デジタル大辞泉 「紫」の意味・読み・例文・類語
むらさき【紫】
2 「紫色」の略。
3 《色が紫色であるところから》醤油の異称。
4 1の根で染めた色。古代紫。
5 イワシをいう女房詞。
[補説]書名別項。→紫
[下接語]青紫・赤紫・浅紫・今紫・薄紫・内紫・江戸紫・大紫・京紫・
[類語](2)青紫・赤紫・薄紫・菫色・藤色/(3)醤油・下地・生醤油・溜まり醤油・濃い口醤油・薄口醤油
( 1 )古代から中世へかけて、[ 一 ]②の色調は赤黒くくすんでいた。そのため、のちの明るい紫を江戸紫・京紫などと呼び、古い色調を古代紫と呼んで区別することがある。
( 2 )染め方は、椿などの木の灰汁(あく)を媒染剤とし、紫草の根から紫液を採って染色した。それは「万葉‐三一〇一」で、海石榴市(つばいち)(=椿市)の歌垣を描くのに「紫は灰さすものそ」と歌い出していることでもわかる。
( 3 )上代から「衣服令」に、深紫は一位、浅紫は二、三位の当色とされ尊重された。平安時代には、深紫が禁色の一つとされ、高貴な色としての扱いが定着する一方で、浅紫は「ゆるし色」となって広く愛好された。「枕草子‐八八」には「なにもなにもむらさきなるものはめでたくこそあれ」とある。
( 4 )[ 一 ]①の挙例「古今集」の歌の影響で、「紫のゆかり」「草のゆかり」などの表現が生まれた。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
色名の一つ。日本工業規格(JIS)では10種の有彩色,5種の無彩色,計15色名を基本色名に定めているが,紫は有彩色の基本色名の一つである。スペクトル色(可視光線の単色光の示す色刺激)は,人によって色感覚も異なり,その波長も一定でないが,紫は波長ほぼ420~425nmの範囲にある。
青と赤とを重ねた色である紫は,青と赤の割合に応じてさまざまに変化する。西洋ではその変化に応じて異なった名称を使い,両者等分のものをラテン語でウィオラviola(本来〈すみれ〉の意),赤みの強いものをプルプラpurpura(深紅色の染料がとれる貝Purpuraに由来),青みの強いものをヒュアキントゥスhyacinthus(青い花を咲かせる植物Hyacintusに由来)と分けている。そのうちプルプラ(英語のpurple,フランス語のpourpreなどの語源)は,その色の染料が高価なので,これで染めた絹布はとくに貴重視され,古代ローマ時代には皇室の専用品となった。皇室関係の肖像や石棺にはこの色をしたエジプト産の石材,ポルフュリテスporphyritesが用いられたし,6世紀ごろまでのキリスト像の衣はこの色をしている。また中世末期までの高貴な写本に用いられた羊皮紙も,この色で染められている(《ウィーン創世記》など)。要するにプルプラの紫は高貴の象徴である。他方ウィオラから派生した紫色(英語およびフランス語のviolet)は,キリスト教的立場からは青と赤,すなわち神の叡智と慈愛を一つにしたものと解され,人類を救うために身を犠牲にした〈受難のキリスト〉の衣の色となった。さらにこの紫は喪の色と解された。ヒュアキントゥスの紫は,旧約時代には黄金やプルプラと並んで高貴な色とされ,祭司の衣などに用いられたが(《出エジプト記》25:4など),それはまた異教の偶像崇拝の象徴色ともなり(《エレミヤ記》10:9),さらに人間を懲(こ)らしめる煙の色ともされた(《ヨハネの黙示録》9:17)。一般的にいえば今日の西洋では紫を喪色とする傾向が強い。
執筆者:柳 宗玄
何をもって〈日本の色〉と感ずるかという世論調査では,きまって紫と赤が上位を占めるという。しかし紫や赤を愛好する独自の色彩感覚は日本人が先天的にもっているものではなく,永い時間を経たうえで歴史的・文化的に形成されてきたものである。文献的にも裏づけできるのは,7~8世紀律令体制が確立したときに,中国の政治思想や宮廷儀式を直輸入しながらしだいにこれに改訂を加え,ついに独特の服色規定をつくりだしたという事実である。律令の〈衣服令(えぶくりよう)〉の〈礼服(らいぶく)〉(即位,朝賀,供宴など大礼のときに着る服),〈朝服(じようぶく)〉(朝廷に参内するときに着る正式の服),〈制服(せいぶく)〉(無位の官人・庶人が朝廷の公事に着る服)の項には位階の上下に従って着用すべき服色が厳格に規定され,そのさい,紫→赤→緑→縹(はなだ)(うすい藍色)という尊貴の順序が決められていた。つまり,紫こそ最も尊貴な色であるとする観念は,古代律令国家体制という歴史環境の所産であり,しかも,その思想的根底には唐風崇拝の文化思潮があった。日本律令官人貴族が活用していた類書《芸文類聚(げいもんるいじゆう)》には〈紫雲〉をはじめとする〈紫〉の用例が無数にみられるが,これらを受けて,たとえば《続日本紀》には,〈紫宮之尊〉〈紫微令〉などの文言がみられる。もちろん,他方では《万葉集》に〈紫は灰指すものそ海石榴市(つばいち)の八十(やそ)の衢(ちまた)に逢へる児や誰(たれ)〉〈紫草(むらさき)は根をかも竟(を)ふる人の児の心(うら)がなしけを寐(ね)を竟(を)へなくに〉のごとき庶民の歌がみられるほどだから,皇族や貴族以外には紫色は使用禁止になっていたとまでは必ずしも断言できないが。
そして平安後期になると,紫といえば,もはやそれのみにて高貴(〈あてなるもの〉)・優美(〈めでたきもの〉)・柔婉(〈なまめかしきもの〉)の観念および実体をあらわすと考えられるようになる。そればかりでなく,たんに〈濃き色〉〈淡き色〉といっただけで,濃い紫色および淡い紫色を意味するに至る。《枕草子》には,たとえば〈めでたきもの〉として,〈色あひふかく,花房ながく咲きたる藤の花の,松にかかりたる〉〈花も糸も紙もすべて,なにもなにも,むらさきなるものはめでたくこそあれ。むらさきの花の中には,かきつばたぞすこしにくき。六位の宿直姿(とのゐすがた)のをかしきも,むらさきのゆゑなり〉とある。《枕草子》となると,あの有名な劈頭の〈春はあけぼの。やうやうしろくなり行く,山ぎはすこしあかりて,むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる〉のパラグラフを見落とすわけにはゆかぬ。この〈むらさきだちたる雲〉を写実的描写と解することも不可能ではないが,むしろ写実的世界を超えたところにこそ随想文学の真骨頂が発揮されたとみるべきではあるまいか。当然,紫雲の思想は,中国から輸入された祥瑞(しようずい)のシンボルの日本的定着であり,8世紀後半の正史には,播磨,大和,佐渡,飛驒国などから,紫雲出現が報告されている。この間に,時代は〈摂関時代〉に移りゆき,紫色は藤原氏と〈藤の花〉とも密接に結びついていくことになる。《枕草子》劈頭の〈紫だちたる雲〉を,たんなる写生的描写とみることはできないのである。そのほか,前田千寸《日本色彩文化史》が列挙するごとき,日本では紫雲によって皇后の位を象徴することが行われたこと,紫雲は必ずしも阿弥陀如来の象徴とのみ限られているのではないが,平安時代中期以後にみる仏教的象徴の紫雲は,当時の信仰が阿弥陀如来に集中していたため多く阿弥陀如来に結ばれていること,そして紫雲は〈冥(みよう)〉すなわち神仏の意志の示現という意味で,聖人,名宝等に関する事跡との間に必然的な関連性を与え,伝説的な神秘性を加えて,その事跡に尊厳を添えたことなどの諸特性をも視野の中にとらえておく必要があろう。
紫色は,また,平安時代に〈ゆかりの色〉と呼ばれた。それの由来を《古今和歌集》の〈紫のひともとゆゑにむさし野の草はみながらあはれとぞみる〉に求める説明が普通に行われているが,紫色のもつ位階・身分の尊貴性と,〈ゆかり〉(血縁とか,仏教語の縁とか,なんらかの必然的なつながりとかの意味で用いられた)の思想性との一致は,《源氏物語》のなかにその典型が見いだされる。桐壺帝(光源氏の父君),桐壺更衣(光源氏の母君),藤壺中宮(源氏が生涯にわたり思慕しつづけた桐壺帝の后),紫の上(源氏の最愛の妻)は,すべて紫色にかかわりがあり,かつ血縁的にも容貌的にも深いかかわりをもっている。〈紫のゆかり〉あるいは〈ゆかりの色の紫〉という思想は,やはり平安摂関宮廷知識人が抱懐した世界観や価値意識の反映とみるのが最も適切と思われる。
染色技術に関していうと,《延喜式》縫殿寮(ぬいどのりよう)の〈雑染用度〉という項目に〈深紫(こきむらさき)〉〈浅紫(あさきむらさき)〉〈深滅紫(ふかきめつし)〉〈中滅紫(なかのめつし)〉などに関していちいち染料,顕色剤,媒染剤,燃料などの種類や量が記述されている。同じく《延喜式》民部下の〈交易雑器〉(品物を交換して商売する)の項では,甲斐,武蔵,下総,常陸,信濃,上野,下野,出雲,石見,太宰府などから紫草が出荷されていた事実も知られる。紫色が特権貴族階級の専有物であった状態から解放され,だれでも紫色を身に着けうるようになったのは,明治以後のことに属する。紫にかぎらず,ひろく色彩を使用することが可能になった事態さえ,庶民にとってはそれほど古いことではなかった。中世末期から木綿が普及し,大量生産に適応しうる染色法が開発されるに伴い,近世には武士・庶民は藍(紺),茶,黒,白を主体とする色彩文化がつくりだされた。文化人や趣味人のレベルで〈古代紫〉や,これに対抗する〈京紫〉〈江戸紫〉などの手法がさかんに褒めそやされたが,人によって赤みがかかった色相がよいとされたり青味がかった色相がよいとされたりしていた。染料に紫草を用いるもののほかに,蘇芳(すおう)を主染料とし明礬(みようばん)と灰汁(あく)を用いて媒染する手法をとれば赤みがかってくるのは当然だった。それにしても,紫草それ自体が高価であり,紫草の栽培・販売も規制されていたのだから,庶民には容易に入手しうるものではなかったのである。
→紫根(しこん)
執筆者:斎藤 正二
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
紫は単色光では現れない色相である。紫という色名は古代色名にもあり、紫根(しこん)染めの代表的な色とされている。
紫は中性系の色であるため、強烈な印象は与えない。したがって、そのイメージもあまりはっきりした特徴をもっているとはいえないが、比較的強いものをあげると次のようになる。すなわち、やや不自然な、やや暗い、重々しい、ややくどい、やや複雑な、やや古い、やや沈んだ、という印象になる。紫の象徴するものとしては、嫉妬(しっと)、不安などがあげられる。また、女性的な、華やかな、甘い、といったイメージももたれやすい。
紫に対応する感情の性質としては、厳粛、優艶(ゆうえん)、神秘、不安、優しさなどがあげられる。
紫色は古い時代には、西洋、日本においても高貴な色として認知されていたようである。これは、地位のある人が用いたことにもよっているであろう。
紫はある意味で複雑な色ともいえる。赤と青の混合の割合により、赤紫から青紫の変化が生じる。この複雑さが、赤・青のような比較的はっきりした感情と異なり、複雑な感情に対応するものと思われる。また、色の好みにおいても、青みに寄っている紫か、赤みに寄っている紫かといったことにより、選択され方が異なってくる。このため、実際に紫を使用する場合(とくに服装など)は、ある意味で、むずかしい色ということができよう。
[相馬一郎]
色名の一つ。ムラサキの根(紫根(しこん))で染めた色。『延喜式(えんぎしき)』縫殿(ぬいどの)寮の巻、雑染用度の条に「深紫綾(あや)一疋(ぴき)。紫草卅斤(さんじっきん)。酢二升。灰二石。薪(まき)三百六十斤」とある。紫の染色にあたって、布帛(ふはく)や糸を灰汁(あく)に浸(つ)けて、先に媒染してから紫根の汁で染める。濃い色にするには数十回これを繰り返す。色彩の高貴な印象ばかりではなく、困難な染料入手と染色技術の理由から尊ばれ、朝廷における位階相当の色である当色(とうじき)のうち、高位の身分を示す冠や服の色とされた。647年(大化3)に冠位十三階の制で紫冠(しかん)という位が定められ、養老(ようろう)の衣服令(りょう)では服色を、親王および、王と臣下の一位が深紫(ふかむらさき)、王の二位以下と臣下の二、三位が浅(あさ)紫と定めている。平安時代中期以降、紫は黒にかわって当色から外されたが、濃い紫は禁色(きんじき)で一般の使用が禁じられた。紫は重要な色として、濃(こき)といえば濃紫(こきむらさき)を、薄色といえば薄紫をさした。なお赤みの強い紫を葡萄(えび)とよび、紫はそれより青みのある色であった。近世では青みの強い粋(いき)な紫を江戸紫とよび、赤みのあるみやびな紫を京紫といっている。
[高田倭男]
出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報
…杜甫の〈曲江にて雨に対す〉と題する詩句に〈林花,雨を著(つ)けて臙脂落ち,水荇(すいこう),風に牽(ひ)きて翠帯長し〉とある臙脂はこれを指す。 つぎに紫鉱は,紫(しこう)ともいいラックカイガラムシ(現在の中国名は紫膠虫)の分泌物からとれた染料のことである。唐の段成式の《酉陽雑俎(ゆうようざつそ)》によれば,真臘(カンボジア)産で,真臘では〈勒佉(ろくこ)〉と称したという。…
…この一周というのは,いろいろな色を順番に並べてみると元のところに戻ってくるからである。例えば赤から始めると,だいだい,黄,黄緑,緑,青緑あるいはシアン,青,紫,赤紫あるいはマゼンタ,そしてまた赤に返ってくる。これはだれが並べても同じである。…
…また,無脊椎動物では昆虫類のなかにチョウやハチのように色覚をもつものがある。昆虫類の色覚は脊椎動物より短波長側にずれていて,視細胞はそれぞれ緑や青や紫外部の波長域に最大感度を示す3種類に分けられる。ヒトでは,長波長の赤と短波長の青を混ぜると紫purpleという色として感じられ,これは緑と補色関係になるが,ミツバチでも紫外線と緑を混ぜると〈ミツバチすみれ〉と呼ばれる色になり,これは青と補色関係にあることが行動実験で確かめられている。…
…しかし古代エジプトですでに前2000年以前から動植物性の天然染料を用い大規模な染色が行われたとされている。地中海産の巻貝から得られた紫色染料ティル紫(ティリアン・パープルTyrian purple)は古代エジプト,ギリシア,ローマ,フェニキアなどできわめて高貴な染料であった。捺染技術も木綿原産地のインドで始まりエジプトに伝えられたらしい。…
※「紫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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