日本大百科全書(ニッポニカ) 「政所(日本史)」の意味・わかりやすい解説
政所(日本史)
まんどころ
上級公家(くげ)の家務機関。鎌倉・室町幕府の政務機関。律令(りつりょう)の制度では、親王家や一位から三位(さんみ)の公卿(くぎょう)家には家令(いえのかみ)・扶(すけ)以下の家司(けいし)を置いて家務を処理させた。平安中期になるとこの制は崩れ、かわって政所・侍所(さむらいどころ)・文殿(ふどの)などが家務をつかさどることになった。政所には別当(べっとう)・令(れい)(四位・五位の者が任ぜられる)、知家事(ちかじ)・大従(だいじょう)・小従(しょうじょう)(六位・七位の者)などの職員がいて、家領の管理など主として財政を担当した。のちには大社寺・国衙(こくが)・荘園(しょうえん)などにも政所が設置されるようになった。
鎌倉幕府は初め公卿以下の公家の例に倣い公文所(くもんじょ)を置いて政務を処理していたが、1190年(建久1)源頼朝(よりとも)が右近衛大将(うこのえのたいしょう)に任ぜられると、翌年正月、近衛大将の家司は摂関・大臣と同列という習慣に従い政所と改称した。公家の制に倣い別当・令・案主(あんじゅ)・知家事などの職員が置かれ、一般政務のほか鎌倉中の訴訟も担当した。長官である別当には一時大江広元(おおえのひろもと)が任ぜられたが、のちにはおおむね北条氏の執権あるいは連署(れんしょ)が兼務することになったため、令にあたる執事を世襲した二階堂氏が寄人(よりゅうど)とよばれる職員を統轄するような形になった。
室町幕府では幕府発足の当初から設けられていたらしい。別当は置かれず、執事には二階堂氏、のちには伊勢(いせ)氏が任ぜられ、20名内外の寄人を統轄していた。幕府および将軍家の財政をつかさどるほか、政所沙汰(さた)とよばれる債権や動産物権関係の訴訟も扱った。
[桑山浩然]