精選版 日本国語大辞典 「神戸」の意味・読み・例文・類語
かん‐べ【神戸】
こうべ かうべ【神戸】
じん‐こ【神戸】
かむ‐べ【神戸】
かんべ【神戸】
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兵庫県南東部にある県庁所在都市。大阪湾北西部に位置する世界有数の港湾・貿易都市でもある。1889年市制。人口154万4200(2010)。1956年9月政令指定都市となり,現在は東灘,灘,兵庫,長田(ながた),須磨,垂水(たるみ),北,中央,西の9区がおかれている。六甲山が急傾斜の断層崖で大阪湾に落ちこむ山麓に細い帯状の平地が発達し,東西20kmにわたって市街がのびているが,南北は幅の広い所でも4kmしかない。このうち山手は住宅地,浜手は港湾や工場で,中間部が商業地区に利用されている。面積では市全体のわずか1/8のこの区域に人口の約6割が集中している。こうした地形上の制約で神戸の市街地の拡大は長らく妨げられていたが,昭和30年代に入って山を削って海を埋める大事業が始められ,現在では市街地は六甲山地の西や北に広がる一方,ポートアイランドや六甲アイランドの海上都市が誕生した。1966年から15年の歳月を経て完成したポートアイランドは面積436ha,人口2万人の人工島で,ホテル,国際会議場,ファッション関係の業務施設などが立地し,周辺はコンテナー船バース11,ライナーバース15の巨大港湾施設を配置している。約10年遅れて着工した六甲アイランドは面積580ha,人口3万人を目ざす人工島で,やはり中央部には都市的施設,周辺部に港湾施設を配置している。2008年現在,六甲アイランド南側を埋め立てる工事が進行中である。
神戸は近畿の西の玄関である明石海峡に近く,古来山陽道や瀬戸内航路など水陸交通の拠点として重要であった。奈良時代には大輪田泊(おおわだのとまり)と呼ばれ,12世紀中ごろには平清盛による大規模な修築が行われた。鎌倉時代に入ると兵庫津と名がかわり,清盛の築造した経ヶ島を中心に町が形成された。応仁の乱で町は一時衰退するが,江戸時代に西廻航路が発達すると再び隆盛に向かい,幕末の開港まで海上交通の要衝として繁栄した。1867年(慶応3)兵庫津の東にある神戸浦が開港し,以後港湾の整備や居留地の開発が急速に進んだ。明治初年の人口は2万5000と推定されているが,市制施行時には13万に増加し,横浜と並ぶ貿易・港湾都市としての基盤も整った。またその時の面積は21.3km2にすぎなかったが,以後,市域は主として西に広がり,1941年には115.1km2に増加し,人口も90万をこえた。さらに50年に東灘区,西区,北区の区域を加え面積は530km2に増加した。以後の市域の増加は海面の埋立てによるもので,95年の現市域は547.3km2に達している。
市内には農林漁業を除くと約8.6万の事業所があり,77万2000人が就業している(1991)。就業者のうち工業の占める割合は小さく,実数,構成比とも年々低下している。主要業種は食料品,鉄鋼,造船,機械,ゴム(ケミカルシューズ)の5業種であるが,その発展は,港湾と不可分の関係にある。近代工業の形成は明治初年に造船と輸出・輸入品の加工から始まったが,前者から鉄鋼,車両,通信機,家具装備品などが生まれ,後者ではマッチ,ゴム,製糖,製粉などがその例である。なお伝統産業として灘の酒で知られる酒造業があるが,その産地は市内東部の灘区から西宮市に至る臨海部で,古くから灘五郷と呼ばれている地域である。神戸はまた西欧文化の窓口としての役割を果たしてきたが,洋服,洋菓子,洋家具などは品質やデザインの優れていることでも定評がある。商業,サービス業では貿易港,県都として商社や大型小売店舗が多く,都心の三宮を中心に一大商業地区が形成されているが,隣接の大阪の影響で卸売業や中枢管理機能の発達は制約されている。しかし,ダイエーや灘生協(現コープこうべ)など小売業界の革新者を育てたことで知られる。
神戸はJR東海道本線と山陽本線の接続点であり,山陽新幹線も1972年に開通した。市内には阪神,阪急,山陽,神戸の4電鉄線が走り,これらのターミナルを結ぶ神戸高速鉄道がある。また開発の進む北西部から都心への足を確保するための市営地下鉄も開通した。一般道路や高速道路の整備も進められているが,東西の回廊的位置を占めるため通過交通が多く,中国自動車道,山陽自動車道,明石海峡大橋などを結ぶ大阪湾岸道路全線の完成が待たれる。また神戸港は瀬戸内海航路の最大のターミナルとして,四国,九州,沖縄を結ぶ定期船が中埠頭から発着するほか,東部第3,第4工区にはカーフェリー専用の埠頭がある。市街地の背後に連なる六甲山は瀬戸内海国立公園に属し,早くから別荘地やゴルフ場が開発され,市民の行楽地になっている。六甲山の北の谷間には古くから知られた有馬温泉がある。神戸は4万人以上の外国人が居住する国際都市であり,外国人のための学校や基地,あるいは回教寺院や関帝廟などの宗教施設がある。三宮の北の山麓には明治中期以降外国人の住宅が増え異人館と呼ばれてきたが,近年若い観光客を引きつけている。さらに歴史的・景観的価値の高い北野町の一角は伝統的建築物群保存地区に指定されている。
神戸港は世界屈指の大貿易港であり,開港以来船会社,貿易商社,金融保険,造船,舶用機械など多くの関連産業が発達し,港湾都市としての規模,施設,サービスのいずれにおいても卓越した地位にあった。しかし1995年1月の阪神・淡路大震災で大型岸壁239バースのほとんどが被災し,とくに主力であるコンテナーバースは潰滅的打撃を受けた。その後2年余りで施設の復旧は完了したが,国内外の港にシフトした貨物を取り戻すに至らず,効率の向上や費用削減を迫られている。阪神・淡路大震災により神戸は死者4567人,全半壊家屋12万3000棟,全焼7000棟,被害総額約6.9兆円という大きな被害を受けた。震災後に復旧や新しいまちづくりが進められ,2006年にはポートアイランド南側の沖合に神戸空港が開港。
執筆者:小森 星児
日本古代において,神社に世襲的に所属して,貢納と奉仕を任とした民戸。《日本書紀》崇神7年条に神戸の起源説話がみえるが,大化前代の神戸は部民的性格を持っていたと考えられている。令制では,国司によって作成された神戸の戸籍・計帳が神祇官に掌握され,封戸の一種として,調庸,田租,雑徭を負担した。その調庸,田租は国司の管理のもとに神社の造営,供神の料にあてられ,田租の残りは神税として義倉に準じて貯蔵され,出挙(すいこ)されなかった。また神戸の中から祝部(はふりべ)を選ぶのが原則とされた。神戸の数は806年(大同1)の《新抄格勅符抄》神封部には4876戸とみえる。また一郡全体の戸を神戸としたものを神郡(しんぐん)と称した。平安中期以降,神戸の実質的機能は失われたが,神戸の名を負う荘園が設置されていった。
執筆者:編集部
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…古く封戸(ふこ)を有した神社のこと。封戸は国家より施入され,租,庸,調,雑役をその神社に納め,神戸(かんべ),神封戸とも呼ばれた。その起源は明らかでないが,古代神祇行政の整備とともに確立し,《新抄格勅符抄》に806年(大同1)当時,約170社4876戸の存したことを記している。…
… 長崎は日本における華僑発祥の地で,江戸時代すでに清国との交流が深い長崎に貿易商人としての華僑が渡来していた。神戸には1868年の開港で,諸外国人に交じって,中国本土と長崎から華僑が移ってくる。この華僑たちが神戸に中国料理をもたらすことになる。…
…神戸市兵庫区の兵庫港を中心とする地域の呼称。中世には兵庫三箇荘があって,港には兵庫南北両関が置かれた。…
※「神戸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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