作られたものも多い。数巻のものから1万巻に及ぶものまで,大小400種以上が編纂されている。こうした状況は,中国社会に,類書が編纂されるべき特別な理由とそれが果たした重要な役割があったため生じたもので,その影響は日本には及んだとはいえ,西欧と比較するとき,他国に類例をみない異質なものであった。文治を重んじる中国では,統治者がみずからの行動を律する規範としたものは,何よりもまず前代までに著述された経書,史書を中心とする書物であった。そのため,経書に明るく典故に通じることを士大夫(したいふ)(知識人)は常に求められた。この要請にこたえて作られたのが類書である。
類書は,いずれも事物や現象の事例を検索しやすいように配慮して作られるが,編者の違いによって若干その性格が異なる。その1は,皇帝あるいは王朝の事業として作られた類書で,その目的は,皇帝があらゆる知識を体得した最高の統治者としての資格をもつことを明らかにし,併せて文治がゆきとどいた王朝の威信を世に示すためにある。したがって類書は何よりもまず皇帝自身のために編纂され,皇帝が体得した知識の恩恵が皇族や官僚に及ぼされるのである。類書は魏の《皇覧》に始まるといわれるが,これも文帝の勅撰である。初期の類書には,このように国家の事業として作られたものが多く,これをもって一般に類書の典型とする。
ただ引用書を明記する形式が定まるのは南斉・梁のころで,《郡斎読書志》は類書の起源をこの時期まで下げている。梁の武帝が華林苑のアカデミーに徐勉ら700余人の学者を動員し,8年の歳月をかけて完成させた《華林遍略》720巻がその最初期のものである。《華林遍略》を基礎にして編纂されたのが北斉の《修文殿御覧》360巻,それをさらに3分の1の100巻に縮め詩文を加えたのが唐の《芸文類聚》,《修文殿御覧》を3倍にふくらませたのが宋初の《太平御覧》1000巻である。このうち六朝の2類書は逸文が存するのみであるが,現存する唐・宋の類書との比較研究によって,こうした系譜が明らかになった。この系統の類書はすべて皇帝の詔を受けて編まれ,天子がこれを読むことにより,天地自然から森羅万象すべてに通暁できるよう構成されていて,巻数が部類立てに至るまで《易経》の思想に基づく配慮がほどこされている。王朝の事業として作られた類書としては,このほか隋の《長洲玉鏡》,唐の《文思博要》《初学記》,宋の《冊府元亀》,明の《永楽大典》などがあり,最大の類書となったのが清の《古今図書集成》である。
こうした類書は日本にもいち早く将来されて,日本の学術文化に与えた影響は大きい。例えば亮阿闍梨兼意の《宝要抄》《香要抄》《薬種抄》《穀類抄》は,《修文殿御覧》から,栄西の《喫茶養生記》は《太平御覧》から孫引きすることによって編まれたのであり,《秘府略》も今日では逸書となった《文思博要》を藍本としていると考えられる。さらにいえば,《太平御覧》は,藤原道長が日課として読んだ書であったし,平清盛は《太平御覧》を独占的に輸入して,これを皇族や高僧に寄贈することによって影響力を強めたといわれる。また江戸時代には3度版を重ねた《太平御覧》をはじめ50種ほどの類書が復刻されている。このように中国の類書は日本でいかに珍重されたものであったかが理解できよう。
その2は,文人学者が編集した類書で,詩文作成のため,あるいは官僚としての実務や科挙の受験に役立てるために編纂された。日本に2巻が残存する六朝末の《琱玉集》,隋の《北堂書鈔》,唐の《翰苑》,《白孔六帖》として流布している唐の白居易の《白氏六帖事類集》と宋の孔伝の《六帖新書》,宋の《錦繡万谷花》《事類賦》は詩文作成のために作られた。わけても《事類賦》は清にいたって《広事類賦》《広広事類賦》《続広事類賦》と増補され継がれ,これらが《事類統編》として合刻されてのちも《増補事類統編》が作られたように,歴代とくに重んぜられた。このほか字書や韻書の形を借りた類書も明代以降多数編まれたが,これらを集大成したものが清朝の勅撰にかかる《駢字類編》と《佩文韻府(はいぶんいんぷ)》である。科挙受験のための類書で,最も古いものとして挙げねばならぬのは唐の《兎園策府》であり,宋代の《玉海》《古今源流試論》もこの類である。また《重広会史》のように,官僚が実務上必要とする事項が採録される類書が作られるのもこのころからで,事物の検索のためのものとしては,唐の《類林》,宋の《全芳備祖》,明の《唐類函》,清の《淵鑑類函》がよく知られている。
その3は,書店が広く販売する目的で学者に作らせた類書で,科挙の受験参考書が多いが,民間の日常的な需(もと)めから作られたものもある。この傾向は明の嘉靖年間(1522-66)から急速に強まる。これらのなかでは清の《格致鏡原》と《万宝全書》,絵入りの類書として知られる明の章漢の《図書編》,王圻(おうき)の《三才図会》の評価が高い。
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執筆者:勝村 哲也
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一般には同種類の書物をいうが、中国では内容を事項によって分類、編集した書物のことで、古来百科事典を類書の形式で発展させてきた。紀元前2世紀ごろ、秦(しん)末漢初に成立したといわれる『爾雅(じが)』は、各字を19編に分類して、単純な訓を与えた辞典と事典を兼ねたもので、類書の萌芽(ほうが)がみえる。3世紀になると、後漢(ごかん)の劉煕(りゅうき)が『釈名(しゃくみょう)』8巻を編したが、これは『爾雅』の形式を存しながら、類書の内容を備えたものであった。類書の形式を確立して、その典型といわれるのが唐の欧陽詢(おうようじゅん)ら編『芸文類聚(げいもんるいじゅう)』100巻である。分類は天、歳時、地、州、郡から瑞祥(ずいしょう)、災害まで45部とし、各部に事項名を配し、総説と古典の引用の詩文を掲げる。唐から宋(そう)にかけて多くの類書が編せられたが、これに拠(よ)っている。明(みん)初の『永楽大典』2万2877巻(1409)も、清(しん)初の『欽定(きんてい)古今図書集成』1万巻(1725)もその形式をとったものである。ことに後者は、形式が整備され内容豊富なために、現在もなお利用されている。
日本では中国の類書を用いたので、独自な類書は発展せず、突発的に優れた類書が出現した。831年(天長8)に滋野貞主(しげののさだぬし)は、宮廷秘庫の群籍を抄出して『秘府略』1000巻を編した。また、源順(みなもとのしたごう)編の『倭(和)名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう)』(十巻本と二十巻本がある)は承平年中(931~938)に辞典として編せられたが、名詞を分類別にしており、国書の類書でもある。江戸時代末に屋代弘賢(やしろひろかた)の編した『古今要覧稿(ここんようらんこう)』560巻(1821~1842)や明治時代の文部省計画による『古事類苑(こじるいえん)』1000巻(1896~1914)は、和書でこの形式をとったもの。寺島良安(りょうあん)編『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』100巻(1712序)は、中国に倣い、これを凌駕(りょうが)したもので、明治まで200年間にわたり実用に供せられた。以後、西洋の百科事典の形式に移った。
[彌吉光長]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…しかし,漢文らしい漢文を書くためには故事,出典を踏まえなければならず,文字どおり万巻の漢籍に通暁(つうぎよう)することは日本人にとって困難なことであった。そうした困難を緩和するものとして,〈類書〉とよばれる故事を集め分類した,いわば百科事典のごときものが利用された。古代においてもっとも利用されたものに《芸文類聚(げいもんるいじゆう)》《初学記》があり,また小学書(漢字辞典のようなもの)と類書の性格を備えた《玉篇(ぎよくへん)》があった。…
…このほか語源辞書の《名語記(みようごき)》10巻(経尊著。1275(建治1)成立),類書の《塵袋(ちりぶくろ)》11巻(文永~弘安期(1264‐88)ころ成立か),最古の五十音引き辞書として《温故知新書(おんこちしんしよ)》(大伴広公著,1484(文明16)成立),イロハ分類だけで意味分類のない《運歩色葉集》(1548(天文17)成立)などが現れたが,これらの中で《和玉篇》《下学集》《節用集》は最も広く行われ,江戸時代におよんだ。 和語の語釈の辞書としては,上覚の《和歌色葉》3巻(1198(建久9)成立か),順徳院の《八雲御抄(やくもみしよう)》6巻などがある。…
…以後は,知識がふえて内容が膨大になるのと数学的科学が自然科学の中心になったので,自然誌は百科事典にその役割をゆずった。 中国では3世紀に魏の文帝の命で繆襲(びゆうしゆう)らが《皇覧》(120巻,《隋書》経籍志による)を編纂したのをはじめとして,いわゆる〈類書〉が編纂されるようになった。著名なものとしては宋の李昉(りぼう)らが勅命で編纂した《太平御覧(たいへいぎよらん)》や王欽若(おうきんじやく)が編集した《冊府元亀(さつぷげんき)》,明の王圻(おうき)が親子2代で撰した《三才図会(さんさいずえ)》がある。…
…一つは,主に西洋で発達した,表音表記のアルファベット順などに配列するもので,日本の五十音順もこれに当たる。それに対して事項の属する分野ごとに,さまざまな分類法に従って配列されるものがあり,東洋ではこれを類書といった。最初の事典とされる大プリニウス(23ころ‐79)編の《博物誌》は,地理,人種,動物,植物,鉱物と分類されていた。…
…【佐藤 次高】
【中国】
中国の百科事典は辛亥革命を境として前後に分かれる。中華民国成立以前の百科事典は類書と呼ばれるものであって,今日の尺度からすれば厳密な意味での百科事典とはいえず,あくまでも中国的な百科事典であった。
[類書]
類書が西欧風の百科事典とどのような点で基本的に相違するか,それは編纂の側と利用の側の両面からみて初めて,百科事典としての類書の性格が明らかになるであろう。…
※「類書」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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