御厨(荘園)(読み)みくりや

日本大百科全書(ニッポニカ) 「御厨(荘園)」の意味・わかりやすい解説

御厨(荘園)
みくりや

皇室および伊勢(いせ)神宮賀茂(かも)神社などの神社への供膳(きょうぜん)と供祭(くさい)のための魚菜類を貢進することを目的に、おもに漁民を対象に設けられたもの。厨は調理所の意で、御厨も初めはその屋舎をさしたが、のち貢進を担う所領の意味となり、10世紀以降、田畠を中心とする荘園(しょうえん)と同質化の方向に進んだ。

 皇室にかかわる御厨としては、大和(やまと)の吉野御厨、摂津の津江(つえ)御厨、河内(かわち)の大江御厨、和泉(いずみ)の網曳(あびこ)御厨、近江(おうみ)の筑摩(ちくま)御厨などがあり、宮内省の大膳職(だいぜんしき)のもとにあったが、平安時代初期に内膳司(し)の管下に入った。荘園と同質化してからのこれらの御厨は、内膳司領に網曳御厨、御厨子所(みずしどころ)領に大江御厨、津江御厨などが属した。なお、14世紀の内蔵寮(くらりょう)の所領の内には摂津の大江御厨、河内の河俣(かわまた)御厨、大江御厨がみえている。伊勢神宮では神郡(しんぐん)の行政のために神(かんだち)が設けられていたが、孝徳(こうとく)天皇(在位645~654)のときに神だちの名称を改めて御厨としたという。御厨には贄(にえ)が納められ、また祭の後の大饗(たいきょう)もここでなされた。こうしたことから贄を出す土地を島抜(しまぬき)御厨(三重県津市)とか衣比原(えびはら)御厨(四日市市)など御厨とよぶようになった。鎌倉期の『神宮雑例集』は御厨、御園(みその)(野菜・果物類を貢進する)あわせて450余とし、内宮(ないくう)領200余、外宮(げくう)領130余、二宮領110余とその内訳を記している。神宮の御厨は11世紀以降、東海・東国の在地領主から寄進されるものが多くなる。下総(しもうさ)の相馬(そうま)御厨、相模(さがみ)の大庭(おおば)御厨などはその例である。

 賀茂神社の上社(かみしゃ)では近江の安曇川(あどがわ)御厨、播磨(はりま)の塩屋御厨紀伊紀伊浜御厨越中(えっちゅう)の新保(しんぼ)御厨、下社では山城(やましろ)の宇治御厨、摂津の長渚(ながす)(洲)御厨、近江の堅田(かたた)御厨、周防(すおう)の佐河牛嶋(うしま)御厨などの御厨があった。これら賀茂社の御厨は、伊勢神宮の御厨が東海・東国を中心に分布していたのに対し、瀬戸内海を中心にした西国に分布していた。

 なお、神宮では魚菜の供進の中心をなしたのは海に面した志摩(しま)国の御厨であった。賀茂の御厨は、そこに多くの浦を含んでいることに明らかなように、魚類の供進を目的としたものであった。御厨内の浦を中心に活動した網人(あみびと)には漁業について多くの特権が認められていた。これら賀茂社の御厨も11世紀以降、網人の免田畠を中心に荘園化し、網人たちは供祭人(くさいにん)として、その特権を保持しながら活動を続けた。

[西垣晴次]

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