ホフマン(読み)ほふまん(英語表記)August Wilhelm von Hofmann

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ホフマン(August Wilhelm von Hofmann)
ほふまん
August Wilhelm von Hofmann
(1818―1892)

ドイツの有機化学者。ギーセンの生まれ。父は建築家で、リービヒの実験室を拡張した。1836年ギーセン大学に入学、最初は法律と言語学を学んだが、リービヒにひかれて化学に転じ、1841年コールタール研究で学位を得た。リービヒの私的な助手を1843年まで務め、1845年春ボン大学私講師となったが、同年秋、ロンドンに新設のロイヤル・カレッジ・オブ・ケミストリーの教授に招かれ、以降20年間をイギリスで過ごした。このカレッジはリービヒのギーセン実験室に倣って、農芸、薬、工業化学などを教えるために建てられた私立学校で、ここでホフマンはW・クルックス、C・B・マンスフィールドCharles Blachford Mansfield(1819―1855)、J・A・R・ニューランズ、E・C・ニコルソンEdward C. Nicholson(1827―1890)、W・H・パーキン、またドイツ人のP・グリース、G・メルクGeorg Merck(1825―1873)など多数の人材を育てた。1861年ケミカル・ソサイエティー・オブ・ロンドン会長となり、また広くイギリス政府の科学技術的諮問にこたえた。1865年ドイツに帰り、ベルリン大学教授となり、1867年ドイツ化学会を設立、以後何度も会長に選ばれた。
 彼の研究はアニリンを中心とする。初期の研究は理論的なもので、1850年にはアニリン構造について、アミド説(リービヒ)とアンモニア説(ベルツェリウス)が対立していたなかでアンモニア説をとり、アンモニアNH3の水素1原子をフェニル基C6H-5で置換したものに相当するとし、臭化アルキルをアニリンに作用させてその理論を検証した。そして、アンモニアの水素を炭化水素基で置換した一群の化合物を「アンモニア型」と分類した。1856年パーキンのアニリン染料合成に刺激され、染料合成の仕事を進めた。アニリン染料の出発点となる物質は純粋のアニリンではなく、アニリンとトルイジンの混合物であるとし、赤色染料ローズアニリンを研究し、自らホフマン紫を合成した。このほか、アリル化合物、ホルムアルデヒド、イソニトリルなどについても研究し、全部で277編にも上る論文を書き、工業についても染料のほか、無機化学、製薬工業にも貢献した。[道家達將]
『田中実「ホフマン」(『化学』Vol.14,No.6所収・化学同人)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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