翻訳|capitalism
マルクスが提唱した社会主義と異なり、資本主義は自然発生的に成立したため、定義はさまざまな見解がある。一般的には、公権力による経済活動への介入をできるだけ少なくし、市場に物事を決めさせる経済体制を指す。起源も、18世紀英国の産業革命や、17世紀に世界初の株式会社であるオランダ東インド会社が誕生したことなど、諸説ある。
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資本主義という言葉は,社会主義とか封建制とかの言葉と同じように,一つの社会,国家における経済のしくみ,すなわち経済体制(経済システム)の特徴をいいあらわす言葉である。旧ソ連の経済とアメリカの経済は,同じように高度に工業化した経済であるが,経済取引の方法や企業と政府の関係などは大きく異なっていた。前者はふつう社会主義の経済とよばれ,後者は資本主義の経済とよばれて区別される。もっとも,資本主義といい,社会主義といっても,経済学を中心にして学問的に整理,分析されてきた概念であり,そこで理論的に明らかにされたことがすべて実際の経済にあてはまるわけではない。ある社会の経済を資本主義とよんだところで,実際には資本主義の現れ方は特有であるし,非資本主義的な要素も多く存在している。にもかかわらずそれが資本主義とよべるとすれば,資本主義の側面がその経済において相対的に主要な役割をはたしていると考えられるからであり,それ以上のこと,たとえば資本主義の概念ですべてを説明することができるということではけっしてない。とくに,資本主義の経済の現代的局面においては,さまざまな新しい要因が現れており,注意しなければならない。
資本主義とは,利潤の獲得を第一の目的とした経済活動のことをいう。貨幣が元手として投下され,もうけ(利潤)とともに回収されたとき,貨幣は利潤を生みだす資本として用いられたことになる。なにか特定の財を手に入れたり,消費するために貨幣を使うのではなく,より多くの貨幣の獲得を目的として貨幣を用いる利潤追求の活動が資本主義とよばれる理由はここにある。
利潤の獲得はさまざまの機会をねらって行われる。ある品物を安く買ってきて別のところで高く売ることによって,また,なにか品物をつくってそれにもうけをつけて売ることによって,さらには貨幣を人に貸しつけて利息をとることによっても,利潤は獲得される。どのやり方も貨幣を市場に投下して,市場での取引の結果として利潤を得るのである。資本主義の活動は,市場(商品経済)を対象としての活動であり,単なる富の追求活動とは異なる。したがって,資本主義の活動が行われるには,商品経済がある程度広がっていることが前提になる。
西欧では,すでにギリシア・ローマ文明の時代までには,相当に発達した市場交易が行われていた。そこでは活発な商業活動とそれにともなう商品生産,銀行業,海運業が営まれ,それぞれが資本主義の活動の対象になっていた。こうしたことは商品経済がある程度広がった地域・時代には一般にみとめられたが,近代以前の商品経済と資本主義の活動には,さまざまな統制・規制が加えられていたし,商品経済そのものが社会の経済活動に占める比重は小さかったので,経済全体からみれば付随的・周辺的な存在にすぎなかった。
資本主義の活動が広がり,生産活動の主要な部分までが資本主義の方法で行われるようになるのは,ヨーロッパの近代になってからである。資本主義経済および資本主義社会というのは,このように資本主義の活動が経済の全体において支配的になった経済および社会のことをいう。近代以後の資本主義を古代や中世の資本主義と区別してとくに近代資本主義とよぶことがあるが,むしろ一般に資本主義というと,この近代以後の資本主義のことをさしている。
資本主義経済においては,生産活動も生産の必要そのもののためになされるのではなく,利潤の獲得のためになされる。資本主義の生産方法は,資本の所有者(資本家)が,それを投下して生産に必要な原料・機械そのほかの諸手段を購入するとともに,賃金を払って労働者(賃労働者)を雇用し,工場・職場で財・サービスを生産させ,それらを商品として販売することによって利潤を獲得する,つまり資本による営利の企業活動として行われる。
このような生産方法が実際に可能になるためには,生産した財・サービスを販売する市場が存在しているだけでなく,生産手段と労働力を調達する市場が存在していなければならない。さまざまの財・サービス市場のほかに労働市場,土地市場,貨幣市場が存在していなければならない。財・サービスおよび労働,土地,貨幣について市場が存在すること,つまりそれらが商品化することは,どの社会にもつねにみられることではない。資本主義社会以前には,経済の主要な領域は伝統的な様式で営まれており,それらが一般的に商品化することはなかった。とりわけ労働と土地は伝統的な生産と生活の中心を構成するものであり,商品化することはなかったのである。資本主義の経済・社会の特徴は,このように元来商品化しなかったものにも市場が成立し,市場をとおす市場にむけての生産が行われるということにある。この意味において資本主義の経済は,市場化が経済・社会の中心にまで拡大・浸透した経済すなわち〈市場経済〉(K.ポランニー)である。
資本主義経済の成立と発展にとって機械技術の発明は大きな意義をもつ。機械は大量生産を可能にし,それによって生産コストを引き下げ,廉価な商品を供給することによって市場を拡大し,伝統的な生産方法を駆逐するとともに新しい生活様式をもたらした。また,機械はそれまでの熟練労働を解体し,労働を単純化させ,労働力の調達を容易にするとともに,工場での効率的な分業体系の形成を可能にした。
資本家は,ここでは,一定の市場的条件と技術的条件のもとで自由に企業活動を組織する。彼は利潤獲得の機会を追い求める企業家として,自己の判断によって決定し行動する。したがって,資本主義経済では,自由な企業,自由な取引,自由な競争が一般的になる。この特徴は規範や慣習にしたがって繰り返される伝統主義経済や,中央当局による指令と計画化によって遂行される社会主義経済とは対照的である。
この資本主義の活動が持続的に行われるためには,私有財産制と自由契約制が守られ,社会の平和と秩序が維持される必要がある。また,労働者の生活が維持され,労働への意欲が満たされる必要がある。資本主義の経済活動は,法律体系,道徳規範,政府の活動,生活慣習,価値体系といった社会の制度装置を前提として行われる。
資本主義的活動の特徴は営利主義と合理主義にある。営利主義とは,利潤のために利潤を追求する営利至上の態度のことである。資本主義の活動の第一の目的は利潤の獲得にあり,生産や運輸という経済活動そのものは利潤を得るための手段にすぎない。資本は利潤を生みだせないとき,資本としての実質的な意味を失う。資本主義の活動は,利潤獲得のためにあらゆる可能性を利用しようとする。
資本が獲得した利潤は,なにか特定の欲求を充足するために使われてしまうのではなく,ふたたびより多くの利潤を得るために再投下される。利潤として得られた貨幣も消費のために使ってしまえばそれまでであり,またただ保有しているかぎりでは利潤を生まない。より多くの貨幣を得るためには繰り返し市場へ投げ返されねばならない。資本主義における利潤追求の活動は,このように際限のない貨幣追求の行為である。W.ゾンバルトは資本主義のこの営利主義の側面を強調した。彼によると,営利主義を支える精神は経済における〈無限追求の精神〉すなわち無限の貨幣追求であり,それの発達の背景には近世に入っての宗教的抑制からの解放という事実があった,という。
合理主義とは,ある目的の実現のために諸手段を最も効率的に選択し利用する態度のことである。利潤の獲得という目的を無限に追求していくためには,一時的な機会に賭けたり,非合理的な手段に訴えるのでなく,効率的な経営を継続的に行わなければならない。経済的合理主義の貫徹が必要となる。M.ウェーバーは,近代資本主義の特徴としてこの合理主義的経営の側面を強調した。彼によると,資本主義の経営組織の特色は,強制でない自由な労働,家計と経営の分離による経営の独立性,合理的簿記による精密な資本計算,経営者の指揮・監督のもとに分業化された労働を効率よく遂行する協働組織にある。
合理主義的経営の実現のためには,資本家・企業者には計算された投資に基づく持続的・禁欲的態度が必要であり,労働者には分業組織のもとで統制と規律のある労働を行う勤勉の態度が必要である。ウェーバーは,合理主義を支えるこのような精神態度の形成にとってプロテスタンティズムの倫理観が大きな役割をはたしたことを指摘した。彼によると,ピューリタニズムは,職業という世俗的活動を神の与えた使命ととらえて勤勉を命じ,節約と蓄積をなすべきとした。人間と神のあいだには絶対的な断絶があり,人間は神による救済の予定を知りえないから,救いについての不安を和らげ救いの確信を得るために,神に与えられた使命すなわち職業に禁欲的に専念し,現世における神の栄光を増すよう不断の禁欲的努力をしなければならぬとするカルビニズムがその倫理をより強固にしたというのが彼の有名な議論である(《プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神》)。
営利主義と合理主義は,資本主義経済以前における共同体内での慣習的な生産と消費の繰返しという伝統主義的な経済活動・生活態度を打ち破るものである。営利主義と合理主義とは,前者が感性的・衝動的,後者が理性的・禁欲的と相反する性向をもつともいえるが,このことはかえって資本主義の利潤追求活動が多面にわたって積極的に行われるものであることを示している。
資本主義の企業活動は,営利を求めて機会をうかがう一方で経営を合理的に組織する。市場ではどのような商品がよく需要されているか注意を払い,それに対応した供給を行う。また,生産コストを引き下げるために合理的技術の利用をはかり,労働・生産の組織を効率的に編成する。しかし,資本主義の活動はそこにとどまらない。資本主義企業は既存の需要・供給構造や技術体系,労働・生産体系のもとで合理的・効率的に対応するだけではない。むしろ,そうした既存の条件に積極的・能動的に働きかけて変化を促し,新しい条件をつくりだしていくことにこそ,資本主義の活動の本領がある。資本主義企業が利潤獲得競争に打ち勝つためには,新しい製品を供給し,新しい市場を開拓し,新しい技術を開発し,新しい生産方法や輸送方法をくふうし,新しい労働体系や経営体系を組織していかねばならない。資本主義の活動はこのように既存の経済構造・生活体系に働きかけて変化をつくりだし,売上げを増大しコストを引き下げることによって,利潤を獲得していく。いいかえれば,利潤の根拠,すなわち資本主義経済においてどの企業も利潤を得て活動できる可能性があるという根拠は,利潤の獲得機会をみずから積極的・能動的につくりだしていく資本主義企業の活動それ自体のうちにある。
資本主義の活動が既存の経済構造・生活体系を革新していくものであるということは,資本主義の経済がたえず変化していくダイナミックな経済であることを意味している。J.A.シュンペーターは資本主義経済のこの動態的性格を強調した。彼は,利潤獲得のために古いものを破壊し新しいものを創造していく資本主義の不断の活動を物と力の〈新結合〉による〈創造的破壊〉とよび,この過程こそ資本主義の本質的事実であり,資本主義はそれゆえ本来的に発展的・動態的性格をもつとした。
新しい製品・技術・組織をつくりだし,またそのために投資することは,将来の利益をめざしてある選択を行うことである。しかし,未来は一般に不確実であり,まして資本主義経済の動態性はその不確実性を増幅する。したがって創造的破壊の過程にはつねに危険がつきまとう。それが成功したときには大きな利益が得られるが,失敗したときには大きな損失をこうむる。革新の推進者である資本家・企業者は合理的な投資計算を行い,経済の動向を読んで決定を下すが,それはまた不確実性に対する賭けでもある。しかし,それを行わなければ,将来の利潤は保証されないし,また競争にも勝ち残れない。資本主義経済はこの点でつねに投機的な側面をもっている。
企業による創造的破壊は,技術革新を促進し,高水準の投資を維持させる。その結果,生産力の質的・量的な上昇が必然的にもたらされることになる。こうして資本主義経済は生産性の上昇を必然にする経済であり,成長を必然にする経済である。それは,現実には,一様な拡大の過程ではなく,好況・不況の繰返しという景気循環の過程をとりながら発展し,高度な生産力水準と生活水準を実現することになった。
資本主義の概念は論者によりさまざまな内容をもつが,なかでもなお大きな影響力をもっているのがK.マルクスによる資本主義の概念である。彼は,F.ケネー,A.スミス,D.リカードといった古典派経済学者の成果をうけつぎながら,これを批判的に体系化しなおす作業を行った。古典派経済学者は彼らが分析しようとした経済をもともと資本主義という名でよんだわけではない。彼らにとっては,その経済のメカニズムは自然的・普遍的法則であった。マルクスは《資本論》をはじめとする書物のなかでこれを批判し,その経済が資本主義という歴史的に特殊な経済であり,階級社会の一つの形態であることを明らかにしようとした。
マルクスによると,資本は剰余価値(マルクスの概念で,投下資本の価値を上回って獲得される価値。利潤のことと考えてよい)の獲得を目的とする。資本主義が一つの社会的再生産の体制として存続していくためには,どの資本も正常に活動するかぎり剰余価値を手に入れられなければならない。マルクスの論点は,この剰余価値獲得の根拠を資本家による賃労働者の搾取に見いだしたことにある。
どのような社会でも労働者は全体として労働者自身で使用し消費する以上のものを生産する。これらを剰余生産物,それをつくるのに費やされた労働を剰余労働という。剰余価値は,剰余生産物,剰余労働が資本主義経済においてとるかたちにほかならない。
一物一価が広がり等価交換が行われるようになると,商品の単なる売買では剰余価値は得られない。資本は価値どおりの売買をしても剰余価値を得られる方法を見つけなければならない。それを解決するのが労働力という商品である。資本家は資本を投下してこの労働力と生産手段を価値どおりに購入して商品を生産し,その価値どおりに販売する。商品の価値とは,それを再生産するのに社会的に必要な労働量によって規定される。労働力商品の価値とは労働力の再生産に必要な生活手段の価値にほかならない。しかし,労働者は実際には彼が賃金で購入し消費する以上のものを生産する。つまり剰余生産物,剰余労働がここでも存在する。しかし労働者が賃金を得て生産した商品は当然すべて資本家に帰属するのであり,このうちの不払部分が剰余価値として資本家の手に入る。剰余労働はここでは,労働が生みだす価値と労働力の価値の差である剰余価値というかたちをとる。このようにしてマルクスは,資本主義社会が労働力の商品化によって表面的には価値どおりの売買が貫徹する平等な社会であるが,その裏には労働者階級に対する資本家階級の搾取が隠された階級社会であることが明らかにできた,とした。
マルクスはさらに,より多くの剰余価値を獲得するための資本の蓄積活動がその進行過程で賃労働者の窮乏化,利潤率の傾向的低下,恐慌を生じさせ,資本主義経済それ自体の崩壊をひきおこし,いずれ資本によらぬ真に自由で平等な共同的生産である社会主義にとって代わられると論じた。マルクスの資本主義分析は,社会主義運動のみならず,一般的な資本主義観にも大きな影響を与えた。
マルクスのモデルは,資本による生産という資本主義の体制的な特徴を明らかにした点で大きな意義をもつ。しかし,経済の構造に積極的・能動的に働きかけて利潤獲得の可能性を開拓していく資本主義の活動についての認識は不十分であり,利潤獲得の根拠が賃労働者に対する搾取に結びつけられることになった。また利潤のための活動が生産性の上昇と経済成長の原動力となることの認識についても不十分であり,以下にみるようにその後の資本主義の歴史は彼の予測とは異なる展開をみせることになった。
資本主義の経済は,封建制のあとをうけてヨーロッパに生まれ,発展,拡大した。封建制のもとでは,商品経済は中世都市を中心に一定の発展をみたが,自給自足を原則とした農村に深く浸透することはなく,限定的・部分的な存在でしかなかった。土地と労働は封建的社会秩序の中心をなす要素であり,さまざまな法的・慣習的統制のもとにあって,商品経済の対象となるものではなかった。
ヨーロッパにおいて商品経済を急激に拡大させるきっかけとなったのは,15世紀末に始まる地理上の発見であった。それは資本主義の活動にとって,新しい商品,新しい市場,新しい利潤の発見を意味した。商業革命の名でよばれている商品経済のこの大拡大期に資本主義的活動の中心をなしたのは商人資本である。商人資本は,異なる市場のあいだで商品を安く買って高く売ることや,小生産者に前貸しで商品をつくらせて売る問屋制度の方法によって,利潤を得た。
このころ全国的な統一国家の建設によって成立した絶対王政は,商人資本の内外における活動を保護し,貿易差額を増大させて金・銀という貨幣的富の蓄積をはかる致富政策を推進した。重商主義とよばれるこの絶対王政の経済政策は,商品経済に対する政府の統制を強化しつつ商品経済の拡大をはかり資本の蓄積を促した。
資本主義経済へのこうした道を最初に歩みはじめたのは,封建秩序の解体が最も早かったイギリスである。17世紀にかけてイギリスでは商業革命の結果さかんになった毛織物工業の羊毛に対する需要を満たすため,牧羊のための土地の囲込み運動が大規模に展開され,土地を失った農民が大量に都市へ流入した。ここに土地が金もうけの経済的手段になるとともに,土地から切り離されたため雇用されなければ生活できない労働者層がつくりだされることになり,資本主義的生産の成立が準備されることになった。賃労働者を雇用して商品を生産させ,それを販売して利潤を得る資本を産業資本という。その初期段階はマニュファクチュア(工場制手工業)のかたちをとり,技術的には手工業の段階にありながら,労働者を工場に集め分業によって生産力をたかめた。
しかし,資本主義による生産が飛躍的に拡大するのは産業革命によってのことである。イギリスでは18世紀の後半に綿工業を中心に多くの機械が発明され,工業技術が革新されて近代的工場制度が成立した。また農業や交通においても機械化が進行し,産業化の過程が始まった。機械の登場によって資本主義の生産方法が確立し,社会の生産活動の支配的様式となった。フランス,アメリカ,ドイツ,日本などの諸国も,イギリスに遅れながら19世紀中には産業革命を経験する。
19世紀後半までイギリスは唯一の資本主義先進工業国であり,食料・原料を輸入し工業製品を輸出する国際分業によって世界市場を拡大し,〈世界の工場〉とよばれるほどであった。しかし,19世紀におけるイギリス資本主義の発展は,直線的な上昇過程をたどったわけではない。ほぼ10年の周期で好況・恐慌・不況という景気循環が繰り返された。生産の収縮,失業,倒産を突発させる恐慌は資本主義に固有の経済的混乱であったが,資本主義経済はそのつど企業の整理と技術の改善などの合理化により生産活動の新たな拡大を可能にし結局は不況を脱してふたたび経済活動を活発化させてきた。したがって,景気循環の周期性はかえって資本主義市場経済の自律的な性格を意味するものとされる。
この時期のイギリスでは,市場の〈自己調整的メカニズム〉(K.ポランニー)に信頼をおく経済的自由主義が理念として強い力をもち,国内的には自由競争,対外的には自由貿易,政府に対しては自由放任・安あがりの政府を望ましいとする自由主義政策が行われた。実際,一方で,繊維工業中心の技術段階は競争を必然にし,市場メカニズムが十分に働く余地があったし,他方でイギリス産業は世界市場において圧倒的な競争力をもったので,これらの政策は産業資本の利益にもかなうものであった。
経済活動を市場のメカニズムにゆだねる自由主義政策を制度的に完成させたのが,金本位制度に基づく通貨調節であった。金本位制においては,通貨が金と結びつけられていて,通貨当局は金の保有高に応じて通貨量を増減させ経済活動を規制する。金はそれ自身商品であり,当局の保有量も内外での市場活動の結果として決まってくる。結局この制度は資本主義市場経済それ自体の中に通貨発行の基準・限度を求めるものであり,経済活動を市場のメカニズムにより自動的に処理・規制していこうとするものである。金本位制の国際的確立は19世紀末であるが,これによって市場経済の自己調整が世界的規模で行われることになった。
資本主義の発展は賃労働者という新しい社会階級をつくりだしたが,彼らの初期における生活には悲惨なものがあった。資本家にとっては労働条件の引下げはさしあたり利潤の増大につながり,大群の労働予備軍の存在もあって,低賃金,長い労働時間,劣悪な労働環境,過酷な児童・婦人労働が一般的にみられた。このような事態は資本主義経済が社会に定着するうえで望ましいことではなく,19世紀半ばに入って労働時間や労働環境に一定の規制を加える工場法の制定や社会立法が政府の手で行われた。また,労働組合運動と社会主義運動も現れた。
19世紀のイギリス資本主義に典型的にみられたように,経済的自由主義の理念に導かれた資本主義の経済は古典的資本主義とよばれる。
19世紀の後半から末になると,おくれて出発したドイツやアメリカの資本主義も政府の保護主義に守られて発達した。これらの国では鉄鋼業を中心とする重工業が発展し,生産と資本の集中が進んで巨大企業が出現した。これらの企業は株式会社のかたちをとることによって,膨大な社会的資金を集中し,銀行との関係を密接化し,企業合併を進めて大型化・合理化することができた。このようなかたちで巨大な株式会社として発展した資本は金融資本とよばれる。
この段階になると,資本主義には新しい現象が現れてくる。株式会社が普及して,経営にたずさわらない株主層と株式を所有しない経営者層が分化する〈所有と経営の分離〉の傾向が生まれた。企業組織の大規模化と政府活動の拡大によって新しい勤労者層がつくりだされ,その一方で農民層の分解が止まり,いわゆる中間層が増大した。また,労働運動や社会主義運動が活発化し,政府は規制を強める一方で労働者の保護を目的とした社会政策を実施した。
巨大企業は圧倒的な生産力と市場支配力を背景にカルテルやトラスト,コンツェルンを結成し,競争を制限して独占的地位を築き,国内市場を確保するにとどまらず,商品輸出と資本輸出の拡大によって海外へ進出した。政府も国力の増大をはかってこの動きを積極的に支持し,保護関税,軍備増強,植民地確保といった帝国主義政策を推進した。市場と資源を求めての列強のあいだの世界再分割競争は国際対立を激化させた。第1次大戦はV.I.レーニンのいうように帝国主義国のあいだの戦争であった。
第1次大戦後の世界経済はアメリカからの資本輸出をてこにして復興がはかられ,1920年代には国際金本位制が再建されるにいたったが,戦前に比べると世界経済の安定は相対的なものとみなされた。しかし,アメリカにおける資本主義経済の繁栄はめざましく,大衆の購買力上昇を背景に市場が拡大し,耐久消費財産業が発展した。なかでも流れ作業と大量生産方式を採用した自動車産業はその代表的存在であった。
資本主義による生産は,もともと,利潤増大のために生産の拡大と生産性の上昇への強い傾向をもつが,とりわけ,この時期にさらに発展をとげた巨大企業は,株式会社であることによって巨大な固定資本投資とその回収が容易であり,また巨額の研究開発投資が行えるので,生産の拡大と生産性の上昇を並行して進めることができ,経済を持続的に拡張させることが可能になった。
また,このころには主要諸国で普通選挙制が一般化して大衆の政治的・経済的要求が強まるとともに,ロシア革命によって社会主義の脅威が現実化したために,政府はこれに対応して失業対策などさまざまの社会改革を実施した。
こうした傾向は大恐慌をへて本格化する。1929年にアメリカでおこった恐慌は,アメリカ国内での過剰な投資の拡大が原因とみなされるが,その深さと広がりは未曾有のものであり,アメリカの失業は一時1300万人,25%にものぼった。またこれによりアメリカの資本が海外から引き揚げられたため,恐慌はヨーロッパをはじめとする各国に波及し,世界大恐慌となった。各国はつぎつぎに金本位制から離脱し,アメリカも33年に金本位制を停止した。その後アメリカではF.ローズベルト大統領によって失業救済と景気回復のため政府みずから経済に介入し公共投資をつうじて経済の拡大をはかる〈ニューディール政策〉が展開された。ドイツではナチス政権が登場し,赤字財政による軍事生産の拡大と経済の統制によって経済の回復をはかったが,経済圏拡大の試みによって国際対立が激化し,第2次大戦がひきおこされることになった。
金本位制を停止して管理通貨制度を採用することは,通貨の量を金保有高によって限度づけるのをやめ,政策的に増減させることを可能にして,財政・金融政策をつうじての政府の経済介入の余地を大きく広げ,景気の回復・維持のための積極的政策の展開を容易にした。管理通貨制は,経済活動の調整を市場経済の自律的メカニズムにゆだねるのではなく,市場メカニズムを利用しながらも経済を政治的・経済的目標にしたがってある程度人為的に調整していこうとすることを意味する。また,通貨量の膨張によって経済の拡大を可能にし生産・雇用を高水準に維持するとともに社会諸階層の要求を充足・吸収していくことを容易にする面をもった。
このような局面を迎えた資本主義経済は,国家・政府が経済に本格的に介入し独占的企業を中心とした資本主義の経済活動を積極的に支えるという点から国家独占資本主義とよばれたり,資本主義に修正を加えるという点から修正資本主義とよばれたりする。このような経済は,資本主義の活動が中心にありながらも,政治による計画的・調整的要素が比重を高めさまざまの社会要求を満たしていこうとする点で,全体の体制としてはそれまでと比べ資本主義の経済原理を相対的にすぎぬものにしつつある経済,資本主義の体制概念だけでは全体を説明しきれなくなりつつある経済といえる。
第2次大戦後の世界経済の再建は,アメリカの主導のもとで,各国通貨の交換率を対外的にはなお金に裏づけられた米ドルに固定的に結びつけ,それを基礎に通貨・貿易を自由化し,世界経済の拡大をはかるという方法で行われた。ブレトン・ウッズ体制とよばれるこの世界経済の枠組みは,IMF,世界銀行,GATTなどの制度からなる,アメリカを中心とした国際的な通貨管理の体制であった。
このような枠組みのもとで,資本主義各国では経済の復興が進められ,その過程で政府による積極的な経済介入が定着した。完全雇用政策と社会保障政策を軸とする政府活動の拡大は資本主義にとっては市場の拡張を,労働者大衆にとっては購買力の上昇をもたらした。資本主義大企業はこのような条件のもとで技術革新を組織的・科学的に推進し,投資活動を積極的に展開した。政府活動の拡大,大衆の購買力上昇,技術革新と高投資はたがいに作用しあって経済の持続的成長をもたらし,インフレーションという副産物をともなったが,産業化と平等化を促進して〈豊かな社会〉(ガルブレース),〈大衆的富裕化〉(馬場宏二)といわれる状況を出現させた。資本主義の経済活動は,労働者大衆を搾取し貧困をつくりだすことによって利潤を獲得するというよりも,生産力の上昇と経済的平等化をもたらすことによって実現した大衆の富裕化を利潤獲得の機会を広げる不可欠の一面としながら発展したのである。
しかし,戦後の経済成長は実際には各国で均等に行われたのではない。とくに,この過程でアメリカ経済の相対的地位が低下した。ブレトン・ウッズ体制はその後実質的に維持できなくなり,71年にはドルの最終的な金交換性が停止され(ドル・ショック),73年2月には為替相場はそれまでの固定相場制から各国の不均等な発展を調整しやすい変動相場制へ移行し,世界経済はアメリカ中心の時代から対立的傾向をも含んだ多極的時代へと移ることになった。また73年10月にはOPECの石油価格大幅引上げにより石油危機がひきおこされ,経済成長・産業化に対する資源の制約の問題が現実化した。石油危機のあと先進諸国では,経済成長が鈍化すると同時にインフレにも悩まされるスタグフレーションが生じた。また,この間先進国と発展途上国のあいだのいわゆる南北間格差はむしろ拡大し,南の側の北の側に対する政治的・経済的要求が強まった。
現代の資本主義は〈豊かな社会〉を生みだした。しかし,豊かさは人間の消費欲をかきたて,かえって欠乏感を増大させている。大衆の欲求は多様化し,消費の対象が拡大して,市場経済化はますます進んでいる。資本主義企業はこれに対し〈新結合〉のテンポを速めてつぎつぎと新製品・新商品・新サービスを提供し,この傾向をさらに加速させている。しかし,このような状況は経済・社会の変化を激しくし,自然・社会環境の悪化,伝統的コミュニティの崩壊,勤労精神の緩みなどの社会現象にみられるように,旧来の社会条件・社会道徳を解体させつつある。資本主義の腐朽化や病理現象として指摘されるように,資本主義は経済的豊かさの面では成功したかもしれないが,文化的・社会的豊かさの面では大きな代償を払っている。資本主義の活動はますます活発であるけれども,資本主義の社会の行方そのものは混沌としている。
→社会主義
執筆者:杉村 芳美
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
生産のための組織が資本によってつくられている経済体制。すなわち、資本制企業が物財やサービスの生産・流通の主体になっている経済体制であり、資本制経済ともよぶ。日本、アメリカ合衆国、西ヨーロッパ諸国など、いわゆる「西側の先進国」の経済体制は、資本主義である。
[岸本重陳・植村博恭]
資本主義という用語は、資本が生産活動の主体となっている経済体制・経済システムをさすもので、主義・主張・思想をさすわけではない。アルコホリズムalcoholismということばがアルコール主義ではなくてアルコール中毒という状態を示すものであるのと同様に、資本制経済という体制を意味することばである。この経済体制を肯定したり擁護したり推進したりする思想・主張をさすためには、「自由主義」という用語が使われるのが普通である。資本による企業設立の自由、その企業による営業活動の自由を主張する自由主義の立場からは、資本主義という用語を忌避して、「自由経済」とよぶことが少なくない。
資本主義の構造と動態の解明のうえでもっとも大きな影響力を及ぼしてきた理論はカール・マルクスの理論であるが、その主著『資本論』においてマルクスは、資本主義ということばは使わず、「資本家的(もしくは資本主義的、あるいは資本制的)生産様式kapitalistische Produktionsweise」という表現を用いている。マルクスの考えでは、資本主義は、人類が歴史的に経験してきたさまざまな生産様式の一つであり、また永遠に存続していく最後の生産様式であるわけではない。歴史のなかで新しく誕生しやがて歴史のなかに消えていく一つの生産様式(経済体制)という性格を強調するためには、資本主義とよぶよりも「資本家的生産様式」という用語のほうがふさわしいと思われたのだろう。
[岸本重陳・植村博恭]
生存のためには生産が不可欠である。その生産のためには、労働をしなければならない。労働をする人間の肉体と精神の力である労働力、その労働が向けられる自然や素材などの対象、すなわち労働対象、そして労働をするときに人間が使う道具や機械、すなわち人間の肉体と精神の力の拡充・延長・外在化である労働手段、この三者が結び付いて生産が行われる。
労働対象と労働手段とをあわせて生産手段とよぶが、その生産手段の所有者が社会のなかの特定の人々だけに限られているのが階級社会である。階級社会では、労働する者は生産手段を所有せず、その意味で両者は分離しているので、なんらかの仕方でこの両者を結合させなければ生産が行えない。その分離の仕方と結合の仕方とが、経済体制の違いをつくりだす。奴隷制では、労働する人間は生産手段所有者の所有物である。この場合には、生産手段所有者にとって両者は分離しておらず、初めから結合している。農奴制もしくは地主制では、労働する人はもはや生産手段所有者の所有物ではなくなっているけれども、身分的隷属と移動の自由の制限によって、生産手段に緊縛されている。これらに対し、いわゆる封建的制約を打破し、個人の自由を価値原理として世界史の近代が始まるなかで成立する資本制は、労働力は個々人の肉体と精神のうちに実存するものであり、個々人の所有するものであることを承認した経済体制である。生産手段所有に対して労働力所有が初めて自立化した体制である。労働力の自己所有を承認された人間が労働者であり、奴隷や農奴は労働者ではない。
[岸本重陳・植村博恭]
労働者が生存のために必要な物を手に入れるには労働しなければならない。しかし彼らには生産手段がないのだから、生産手段所有者に労働力を提供しなければならない。生産手段所有者のほうも、労働力を入手しなければ生産を行うことができない。両者の結合は、労働力を商品として売買することによって行われる。なぜ商品になるかといえば、自分の所有物を自分の意思で対価と引き換えに提供しあうのだからである。労働力は「賃金」という対価と引き換えに資本によって買われ、資本の力能となる。商品化した労働力は、買い手が資本である限り、資本化する。労働者は、自分の労働をするのではなく、資本の命ずるところを、資本の力を構成する要素として、労働する。資本の所有単位である企業は、このようにして労働力を自分の力として掌握し、生産手段と結合させて生産を行う。しかし、労働力は人間の肉体と精神のうちに実存するものである以上、その支出の仕方は、人間の意思から切り離しえない。その意味で、労働力という商品は、資本の側からすれば、形式的には買うことができるが、実質的には「買い切れない」要素をもつ商品である。資本制企業にとって労務管理の問題が最重要の課題になるのはそのためである。
どんな経済体制でも、生産活動をするためには人間は共同して労働する。したがって共同労働の組織化が必要となる。以上の特質は、共同労働の組織化という面での資本主義の特質にほかならない。
[岸本重陳・植村博恭]
次に、生産された物がどのようにして人々の間に分配されるかという面からも、資本主義という経済体制の特質をみることができる。この面からの特徴として指摘できるのは、商品売買を通じて分配が行われるということである。
人々の間での分配というとき、二つの側面がある。一つは、生産活動に携わったことによって生活資料を獲得できるようにする対人分配であり、もう一つは、その生産活動を継続していくために必要な条件を満たすという機能的分配である。そのどちらも、究極的には商品売買、したがって市場メカニズムを通じて行われるというのが、資本主義の特質である。まず第一に、個々の資本制企業は、何をどれだけどのように生産するかを自分の意思で決定することができる。第二に、それらの生産物は、不特定多数の人々に、対価と引き換えに提供するつもりで供給される。すなわち商品として生産され、商品として供給される。しかし、生産したものが、予定した価格で確実に売れるという保証はない。それは、買い手の選択と評価にさらされる。このように、作り手が不特定多数の相手の需要を想定しながら生産し、生産されたものを自分の意思で選択できる関係を市場関係といい、市場関係で需要と供給を一致させるように作用するメカニズムを市場メカニズムという。
労働者個々人に対してどれだけの賃金を支払うかということも、もちろん分配問題であり、それは資本が決定する。しかし、労働者が手に入れたその賃金で何をどれだけ買うかということが、対人分配を完結させる。そしてまた、資本制企業は、社会的分業の下、生産の継続に必要な労働力や生産財を市場で買わなければならない。そうした生産要素の補充ができるかどうかが、機能的分配という問題である。資本制企業は、互いに相手の生産した商品を買い合ってそのような補充を行うわけだが、それらを買うためには、自分の生産した商品が売れて所要の資金が手に入るのでなければならない。その意味で機能的分配も市場を通じて行われる。しかし、市場で需給が一致する保証はない。価格の変動や供給量の調節によってその需給一致が図られるのが市場メカニズムである。しかし、たとえば、価格上昇によって市場での需給が一致するようになったというときには、実は価格が高くなると買えなくなってしまう人を排除したから需給が一致できたのだと解釈することができる。
市場メカニズムは、人々の選択・選好に応じた資源配分を実現できるものだと評価し、この市場メカニズムに適合する生産様式は資本主義であると考えて資本主義を擁護する立場があるが、市場メカニズムはお金による投票で事を決めていくシステムなのだから、お金の分配が公平でなければ、その投票結果も人々のニーズや選好を純粋に反映したものとはいえないだろう。また、資本主義を否定するためには市場メカニズムを否定しなければならないとする考え方も、資本主義と市場メカニズムとを同一視する点で、同じ誤りに陥っている。むしろ、資本主義という経済体制と市場関係およびそのメカニズムとがどのような構造的連関をもっているか、ということこそが問われるべきであり、この点に関しては、「社会主義」を名のる体制が登場して以降、「社会主義における市場」の問題というかたちでも議論されてきた。
[岸本重陳・植村博恭]
資本主義という経済体制は、人々がそういうものをつくろうと意図的に努力してつくったものではない。たとえば、フランス大革命のスローガン「自由・平等・博愛」は近代を切り開いたスローガンであるが、資本主義は、営利の自由と餓死する自由をつくりだしたけれども、平等と博愛とを実現しえていない。マックス・ウェーバーは、これとは異なる脈絡のなかでだが、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』において、資本主義は「意図せざる結果」として生み落とされたと主張している。しかしともあれ、近代に至って人々が相互に承認しあった個人の自由は、経済活動に大きな生産力の拡大をもたらし、それを営利の自由として取り込んだ資本主義は、かつてない生産技術の展開を工場制工業として実現し、物的生産の大々的拡大によって生活を変革してきた。その間、厳しい労資の階級間対立があり、恐慌があり、失業があり、帝国主義戦争があったが、経済体制としての資本主義は、「西側自由主義国」の内部では第二次世界大戦後、かえって「意図的に望ましいとされるもの」になっている。イデオロギーとしての資本主義は強化されたともいえる状況にある。
そうなったについては、なによりも資本主義が内包する柔構造的性格が大きく作用している。賃金は資本にとってはコストだから、資本はこれをできるだけ押さえ込みたい。しかし、労働者は、資本の生産物のうち消費財にとっては最大の買い手である。労働者の消費の源泉となる賃金所得は、資本にとって需要の源泉としての性格をもっているから、これをあまりに低く抑えすぎることは自縄自縛となる。その限りで、資本主義のもとで、労働者の生活の向上が可能となる。資本制企業はまた資本金拡大のために株式会社の形態をとるようになる。労働者階級もまた株を買い、出資者としての利益配分にあずかるルートができる。前者は資本主義が市場関係に依拠しているがゆえの柔構造だし、後者は資本による労働の組織化に内包されている柔構造とみることができる。こうした柔構造による成果配分が、労働疎外のような否定面をカバーするだけの魅力と受け取られる限り、資本主義は、経済体制としての安定性を確保することができよう。しかし、市場におけるお金の民主主義が問い直され、「民主主義は工場の門前に立ちすくむ」といわれるような企業内での専制主義が問い直されるようになれば、資本による経済の組織化体制としての資本主義は、揺らぎださざるをえないだろう。
[岸本重陳・植村博恭]
『J・A・シュムペーター著、中山伊知郎・東畑精一訳『資本主義・社会主義・民主主義』全3巻(1951~52・東洋経済新報社)』▽『S・マーグリン、J・ショアー編著、磯谷明徳・植村博恭・海老塚明監訳『資本主義の黄金時代』(1993・東洋経済新報社)』▽『日本経済新聞社編・刊『資本主義の未来を問う――変貌する市場・企業・政府の関係』(2005)』▽『K・マルクス著『資本論』(向坂逸郎訳・岩波文庫/岡崎次郎訳・大月書店・国民文庫)』▽『M・ウェーバー著、梶山力・大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫)』▽『R.L.HeilbronerThe Nature and Logic of Capitalism(1985, W. W. Norton & Company, New York, London)』
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労働力までもが商品化された経済体制。生産手段を所有する資本家が,利潤獲得を目的に賃労働者を雇用して商品生産を営む関係が基軸をなす。農民層が商人資本による商品経済の浸透にともなって分解し,土地をはじめとする生産手段と,生産手段から分離された無産者とが蓄積される。土地私有権の確立と身分的拘束からの自由とによって生産手段と無産者の蓄積が促進される過程(原始的蓄積)が,資本主義の歴史的前提となる。資本・賃労働関係は,工場制手工業を端緒とし,機械制大工業が普及する産業革命をへて,全経済の基軸をなすに至る。日本では1880年代半ば以降の産業革命によって資本主義が定着し,第2次大戦後の高度成長をへて世界有数の資本主義国となった。
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近代社会の支配的な経済構造。生産手段,生活資料を所有する資本家と,労働力を商品として売らねばならない無所有のプロレタリアートとが,基本的な階級をなし,両者間の商品交換を通じて社会的再生産が実現される。その成立過程は,直接生産者相互間の商品交換が自立するにつれて,同時に直接生産者の大多数が,生産手段から分離されるいわゆる両極分解の過程であり,西ヨーロッパでは16世紀以降に開始する。産業革命によって資本主義は本格的に確立し,20世紀以降は独占資本主義の段階に入る。
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…自立した小経営農民が,商品経済の進展の下で土地・生産手段を失って没落する多数者と,逆に土地・生産手段を集積して富裕化する少数者とに分極していく過程をいう。この過程は封建末期に始まり資本主義の全期を通じて続いている。自立農民が分解していくのは,商品経済に巻き込まれることによって,経営間の生産力の格差(価値形成の差)や生産物販売の差異(価値実現の差)によって,貧窮化する者と富裕化する者が生ずるためである。…
※「資本主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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