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ギリシア文学 ギリシアぶんがくGreek literature

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ギリシア文学
ギリシアぶんがく
Greek literature

ギリシアの本土および島嶼部,古代マグナ・グレキア小アジアの人々によってギリシア語で書かれた文学作品の総称。ギリシア文学の歴史は古代 (4世紀まで) ,ビザンチン時代 (330~1453) ,近代 (1453以後) に分けられるが,世界文学史上に圧倒的な重要性をもつのは古代の作品である。

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世界大百科事典 第2版の解説

ギリシアぶんがく【ギリシア文学】


ギリシア文学とギリシア語〕
インド・ヨーロッパ語族の一派に属するギリシア語は,前12世紀のミュケナイ時代の末期の粘土板文書に姿を現してから,古典古代(前8~後5世紀),ビザンティン帝国(1453崩壊),現代ギリシアの独立(1829)を経て今日に至るまで,東地中海諸地域における共通言語の一つとして3000年以上の長きにわたる生命を保ちつつ,日常言語としてはもとより,文学作品,公式記録,外交文書の言語としてきわめて重要な位置を占めてきた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ギリシア文学
ぎりしあぶんがく

古代ギリシア文学はホメロス(前8世紀)に始まり、前古典期(前8~前6世紀)、古典期(前5~前4世紀)、ヘレニズム時代(前3~後1世紀)を経てローマ帝政後期の5世紀までの間にギリシア語で書かれた文学作品をさすのが通例である。
 ギリシア民族がバルカン半島に入ったのは、紀元前二千年紀初頭とされるが、定住後、先住民やオリエント諸国、ことにクレタ島のミノア文明の影響を強く受けて、独自の文明を形成した。これがミケーネ文明で、前1400~前1200年にもっとも栄えた。この時代に使用されたいわゆる線状文字Bが20世紀中ごろに解読されて、ギリシア語を写していることが判明した。これによりギリシア語の歴史は400年ほどもさかのぼることになったが、粘土板に記されたこれらの文書は、内容が行政事務用のメモに類するものばかりで、文学とはかかわりがない。したがって、ギリシア文学の歴史がホメロスに始まるという定説は今日でも動かない。なお、ビザンティン帝国の崩壊(1453)から現代に至るギリシア文学については別項「近代ギリシア文学」を参照。[松平千秋]

ギリシア文学の特質


 ギリシア人は前10世紀ごろから、政治的、経済的理由で各地に植民を図ったが、ことに歴史時代に入る前8世紀以降は、植民活動は活発を極め、東は小アジアの沿岸一帯、西はイタリア半島およびシチリア、南フランスからスペインに及び、北は黒海沿岸、南はアフリカ北岸に至る広大な地域にギリシア都市を建設した。その結果、ギリシア各地に、様式、言語(方言)、韻律を異にする、それぞれ独自の文学が生まれ、ギリシア文学は他の文学には類をみない多様性を示すことになった。ただし、古典期にはアテナイ(アテネ)、ヘレニズム時代にはエジプトのアレクサンドリアと、それぞれ都市が文芸の中心地となったため、地方色を反映した文学は影が薄れていった。
 叙事詩、叙情詩、演劇、散文など文学形式のすべてがギリシア文学に発している。小説のみは近代文学の創造であるといわれるが、ローマ帝政期に流行した恋愛物語、いわゆる「ギリシア小説」は、近代小説とは趣(おもむき)を異にするとはいえ、まったく無縁ではない。古典文学においては、文学の概念を近代よりも広く解釈しており、哲学、歴史、弁論、さらには自然科学の分野にも及ぶことが少なくない。ヘロドトス、ヒポクラテス、プラトン、デモステネスらが文学史に登場するのは、彼らの作品が散文学の代表と目されるからである。[松平千秋]

ギリシア文学の歩み


叙事詩
ギリシア文学が、ホメロス作と伝えられる『イリアス』『オデュッセイア』の二大叙事詩に始まるという定説は、唐突と受け取られるかもしれない。稚拙な揺籃(ようらん)期から成熟への過程を省略して、いきなり完成度の高い作品を掲げているからである。しかしギリシアの叙事詩がホメロス以前数百年もさかのぼる長い伝統を担っており、ホメロスはその最終的結実であることは疑いない。ホメロスの天才によって理想的完成度に達した二大作品の出現により、前代、同時代、および後代の群小作品は色あせ、やがて忘れ去られた。ホメロス作と伝えられる作品はほかにもいくつかあったが、いずれもホメロスより後代の作。『ホメロス讃歌(さんか)』と称する、わが国の祝詞(のりと)に似た趣の小叙事詩30編余、英雄叙事詩のパロディー『蛙鼠(けいそ)合戦』などである。また「叙事詩(キュクロス)の環」と称する一連の叙事詩も多くつくられた。トロイア(トロイ)伝説をはじめ、テバイ(テーベ)伝説、ヘラクレス伝説など巨大な伝説圏を、それぞれいくつかの独立した叙事詩で完結するように構想されたもので、わずかな断片以外伝わっていない。
 ホメロス流の英雄叙事詩はイオニアで成立したが、ギリシア本土ではボイオティアを中心として、やや趣を異にする叙事詩の一派が栄えた。イオニア派に対して本土派またはボイオティア派といわれ、その代表的詩人がヘシオドス(前8世紀末)である。イオニア派は華やかで娯楽的性格が強いが、本土の叙事詩はむしろ実用的、倫理的色彩が濃い。ヘシオドス作『仕事と日々』は、放埒(ほうらつ)な弟を戒め農事を教える目的で書かれた一種の農事暦。『神統記』は、神々の系譜を述べつつ人倫の道を説き、ホメロスと並んでのちのちまでギリシア人の宗教観、倫理思想に影響を与えた。
 前7世紀以後はしだいに衰えるが、ヘレニズム時代のアレクサンドリアでは、カリマコス、アポロニオスの2大家によって叙事詩の再興が行われる。カリマコスは小叙事詩に新工夫を凝らし、アポロニオスは『アルゴ船物語』4巻の長大な作品を著した。いずれもローマ時代の作家に与えた影響は大きい。ローマ帝政期に入り、4~5世紀のころクイントゥス・スミルナイウスが『ホメロス後日談』14巻を、ムサイオスが『ヘロとレアンドロス』を、エジプト生まれのノンノスが『ディオニソス物語』48巻を著した。いずれも後世まで広く愛読され、近世の文学にも影響を与えた。[松平千秋]
叙情詩
古代ギリシアには今日の叙情詩に相当する用語はなく、イアンボス、エレゲイア、独唱詩、合唱歌などと、それぞれの詩形や様式によってよばれていた。したがってここに叙情詩というのは、詩人が韻律によって自己の感懐を述べた作品というほどの意味で、多くの場合、竪笛(たてぶえ)または竪琴の伴奏を伴うものをいう。
 エレゲイアとイアンボスはともにイオニアにおこった。エレゲイアは叙事詩形を若干変形した2行1連からなり、イアンボスは短長の韻脚を6脚含む1行単位の詩形である。両者はほぼ並行して発達し、アルキロコス、ソロンのように両詩形を用いた詩人も少なくない。エレゲイアはその詩形から推測されるように、荘重厳粛な内容のものが多く、軍歌、恋愛歌、哀悼歌、さらに政治思想、人生観を述べたものなど、その主題は多岐にわたった。その代表的作家としてアルキロコス、カリノス、チュルタイオス、ミムネルモス、やや下ってソロン、さらに遅れて教訓詩の作家として名高いテオグニスがいる。なお、前6世紀の哲学者クセノファネスも、エレゲイアやイアンボスの詩形で優れた作品を書いた。イアンボスの韻律は日常の話しことばに近いといわれるように、その内容もエレゲイアに比べはるかに砕けたもので、個人攻撃、または鬱屈(うっくつ)した世間への不満を風刺、罵倒(ばとう)で発散している。アルキロコスはその代表的詩人で、陋巷(ろうこう)にあって無頼の生涯を送ったヒッポナクスや、人生の悲哀を歌い、女のタイプを動物その他に見立てた風刺詩を残したセモニデスは彼の後継者である。
 今日の叙情詩にもっとも近いのは、アイオリスとイオニアにおこった、いわゆる独唱詩である。多くは4行を単位とするスタンザ(連)形式のもので、竪琴で弾き語りしたものらしい。アイオリスでは、レスボス島のアルカイオスとサッフォー、イオニアではアナクレオンがその代表的詩人。いずれも自国の方言を用い、身辺の事物についての感懐をすなおに歌い上げている。アルカイオスとサッフォーとは同国人で、同時代人である。アルカイオスは政争に明け暮れる日々を激越な調子で歌い、サッフォーは同性の愛人たちへの思慕を綿々とつづる。アナクレオンは独裁者たちの宮廷に抱えられ、酒や女を歌い、軽快で享楽的な作品が多い。
 古典期以後は優れた詩人は現れず、アレクサンドリアでピレタスやカリマコスらが叙情的作品を試みたほか、テオクリトスの創始した「牧歌」(パストラル)もきわめて叙情性の高い詩形式である。テオクリトスの後継者としてはモスコスとビオンがあげられる。『ギリシア詞華集』に名を連ねるメレアグロス、アスクレピアデスらもヘレニズム時代の優れた詩人である。
 合唱歌はおそらく、今日の叙情詩の概念にはもっとも遠いジャンルである。元来、祭礼や祝典の歌舞隊のためにつくられたもので、おのずから公的な性格が強かった。ドリス系の各地、とくにスパルタで栄えたことは、『乙女歌』で名高いアルクマン(前7世紀)がスパルタで活躍したことでも知られる。シチリア出身のステシコロス(前7~前6世紀)が創始したという三部形式(正歌、反歌、添歌)が合唱歌の最終的パターンであり、これは悲劇の合唱歌にも取り入れられた。前6~前5世紀にシモニデス、ピンダロス、バキリデスの3大家が現れて、合唱歌は最盛期を迎える。彼らの名を高からしめたのは、王侯貴族の依頼により制作した、オリンピアなどの競技優勝者をたたえる祝勝歌で、ピンダロス作の『祝勝歌』4巻がほとんど完全な形で伝存している。シモニデスとバキリデスは叔父・甥(おい)の関係にあり、イオニア系の詩人で、言語、文体も平明で軽快感がある。ピンダロスはドリス特有の荘重厳粛な格調で、きわめて難解である。乙女歌や祝勝歌のほかに、ディオニソス崇拝と関連のあるディテュランボスという合唱歌形式も一時流行し、ピンダロス、バキリデスにもこの種の作品がある。前5~前4世紀にかけてもっとも人気の高かったディテュランボス作家はティモテオスである。なおシモニデスは墓碑銘詩の作家としても名高く、偽作を含む多数の銘詩が伝えられている。[松平千秋]
演劇
演劇に関しては、悲劇も喜劇もともにアッティカ(中心地アテネ)の独占といってよい。演劇の稚拙な段階はアッティカ以外の各地にみられるが、これを完成の域に導いたのはアテネの劇作家たちである。その起源については古来諸説があるが、悲劇、喜劇ともに合唱隊(コロス)を伴っているところから、合唱歌から発したとみるのが妥当であろう。前6世紀中期、悲劇作家テスピスがいちおう演劇の体裁を整え、同世紀後半からディオニソスの祭典においてその競演が公的行事として行われた。前5世紀に入るとともに、アイスキロスによって飛躍的発展を遂げ、ついでソフォクレス、エウリピデスの出現によって、アテナイ劇壇は空前の盛況を呈した。前406年にエウリピデス、ソフォクレスが相次いで世を去ったあとは、アテナイの衰退と呼応するように、悲劇も急速に衰え、かつ変貌(へんぼう)した。
 喜劇が悲劇と並んでディオニソスの祭典に競演を認められたのはかなり遅く、前5世紀に入ってからで、現存する完全な作品はアリストファネス作の11編のみである。ほぼ同時代に活躍したクラティノス、エウポリスらの作品は断片しか伝わらない。本来、時事万般の批判風刺をたてまえとした喜劇は、前5世紀末の敗戦を機に、急速に活力を失い変貌する。前5世紀の初期段階を古喜劇、以下、中期喜劇、新喜劇とよぶ習わしである。新喜劇はメナンドロス、ディピロス、ピレモンらが代表的作家で、完全な作品としてはメナンドロスの1編だけで、ほかはすべて断片である。しかしローマ喜劇はほとんどが中期・新喜劇の翻案なので、それらの作品を通して、ある程度まで原作を復原できる場合もある。多くは日常市民生活に取材したメロドラマで、登場人物のタイプも千編一律、筋の運びも同じパターンの繰り返しである。
 アッティカ以外では、シチリアのドリス方言地域で別種の喜劇が行われ、エピカルモス(前6~前5世紀)がその代表的作家である。またヘレニズム時代に流行したミモス(擬曲)という特殊なジャンルもある。前3世紀のソフロンやヘロンダスらの作家が知られるが、これは一種の寸劇で、多くは有閑階級の家庭の日常の一こまを対話の形で写す。19世紀末に発見されたヘロンダスのミモス数編によってその特質が知られるが、これは上演用というよりも朗読用の脚本であったらしい。[松平千秋]
散文
散文の発達はかなり遅れ、ようやく前6世紀ごろから散文作品が姿を現す。散文が韻文と一線を画して、詩歌と異なる分野のメディアとして常用される以前は、叙事詩やエレゲイア、場合によってはイアンボスの詩形がそのかわりの役を果たしていた。ソクラテス以前の初期の哲学者たち――エンペドクレス、パルメニデス、クセノファネスらがその哲理を説くとき、ソロンが己の政治的信念を吐露するときなども韻文を用いているのは、散文がなお未発達の状態にあったからである。散文も叙事詩と同じく、まずイオニアにおこった。イオニア方言を用いる初期の散文の分野は多岐にわたっている。歴史の父と称されるヘロドトスの『歴史』9巻、古代医学の祖ヒポクラテスの名で伝わる膨大な医学論集はその代表的作品。哲学者デモクリトスも、その作品はほとんど失われたが、イオニア散文でその哲学思想を叙述した。イオニア散文の語彙(ごい)、措辞(そじ)には叙事詩の影響が強く残っており、文体は概して単純素朴である。
 イオニア散文の伝統を継ぎながら、さらに磨き上げて精巧な芸術的散文を完成したのはアテナイの文章家たちである。民主政治下の社会で頭角を現すには、政界および法曹界において、雄弁技術の修得が最上の策とされた。ソフィストたちの活動と相まって、ここに雄弁術、修辞学が目覚ましく発達し、その影響下にアッティカ独特の散文が生まれた。歴史ではトゥキディデス、クセノフォン、弁論ではアンティフォン、リシアス、イソクラテス、デモステネスらが前5世紀から前4世紀にかけて輩出した。哲学の分野ではソクラテス門下のプラトンが傑出し、その著『対話篇(へん)』は散文による劇的対話としてみごとな文学作品といってよい。アリストテレスは、文学作品といえる著作は残さなかったが、説得術としての弁論法を説いた『レトリカ』、悲劇を中心とする文学作法を論じた『創作論(詩学)』は、近世以降の文学研究に多大の影響を与えた。
 ヘレニズム時代以後、ギリシア語はいわゆるコイネー(共通語)とよばれて世界の通用語となった。それとともに知識人の間に純正なアッティカ散文復活の機運が生じ、弁論を中心に擬古文による著作が盛んに行われ、したがってヘレニズムからローマ時代にかけての散文は、程度の差はあれ、この傾向を受けている。注目すべき作家としては、紀元前では史家ポリビオスやディオドロス、地理学者ストラボンがあり、紀元後では『対比列伝』『倫理論集』の著者プルタルコス、風刺作家ルキアノスをあげることができる。またパウサニアス、アイリアノス、アテナイオスらの著述も、故実を探る宝庫として珍重されている。
 先にも触れたように、紀元前後から4~5世紀にわたって、「ギリシア小説」といわれる恋愛物語が流行した。グレコ・ローマン時代の家庭読み物で、主人公の美男美女がさまざまな危難にあいながら純愛を貫き、最後はめでたく結ばれるというパターンはみな同じである。伝えられている数編のうち、ヘリオドロスの『エチオピア物語』、ロンゴスの『ダフニスとクロエ』がとくに名高い。千編一律の筋立てを救うために、作者たちは異国趣味を盛ったり、スリルに満ちたシーンを加えるなど、それぞれ趣向を凝らしている。[松平千秋]
『高津春繁・斎藤忍隨著『ギリシア・ローマ古典文学案内』(岩波文庫) ▽高津春繁著『古代ギリシア文学史』(1977・岩波書店) ▽高津春繁著『世界の文学史 ギリシア・ローマの文学』(1967・明治書院)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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