翻訳|white
イギリスの牧師,博物学者。ロンドンの南西約80kmに位置する生地セルボーンで牧師補をつとめながら自然の観察に熱中し,その成果を約20年間にわたり書簡の形で博物学者ペナントThomas Pennant(1726-98)らに報告し続けた。これらの書簡をまとめた著作《セルボーン博物誌》(1789)は,美しい文体と鋭い観察眼とを兼ね備えた自然史文学の古典であり,また政争から身を引き自然に遊ぶ隠棲者の随想としてもI.ウォールトン《釣魚大全》と双璧を成す。彼の弟ベンジャミン・ホワイトBenjamin White(1725-94)が博物学書の出版を手がけていた関係から著者の一人ペナントとギルバートとの親交が始まっており,また《セルボーン博物誌》の初版も弟の手で出版された。牧師や博物学者がその居住地域の故事と自然史を研究し著書にまとめる習慣はプロットRobert Plot(1640-96)の《スタッフォードシャー博物誌》(1686)を先駆として18~19世紀に流行した。しかしその中からホワイトの著作だけが古典として残ったのは,鳥の渡りや生殖行動をはじめ,生物の生態を自身の目で科学的に観察し,神話や伝承から得た民俗的情報との混同を避けた記述態度によるといえよう。
執筆者:荒俣 宏
オーストラリアの小説家,劇作家。シドニー南西の大牧場主の子として,両親の旅先のロンドンで生まれた。ケンブリッジ大学卒。第2次大戦でイギリス軍情報部勤務中,知り合ったギリシア人男性と今日まで続く共同生活に入った。1948年に20年余の欧米生活を打ち切り帰国,シドニー南郊に住んだ。〈精神の白夜の国〉オーストラリアの人間であることは,ホワイトの作家としての運命を決定した。彼自身の倨傲とマッチしたヘレニズム的な高みから,自国の精神的卑俗さを凍りついた憎悪で切り刻む文体は,ローソンを中心とする,共同体意識に貫かれたこの国の文学潮流ではとらえられなかった孤立者の内面の神秘に光をあてた。73年この国初のノーベル文学賞を受賞した。代表的長編小説に《人間の樹》(1955),《ヴォス》(1957。邦訳あり),《完璧な曼荼羅》(1966),《生体解剖人》(1970),《台風の目》(1973),《トワイボーンの場合》(1979),戯曲の代表作に《四つの戯曲》(1965)がある。自伝《ひび割れた鏡》(1980)は同性愛の告白が衝撃を与えた。
執筆者:越智 道雄
アメリカの文化人類学者。コロンビア大学のF.ボアズのもとで学ぶ。はじめは文化とパーソナリティ論に関心をもったが,イロコイ族を調査するに及んで,アメリカ・インディアン研究の先駆者L.H.モーガンの著作,ことにその進化理論に深く影響されるようになった。20世紀前半の反進化論的なアメリカ文化人類学界にあって,前世紀のモーガンやE.B.タイラーの進化理論を積極果敢に再評価したところから,新進化主義者と呼ばれた。彼の進化理論は,人類社会に普遍的な進化段階を追究するいわゆる単系進化論であり,エネルギー使用量を文化進化の原動力と考えた。その理論は,各民族の文化進化と生態学的環境との関連を重視したJ.H.スチュワードの多系進化論と対比されることが多い。ミシガン大学人類学部を創設し,E.R.サービスやM.D.サーリンズなど,多くの進化主義的人類学者を養成した。
執筆者:松園 万亀雄
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アメリカ合衆国の歴史家,大学教授,外交官,教育者。アメリカの大学が古い宗派的な束縛から解放され,純粋科学や応用科学が文学などと同等な地位を持つことを理想とし,1865年,エズラ・コーネルとともに,今日研究大学,進歩的な大学として名声を有するコーネル大学を共同で設立した。ニューヨーク州に生まれ,イェール大学で学士号を取得。同級生にダニエル・コイト・ギルマンがいた。パリ大学やベルリン大学にも学び,1858年にミシガン大学歴史学および英文学教授,66年にコーネル大学歴史学教授ならびに初代学長(任期1885まで)となる。外交官としても活躍し,1892~94年にロシア大使,1897~1902年にドイツ大使を務めた。著書に『キリスト教国における科学と神学の戦いの歴史A History of the Warfare of Science with Theology in Christendom』(上下2巻,1896年)があり,一部邦訳されている(森島恒雄訳『科学と宗教との闘争』岩波新書,1968年)。ニューヨーク州イサカで死去。
著者: 赤羽良一
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…オールトンの町の南方8km。ここに生まれ,生涯の大半をこの地で過ごした牧師ホワイトGilbert White(1720‐93)の《セルボーンの博物誌》(1789)で有名。彼はこの書で草木や鳥魚の行動などを正確に観察し,自然に対する無限の愛着を示した。…
…オールトンの町の南方8km。ここに生まれ,生涯の大半をこの地で過ごした牧師ホワイトGilbert White(1720‐93)の《セルボーンの博物誌》(1789)で有名。彼はこの書で草木や鳥魚の行動などを正確に観察し,自然に対する無限の愛着を示した。…
…アメリカでは全博物図鑑中の最大傑作といわれるJ.J.オーデュボン《アメリカの鳥類》がほぼ同時期に出版されている。一方,博物学書は文芸作品と同じ感覚でも鑑賞されるようになり,G.ホワイトの《セルボーン博物誌》を先駆けとして,J.H.ファーブル《昆虫記》やE.T.シートン《動物記》のような人気作品が書かれた。 20世紀にはいると博物学は,生物学プロパーというよりもむしろ専門家でない自然愛好者が手がける分野と考えられるようになり,記述の学あるいは自然観察の学の全般的衰退をみるに至った。…
…アメリカのL.H.モーガンは,社会の発達を,蒙昧(もうまい),野蛮,文明の3段階に分けて進化論を展開した。ところが,文化の変化は必ずしも一系列的に起こるものではないことが明らかになり,文化進化論はゆらいだが,その後,ホワイトL.A.White,E.サービスらは,文化の新進化論を唱えた。地球上における旧石器時代以来の文化の発達,進化そのものは否定しえない事実であるからである。…
…そこでアドルノらは,大衆文化は,社会変革に向けられるべき大衆のエネルギーを吸収しており,その意味で大衆文化はきわめて政治的意味をもっていると批判した。 このような大衆社会批判はL.A.ホワイト,ローゼンベルクなどアメリカの論者たちに受け継がれ,創造的な教養文化は大衆文化によって危険にさらされていると主張された。すなわち,大衆文化は文化産業のもつマス・メディアを介して普及される。…
…アメリカのL.H.モーガンは,社会の発達を,蒙昧(もうまい),野蛮,文明の3段階に分けて進化論を展開した。ところが,文化の変化は必ずしも一系列的に起こるものではないことが明らかになり,文化進化論はゆらいだが,その後,ホワイトL.A.White,E.サービスらは,文化の新進化論を唱えた。地球上における旧石器時代以来の文化の発達,進化そのものは否定しえない事実であるからである。…
※「ホワイト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
突発的に発生し、局地的に限られた地域に降る激しい豪雨のこと。長くても1時間程度しか続かず、豪雨の降る範囲は広くても10キロメートル四方くらいと狭い局地的大雨。このため、前線や低気圧、台風などに伴う集中...