私人間の権利または法律関係についての争いを、国家の設営する裁判所が裁判権の行使によって法律的かつ強制的に解決するための手続ないし制度をいう。私人間の争い(民事事件)を対象とする点において、刑事訴訟や行政訴訟と区別されるが、現在の行政訴訟は通常裁判所の管轄に属することになったので(憲法76条、裁判所法3条)、形式的にはこれも民事訴訟に属するといえる。私的紛争の解決制度としては、民事訴訟のほかに調停、仲裁、和解(示談)などもあるが、強制的要素に欠けていたり、あるいは国家裁判権の行使でない点で、民事訴訟とは異なる。
民事訴訟の中心をなすものは、のちに述べるように、裁判によって権利関係の観念的な確定を図る判決手続と、権利の現実的満足を図る強制執行手続である。ただし、強制執行手続に関しては、「民事訴訟法」とは別個に1979年(昭和54)「民事執行法」が制定されたので、従来、「民事訴訟法第6編強制執行」として規定されていた大部分の規定が、旧競売法の規定とともに民事執行法に統合された。両手続は、いずれも私人の権利実現のために国家が設営する手続であり、両手続が一本化して目的を達する場合が多いから、相互に密接な関係にある。民事訴訟にはほかに手形訴訟・小切手訴訟(民事訴訟法350条以下)、督促手続(同法382条以下)などがある。仮差押え・仮処分訴訟手続は、「民事保全法」(平成1年法律第91号)が制定されるまでは民事訴訟法と民事執行法に分かれて規定されていたが、制定後は民事保全として統合された。また、非訟事件の一つとして規定されているものとして公示催告手続(非訟事件手続法)、破産手続(破産法)、人事訴訟手続(人事訴訟法)などの諸手続がある。
[内田武吉・加藤哲夫 2016年5月19日]
判決によって当事者(原告・被告)間の紛争を解決する手続を判決手続といい、ここでは私的自治の原則が妥当し(当事者主義)、当事者の訴えの提起によって開始される。訴えは、通常の事件は管轄の地方裁判所に訴状を提出して行うが、訴額が140万円を超えない請求の場合は簡易裁判所で取り扱っており、口頭で申立てをすることもできる。訴えに基づいてなす裁判を判決といい、「訴えなければ裁判なし」との法諺(ほうげん)が示すように、裁判所は訴えのあった事項だけについて判決し(民事訴訟法246条)、積極的に訴えのない事件、また訴えの範囲を超えた事項については判決してはならないことになっている。これを処分権主義という。判決は、事件に対する国家(裁判所)の法的判断であるから、判決をなすには、まず法律を適用すべき事実関係を明確にしなければならない。そこで、判決の基本とすべき事実は当事者が主張し、また当事者間に争いのある事実については、その事実を証明すべき証拠を提出する必要がある。つまり民事訴訟においては、当事者が中心となって判決に必要な事実と証拠を裁判所に提出することが原則となっている。これを弁論主義という。そしてその事実の主張および証拠の提出は、民事訴訟法の規定に従ってすべて口頭でなすものとしており、その手続を口頭弁論という(同法87条、148条以下)。裁判所は、この口頭弁論において当事者が主張した事実に基づいて判決するのであるが、当事者が主張した事実に争いがあれば、当事者の提出した証拠によりその真偽を判断することになる。すなわち、当事者間に争いのない事実は、職権で調査すべき事項を除いて、そのまま真実として判決の基礎とされ(同法179条)、争いのある事実は証拠によってその真偽を判断し、真実と認定した事実だけを判決の基礎とする。この場合に、証拠による事実の認定は、いわゆる自由心証主義によって裁判官の全人格的判断に任される(同法247条)。事件の事実関係は以上のような方法で明確にされ、裁判官はその認定した事実に法律を適用して判決する。この法律の適用には、どんな法律を適用すべきかという決定と、その法律の解釈が必要であって、これは「裁判所は法律を知る」Jura novit curia(ラテン語)という法諺のように裁判所の責任とされ、当事者は適用されるべき法律を裁判官に示す責任はないし、また裁判官は当事者の法律上の主張には拘束されない。
以上述べてきたように判決の過程は、事実の認定と法律の適用の2段階に分かれている。そして法律の適用は裁判所の責任とされているが、判決に必要な事実および証拠を提出する責任は当事者にあるわけである。したがって当事者が自分に有利な事実および証拠を提出しない場合には、勝つべき訴訟にも敗訴することもありうる。そこで「権利のうえに眠る者は、これを保護しない」という私法上の原則は、民事訴訟にも置かれていることに留意すべきである。そしてこの場合、当事者の訴訟上の請求の当否についての裁判所の判断を本案判決といい、これには原告勝訴の請求認容と被告勝訴の請求棄却の判決がある。そして、原告勝訴の本案判決には、さらに給付判決、確認判決、形成判決の3種があり、原告敗訴のときは原告が主張する権利または法律関係が存在しないという意味での確認判決となる。なお、訴えの手続や形式が不備であるようなときは、訴訟上の請求の当否の判断に入らずに訴え却下の判決をする。これはいわゆる門前払いであって、この種の判決を訴訟判決という。
[内田武吉・加藤哲夫 2016年5月19日]
次に民事訴訟は、未確定の裁判に対し、さらに有利な裁判を求めるために、上級裁判所に対してなす不服申立ての方法として、上訴制度を設けている。すなわち、第一審の終局判決に対して敗訴した当事者は控訴ができ、これによって事件は控訴裁判所に移り、控訴審では審理を再開続行して、改めて事実点・法律点について判決する。さらに控訴審の判決に対して不服があれば上告できるが、上告審は法律審であるから、もっぱら原審判決が法令に違反するか否かについて審査するだけで、事実問題は持ち出せないことになっている。なお上訴制度のほか、確定の終局判決のあった事件につき、一定の事由(民事訴訟法338条1項)があれば、再審の訴えも認められている。
[内田武吉・加藤哲夫 2016年5月19日]
判決が一方の当事者に給付(行為・不行為)を命じた場合に、その当事者が自発的に給付をしないときは、国家権力によってその給付を強制する必要がある。その手続を強制執行という。これに関しては前記のように、現在は民事執行法の規定がある。強制執行は、判決の内容実現のためにある第二次的権利保護の訴訟手続である。強制執行を担当する機関としては、原則として判決機関のほかに執行官が設置されている。そして民事執行法は、債務名義、その他の強制執行の要件を定めて、それらの要件を具備した執行の申立てがあった場合には、執行機関は当然に強制執行手続を開始すべきものとしている。つまり判決機関は、強制執行の衝にあたらないのがたてまえであり、また執行機関には、執行すべき権利の存否についての判断をする権限が与えられていない。このように執行機関には、実体的審査権がないから、不当な強制執行が行われることがないとは限らない。そのために民事執行法には、各種の異議の申立ておよび訴えを提起する道が設けられている(同法32条、34条、35条、38条など)。なお、旧競売法に規定されていた担保権の実行なども、権利実現の方法であるところから、民事執行法に定めている(同法180条以下)。
[内田武吉・加藤哲夫 2016年5月19日]
金銭その他代替物または有価証券の一定の数量の給付を目的とする請求について、債権者の申立てに基づき、債務者を審尋しないで、これに支払督促を発し、債務者から異議の申立てがなければ、さらに仮執行宣言を付して強制執行ができるようにする給付訴訟の代用手続を督促手続という。もっとも、債務者から異議の申立てがあると、通常の訴訟手続に移行して審判されることになる(民事訴訟法382条~396条)。
[内田武吉・加藤哲夫 2016年5月19日]
経済の発展に伴い手形・小切手の流通が激増したため、この種の請求権の迅速な実現の必要から、1964年(昭和39)に新設された制度であり、現行民事訴訟法に受け継がれている(同法350条以下)。手形訴訟で請求できるのは、手形による金銭の支払いおよびこれに付帯する法定利率による損害賠償の請求である。この訴訟においては、被告による反訴は禁止されており、証拠は原則として書証に限られる(同法350条~366条)。これらの特色は、小切手訴訟にも準用されている(同法367条)。
[内田武吉・加藤哲夫 2016年5月19日]
将来の強制執行のため現状を保全する処置を許すか否かを裁判する手続をいい、これらは前記のように民事保全法で規定されている。仮処分は、これ以外にも、紛争の解決まで現状を放置すると当事者に著しい危険・不安を生じ、あるいは解決の目的を失わせるような結果となるおそれのある場合に、裁判で応急の暫定的処置を定める場合にも認められる(仮の地位を定める仮処分)。仮差押え・仮処分(民事保全)の命令は申立てにより裁判所が行い、執行は裁判所または執行官が行う(民事保全法2条)。また民事保全の手続に関する裁判は、口頭弁論を経ないですることができる(同法3条)。
[内田武吉・加藤哲夫 2016年5月19日]
異議を申し出る者があるかどうかがわからないため権利行使ができないでいる者の申立てによって、裁判所が公告をして期間を定めその申し出を催告し、その申し出をしない者を失権させて、申立人の権利行使を自由にするための除権決定をする手続をいう。また、有価証券の盗取、紛失、滅失の場合に、それら有価証券を無効にする除権決定をするための手続がある(非訟事件手続法99条以下)。
[内田武吉・加藤哲夫 2016年5月19日]
前記した強制執行手続は、特定債権者のために、債務者の個々の財産に対してなす個別的執行手続である。これに対して債務者(破産者)の全財産に対し、総債権者(破産債権者)のためになす包括的執行手続を破産手続という。破産手続においては、債務者(破産者)の財産の管理・換価および債権者に対する換価金の配当が行われるのであるから、一種の執行手続である。しかしそれは債務者の総財産に対し、総債権者のために行う包括的執行手続である点において、個別的な強制執行手続とは異なるので、独立した破産法典を設けて、別な法律制度としている。すなわち、破産手続においては、破産債権者のため、債権を調査し、限定した条件のもとにその債権が確定されるのであるから、その限りにおいて判決手続の性格をも有している。
[内田武吉・加藤哲夫 2016年5月19日]
婚姻・親子などの基本的身分関係は、他人間の身分関係の基礎にもなるわけであるが、財産的利益の紛争のように相対的に当事者間で解決するだけでは、身分的秩序が混乱することがありうる。そこで第三者との関係をも考慮して、できるだけ画一的に取り扱う必要性があり、判決の効力を対世的に及ぼすことにする関係から、通常の手続と異なり、弁論主義を排して職権探知主義をとっている点に特色がある。
[内田武吉・加藤哲夫 2016年5月19日]
私人間の紛争を裁判所が裁判によって解決する手続であり,法に従って進められるものである。調停,仲裁,和解(示談)などと並ぶ私人間の紛争を解決する手続である。なお〈刑事訴訟〉〈訴訟〉の項も参照されたい。
私人間の紛争には,土地や家屋の明渡しや所有権の帰属の争い,貸金の返還,売買代金の支払,損害の賠償,さらには,日照権をめぐる争いなどさまざまな争いがあるが,これらのいわゆる民事紛争においては,争っている当事者同志がよく話し合って,一定の合意に到達して解決できれば,それにこしたことはない。もともと,私人同士の生活関係は,相互の交渉で自由に決めてよいものであり(私的自治の原則),そのことは,いったん紛争になったとしても変りないからである。このように当事者間の合意によってその間の紛争を解決するのが,和解とか示談とかいわれるものであるが,このような当事者の自主的な話し合いによる解決がつねにできるわけではない。ときには,話がこじれて,強者の無理が通って弱者は泣き寝入りになったり,暴力沙汰になったりしかねない。そうなると,国家も,私的自治だけを理由にして無関心でいるわけにいかない。社会不安や社会的不正義を避けるためには,当事者間の話し合いだけにまかせておけず,たとえ一方の当事者の意思に反しても,その解決を図ってやらなければならなくなる。こうした社会・国家の必要に応じるため,国家が裁判所を設けて私人の利用に供しているのが,民事訴訟制度である。
したがって,それは,当事者の意思に反しても紛争解決を図ろうとする意味で,民事紛争を強制的に解決する制度である。すなわち,一方の当事者が訴えを提起すれば,相手方(被告)の意思にかかわらず民事訴訟の手続は進められることになる。訴状が裁判所を通して相手方に送られ,一定の日(期日)に裁判所に出頭するように呼び出される。むろん,その日に出ていくかどうか,出頭して自分に有利な主張をするかどうかは本人のかってであるが,欠席したり,なんらの答弁もしないならば,訴えた側(原告)の主張どおり自分に不利な判決が言い渡されることになる。
また不利な判決に対しては,上級の裁判所に不服を申し立てること(上訴)ができるのが原則であるが,これも定められた期間(上訴期間)内にしないとその権利を失ってしまい,判決が確定する。もし,〈原告は被告に金1000万円を支払え〉とか〈被告は原告に何番地の土地を明け渡せ〉というような判決(給付判決)が確定すると,被告がそのとおりの支払や明渡しを任意にしないときには,原告は,さらに裁判所や執行官(執行機関)に強制執行の申立てをすることができ,被告の意思にかかわらず,原告はその判決内容を国家権力によって実現してもらえることになる。このような意味で民事訴訟は,強制的な紛争解決制度といえるわけである。
これに対して,調停は,一方の当事者の意思のみでその手続を始められる点では,民事訴訟に類するが,その手続では,調停委員が両当事者を説得してその間に合意が成立するように話し合わせる手続であって,当事者が合意に至らなければ,調停不成立となり,紛争は解決しない。
また,仲裁は,仲裁人の最終的判断(仲裁判断)に両当事者は拘束されるので,仲裁判断があれば,紛争は解決されうるが,仲裁判断に服しようという当事者間の合意(仲裁契約)があるときにだけ始められる手続である点で,やはり当事者の合意に基礎を置いた解決手続である。
このように調停も仲裁も,当事者がその気にならなければ紛争は解決できないという性質のものであり,民事訴訟に対して,任意の紛争解決制度といわれる。ただ,民事紛争はできるだけ当事者の意思にそって解決されるのが望ましいので,調停や仲裁も,紛争解決制度として重要な役割を担わされている。当事者のほうからいえば,ある紛争の解決のためにいろいろの手続を選択利用でき,訴訟以外の手続によってはどうしても解決できない場合には,訴訟によらざるをえないということになる。
民事訴訟はあくまでも私人間の紛争の解決のための制度であって,これを訴えを起こすことより利用するかしないかは,私人の自由とされているとともに,私人のほうからいえば,利用しようと思えば,だれでもこれを利用できるというもので,その私人の地位は,〈国家に対する裁判を受ける権利〉として,憲法上保障されているものである(32条)。訴えといわれるものは,この制度を利用するとの原告の意思を明確に表す行為であり,この訴えがないのに,国家(裁判所)が私人間の紛争をかってにとり上げて裁判することはない。また,訴訟になっても当事者が裁判を求めた事項についてのみ裁判し,それ以外のことに裁判してはならないという建前(処分権主義)や,当事者の主張立証した事実のみを基礎にして裁判をする建前(弁論主義)をとっている。いずれも,紛争解決過程においても,私的自治の原理を最大限に尊重すべしとする考え方に基づく。また,その手続は,両当事者を公平に扱うものでなければならないし,他方,なるべく速く,しかも費用のかからないものであることが望ましい。こうした,諸要請にこたえる必要から,手続の基本的枠組みは,すべて〈民事訴訟法〉という法律によって規律されている。
民事訴訟は,広義では,民事執行手続や倒産(破産,和議,会社更生)手続も含むが,狭義では,双方の当事者の言い分を聞いて判決を言い渡す手続(判決手続)のみをさす。もっとも,このなかには,督促手続,手形訴訟および小切手訴訟,人事訴訟手続,行政事件訴訟(行政訴訟)等の特別手続,証拠保全手続,民事保全手続(仮差押え・仮処分訴訟)などの付随手続も含まれている。また,民事訴訟は,訴えによって求められる裁判内容の種類によって,給付訴訟,確認訴訟,形成訴訟に分けて考えられる。
(1)日本においては,民事訴訟の利用率が欧米に比べてかなり低いといわれており,それが,日本人の法意識や権利意識の低さを示す徴表の一つともいわれている。たしかに日本人には,裁判所に訴えてまで争うということを好まず,権利主張をあきらめてしまう性向があることは否定できない。しかし訴訟制度を利用するのに,はかりしれない金と時間と気苦労とを要することも事実で,これらが訴訟制度を利用する効用を減殺している点も無視できない。したがって,訴訟利用率の低さの一事をもって,権利意識の低さを論じるのは,早計であろう。
(2)昭和40年代に始まる公害訴訟,日照権の保護を求めて建築の制限や差止めを求める訴訟,また,大阪国際空港訴訟や名古屋新幹線訴訟などのように公共交通機関のもたらす騒音や振動の差止めを求める訴訟,種々の医療過誤訴訟,消費者の保護を求める訴訟,禁煙車を設けよと国鉄(現JR)を相手にした嫌煙権訴訟等,近時の民事訴訟は,社会の注目を浴びるようになった。これらの訴訟は,社会生活の発展・複雑化に伴って社会に構造的に生じる種々の利害の衝突につき,政治や行政面での対策が立ち遅れた結果,不利益をこうむる人々が最後のよりどころとして訴訟を利用しているものといえるが,民事訴訟の現代社会における効用を示すものとして注目される。
しかし,このような,いわば現代型訴訟には,これまでの民事訴訟にみられなかったもろもろの問題が含まれている。たとえば,それらの訴訟では,とくに当事者の集団化現象がみられる。共通の被害を受けている多数の者が原告になったり,複数の企業が共同の責任を問われて同時に訴えられたりしているケースが多いし,薬害訴訟のように一つの訴訟の結果が他の被害者集団の紛争解決の指針に事実上なるといったような状況もみられる。また,行政や立法を促す広範な波及効果をもつこともしばしばである。こうした訴訟では,多数の影響を受ける利害関係者の言い分をだれがどのようにどの程度個々の訴訟の中に反映させていくかという問題が生ずる。訴訟は元来1人対1人の紛争を念頭にして考案されてきたもので,このような多数の複雑に絡み合う利害を適切に調整するようには作られていない。したがって,このような現代型訴訟を取り扱うには制度自体の改善を図る必要があるし,逆に,果たして裁判所でめんどうをみるべき問題かどうかという疑問がある。むしろ政治や行政の問題ではないかという形で,その訴訟を取り上げて本案判決をすべきか,それとも門前払い(訴え却下の判決)をすべきかが厳しく問われてくることにもなっている(〈訴えの利益〉の項参照)。
(3)現代型訴訟といわれるものは,このように,訴訟の効用と限界を改めて問い直すものであるが,近所づき合いや,学校の先生と生徒,生徒間,職場の同僚間といった関係で生じる紛争の解決のために,訴訟は果たして適切な手段であるか,ほかにもっと適切な手段を考案する必要はないかといった問題も,同時に提起されている。近所の知り合いに子どもを預けて買物に行っている間に,その子どもが池に落ちておぼれ死んだというので,預けた親が預かった親を訴えて勝訴判決を得た(1983)が,そのことがマスコミに報道されるや,匿名の人々からの非難やいやがらせの手紙や電話が殺到し,原告はついに訴えを取り下げざるをえなくなったという事件(いわゆる隣人訴訟の一例)があったが,このような事件の発生は,裁判を受ける権利が憲法上保障されているにもかかわらず,それが実際にはいまだ十分に確立されていないという点を反省させられるとともに,そもそも,このような紛争を解決する手段として,民事訴訟が適切なものかどうか,もっと気軽に利用でき,双方の当事者も納得できるまで話し合えるような訴訟とは異なった手続を考案する必要はないか,という問題を投げかけている。
(4)訴訟は,公平で慎重な裁判がなされるようなものでなければならないとすれば,それをどんなに改善しても,やはりある程度の時間と金がかかることは避けられない。そこで,紛争がごく少額のものになると,そこにかかる費用や時間のコストのほうが係争額を上回ることは避けられず,訴訟を利用する動機が著しく殺(そ)がれることになる。そこでそのような少額事件については,その手続を徹底して簡略化して,その利用意欲を促進しなければ,裁判を受ける権利も画餅となるおそれがある。そこで各国とも,公平で適正な裁判であるための最小限の手続保障に配慮しつつも,徹底した手続の簡略化をはかっている。アメリカなどの少額裁判所はその一例であるが,日本でも,新民事訴訟法(1998年1月1日施行)において,30万円以下の金銭請求について,手続を思い切って簡略化した少額訴訟手続を設けた。
以上のように,現在の民事訴訟については,各方面から,政治や行政その他の紛争解決制度との関連から,訴訟制度の役割分担が問い直され,事件の種類に対応した多様な紛争解決手続のあり方が模索されているといえるが,いずれの問題も,裁判を受ける権利--正義にかなった紛争の解決を求めることができる地位--の実質的な保障という課題を追求しているものといえよう。
→裁判 →訴訟
執筆者:新堂 幸司
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…訴訟制度を利用するに際して課されるこのような要件または制約を訴えの利益という。
[民事訴訟]
訴えの利益のない訴えは不適法として却下される。民事訴訟は,原告の被告に対する法的な主張を論争の対象とするものであるから,法律的にその当否が判断できる具体的な権利または法律関係についての主張でなければ,利益のある訴えとはいえない。…
…裁判と同義に用いられることが多い(裁判)。
[訴訟の種類とそれぞれの特色]
現在は,訴訟といわれるものには,民事訴訟,刑事訴訟,行政訴訟の3種類がある。 民事訴訟は,私人間の法的紛争を取り扱う。…
※「民事訴訟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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