翻訳|ash
各種の物質を燃焼させた後に残る粉末をいう。動植物の灰は,有機質が燃焼して無機質か不燃性残留物として残ったもので,カリウム,ナトリウム,カルシウムなどの酸化物,炭酸塩,リン酸塩,ケイ酸塩などであることが多い。鉱物質を煆焼(かしよう)あるいは焙焼(ばいしよう)してあとに残る灰は,それぞれの成分金属の酸化物,硫酸塩,ケイ酸塩などである。わらや木材など陸上植物の灰は,農業でのカリ肥料として用いられるように,その水溶性部分の大半が炭酸カリウムで,少量のリン酸カルシウムなどを含んだものである。これに対し海草など海中植物の灰は炭酸ナトリウムが主成分である。一般に植物の灰を水に浸し,その上澄み液をとったものをあく(灰汁)といい,古くから洗剤,漂白剤などに用いられてきている。これは炭酸カリウム水溶液の強いアルカリ性のもつ洗浄作用を利用したものである。石炭は古代の植物が分解生成したものであるが,それに各種の鉱物質が混入してきているので,石炭灰には多量の各種金属塩が含まれてくるのが普通である。一般に通常の植物灰と違って,アルミナ,ケイ酸塩などを大量に含み,水に不溶の成分が多い。
執筆者:中原 勝儼
日本は灰の利用の進んだ国であり,肥料,染色,製紙,あく抜き,中和,殺菌薬用,洗剤,焼物の釉(うわぐすり)など多様な使われ方をし,灰色という色名もある。染色に用いる灰は早くから商品化され,16世紀初頭には和泉国日根郡には紺屋に売る灰を生産する紺灰座があった。また近世初頭の文化人としても著名な灰屋紹益(しようえき)(佐野紹益)を出した灰屋は,京都で紺灰を扱う豪商であった。江戸時代には灰買いが都市の灰を買い集め,川越などにはその灰を取引する定期の灰市(はいいち)も立った。また,山村などでは山仕事の一つとして〈灰山(はいやま)〉といって山で木を焼いて灰を作る作業があり,紺屋用や酒造用に売ったり,肥料とした。農村には,肥料用の灰をためておく灰小屋がみられ,そこで灰を作ることもあった。
このような実用的な役割のほか,灰はまじないや占いなどさまざまな呪術宗教的用途もあった。灰は燃えかすとして塵芥(じんかい)同様に捨てられるべきものとのみは考えられておらず,焼畑耕作などを通じて,森林などを焼いたあとの灰から植物や作物が再び生長してくるように,再生の象徴とされたのである。このことは,〈灰坊〉や〈花咲爺〉などの昔話で,身分の低い火たき男が金持ちの婿となったり,枯木に灰で花を咲かせたりする形であらわれている。《今昔物語集》巻二十四には竜にあって倒れた従者をよみがえらせるのに灰を使う話がある。また岩手県北部では,胞衣(えな)を木灰などの灰気の所に埋めるとよみがえって産婦に害を与えるので灰気の所をさけると伝えている。昔話の〈鬼聟入〉では,夫が妻のしかばねに桑の灰をかけるとよみがえり,逆に悪い姉は灰が目に入って死ぬと語られ,灰の二面性が示されている。灰をつめた俵やむしろの上で出産するのも,単に汚物を吸収する目的のほかに,灰のもつ再生力に対する信仰もあったと思われる。
灰は塩と同様に穢れ(けがれ)を払うものともされ,汚物の上に灰をまいたり,出棺後に木灰をまいたりした。さらに,小正月の左義長の灰を家の周囲にまいて魔よけとしたり,その灰や炭を塗りあって健康や無病息災のまじないともした。護摩の灰も御守にされたり,服用されたりする。《古事記》の神功皇后の新羅遠征の記事には,木灰を瓠(ひさご)に入れ多くの箸や葉盤(皿)とともに海に散らして航海の無事を祈ったとあるが,今日でも灰を持って船に乗れば遭難しないとか,船で船幽霊などに出会ったときに灰を落とせば離れるという。また茨城県結城郡石下町(現,常総市)篠山では,桟俵に枕団子を煮た灰をのせ煮汁をかけてしゃもじをそえて出棺の際に家の門口に出しておくという。ここでも灰は死者の食物とされており,同時に死霊を払うという性質をもつものとも考えられている。
灰は卜占にも用いられ,灰占(はいうら)といって埋火や火桶の灰を見て吉凶を占う。徳島県三好郡祖谷山村(現,三好市)では,死後6日目に家の入口に灰を入れた膳を置いて,そこについた足跡で死者が何に生まれかわったかを知るという。また沖永良部島ではなにか悪い予兆があると,ユタに占ってもらい,浜降りといって2晩1日を浜ですごし,3日目の朝に家のかまどの灰になにか模様がついていれば願いがかなったという。
神事にたずさわる者は灰を穢れとして,祭の期間灰に触れることを忌む風習がある。これは灰が死や肥料など穢れたものと深く結びついているためとされており,〈灰をふむと病人になる〉という俗信もある。また,灰は焼かれたものの霊や本質が凝縮されたものとみられ,釈迦の仏舎利崇拝や隠れ蓑を焼いた灰を身体に塗って隠れる話もその一例である。また灰をもって仏像を作った灰仏(はいぼとけ)なども各地にあり,とくに兵庫県姫路市の書写山円教寺に伝わる〈灰の弁財天〉は有名である。
執筆者:飯島 吉晴
古代東洋医術においては,草木,昆虫,魚介類,禽獣のほか,動物の糞の灰まで薬用にされていた。たとえば雄ギツネの糞を焼いて灰にしたものは熱性の疫病を治し,悪を避けると信じられていた。また,落雷のショックによる失神,水におぼれて仮死状態になった場合や,凍死者の蘇生法に,暖かいわら灰の中に寝かせる方法がある。《大同類聚方》では,冬,山の生木を焼いた灰を〈やまあご〉,または〈やまはい〉といい,物狂いの薬の処方薬の一つとしてあげている。灰のなかで代表的なものは貝類のカキの殻でつくる殻灰で,嘔吐や溜飲に服用した。このほか,シジミやハマグリの灰は湿瘡の塗布薬として用いられた。ヒトの抜毛を集めて焼き,灰にしたものは乱髪霜(らんぱつそう)といい,止血や利尿などの薬として現代漢方でも使われているが,唐代以前から用いられていたものである。
執筆者:槇 佐知子
灰は焼かれた聖なる遺骸の象徴であり,宗教的に重んじられた。ギリシアの旅行家パウサニアスによれば,テーバイのアポロン神殿にある祭壇は犠牲獣の灰が絶えなかったという。フィリピンではこの聖灰をふりまいて結界を作り,悪霊よけとする。またユダヤ教徒は懺悔(ざんげ)の際に麻の喪服を着け,頭に灰を浴びる習慣をもち,カトリック教会とアングリカン・チャーチで祝われる〈灰の水曜日〉に継承された。四旬節の初日にあたるこの日,信徒は懺悔の象徴として頭に灰をかぶる。またヒンドゥー教でも灰で浄めを行う儀式がある。これらの行為は死を儀礼的に体験することを通じて魂の浄化をめざすものといわれ,一種の自己埋葬とみることもできる。これらの灰は携行すれば魔よけになると信じられ,ニューギニアでは殺したヘビの灰を足に塗っておくと,森を歩いても毒ヘビにかまれぬなどといわれる。また仏教の舎利(しやり)やカトリックの聖遺物に対する信仰なども,これに関連しよう。しかし半面,灰は死者に対する悼みや悲しみの象徴ともなり,たとえば古代ギリシアでは葬式のとき灰を体に塗って悲しみを表した。また〈灰を食(は)むeat ashes〉という英語の表現は〈絶望〉を示す。
木や草の燃えかすとしての灰は火の特性と深くかかわり,生命力と豊穣の象徴とされる。イギリスでは夏至の前夜や聖ヨハネの祝日(6月24日)などに燃やしたかがり火の灰は,豊作を呼ぶまじないとして畑にまかれた。焼畑農耕では灰が有用な肥料となることから,生命の源と考えられたのであろう。なお,C.ペローの童話で知られるシンデレラCinderellaの名は,〈燃えさしの灰〉を意味するcinderに由来し,原義は〈灰かぶり姫〉である。灰に埋もれて働くこの主人公は,死と再生を暗示するとともに古い豊穣神が童話化された姿でもある。
執筆者:荒俣 宏 灰を象徴的な〈しるし〉として儀礼などで用いる習俗は世界中にみられる。ニューギニア・西イリアンのアスマット族では,葬儀のとき未亡人の身体に死霊が入らぬように灰を塗るが,古代ギリシアやエチオピアでも灰を身に浴びることが服喪の標識であった。スーダンのヌエル族では供犠する牛に灰を塗って聖別をする習俗があり,ウガンダのテソ族では女性が自分の炉の灰を飲んでだれかにまじないをかけると効果が生じると信じられている。このような灰の儀礼的使用の意味は,灰の両義的な性格に負っていると考えられる場合が多い。アマゾンのデサナ族の宗教的シンボリズムでは,灰は子宮を表す炉と結びついて増殖を象徴する一方で,神が恐ろしい動物たちと災厄で満ちていた世界を焼き払ったという大火と結びつき,文化をつくり出す破壊をも象徴している。デサナでは少女が初潮を迎えると,結婚可能な女性として集団に加入する儀礼を行うが,そのとき灰が地面にまかれる。その灰は,少女の女性としての増殖力を表象すると同時に,大火との結びつきによって,近親婚を禁じる文化的な外婚規制を表象してもいる。灰の宗教的使用は古代インド宗教においても顕著である。とくにシバ神を信仰する宗派は,灰で沐浴し身に灰を塗っていたが,灰には穢れを浄化し悪霊の侵入を防ぐ力があるとされる一方で,灰は無益なものであり,ときには不浄なものともされた。シバ教徒は灰を身に塗ることでみずからの身体を聖域として浄化すると同時に,みずからの無益・無所有を表象した。また,灰が死と同時に再生をも象徴している社会もみられ,アフリカのヌデンブ族などの割礼をともなう成年式においては,聖物を燃した灰が地面にまかれ,子ども期の終焉(しゆうえん)と成年としての再生が儀礼的に表象される。
→火
執筆者:小田 亮
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
物質を燃焼させたとき、あとに残る粉末をいい、通常はいわゆる灰色をしている。陸上植物を燃やしてできる灰の水溶性成分は、主として炭酸カリウムであり、海中植物では炭酸ナトリウムである。したがって陸上植物の灰はカリ肥料として用いられる。古くから焼畑農業などをはじめとして、現在に至るまで畑で藁(わら)などを燃やした灰が用いられるのはこのためである。木灰の組成は、約30%の炭素分のほかは、ケイ酸分SiO2約30%、アルミナ分Al2O3約5%、カリ分K2O約2%、カルシウム分CaO約5%、リン酸分P2O5約3%であり、そのほかマグネシウム、鉄、ナトリウム、マンガンを含んでいる(これらの組成は木の種類によってかなり変動する)。
練炭や石炭は、植物の分解生成物のほかに鉱物質の成分が混入しているので、これらを燃やして得られる灰は肥料には適さない。植物の灰を水に浸して得られる上澄み液は灰汁(あく)といい、古くから使われたアルカリである。
[中原勝儼]
日本では、麻などの繊維やトチの実などの食料のあく抜きにも使うが、肥料として用いられることが多かった。農家の自給カリ肥料としては、灰がほとんど唯一ともいえ、おもに畑作(定畑(じょうばた))に使われ、元肥(もとごえ)や追肥、あるいは播種(はしゅ)に灰と下肥、堆肥(たいひ)等を混ぜ、さらに種子を混ぜ合わせて行う所も多い。水田稲作では苗代や本田の元肥、雪解け促進に使われている。記録上では『永昌記(えいしょうき)』の大治(だいじ)4年(1129)の裏文書に「当牧之法、元三以後採柴為灰、入御供田令肥者也」(当牧の法、元三以後柴を採り灰となし、御供田に入れ肥えせしむるものなり)とあり、平安時代末には低木の灰が肥料として使われたことがわかる。しかし灰を肥料とすることはそれ以前からあったと考えられる。肥料としての灰は草木灰が古く、のちに藁(わら)灰や糠(ぬか)灰も使われ、農家では灰小屋、灰屋、焼土(しょうど)小屋などとよぶ小屋を母家(おもや)とは別につくって、ためておいた。この小屋は全国各地でみられ、家の竈(かまど)などの灰や灰焼き(アクヤキ、ハイヤキ)などとよんで、山の草木、笹(ささ)、塵芥(ちりあくた)等を焼いてつくった灰をためた。また灰は甘藷(かんしょ)に多用されたので、埼玉県の川越には灰市(はいいち)が立ったり、この周辺には灰問屋もあり、売買の対象ともなった。江戸時代末の『守貞漫稿(もりさだまんこう)』には、京坂や江戸では灰買いが町屋から灰を買い集めたとある。灰の肥効については、草木灰と藁灰、完全に燃えた白灰と燃え尽きてない黒灰のどれがいちばんよいか、土地によって異なっている。
灰は肥料などに使われるほか、占いや呪(まじな)いにも用いられた。『八雲御抄(やくもみしょう)』(1221ころ)には内容は不明だが灰占いがみえ、また東北・中部地方には十二焼といい、小(こ)正月の粥(かゆ)を煮た燠(おき)を12個並べて消え方と灰のぐあいで1年の天候を占う習俗がある。これと同様な置炭神事(おきずみしんじ)がいくつかの神社でも行われている。呪いには小正月の火祭りの灰は病気除(よ)けになるとか、船で水死人の亡霊に会ったときは灰を落とすと離れるなどがある。灰をめぐる民俗にはこれら以外にまだ多くある。岐阜県では正月初寅(はつとら)の日を灰取正月といい、この日に竈の灰をとると一年中の火の用心になるとする所があり、秋田県には葬式の翌朝の供養を灰納めという所がある。さらに大阪府や山梨県には願掛けや礼参りに灰をかける灰かけ地蔵があり、昔話のなかには灰の発句と題される話も伝わっている。
[小川直之]
『小泉武夫著『灰の文化誌』(1984・リブロポート)』▽『チャコール・コミュニティ編『炭博士にきく 灰の神秘』(1995・ディーエイチシー)』
…竹など音のするものなど,いろりで燃してはならない木が各地で伝えられている。これにはいろりを神聖視する信仰のほかに,灰をとるという実用的な意味もあった。灰は山村では栃の実などのあく抜きのほか,セッケンの代用などさまざまに使われた。…
※「灰」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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