昆虫綱鱗翅(りんし)目Heteroceraの昆虫の一群。この昆虫は完全変態をし、卵、幼虫、蛹(さなぎ)を経て成虫となる。分類学上、チョウとともに鱗翅類(目)を構成するが、この類をチョウとガに2大別することは、どちらかといえば日本の慣習的な仕分けで、明確な系統分類に従ったものではない。したがって、近年の分類学ではこのような分類は行われていない。
[井上 寛]
チョウは昼間活動し、ガは夜行性のものが多いが、ガのなかにはチョウと同じように日中活発に飛ぶ種が少なくない。チョウは静止するときはねを畳み、ガははねを開いたまま静止するのが普通であるが、ガのなかには、チョウと同じようにはねを背面に畳んで休む種がある。ガは胴が太いものが多いが、チョウのように細くスマートな種が少なくない。また、チョウの触角は、棍棒(こんぼう)状で先端部で膨らむが、ガの触角は羽毛状、櫛歯(くしば)状、微毛状、鞭(むち)状などいろいろ変化があり、一部のグループではチョウと同様に棍棒状である。
チョウとガを強いて区別すると、次のようになる。チョウやガが飛ぶときに、前翅と後翅を連動させるための仕組みをみると、次の4通りの方法がある。(1)フィブラ型 前翅後縁基部に角張った突出部があり、はねの裏面に折り重なっていて、これをフィブラfibulaという。このフィブラに、後翅前縁基部に列生する刺毛がひっかかって連結する。もっとも原始的なコバネガ科はこの型である。(2)翅垂型 前翅後縁の基部から細長い突起(翅垂)が後翅の下に出て、これと前翅の基部によって後翅を挟む。かなり原始的なコウモリガ科の連結方法である。(3)翅刺型 後翅の基部前縁から翅刺とよばれる棘(とげ)が出ていて、前翅裏面の基部近く前縁部にある小さな帯状の突起(保帯)に挟み込んで連動させる。大部分のガは、この連結方法で前後翅を同時に羽ばたくことができる。翅刺は一般に雄では1本であるが、雌では数本に分かれていることが多い。保帯は、一部のグループでは、特殊な鱗粉の列によって代用されている。(4)抱え込み型 後翅の前縁基部が広がって、肩角部が強化され、前翅後縁の硬化部に押し付けることによって、前後翅を連動させるタイプで、チョウの全部とガのごく一部(ヤママユガ科、カレハガ科)がこの型に属する。したがって、チョウとガをはっきり区別するには、触角が棍棒状で翅刺がなければチョウ、同じような触角でも翅刺があればガ、触角が棍棒状でなければすべてガ、ということになる。
[井上 寛]
鱗翅目は、すでに学名のつけられた種が30万くらいと考えられるが、そのうちチョウは約1万5000種で、残りはガである。日本にはチョウが約150種土着しているが、ガは4800種ほど知られている。チョウのほうは研究調査が行き届いているので、今後、未発見種のみつかる可能性はほとんどないが、ガは種の数が多いうえに、はねの開張が1~2ミリメートルという微小種がたくさんいて、十分に研究されていないグループが多いので、将来、未発見種が多数学界に登録され、最終的には6000種を超えるものと考えられる。一地域に生息しているガの種数は、チョウの20倍から30倍あるのが普通である。
鱗翅目は、80くらいの科に分類されるが、そのうちの8科くらい(学者によっては5科)がチョウで、70科以上がガに属する。
[井上 寛]
大部分は夜間に蜜(みつ)や配偶者を求めたり、産卵場所を探して活動するが、ヒゲナガガ、スカシバガ、ハマキモドキガ、マダラガ、セセリモドキガ、トラガの各科には昼飛性の種が多く、そのほかハマキガ、シャクガ、ヤガの各科のごく一部の種は日中活動する。夜行性のガは、色彩や斑紋(はんもん)のじみなものが多いのに対し、昼飛性のガのなかには、はでな色調の種が多い。イカリモンガ科の日本産2種などは、その色彩といい、飛び方といい、まったくチョウと区別がつかないほどよく似ている。
[井上 寛]
幼虫の大部分はイモムシあるいは毛虫とよばれ、おもに植物に依存しているため、農作物、果樹、庭園樹などの害虫とされている種が非常に多い。イネの大害虫としては、ニカメイガ、イッテンオオメイガ。トウモロコシやキビにつくアワノメイガやアワヨトウ。ダイズ、エンドウなどの莢(さや)内にすんで食害するシロイチモンジマダラメイガ。ダイコン、ハクサイなど蔬菜(そさい)の葉や茎を食べるハイマダラメイガ、コナガ、カブラヤガなど。果樹の葉を食べるイラガ、ウメスカシクロバ、カクモンハマキ。リンゴ、モモなどの果実を食べるモモヒメシンクイ。果皮の柔らかいモモやブドウに成虫が穴をあけて果汁を吸うヒメアケビコノハ。森林害虫としては、マイマイガ、マツカレハ、ツガカレハ、マツマダラメイガなど多数あり、樹幹にトンネルを掘って食害するコウモリガやボクトウガは、果樹や庭木にも被害がある。庭木や街路樹には、アメリカシロヒトリ、モンシロドクガ、オビカレハなど多くの種がみられる。
幼虫が毒針毛をもつため、これが皮膚に刺さると炎症をおこすものとしては、タケノホソクロバ、マツカレハ、ツガカレハ、クヌギカレハ、ヤネホソバなどホソバ類、ドクガ、チャドクガなどがある。ことにドクガ類の場合は、蛹化(ようか)の際に繭に毒針毛がつけられ、羽化した成虫(とくに雌)の体にも多数の毒針毛が付着しているので、衛生害虫として注目される。イラガ科の幼虫は、肉質突起上に毒針があって、触れると激痛を覚える。乾燥食品や貯蔵穀物につく幼虫は、家屋や倉庫内にすんで食い荒らし、人家内の生活によく適応している。バクガ、ノシメマダラメイガ、スジマダラメイガ、カシノシマメイガなどがとくに重要である。毛皮、毛織物、羽毛などを食べるイガやコイガは、春から秋まで使用しない羊毛のセーターなどに食い穴をあけてしまう。多くのガは、夜間、電灯に誘引されて人家内に飛び込んでくるので、郊外の樹木の多い地域では、ドクガのように毒針毛をもっていなくても、ガの侵入によって迷惑するし、食事中に飛び回って鱗粉が落ちたりすると、不潔感がする。ことに山間地の温泉宿やドライブインなどでは、屋外に誘蛾灯をつけたり、窓に網戸をつけて、ガの侵入を防止しなければならない。
[井上 寛]
繭から絹糸をとるために、積極的に飼育している有益なガは、カイコを筆頭として、ヤママユ、テグスサンなどをあげることができる。オオミノガの蓑(みの)をつなぎ合わせて紙入れなどをつくるのも、利用法の一つである。カイコが繭をつくったあとの蛹は、養魚の飼料の材料として利用するが、長野県などでは佃煮(つくだに)に加工し、総菜として市販されている。淡水魚の釣り餌(え)としては、ブドウスカシバの幼虫(ブドウの虫)、ウスジロキノメイガの幼虫(イタドリの虫)などが釣り具店で売られている。オーストラリアでは、夏眠のため、無数の成虫が山頂に集まって岩陰などに静止しているボゴングヤガを、原住民が食料としているという。世界を広く見渡せば、ガの幼虫、蛹、成虫が、人間に利用されている例は、まだいろいろあるかもしれない。
[井上 寛]
多くのガの成虫は、花蜜を活動のエネルギーとして吸うので、ほかの訪花昆虫と同じように、花粉媒介によって、植物の結実に重要な役割を果たしている。ことに、早春に開花するウメなどは、まだあまり昆虫の発生していない季節なので、林の中で成虫越冬しているヤガ科のキリガ類による花粉媒介に大いに依存している。
おびただしい数のガは、幼虫・成虫ともに、食虫性の鳥、哺乳(ほにゅう)類、カエル、トカゲなどの重要な餌(えさ)となっている。捕食性のクモ、ジガバチ、ムシヒキアブ、スズメバチ、サシガメなどもガを食べる。コウモリは夕方から夜にかけて活動するので、夜行性のガはかっこうの攻撃目標となっている。ガの胸部あるいは腹部に開口している鼓膜器官(耳)は、主としてコウモリの発する声をキャッチするために発達したものだといわれている。河川や湖で、水面に誤って落ちるガは、淡水魚にとって重要な餌(じ)料ともなっている。
樹木の葉を食べるガの幼虫も、大発生して木を枯死させたり衰弱させない限り、むしろ木にとって好ましい存在なはずである。木の葉が茂りすぎれば、日当りと通風が悪くなって植物に病気をおこさせるが、ガの幼虫によって一部の葉が食べられれば、このような不都合を防ぎ、樹木にとっても好ましい状態を保つことができるからである。
[井上 寛]
古くから養蚕は重要な産業なので、その生理や遺伝の研究が盛んに行われてきた。昆虫の性誘引物質(性フェロモン)の研究のきっかけは、カイコの雌から抽出したことによる。大形のヤママユを使っての成長と分化ホルモンについての研究も、大きな成果をあげている。擬態と保護色の研究にもガの成虫や幼虫がよく取り上げられる。スズメガの一部の幼虫や、スズメガ、ヤママユガなどの成虫のもっている眼状紋が、捕食性の鳥に対して逃亡反応を誘発させる問題などは、生態学に役だっている。
急速に工業化の進んだイギリスやヨーロッパの一部で、オオシモフリエダシャクの黒化型が増加し、正常型が減少した現象は、昔は正常型が樹皮とそっくりの保護色をしていたのに、煤煙(ばいえん)によって汚れた樹皮に静止した場合、捕食者にみつけられて食べられる頻度が高まり、黒化型のほうが逆に生き残るようになってしまった。このような環境適応の変化によって、一部のガの黒化型あるいは暗化型の急増したことは、生物進化の一断面をわれわれに実例をもって示してくれたのである。工業黒化現象(工業暗化現象)は、生物進化を語るとき、除外することのできないテーマとなっている。
[井上 寛]
夜、あかりを慕って飛んできたガが火の中で焼け死ぬわけを説明する昔話がある。ガは継子(ままこ)で、継母にいじめられている。夜になると、継母が行灯(あんどん)の火をとってこいと命令する。ガはしかたなく火をとりに行き、そのまま火に飛び込んで死んでしまうという。類話は、東京都の八丈島や香川県に知られている。またグリム兄弟の弟ウィルヘルムは、1822年ケンペルの『日本誌』から、ガの昔話を紹介している。ガはたいへん美しく、虫たちがほれ込むが、火をとってきたら愛してあげようと虫たちを遠ざける。それで、虫たちは、ろうそくの火に向かっては飛んで行き、体を焼かれるのであるという。
[小島瓔]
『江崎悌三他著『原色日本蛾類図鑑』上下(1957・保育社)』▽『井上寛他著『原色昆虫大図鑑Ⅰ 蝶蛾篇』(1959・北隆館)』▽『一色周知他著『原色日本蛾類幼虫図鑑』上下(1969・保育社)』▽『井上寛他著『日本産蛾類大図鑑』全2巻(1982・講談社)』