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鎌倉[市] かまくら

百科事典マイペディアの解説

鎌倉[市]【かまくら】

神奈川県東部,相模湾に面する市。1939年市制。中心市街は鎌倉幕府が置かれた地で,三方を丘陵に囲まれた埋積低地にあるため各所に丘陵を切り開いた切通し呼ばれる道が通じる。
→関連項目篝屋相模国陳和卿

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世界大百科事典 第2版の解説

かまくら【鎌倉[市]】

神奈川県南東部,三浦半島の基部に位置し,相模湾に臨む市。人口17万0329(1995)。市の中心部は標高100m内外の丘陵に囲まれた低地で,その周辺に〈やと〉〈やつ〉と呼ばれる奥深い谷地が多く見られる。1192年(建久3)鎌倉幕府の成立により武家政治の中心地となり,室町時代に入ってからも鎌倉府所在地として栄えたが,15世紀半ばに鎌倉公方足利成氏が鎌倉を追われて以後衰退した。鎌倉彫相州物などの手工業も残ってはいたが,江戸時代にかけては農漁業中心の寒村であった。

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世界大百科事典内の鎌倉[市]の言及

【相模国(相摸国)】より

…《古事記》は〈相武〉と書いて〈佐賀牟〉とよみ,《和名類聚抄》は〈相摸〉と書いて〈佐加三〉とよんでいる。大化改新前には国内に師長(しなが)国造,相武国造,鎌倉別(わけ)が存在しており,これら三つの政治圏は,相模国内のそれぞれ西部地域(酒匂川流域),中央地域(相模川流域),東部地域(鎌倉,三浦郡辺)を基盤としていたと推測される。伝承としては記紀の日本武尊東征説話に,走水の渡海に際して弟橘媛が入水した話や,日本武尊が足柄坂で弟橘媛をしのんで〈吾婕(あづま)はや〉と三嘆したという話などに〈相武〉の名が見える。…

【都市】より

国府都城【鬼頭 清明】
【中世】
 日本の中世都市に関する古典的研究は,西欧の古典的中世都市論の影響の下に,古代都市を統治機能中心にみるのと対の形で,経済すなわち商業手工業中心に自治の達成を規準としながら論じられてきた。したがって中世前期は古代の残影という視角で三都(京都奈良鎌倉)の変貌,形成をとらえ,商業・手工業の発達する中世後期に及んで地方を含めて多様な中世都市が一律に自治的要素をもって本格的に成立するとみる傾向が強かった。さらに三都や城下町門前町寺内町港町等々の多様な地方都市の質的差異や,構造的連関まで論じられることは少なかった。…

※「鎌倉[市]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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