ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「アダムズ」の解説
アダムズ
Adams, John
[没]1826.7.4. マサチューセッツ,クインジー
アメリカ合衆国の政治家,法律家。第2代大統領(在任 1797~1801)。1755年ハーバード大学卒業。しばらく教鞭をとったのち法律を修め,1758年弁護士の資格を取得。1765年政界に入り,1770年ボストン虐殺事件の殺人の容疑者であるイギリス兵の弁護を引き受け,無罪とした。1771年マサチューセッツの下院議員に選出された。その後,マサチューセッツの代表の一人として植民地の独立を強く主張し,1776年にはアメリカ独立宣言起草委員会委員に任命された(→アメリカ独立戦争)。アメリカ独立後の困難な時期に外国との交渉に活躍。1785年アメリカ最初のロンドン駐在公使に任命された。1789~97年初代大統領ジョージ・ワシントンのもとで副大統領を務めた。1796年の大統領選挙で,トマス・ジェファーソンを破って当選。大統領就任時,外交面では対フランス関係の悪化,国内ではリパブリカンズ(共和派)の副大統領ジェファーソン支持派と,連邦派の指導者アレクサンダー・ハミルトンを支持する閣僚に囲まれ,困難な状態にあった。アダムズ自身フランスと対立する立場をとっていたが,ヨーロッパの紛争には巻き込まれないという外交政策を基本に,かろうじてフランスとの中立を守り通した。そのためハミルトンと意見が合わず,アダムズの平和政策は屈従であると党内から批判され孤立した。結局党をまとめることができず,国内政策では無理をし,外人法および治安法の制定,軍備のための課税などで不評を買った。1800年の大統領選挙でジェファーソンに敗れ,政治生命を絶たれた。
アダムズ
Adams, Hannah
[没]1831.12.15. マサチューセッツ, ブルックリン
アメリカ合衆国の宗教史編纂家。アメリカ最初の職業的女性文筆家といわれる。父は商才のない気難しい愛書家だったため,一家は貧しい暮らしを送った。父の資質を受け継いで,書物好きで並はずれた記憶力を有した。学校教育は受けなかったが,自宅に寄宿する神学生らが家庭教師を引き受けた。学生の一人にトーマス・ブロートン牧師の著書『全ての宗教の歴史辞典』Historical Dictionary of All Religionsを薦められたのを機にさまざまな宗教書を読みあさり,1784年に『キリスト紀元の始まりから今日までの教諸宗派の ABC順による解説』An Alphabetical Compendium of the Various Sects Which Have Appeared from the Beginning of the Christian Era to the Present Dayを上梓した。同書が好評を博し,文筆でなりわいを立てることを決意し,『ニューイングランド史大要』A Summary History of New-England(1799)を著した。そのほかの著書に,『キリスト教の真実ならびに卓越性提要』The Truth and Excellence of the Christian Religion Exhibited(1804),『ユダヤ人の歴史』History of the Jews(1812),死後に出版された『回想録』A Memoir of Miss Hannah Adams, Written by Herself(1832)などがある。
アダムズ
Adams, John Quincy
[没]1848.2.23. ワシントンD.C.
アメリカの政治家。第6代大統領 (在任 1825~29) 。第2代大統領 J.アダムズの長男。 1787年ハーバード大学を卒業。 90年法曹界に入る。連邦派政権下,オランダおよびプロシア公使を歴任。連邦上院議員 (1803~07) として活躍後ハーバード大学の修辞学教授,ロシア公使 (09~14) ,1812戦争に終結をもたらしたヘント (ガン) 条約アメリカ側代表 (14) ,イギリス駐在公使 (15~17) ,J.モンロー政権の国務長官 (17~25) をつとめる。国務長官在任中,フロリダ獲得 (19) ,モンロー宣言作成 (23) に関与。 1824年大統領に当選。大統領として国内交通路の建設に熱意を示したが,憲法厳格解釈主義者たちや南部奴隷諸州の反対にあい,成果をあげえなかった。 28年の大統領選挙では A.ジャクソンに敗北。 31年から没するまでの 17年間,連邦下院議員。その間,奴隷制とその拡大に強硬に反対し続けた。
アダムズ
Adams, Henry Brooks
[没]1918.3.27. アメリカ,ワシントンD.C.
アメリカの歴史家,作家。2人の大統領を出した名門の出身。母校のハーバード大学で中世史とアメリカ史を講じ (1870~77) ,教職辞任後は文筆活動に専念。妻の自殺にも屈せず,アメリカ史の完成に努力した。主著『ジェファーソンとマジソン統治下の合衆国史』 History of the United States during the Administrations of Jefferson and Madison (9巻,89~91) ,ヨーロッパ中世の研究『モン=サン=ミシェルとシャルトル』 Mont-Saint-Michel and Chartres (1904) ,小説『民主主義』 Democracy (1880) ,『エスター』 Esther (84) 。特に自叙伝『ヘンリー・アダムズの教育』 The Education of Henry Adams (1906) は,20世紀文明に対する懐疑と絶望の書として有名。
アダムズ
Adams, Frank Dawson
[没]1942.12.26. モントリオール
カナダの地質学者。アメリカ合衆国のニューイングランドの名門の家系に生まれ,マギル大学を優等で卒業後,エール大学,ハイデルベルク大学で化学,鉱物学を修める。1890年マギル大学講師となり,1893年地質学教授。ロンドン・ロイヤル・ソサエティ会員,アメリカ地質学会会員(1918会長),カナダ・ロイヤル・ソサエティ会員(1913会長),ロンドン地質学協会会員に選出されたほか,1906年ライエル・メダルなど数々の賞を受賞。1880年に編成されたカナダ地質学探検隊に加わり,研究活動を開始。岩石変形時の圧縮率,内部摩擦などの精密測定を用いた変成作用の研究に優れ,特に先カンブリア時代の結晶質岩石の研究は名高い。主著『地質科学の誕生と発展』The birth and development of the geological sciences (1938) 。
アダムズ
Adams, Ansel
[没]1984.4.22. カリフォルニア,カーメル
アメリカの風景写真家。少年時代音楽を志したが,写真師の伯父について風景を撮り始め,1927年印象派のタッチを模倣した作品集を出して注目される。 1930年に A.スティーグリッツのストレート・フォトグラフィと称する鮮明な映像の影響を受け,1932年 E.ウェストンや P.ストランドの「F64グループ」に属し,大型カメラを使用するようになった。また,写真史上まれにみる技術家としても知られ,1935年『写真作法』 Making a Photographを出版。 1941年に国務省の写真壁画を制作。また 1946年カリフォルニア美術学校を設立し,本格的な写真教育を始めた。主要作品集『これがアメリカの大地だ』 (1960) 。
アダムズ
Addams, Jane
[没]1935.5.21. シカゴ
アメリカの社会改革運動家,ハル・ハウスの創立者。ロックフォード大学卒業。ヨーロッパに渡り (1883~85,87~88) ,イギリスで産業革命の結果生じた社会問題に取組んでいたトインビー・ハウスを訪問し (84) ,感銘を受けて帰国。 1889年シカゴにハル・ハウスを創立し都市の社会問題の研究に尽力した。 1915~34年平和と自由のための婦人国際連盟議長として,最悪の社会悪である戦争に反対し,31年ノーベル平和賞を受賞。主著に『ハル・ハウスの 20年』 Twenty Years at Hull-House (1910) ,『ハル・ハウスのその後 20年』 The Second Twenty Years at Hull-House (30) などがある。
アダムズ
Adams, Samuel Hopkins
[没]1958.11.15. アメリカ,サウスカロライナ,ビューフォート
アメリカの小説家,ジャーナリスト。 1891年にハミルトン・カレッジを卒業。 1901~05年に『マックルールズ・マガジン』にかかわり,以後社会悪暴露のいわゆるマックレーカーズの1人として雑誌などに告発文を発表した。また小説のいくつかは映画やミュージカルの題材となり,34年 F.キャプラ監督により映画化された『或る夜の出来事』 It Happened One Nightがアカデミー賞主要部門を独占した。主著『運河都市』 Canal Town (1944) 。
アダムズ
Adams, John Couch
[没]1892.1.21. ケンブリッジ
イギリスの天文学者,数学者。セントアンドルーズ大学教授 (1858) ,ケンブリッジ大学教授 (59) を経てケンブリッジ大学天文台台長 (61~92) 。 1841年ケンブリッジ大学の学生のとき天王星の運動の不規則性に注目,U.ルベリエとは独立に海王星の存在を予言。その正確な位置を予測してケンブリッジ大学天文台に観測を要請した (45) が,海王星の発見は,ルベリエの要請に基づいて 46年9月ベルリン王立天文台でなされた。月の運動理論,しし座流星群の軌道研究,地磁気の研究なども名高い。
アダムズ
Adams, William
[没]元和6(1620).4.24. 平戸
日本に来た最初のイギリス人。日本名三浦按針。イギリスで造船,航海術を学び,スペイン艦隊との海戦に参加。のち 1598年ロッテルダムからオランダ東洋探検船隊に水先案内人として参加,太平洋上で漂流,慶長5 (1600) 年3月 16日,『リーフデ』号で豊後佐志生 (さしう) に漂着。徳川家康に仕え,江戸日本橋按針町に屋敷を,相模の逸見に 250石の領地を与えられ,外交顧問として重く用いられるかたわら,オランダ,イギリスの平戸商館設置に尽力,朱印船貿易家としても活躍した。
アダムズ
Adams, Charles Follen
[没]1918.3.8. マサチューセッツ,ロックスベリー
アメリカ合衆国の詩人。方言を用いてユーモラスな詩を書いた。南北戦争に従軍して負傷,捕虜となった。1872年から雑誌や新聞に,ペンシルバニア・ダッチと呼ばれるドイツ語方言で,ユーモラスな詩を書き始めた。作品に,"Leedle Yawcob Strauss, and Other Poems"(1877),"Dialect Ballads"(1888),挿絵つき詩集 "Yawcob Strauss, and Other Poems"(1910)。
アダムズ
Adams, Samuel
[没]1803.10.2. ボストン
アメリカ独立革命期の愛国派の急進的指導者。独立宣言署名者の一人。 1765年印紙税法に対する民衆の反対運動を組織し,以後「自由の息子たち」を中心にマサチューセッツ湾植民地の特権的支配層に対する政治闘争をも指導。 67年のタウンゼンド諸法に対して,翌年「マサチューセッツ回状」を起草。 72年ボストン通信連絡委員会の創設に努力し,翌 73年ボストン茶会事件で指導的役割を演じた。第2回大陸会議への代表に選ばれ,のち 94~97年マサチューセッツ州知事となった。
アダムズ
Adams, Walter Sydney
[没]1956.5.11. カリフォルニア,パサディナ
アメリカの天文学者。宣教師の子。8歳でアメリカに渡り,ダートマス大学,シカゴ大学で天文学を専攻。のちドイツに留学,ミュンヘン大学に学ぶ。ウィルソン山天文台に入り (1904) ,のち台長 (23~46) 。天体分光学の研究に従事。シリウス伴星のスペクトル線偏移の確認,太陽黒点の分光分析,恒星の距離と速度の決定,惑星大気の研究などが知られる。またパロマ天文台の 200インチ (約 508cm) 反射望遠鏡建設に尽力した。
アダムズ
Adams, Roger
[没]1971.7.6. イリノイ,シャンペーン
アメリカの有機化学者。ハーバード大学卒業後,チューリヒ,ベルリン両大学,カイザー・ウィルヘルム研究所に留学。ハーバード大学講師 (1913) 。イリノイ大学教授 (19) 。強力な酸化白金触媒 (→アダムズ触媒 ) の製法を発見。多くの天然物質の化学的組成の研究,立体化学の研究でも知られている。第2次世界大戦中は政府の科学顧問をつとめ,占領軍総司令部科学顧問団団長として 1947年に来日したこともある。
アダムズ
Addams, Charles (Samuel)
[没]1988.9.29. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカの漫画家。雑誌『ニューヨーカー』掲載の恐怖漫画で知られ,その第一人者とされる。 1937年のある夜,白紙に古城を描き,そこにふさわしい住人として幽霊を思いつき,これがのちにテレビ化された「アダムズ・ファミリー」誕生のきっかけとなった。主要作品『アダムズと悪魔』 (1947) 『チャールズ・アダムズのマザーグース』 (1967) 。
アダムズ
Adams
アダムズ
Adams, William Taylor
[没]1897.3.27. ボストン
アメリカの児童文学者。筆名 Oliver Optic。ボート・クラブ・シリーズ (1854) ,陸海軍シリーズ (61~67) など,主として連作から成る 100編以上の作品があり,児童向きの雑誌も編集した。
アダムズ
Adams, Charles Francis
[没]1886.11.21. ボストン
アメリカの外交官。第6代大統領 J.Q.アダムズの子。弁護士。 1840年ホイッグ党員として州下院議員。 58年共和党の連邦下院議員。 61年南北戦争時にイギリス駐在大使となり,アメリカの権益の代表として活躍した。
アダムズ
Adams, Abigail
[没]1818.10.28. マサチューセッツ,クィンシー
アメリカ第2代大統領 J.アダムズの夫人。賢夫人として知られ,独立革命期から 19世紀初めにかけて女性の権利など,諸問題について言及した手紙を多く残した。
アダムズ
Adams, Maude
[没]1953.7.17. ニューヨーク,タンナーズビル
アメリカの女優。子役として『アンクル・トムの小屋』などで活躍。その後『ロミオとジュリエット』や『ピーター・パン』ですぐれた演技を見せ,1934年引退した。
アダムズ
Adams, Herbert Baxter
[没]1901.7.30.
アメリカの歴史家。ジョンズ・ホプキンズ大学教授。弟子に第 28代大統領 W.ウィルソンや歴史家 F.ターナーらがいる。アメリカ歴史協会の創設に活躍。
アダムズ
Adams, Sarah
[没]1848
イギリスの女流詩人。賛美歌の作者として知られ,特に『主よみもとに近づかん』 Nearer,my God,to Thee (1840) は有名。ほかに劇詩『永遠のビビア』 Vivia Perpetua (41) など。
アダムズ
Adams, Charles Kendall
[没]1902.7.26. カリフォルニア,レッドランズ
アメリカの歴史家。コーネル,ウィスコンシン両大学の学長。ヨーロッパのセミナー方式をアメリカに紹介した。
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