(読み)カン

デジタル大辞泉 「冠」の意味・読み・例文・類語

かん【冠】[漢字項目]

常用漢字] [音]カン(クヮン)(呉)(漢) [訓]かんむり かぶる
頭にかぶるもの。かんむり。「冠位衣冠王冠加冠金冠戴冠たいかん宝冠月桂冠
りっぱな地位・栄誉のシンボル。「栄冠無冠三冠王
冠をかぶる。成人の儀式。「冠婚葬祭弱冠
上にかぶせる。かぶる。「冠詞冠水
トップに立つ。すぐれる。「冠絶
漢字の組み立てで、上部につく部分。「偏旁冠脚
[難読]冠者かじゃ冠木門かぶきもん鶏冠とさか圭冠はしはこうぶり

かんむり【冠】

《「こうぶり」の音変化》
頭にかぶるもの。特に、許されて直衣のうしを着て参内する束帯衣冠などのときにかぶるもの。黒のうすもので作る。頂にあたる所をこう、前額部をひたいという。後方の高い壺はもとどりを入れる巾子こじで、その後ろに長方形のえい(俗に燕尾えんびという)2枚を重ねて垂れる。有文うもんと無文の冠の区別があり、時代によって形式の変化がみられる。こうむり。かむり。かぶり。かんぶり。
漢字の構成部位の一。上下の組み合わせからなる漢字の上側の部分。「安」の「宀(ウかんむり)」、「茶」の「艹(草かんむり)」など。
[類語]王冠宝冠栄冠月桂冠

こうぶり〔かうぶり〕【冠】

《「かがふり」の音変化》
束帯衣冠の装束のとき、頭にかぶるもの。→かんむり
男子が成年に達して、初めて冠をつけること。また、その儀式。元服。初冠ういこうぶり
《古くは冠の色で位を表したところから》位。位階。
つかさ―も、わが子を見奉らでは、何かはせむ」〈竹取
《多く「得」「賜ふ」が付いた形で用いられる》従五位下に叙せられること。叙爵。
「蔵人より今年―得たるなりけり」〈・若紫〉
年爵ねんしゃく」に同じ。
「御たうばりの年官つかさ―」〈・少女〉

かん〔クワン〕【冠】

[名]かんむり。
[ト・タル][文][形動タリ]最もすぐれているさま。首位に立つさま。「世界にたる誉れ」
[接尾]助数詞。スポーツや将棋などの競技・大会で、勝ち得た称号の数や優勝回数を数えるのに用いる。「タイトル三を達成する」

かがふり【冠】

かんむり。
「次に投げ棄つる御―になれる神の名は」〈・上〉
《古くは位階によって冠の色が違ったところから》位階。
「このころの我が恋力こひぢから記し集めくうに申さば五位の―」〈・三八五八〉
[補説]この語がのちに「かうぶり」「かんむり」となる。

かむり【冠】

《「かぶり」の音変化》
かんむり」に同じ。
和歌・俳諧などの初めの5文字。また、各句の初めの字。「付け」
鉱脈や鉱層の上側にある地盤。

さか【冠/鶏冠】

とさか。
瑞鶏あやしきとりたてまつれり。其の―海石榴つばきの華のごとし」〈天武紀〉

かうぶり【冠】

こうぶり(冠)

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精選版 日本国語大辞典 「冠」の意味・読み・例文・類語

かんむり【冠】

  1. 〘 名詞 〙 ( 「かうぶり」の変化したもの )
  2. 頭にかぶるもの。特に、束帯、衣冠などの時、頭にかぶる物。直衣(のうし)でも晴(はれ)の時に用いる。黒の羅(うすもの)で作る。その頂に当たるところを甲(こう)といい、前額部を額(ひたい)という。後方の高い壺(つぼ)は髻(もとどり)を入れる巾子(こじ)で、その後に長方形の纓(えい)二筋を重ねて垂れる。冠の緒を形式化したもので古風に先端を円形にしたのを燕尾という。全体に有文(うもん)の羅をはったのを「繁文(しげもん)の冠」と呼び、五位以上が用いる。巾子の上部と纓の裾だけに文を入れたのを「遠文(とおもん)の冠」といい、六位以下の用とする。天皇の神事用は黒絹をはって「無文(むもん)の冠」という。こうぶり。こうむり。かむり。かぶり。かんぶり。〔温故知新書(1484)〕
    1. 冠(遠文)<b>①</b>
      冠(遠文)
  3. 能装束の一つ。通常の冠と同じ形の初冠(ういこうぶり)のほかに、透冠(すきかんむり)、唐冠(とうかんむり)などがある。かむり。
  4. すべての上に位するすぐれたもの。
    1. [初出の実例]「さうして凡ての上の冠(カンムリ)として美しい女性(にょしゃう)がある」(出典:三四郎(1908)〈夏目漱石〉四)
  5. 漢字の字形の構成部分のうち、上部にかぶせるもの。「宇」「花」「箱」などの「宀」「艹」「」の部分をいう。

こうぶりかうぶり【冠】

  1. 〘 名詞 〙 ( 「かがふり」の変化した語 )
  2. 衣冠束帯装束のとき、頭にかぶるもの。→かんむり
    1. [初出の実例]「其の冠位(カウフリ)を脱ぎて朝に擎上(ささ)げて重ねて諫めて曰(まう)さく」(出典:日本書紀(720)持統六年三月(北野本訓))
  3. ( ━する ) 男子が成年に達して、はじめて冠をつけること。また、その儀式。元服。初冠(ういこうぶり)
    1. [初出の実例]「朕未だ弱冠(カウフリ)に逮(いた)らずして、父(かそ)の王(きみ)既に崩りましぬ」(出典:日本書紀(720)仲哀元年一一月(寛文版訓))
  4. ( 古くは冠の色で位を表わしたところから ) 位。位階。→冠を賜わる
  5. ( 多く「得」「賜ふ」がついた形で用いられる ) 五位下に叙せられること。叙爵。→冠を賜わる
  6. 平安以降の年給の一種である「年爵(ねんしゃく)」のこと。
    1. [初出の実例]「得給ふべきつかさ・かうぶり」(出典:源氏物語(1001‐14頃)薄雲)
  7. ある文句の一音ずつを和歌の最初において一連の歌を詠むこと。こうむり。→沓冠(くつかぶり)
  8. 富士谷成章の用語で、枕詞をいう。〔あゆひ抄(1773)〕

冠の補助注記

の意は孝徳天皇の三年(六四七)、位階に大職冠・大繍冠等が制定され、これに「冠」の字が使われたところから派生したともいわれる。


かむり【冠】

  1. 〘 名詞 〙
  2. かんむり(冠)〔文明本節用集(室町中)〕
    1. [初出の実例]「ヲソロシキ イバラノ camuriuo(カムリヲ) トトノエ」(出典:ロザリオの経(一六二二年版)(1622)五つのおん悲しみのミステリオスの事)
  3. 頭をいう。
    1. [初出の実例]「橋本はすぐ冠(カムリ)を横に振った」(出典:満韓ところどころ(1909)〈夏目漱石〉三八)
  4. かんむり(冠)
    1. [初出の実例]「宸の字とわ、宀はかむりで、そらの心ぞ」(出典:詩学大成抄(1558‐70頃)九)
  5. 和歌、俳諧などの初めの五文字。また、各句の初めの字。ことばの言い初めの意にも用いる。
    1. [初出の実例]「此は、善光寺如来の洛陽真如堂に遷座有し日の吟にて、初の冠はひいやりと也」(出典:俳諧・去来抄(1702‐04)先師評)
  6. 鉱脈や鉱層の上側の地盤。上盤。
  7. かんむり(冠)

かがふり【冠】

  1. 〘 名詞 〙 ( 動詞「かがふる(被)」の連用形の名詞化 )
  2. 頭にかぶるものの総称。こうぶり。かんむり。
    1. [初出の実例]「冠帽(加々布利)」(出典:法華義疏紙背和訓(928頃か))
  3. ( 上代以降、冠によって位階を表わしたところから ) 位階。官位。
    1. [初出の実例]「此の頃の吾が恋力記し集め功(くう)に申さば五位の冠(かがふり)」(出典:万葉集(8C後)一六・三八五八)
  4. 二〇歳。古代中国で成人して初めて冠を着用する年齢。弱冠。
  5. ( ━する ) かぶりものを頭に着けること。冠を着用すること。
    1. [初出の実例]「頭 加我不利須」(出典:新撰字鏡(898‐901頃))

かんクヮン【冠】

  1. [ 1 ]
    1. かんむり。〔史記‐儒林伝〕
    2. 元服。加冠。〔礼記‐冠義〕
    3. ( 形動タリ ) もっともすぐれていること。首位であること。また、その人、もの。
      1. [初出の実例]「顔淵、孔子の弟子文三千人の冠たる者也」(出典:応永本論語抄(1420)顔淵)
      2. [その他の文献]〔史記‐項羽本紀〕
  2. [ 2 ] 〘 接尾語 〙 競技や大会で勝ちとった選手権や優勝数、また個人記録などを数えるのに用いる。「三冠王」

さか【冠・鶏冠】

  1. 〘 名詞 〙 ニワトリなどのとさかをいう。
    1. [初出の実例]「瑞(あや)しき鶏を貢れり。その冠(サカ)海石榴の華に似たり」(出典:日本書紀(720)天武五年四月(北野本訓))

かんぶり【冠】

  1. 〘 名詞 〙かんむり(冠)
    1. [初出の実例]「巾子 冠 カンフリ 入髻之物」(出典:運歩色葉集(1548))

かがほり【冠】

  1. 〘 名詞 〙 「かがふり(冠)」の変化した語。
    1. [初出の実例]「幘 首服也 頭巾也 比太比乃加々保利」(出典:新撰字鏡(898‐901頃))

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改訂新版 世界大百科事典 「冠」の意味・わかりやすい解説

冠 (かんむり)

元来〈かんむり〉は〈かうぶり〉の音便形であるから,頭にかぶるものはみな冠といえようが,帽や笠あるいは冑と区別してとくに威儀を正したり権威の象徴として用いるものを冠という。冠の起源については不明なところが多い。はじめは布製の帯や月桂樹枝を環状に丸めたものなどとして存在したらしく,王朝時代のエジプトでは布製帯状の,アルカイク時代のギリシアでは月桂樹冠の図像が認められる。ただし,単なる髪飾なのか冠としての意味を備えていたものなのかは判断できない。古く前3千年紀前半のウルの王墓から金で花葉をかたどりカーネリアンで飾ったかぶりものが,またトロイアⅡ市のメガロン神殿からやはり黄金製のものが出土しているが,これも同様である。帯状のものは,ギリシアにおいて金製の帯に発達してディアデマdiadēmaと呼ばれた。ヘレニズム時代になると貴石を象嵌(ぞうがん)したものが現れ,ビザンティンにおいてこれに立飾がつき,宝石を散りばめるようになって冠として完成した。黒海北岸のスキタイ王墓からティアラtiaraと呼ばれる冠状金製品が出土している。スキタイと同系のアケメネス朝ペルシアの諸王も冠を愛用したらしく,ビストゥンの石彫に表現されたダレイオス1世は帯に凸字形の立飾をめぐらせた冠をかぶる。この形はササン朝ペルシアでも変わらず,金貨や銀器に表された王の図像においては,さらにゾロアスター教のシンボルである日月を飾ってある。中央アジアのサカ族の王墓と思われるイシク・クルガンIssyk kurgan(アルマトゥイ東方)から矢の形などの金製の立飾が発見された。これは鎧を装着した状態で埋葬されていたので,立飾はあるいは冑を飾ったものかもしれぬが,とすれば冑も防御具としてだけではなく,一種の権威の象徴として用いられたことになろう。
執筆者:

中国では冠帽といい,男子の頭髪を覆い束ねるものをさし,成人に達したらつける。古代は殷周の玉人などによって確かめられ,春秋戦国時代には身分社会の象徴として定着する。秦漢以後の冠帽は,俑や壁画あるいは実物によって確かめられる。概して布もしくは漆塗の織物で頭頂を覆う形式をとり,天子の冠などには玉を垂下する。

 漢文化の浸透する以前の匈奴,鮮卑などは頭部を覆ったり周囲を飾る金製の冠を用い,王権の象徴とした。4世紀以降の鮮卑,高句麗,百済,加羅,新羅では,以前の匈奴や鮮卑の制をうけつぎ,歩揺と呼ばれる金片をちりばめた金製の冠を用い,そのほかに羽根をつけたり樺を付した冠があった。とくに古新羅の墳墓からは,多くの金製の優品が発見されている。

 古墳時代の日本では,5世紀の遺例として中国遼寧省の鮮卑墓と同じつくりのものが奈良の新沢126号墳から出土している。6世紀以降の遺物は少なくないが,いずれも金銅製冠である。一方,埴輪によって各種の形態をうかがうことが可能であり,朝鮮半島の加羅地方の冠と共通するところが多い。仏像の冠を天冠とか宝冠と呼ぶが,古墳時代の金銅製冠をとくに天冠と呼ぶ場合もある。7世紀後半になって,隋・唐の冠位制が導入され,それ以降は朝鮮式の冠はすたれていく。
執筆者:

中国の歴代王朝は基本的には漢代の冠制を踏襲したが,南北朝ごろから巾,幘が公式のかぶりものとして採用され,冠は祭服および朝服の一部に残るだけとなった。とくに,隋・唐以後,朝服の冠はほとんど幞頭(ぼくとう)によって代用され,その制度は7~8世紀の日本や朝鮮の冠服制にも伝えられた。《衣服令》にも〈礼服(らいふく)の冠〉が記されている。五代から宋代にかけての中国では,硬質の幞頭が現れた。これは針金の芯に漆紗を貼り,幞頭の垂紐も漆で固め,これを水平に張りまたは上方に巻き上げ,その形状も直線形のほか円形,楕円形,紡錘形など種々の形が出現した。日本ではこれを〈唐かむり〉または漆紗冠(しつしやかん)などと呼んだ。元代に入ると女子も冠をつけた。皇后や高級女官は顧姑冠というモンゴル女性特有の冠をかぶった。男子も祭服には中国式の冠を用いたが,朝服には固有の帽や笠(りゆう)をつけた。敦煌壁画のなかにも吐蕃王国の貴婦人が宝冠をかぶった姿が描かれているが,チベットやモンゴル,ウイグルなどの遊牧民族の女性にとって,冠帽の習俗は本来固有のものであった。明朝は中国伝統の冠制とともに,皇后や宮廷女官の祭服・朝服に鳳冠の制をとり入れた。北京近郊の明の十三陵の定陵から発見された金鳳冠がある。清朝は満州族の建てた国であったから,大祭用の冕冠(べんかん)以外はすべて固有の満州式冠帽を採用した。清朝時代の冠服には朝服と吉服があり,男女それぞれ,朝服冠,吉服冠を着用した。さらに,そのいずれにも冬冠と夏冠があった。

 朝鮮の統一新羅時代には,金冠のほかに錦冠,紫冠,鳥羽冠や白樺冠があったが,高麗,李朝を通じて,その冠服は宗主国である中国王朝の制度に従った。
執筆者:

日本の上代は男女ともに結髪をし,一般にはかぶりものはなかったが,603年(推古天皇11)冠位十二階がしかれ,役人は冠をつける風習が生じ,以来,明治時代に至るまで官服には冠を用いた。もっとも冠制ができる以前にも,一部の豪族の間には冠帽を用いる風があり,古墳から発掘されるものの中には金銅製の精巧なものや,埴輪の男子像にも種々のかぶりものをつけたものがある。

 冠制で制定された冠は,《日本書紀》によると頂上をとりまとめて袋のようにし,縁をつけたものとあるから,髻(もとどり)の上からかぶり,そこを上からしぼり結んだものであったろう。この冠は位階によって区別があり,徳冠は紫,仁冠は青,礼冠は赤,信冠は黄,義冠は白,智冠は黒の色を用いた。その後647年(大化3)には従来の絁(あしぎぬ)製であったものを錦と絹との2種類とし,織冠,繡(しゆう)冠,紫冠,錦冠の4種は錦製,青冠,黒冠,建武冠の3種は絹製で,縁には冠と違った別裂(きれ)をつけ,背には漆塗の羅(ら)を張った蟬(かざりぐし)のようなものをつけた。これらの冠は大会,饗客(きようきやく),斎時などに用い,別に黒の絹でつくられた鐙冠(つぼこうぶり)という,当時の壺状鐙の形をなしたものがあった。その後,冠の裂地には二,三の変改があったが,天武天皇のときに新たに漆紗冠(しつしやかん)と圭冠(けいかん)とが制定され,前者は唐制にのっとったもので,冠の前後に四つの纓(えい)がついており,前纓は平時は上にあげて髻の前で結び,後纓は垂らすか,あるいは髻の上を結んだひもにはさんだ。これが後世の冠の祖となったもので,当時の形態を知るものに法隆寺伝来聖徳太子の像がある。また圭冠は上円下方の圭玉の形をしたもので,後世の烏帽子の祖となった。

 奈良時代には礼服・朝服の制が確立して礼冠と頭巾(ずきん)(漆紗冠の系統)とがそれぞれ用いられた。その礼冠の制はつまびらかでないが,平安前期のものは,文官は漆地金製で櫛形や押鬘(おしかつら)があり,茎を立て玉を飾り,額上には四神獣や麒麟(きりん)の像を立て位階を区別した。また武礼冠(ぶらいかん)は箱形の羅を飾り,これに緌(おいかけ)をつけた。このほか天皇の冕冠,女帝の宝冠,童帝の日形冠,皇太子の九章冕冠などがある。

 朝服に用いられた冠は,平安朝になるとその形がしだいに整備され,額(ひたい),巾子(こじ),纓というように独立した形をとり,平安時代末の鳥羽天皇ころからはその地質も固くなり,ついにこんにち見られるような冠が成立した。すなわち額,縁(へり),巾子,簪(かんざし),上緒(あげお),纓,緌,懸緒(かけお)などからなっている。

(1)額 冠の頂にあたる部分。甲ともいう。平安時代末から鎌倉にかけて,その縁の高低によって厚額,薄額などの種類ができ,後者は多く年少者や賤官(せんかん)の者が用いた。また甲に半月形の透しを入れたものを透額(すきびたい),三日月形をなしたものを半透額といい,壮者の上気の洩れるためであるといわれた。平安時代中期に額充(ひたいあて)というものができ,多くこれを着けたが,後に額がかたく塗り固められるにいたって,従来の羅頭巾のなごりをとどめたものであったろう。

(2)縁 磯ともいう。このような直立した縁ができたものも平安中期以後からのことである。

(3)巾子 髻を入れる具で,これを髻の上から挿して冠をかむる。冠が固くなるとともに,この巾子は冠の内部に固定した。しかし後世でも元服のときには抜巾子(ぬきこじ)の冠といって,巾子の抜けるものが用いられたのはその旧形を残したものである。そして巾子の形も時代によって一様ではなく,平安前期から中期にかけては幅も広く大きな形となり,その巾子のとくに高いものは高巾子冠といって踏歌(とうか)などに用いた。

(4)簪 巾子の前あたりに左右から出ている串状のもので,角(つの)ともいう。この起源には数説があり,一つは冠の落ちないように挿した釘の形式化したものだといい,一つは前纓の巾子の前で結んだ形の硬化したものという。

(5)上緒 巾子の前に細いひも状をなしたものをいう。冠の初期に巾子を上からひもで結び固めたものの形式化したものだと考えられている。

(6)纓 漆紗冠の後纓にあたるもので,平安時代の中ごろまでは,まだやわらかく肩にかかったが,後しだいにかたくなり,両側にクジラの髭(ひげ)を入れて羅を張り,後方に湾曲して垂れるようになった。なお江戸時代の中ごろから天皇の纓は巾子の後に直立し,いわゆる立纓冠(りゆうえいのかん)ができた。纓にはその端が方形をなすものと,円形をなすものとがあったが,後世は一般に方形のものが用いられ,これをなお燕尾(えんび)と称した。皇太子元服のときにこの燕尾の纓が用いられるのは,その旧形を伝えたものであるといえよう。また武官は本来短い纓を用いたのであるが,平安時代以来,文官で武官を兼任するものが多くなり,武官の冠も文官と区別がなくなり,武官の冠には纓を巻いて夾木(きようぼく)で止めることが行われた。これを巻纓冠(けんえいのかん)という。また文官でも,危急の場合には纓をたたんで夾木で止めることが行われ,これを柏夾(かしわばさみ)と称した。また天皇は烏帽子をかぶることがなかったから,内々では纓を巾子の上に引き起こし,檀紙(だんし)に穴をあけたものでこれを上から挿して止めておいた。この檀紙に金箔をほどこしたものを用いたので,これを金巾子の御冠と称した。これらはみな纓のさまたげになることを避けた方法であった。なおこのほか,纓には細纓というものがあり,これは六位以下の武官や六位の蔵人が,ただ2本のクジラの髭をたわめて挿した。また諒闇(りようあん)や重服(じゆうぶく)のときには縄纓といって1筋は藁,1筋は黒布の縄でつくったものを用いた。

(7)緌 大宝令の武官の服制に見えているもので,五位以上の礼冠,六位以下の頭巾に用いた。中国では纓の端の飾りを緌といい,これに翠羽(すいう)をもってしたことが《晋書》輿服志に見えているが,当時の日本の緌の形態は明らかでない。けだし頭巾の脱落を防いだ実用目的をかねた装飾物であったろう。後世,武礼冠の緌は飾物となり,頭巾の緌は馬の尾で半月形につくったもので,これは纓の端の総(ふさ)などの形式化したものとも考えられている。この緌は六位の武官が常用し,六位以下は儀式のときに着けた。その着装法は巾子の後から簪の上を越して額上に交差し,あご下で結ぶ。

(8)懸緒 纓冠は上述のように,はじめ髻の部分を上からしめ,纓によって保たれたのであるが,それらがしだいに形式化して用をなさなくなったため,ついに別に懸緒をもって冠をとめることとなったのである。平安末期に蹴鞠(けまり)などのときに紫の緒を用いたが,平時に用いるものは白の紙捻(こびねり)で,1回かぎりで切り捨てることとなっているのは,これが略儀のものであることを示している。

 なお冠地は奈良朝以来,五位以上は羅,以下は縵(きぬ)製であったが,羅は後に紋織の綾の有文の冠となり,これに対して無文の冠は重服のときや,六位以下の者の冠となった。
礼服(らいふく)
執筆者:

国王,聖職者,軍人などが冠をかむる風習は古くからみられ,とくに王冠は古代エジプトで精巧なものが用いられていた。近代の王位を示す王冠の起源はギリシア,ローマの花や葉で編んだ冠でなく,東洋から伝わった絹または亜麻布に豊富な刺繡をしたバンドで,ヨーロッパではアレクサンドロス大王がペルシア王の用いていたのを採用したのがはじめであった。ローマの皇帝たちは布バンドと月桂樹の冠の両者を用いたが,後者は王位の表象とは認められていなかった。ローマ人は皇帝がそのような表象を用いることを好まなかったからであった。この布バンドがユスティニアヌス1世(東ローマ皇帝,在位527-565)のとき,精巧な装飾を施した黄金のバンドにかわり,こんにちの豪華な王冠の形に発達した。

 現在イギリスの王家で用いられている王冠は2個あり,チャールズ2世(1661年戴冠式)以来の〈聖エドワード王冠〉は純金で目方が重い(約30kg)ので,現在は戴冠式のとき儀式的に国王の頭にのせられるだけで,戴冠式の帰路ならびにその後はビクトリア女王の戴冠式のときにつくられた〈帝国王冠Imperial State Crown〉が用いられている。後者は白金の台に二千数百個のダイヤモンド,約300個の真珠,10個以上のサファイアエメラルド,数個のルビーが飾られ,ダイヤの中には309カラットの〈アフリカの星〉(これは王冠を使用しないときだけに挿入されている)があり,ルビーの中には〈黒太子〉という小さい鶏卵くらい(5cm以上)のものが飾られている。過去の諸国の王家に伝えられた歴史的な王冠の中では,オーストリア王家のものは1570年にマクシミリアン2世がつくったものであり,モンツァ(ミラノから約15km)のサン・ジョバンニ聖堂にあるロンバルディアの王冠にはキリストを処刑した十字架の釘が打ちのばして冠の内側にリボン状にとりつけてあるので〈鉄の王冠〉と呼ばれている。これはグレゴリウス1世(ローマ教皇,590年登位)の時代につくられたといわれている。そのほかドイツ帝国の王冠,1858年にスペインのトレド付近で発掘された7世紀の8個の王冠や,ロシアのロマノフ朝の王冠(1762年に,エカチェリナ2世のためにつくられたもの)などがよく知られている。なお,イギリスでは皇族や貴族が儀式のときにかむる宝冠(コロネットcoronet)が定められ,位階にしたがって装飾が異なっている。

 瓶のあたまにつけるいわゆる〈王冠〉は,アメリカのペインターWilliam Painterが1892年に発明して特許をとった。正式な名前は王冠とその裏のコルクを合わせた〈王冠コルクcrown cork〉で,そのころのガラス瓶には口にみぞがなくて利用者が少なかったが,瓶の製造業者がみぞのある瓶をつくるようになったので世界的に普及した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「冠」の意味・わかりやすい解説

冠(かんむり)
かんむり

被(かぶ)り物の一種。

[高田倭男]

日本

日本には弥生(やよい)時代まで冠をかぶる習慣がなかったと思われるが、古墳時代に朝鮮半島経由で北方アジアの冠が伝えられ、豪族たちが用い始めた。古墳より出土した人物埴輪(はにわ)に冠をかぶるものがみられ、各地より金銅製の冠が出土している。これは新羅(しらぎ)出土の冠と同じ形式である。『日本書紀』によると、603年(推古天皇11)聖徳太子によって冠位十二階の制が定められ、冠の色によって階級を示すようになった。この冠は位に相当する色の絁(あしぎぬ)で袋状に製し、縁をつけたもの。その後、647年(大化3)に七色十三階の制に改められ、織(しょく)、繍(ぬい)、紫、錦(きん)、青、黒、建武(けんぶ)のように冠名を材質や色絹で表し、複雑なものとなったため、別に鐙冠(つぼこうぶり)とよばれる黒絹のものも使った。682年(天武天皇11)に冠位制を廃して、位は上着の色で示し、黒一色の漆紗冠(しっしゃかん)をかぶることとした。これは、中国で幞頭(ぼくとう)といわれた、正方形の絹や布の四隅に紐(ひも)をつけたもの(髪を束ねて丸めた髻(もとどり)の上から覆って前の紐2本を後頭部で締め、後ろの紐を前に回して髻の根元で締めたもの)の変化形式と考えられる。すなわち、巾子(こじ)といわれる筒型に髻を入れ、その上から漆を塗った袋状の紗をかぶせ、巾子の根元で漆塗りの紗の紐を結んで、余りを後ろに垂らした。またこの冠の下辺両側に同じ紗の紐を1枚ずつ綴(と)じ付け、甲の上、巾子の前で結ぶ。そのほか圭冠(はしばこうぶり)といわれるものも用いられ、これが後世の烏帽子(えぼし)の原型であろうとされている。養老(ようろう)の衣服令に、公服として礼服(らいふく)、朝服、制服が定められた。礼服は五位以上の者が儀式に着用するが、冠の名称は礼服の被り物のみに使われ、衣服と同様、文官、武官の区別があった。天皇について規定はないが、聖武(しょうむ)天皇が732年(天平4)に初めて礼服に冕冠(べんかん)をかぶったと記録されている。これは天冠(てんがん)とも玉冠(ぎょくかん)ともいわれ、上部に板状のものをのせ、その前後に玉を数十個も連ねた糸状の飾りを、天皇は12旒(りゅう)、皇太子は9旒垂らした。朝服は有位の者が朝廷出仕のとき着用し、頭巾(ずきん)をかぶる。これは漆紗冠のことである。平安時代になって礼服は即位式にのみ使われ、朝服が儀式に用いられるようになると、頭巾はふたたび冠とよばれ、礼服の冠は礼冠(らいかん)といわれることとなった。また服装の和様化、長大化にしたがって冠は形式化し、高く直立した髷(まげ)にあわせて、高くなった巾子に羅(ら)や紗を張り、同じ生地(きじ)でつくられた額を覆う甲の後部で接合して黒漆を塗って固くした。このような固形化のために髷の根元を紐で締め付けることが不可能となると、纓(えい)の部分のみを後ろに綴じ付けて垂らし、巾子の下部に穴をあけて簪(かんざし)を挿し、落下を防いだ。鎌倉時代に、強装束(こわしょうぞく)の流行から、さらに形式化して、甲の下地を紙でつくり、纓の付け方も変わって、冠の後部に纓壺(えつぼ)という受けを取り付け、そこへ纓の根元を上から差し込む方式になった。冠の甲の部分を額(ひたい)ともいい、羅や紗で透けるものを透額(すきびたい)といった。冠の前方を高くしたものを厚額(あつびたい)といい、低くしたものを薄額とよび、刺しゅうで菱文(ひしもん)を表したものを繁文(しげもん)、無文のものを遠文(とおもん)の冠とよんだ。

[高田倭男]

中国と朝鮮

中国の被り物には、昔から巾(きん)(1枚の布で頭髪を包む頭巾の類)、帽(ぼう)(頭にすっぽりかぶせる帽子の類)、幘(さく)(頭髪の乱れを整える鉢巻の類)と冠(かん)の4種類があった。冠は主として成人男子が儀礼用に着ける被り物のことをいう。このような冠がいつごろから始まったかは明らかではないが、少なくとも春秋時代(前770~前403)の上流社会で行われていたことは、中国の古典『詩経』『論語』などの記述によって明らかである。なお、これらの文献には、すでに殷(いん)代に章甫(しょうほ)とよばれる冠があったことが記されているし、河南省殷墟(いんきょ)出土の玉製品などにも冠の存在を裏づけるものがある。戦国時代(前403~前221)以後の冠については、河南省戦国楚(そ)墓から出土した彩色木俑(もくよう)や漆絵などからその存在が明らかであるし、秦(しん)代(前221~前206)の冠は、始皇帝兵馬俑坑(へいばようこう)出土の兵俑がそれを証明している。ただし、これを冠とみるか、あるいは巾の一種とみるかについては問題は残るが、一般に武人の冠には雉(きじ)や鶡(かつ)(ヤマドリ)の尾羽を挿す風習があり、そのために武人の冠は鶡冠(かっかん)ともよばれていた。

 漢代に入ると、画像石や墓壁画、漆器の人物画などの遺物が豊富になり、冠の形状やその種類も明らかになるが、とくに『礼記(らいき)』『儀礼(ぎらい)』『周礼(しゅらい)』などの文献には、男子の冠礼(成人式)についての詳細が記されている。さらに天子以下王侯百官が着用する公式の冠については、『後漢書(ごかんじょ)』「輿服志(よふくし)」に、祭服・朝服の冠服制度としてその種類・様式が詳しく記載されている。このような冠制は、その後の歴代中国王朝に受け継がれて清(しん)朝末まで続いたが、中国ばかりでなく、日本、朝鮮、ベトナムにも大きな影響を与えた。

 魏晋(ぎしん)南北朝(220~581)以後、冠の種類や様式は、時代とともに多くの変遷を重ねたが、祭服の冕冠(べんかん)・通天冠(梁(りょう)冠)の制は後漢以来ほとんど変わらず、明(みん)朝(1368~1644)末期(朝鮮では李(り)朝末期)まで行われていた。ただ中国でも、モンゴル人の元(げん)、満洲族の清(しん)などの異民族王朝の場合は、朝服の冠には氈(せん)冠・笠(りゅう)冠などの胡(こ)族固有の冠が用いられた。

 南北朝の末ごろ、頭巾の四隅を裁った幞頭(ぼくとう)が出現し、その軽便さが喜ばれたが、隋(ずい)・唐時代(581~907)には、別名折上巾(せつじょうきん)または翼善(よくぜん)冠とよばれ、天子以下の朝服冠として普及した。宋(そう)代(960~1279)に入ると、この幞頭を漆で固め脚を硬くして左右に張ったり上に跳ね上げたりした。わが国の束帯の冠などはそのたぐいである。中国婦人の間には元来、冠を着ける風習は存在しなかったが、唐代の宮廷婦人の間で胡俗が流行したために婦人の冠が出現した。宋(そう)代に入ると、皇妃の冠として九雉四鳳冠(くちしほうかん)などが正式に制度化されるようになった。北京(ペキン)近郊の明の十三陵の定陵からは、十二竜九鳳の皇后冠が出土している。

 朝鮮では古来固有の冠として折風(ユツカル)があった。その形は両手をあわせた弁状で、元来はシラカバの樹皮や皮革でつくられた北方民族の胡帽であった。三国時代になると羅でつくった折風が貴族・官吏の公式の冠に登場し、階級によって羅の色に青・赤・紫・黒などの区別があり、高官や上級武士はこれに金銀を装飾したり、鳥の羽を挿して飾りたてた。また、王族は黄金でつくった豪華な金冠も使用した。

 新羅の統一(668)以後、朝鮮の公式冠には、冕冠・梁冠・幞頭などの、中国王朝唐・宋・明の制度に従った冠が用いられた。しかし、一般官吏の平服時や両班(ヤンバン)階級(士族)の被り物には、馬の尾毛で編んだ折風状の宕巾(タングン)や、広い縁蓋のある笠(カツ)が用いられた。この笠は、新羅古墳出土の人物像にもみられるように、朝鮮南部で発達した特殊な冠であった。また、女性は本来は髪型を豪華に飾りたてるが、冠をつける風習はなかった。しかし、後世になると中国の影響から、花冠が婚礼衣装に用いられるようになった。

[杉本正年]

西洋

古代オリエントに始まる冠は、ビザンティンを経てやがて中世以降のヨーロッパへと広まって定着した。紀元前3000年代、初期王朝時代の古代エジプトには、すでに赤冠net、白冠utenu、二重冠pshentがあった。赤冠は下エジプト王の、白冠は上エジプト王の、そして二重冠は上下エジプトの統一を象徴する王冠で、ボンネット型を基本にした。ほかに鉢巻filletの冠もみられ、以後これら二つの型は冠の基本型として継承された。前1000年代から前500年代にかけてのバビロニア、アッシリアおよびペルシアでの冠にはティアラtiaraとミトラmitra、英語ではマイターmitre, miterの2種類がある。ティアラは元来、頭巾や王冠にあたるペルシア語で、ギリシア語、ラテン語を経て英語にも導入された。いまでは古代ペルシア冠ばかりでなく、ローマ教皇の三重冠(現世、霊界、煉獄(れんごく)をつかさどる)や、婦人の前頭部を飾る宝石をちりばめた盛装用の頭飾りもそうよばれる。これに対するミトラは、元来、鉢巻ないしヘッドバンド型のものをいい、冠を意味するギリシア語からきている。いまでは司教冠(主教冠ともいう)や婦人の盛装用冠として、ティアラとほとんど同義にも用いられる。そして両者をあわせた広義の冠がクラウンcrown(戴冠(たいかん)を意味するラテン語coronareから)で、花冠、葉冠、王冠、宝冠などの総称として用いられる。

 一方、古代ギリシアの冠は環状が主で、生花や木の枝葉、あるいは宝石をちりばめた金銀製などが日常生活のなかで多様にみられた。月桂冠(げっけいかん)laurel crownなどもその典型である。古代ローマではそれが金製の王冠となり、ビザンティン時代に宝飾を伴った半球形の冠へと発展するに及んで、13世紀以降の冠はいわゆる頭巾付きの王冠hooped crownが一般となった。

 冠を意味するもっと下位概念の英語にはコロネットcoronet(貴族の宝冠、婦人の冠状頭飾り)やコーネットcornet(修道女の白頭巾、中世から近世にかけてかぶられた婦人用頭飾りや帽子、貴族や高位者がかぶる小型の冠)あるいはダイアデムdiadem(王冠、主権象徴としての鉢巻)などがある。この語は鉢巻を意味するギリシア語ディアデーマdiademaからきている。

[石山 彰]

『河鰭実英編『日本服飾史辞典』(1970・東京堂出版)』『杉本正年著『東洋服装史論攷 古代・中世』(1979、84・文化出版局)』『沈従文編著『中国古代服飾研究』(1981・商務印書館)』『Lord TwiningA History of the Crown Jewels of Europe (1960, Batsford, London)』



冠(こうぶり)
こうぶり

「かがふり」の転で、頭にかぶるものの意。推古(すいこ)朝に冠位十二階が制定されたとき(603)、位階の等級を表示するため、被(かぶ)り物の色や生地を規定し、朝服用に確立された。転じて、官職を「つかさ」というのに対して、位階をさす語となったが、昇殿を許されて位用の給与を受ける五位を栄爵(えいしゃく)といったので、とくにこの位をいうことが多い。五位に叙せられることを「冠を得る」「冠を賜る」という。また年爵を意味する場合もある。「冠を挂(か)く」とは、「挂冠(けいかん)」の訓読で、辞職すること。一方、男子は元服式の際に冠(烏帽子(えぼし))をかぶるところから、元服すること(「初冠(ういこうぶり)」「加冠」)をもいった。なお、「かんむり」も「かがふり」が転じた語である。

[兼築信行]

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普及版 字通 「冠」の読み・字形・画数・意味


常用漢字 9画

[字音] カン(クヮン)
[字訓] かんむり・げんぷく

[説文解字]

[字形] 会意
冖(べき)+元+寸。また完+寸とみてもよい。完は中で儀礼を行う意であろう。結髪加冠のことならば元服。〔説文〕七下に「なり」と畳韻を以て訓し、「髮を(つつ)む以なり。弁冕の名なり。冂(けい)に從ひ、元に從ふ。元は亦聲なり。冠に法制り。寸に從ふ」と、寸を法制の意に解するが、加冠の形である。また字を冂に従うとするが、完・寇の字形との関連からみても、屋の象に従うべきである。字(あざな)は養育の儀礼で字養の意、冠は加冠元服の意で、その儀礼はすべて中で行われた。

[訓義]
1. かんむり、冠をこうむる。
2. 元服の儀礼、げんぷく、成年。
3. 最も上のもの、すぐれる、おおう、かしら。
4. 鶏冠、とさか。

[古辞書の訓]
〔和名抄〕冠 辨色立に云ふ、頭、賀宇布利(かうぶり) 〔名義抄〕冠 カウブリ・カウブラシム・イタダク・オソヒ・トサカ・サカ・シメス

[熟語]
冠衣・冠萎・冠軼・冠纓・冠蓋・冠距・冠巾・冠・冠歳・冠・冠子・冠事・冠時・冠・冠者・冠首・冠序・冠裳・冠飾・冠・冠世・冠絶・冠素・冠族・冠帯・冠代・冠佩・冠服・冠冕・冠弁・冠履・冠倫・冠礼
[下接語]
衣冠・栄冠・纓冠・王冠・加冠・花冠・華冠・画冠・峩冠・掛冠・解冠・挂冠・冠・鶏冠・玄冠・黄冠・絳冠・縞冠・鶻冠・昏冠・弱冠・首冠・儒冠・初冠・振冠・崇冠・正冠・冠・素冠・弾冠・豸冠・長冠・鳥冠・貂冠・典冠・投冠・童冠・道冠・南冠・冕冠・宝冠・鳳冠・免冠・礼冠・練冠

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「冠」の意味・わかりやすい解説


かんむり

こうぶり,こうむり,かむりなどから転じた語。最も広義にはかぶりものの総称であるが,狭義には今日の神道の神主が儀式の際にかぶるかぶりものをさす。日本の冠の成立には,次のような歴史的経緯がある。すなわち,人物埴輪や発掘品にみられる古墳時代のものは,王冠型か透かし彫状の筒形で,頭頂をおおう形ではなかった。大陸風にならった飛鳥・奈良時代の冠は,当初,7世紀の冠位十二階制にみられるとおり色によって区別されたが,8世紀になって服制が確立すると,礼服用の礼服冠 (礼冠ともいい,天皇のものは特に冕冠〈べんかん〉と名づけられた) と朝服・制服用の頭巾 (ときん) の冠とがかぶられるようになった。平安時代中期 (10世紀) になって日本化が進み,衣冠束帯が着られるようになると,今日の冠の原型が完成する。これらは紗に漆を塗ってつくった柔軟な冠であるところから漆紗冠と呼ばれている。今日の冠と異なる点は,冠の額の部分が厚く,しかも (えい) にあたる部分は燕尾と呼ばれ,上部から下部にいくほど広くなる一方,下端が丸くなり,内側に湾曲する形をとっていることであった。 12世紀初頭になって強装束が起ると,額が薄く,纓も今日のように2枚重なった短冊状になって後方に張出すようになった。これが今日の神主の冠で,もともと文官用であるが,武官の冠では纓が巻纓でおいかけと称する半月形の飾りがつく。西洋風の冠は一般にクラウン crownと呼ばれ,広義には花冠,月桂冠,宝冠,金冠なども含まれるが,狭義には王冠をさす。王冠は高貴,尊厳の印としてかぶる君主の冠で,古代からのさまざまな歴史的経緯をたどって中世以来かぶられるようになった。現在のイギリス王家では,戴冠式用と国事用の2種類が用いられている。クラウンに対するコロネット coronetは花冠,宝冠をいい,ディアデム diademは王冠型の頭飾りを,ティアラ tiaraは教皇冠や三重冠を意味する。

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百科事典マイペディア 「冠」の意味・わかりやすい解説

冠【かんむり】

古くからヨーロッパ,中国などで種々の冠が用いられたが,日本では推古朝に冠位十二階の制がしかれて以来,官服に用いられるようになった。天武朝の漆紗(しっしゃ)冠・圭(けい)冠,奈良朝の礼(らい)冠などを経て平安朝でその形が整備され,額(ひたい),縁(へり),巾子(こじ),簪(かんざし),(えい)などからなるものになった。五位以上は有紋,六位以下は無紋で,縁の高さや額の透かし模様によって厚額(あつびたい),薄額,透額(すきびたい),半透額などがある。→王冠
→関連項目挿頭

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岩石学辞典 「冠」の解説

日本語の冠は様々な意味があり,峰(crest)と同じ意味,横臥褶曲の先端部の意味[木村ほか : 1973),背斜構造の特定の地層断面の最も高い点を結んだ線[地学団体研究会 : 1996],などに用いられている.

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世界大百科事典(旧版)内のの言及

【元服】より

…〈げんぷく〉ともいい〈元〉は首,〈服〉は着用する意。首服,首飾,冠礼,加冠,初冠(ういこうぶり∥ういかぶり),御冠(みこうぶり),冠ともいう。
[古代]
 冠礼としての成人式は,日本古代では682年(天武11)に規定された男子の結髪加冠の制以後,冠帽着用の風習が普及してからで,国史に見えるものとしては714年(和銅7)の聖武天皇(14歳で元服)の記事が初めとされる。…

【褶曲】より

…褶曲構造の解析にとって,褶曲軸や軸面は最も基本的な幾何学的要素であるが,前述の石油探鉱にとっては,石油は水より軽いのでいちばん高い部分にたまりやすいことから,これに関連した術語も使われている。すなわち,水平面を基準として同一褶曲面上でいちばん高い位置にある点を冠(クレストcrest)といい,反対にいちばん低い点を底という。ヒンジと同様にして,冠線,冠面や底線,底面が定義される。…

【舞楽装束】より


[歌舞の舞人装束]
 歌舞とは,神楽(御神楽(みかぐら)),大和(倭)舞(やまとまい),東遊(あずまあそび),久米舞,風俗舞(ふぞくまい)(風俗),五節舞(ごせちのまい)など神道系祭式芸能である。〈御神楽〉に使用される〈人長舞(にんぢようまい)装束〉は,白地生精好(きせいごう)(精好)の裂地の束帯で,巻纓(けんえい∥まきえい),緌(おいかけ)の,赤大口(あかのおおくち)(大口),赤単衣(あかのひとえ),表袴(うえのはかま),下襲(したがさね),裾(きよ),半臂(はんぴ∥はんび),忘緒(わすれお),(ほう∥うえのきぬ)(闕腋袍(けつてきほう)――両脇を縫い合わせず開いたままのもの),石帯(せきたい),檜扇(ひおうぎ)(),帖紙(畳紙)(たとうがみ),(しやく)を用い,六位の黒塗銀金具の太刀を佩(は)き,糸鞋(しかい)(糸で編んだ(くつ))を履く。手には鏡と剣をかたどった輪榊を持つ。…

※「冠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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