デジタル大辞泉
「して」の意味・読み・例文・類語
して[格助・接助・副助]
《動詞「する」の連用形+接続助詞「て」から》
[格助]名詞、活用語の連体形、副詞・助詞などに付く。
1 動作をともにする人数・範囲を表す。「みんなして考えよう」
「もとより友とする人一人二人―行きけり」〈伊勢・九〉
2 動作をさせられる人を表す。「私をして言わしめれば、その説明では承服しかねる」
「楫取り―幣奉らするに、幣の東へ散れば」〈土佐〉
3 (多く「にして」の形で)動作の行われる時間・空間を表す。「三〇歳にして独立する」
「勝軍王と申す大王の前に―此を競ぶ」〈今昔・一・九〉
4 動作の手段・方法・材料などを表す。
「そこなりける岩に、指の血―書きつけける」〈伊勢・二四〉
[接助]形容詞・形容動詞、一部の助動詞の連用形に付く。上代では接尾語「み」にも付く。
1 上の事柄を受け、それと並ぶ事柄または推移する事柄へと続ける。「策を用いずして勝つ」
2 「そのような状態で」の意で下へ続ける。
「ばっと消ゆるが如く―失せにけり」〈平家・三〉
3 理由・原因を表す。
「これはにぶく―あやまちあるべし」〈徒然・一八五〉
4 逆接を表す。
「格子どもも、人はなく―開きぬ」〈竹取〉
[副助]副詞・助詞などに付いて、意味・語調を強める。「一瞬にして家が倒壊した」「先生からしてあんな事をする」
[補説]2は現代語や漢文訓読調の文体では、「をして」の形で用いられる。
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し‐て
- 〘 連語 〙 ( 動詞「する」の連用形「し」に接続助詞「て」が付き、助詞のように用いられるもの )
- [ 一 ] 格助詞的用法。
- ① 体言を受け、また多くは「にして」の形で動作の行なわれる空間、時間などを示す。…で。…において。→語誌( 1 )( 3 )。
- [初出の実例]「これやこの大和に四手(シて)は我(あ)が恋ふる紀路にありといふ名に負ふ勢(せ)の山」(出典:万葉集(8C後)一・三五)
- 「三十(みそぢ)あまりにして、更にわが心と、一の菴をむすぶ」(出典:方丈記(1212))
- ② 体言または体言と同格の語、および体言に副助詞の付いたものを受け、動作の手段、方法などを表わす。
- (イ) 動作を行なう主体を、主語としてではなく数量的に、また手段的に表現する。
- [初出の実例]「又七人のみ之天(シテ)関に入れむとも謀りけり」(出典:続日本紀‐天平宝字八年(764)一〇月九日・宣命)
- 「身づからも弟子のなかにも験あるして加持し騒ぐを」(出典:源氏物語(1001‐14頃)手習)
- (ロ) ある動作を行なう手段としての使役の対象を示す。訓点資料では「をして」の形をとる。→語誌( 2 )。
- [初出の実例]「諸の有情をして恭敬し供養せ令めむとなり」(出典:西大寺本金光明最勝王経平安初期点(830頃)一)
- 「門(かど)あけて惟光の朝臣出で来たるしてたてまつらす」(出典:源氏物語(1001‐14頃)夕顔)
- (ハ) 動作の手段、方法、材料などを示す。
- [初出の実例]「長き爪して眼(まなこ)をつかみつぶさん」(出典:竹取物語(9C末‐10C初))
- ③ 格助詞「より」「から」、副助詞「か」、形容詞連用形、副詞などを受けて、その連用機能を確認する。
- [初出の実例]「今かね少しにこそあなれ。嬉しくしておこせたる哉」(出典:竹取物語(9C末‐10C初))
- 「やがてこの殿よりしていまの閑院大臣まで、太政大臣十一人つづき給へり」(出典:大鏡(12C前)一)
- [ 二 ] 接続助詞的用法。形容詞型活用の語の連用形およびこれらに副助詞の付いたものを受け、また「ずして」「にして」「として」の形で、並列・修飾・順接・逆接など種々の関係にある句と句とを接続する場合に用いられる。上代には形容詞語幹に「み」の付いたものを受ける例もある。→語誌( 3 )。
- [初出の実例]「我が心しぞいや愚(をこ)に斯弖(シテ)今ぞ悔(くや)しき」(出典:古事記(712)中・歌謡)
- 「細やかに、たをたをとして物うち言ひたるけはひ」(出典:源氏物語(1001‐14頃)夕顔)
しての語誌
( 1 )[ 一 ]①の用法の場合、「し」にはサ変動詞としての意味がいまだ残っていると思われる。
( 2 )平安初期の漢文訓読では、使役の対象を示す場合、常に「…をして…しむ」の形が用いられるとは限らず、「…を…しむ」「…に…しむ」等も用いられたが、平安中期以降「…をして…しむ」の形が固定する〔春日政治「西大寺本金光明最勝王経古点の国語学的研究」〕。
( 3 )[ 一 ]①の「にして」、[ 二 ]の「…くして」「ずして」「にして」「として」の形は、平安時代には主として漢文訓読系の語として用いられ、これらに対して和文脈では「にて」「…くて」「ずて」「で」「とて」の形が用いられた。平安末期以降は両文脈が混淆するため、両者の共存する文献が多くなる。
し‐て
- 〘 接続詞 〙 ( 動詞「する」の連用形「し」に接続助詞「て」の付いてできた語 ) 先行の事柄を受け、それに続けて言うときのことば。相手の発言をうけて、それに対する疑問を発する時、その冒頭に多く用いられる。そして。それから。
- [初出の実例]「して、まづなにとしたぞ」(出典:謡曲・夜討曾我(1480頃))
- 「如何にも心得た。してそれはどのやうな物ぞ」(出典:歌舞伎・今源氏六十帖(1695)一)
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シテ (して)
能および狂言の役種の名称で,一曲の主役のこと。語源的には〈仕手〉〈為手〉などの字があてられ,〈演技する人〉〈役者〉一般をさし,世阿弥時代には〈脇の仕手〉などの用語も見えるが,のち主役の意に固定した。能には,一曲中にワキやツレを欠くものはあっても,シテを欠く能はない。狂言もまた,まれに独り狂言と称し,登場人物はシテ一人だけという曲がある。前後2場から成る能では,前ジテ・後ジテと呼び分ける。前ジテと後ジテは《三井寺》の狂女のように,まったく同一人物である場合と,《井筒》で前ジテの里女(さとおんな)が後ジテの紀有常の娘の霊の化身であるというような場合と,また《船弁慶》の前ジテが静御前で後ジテが平知盛の霊というようにまったく別人物である場合もある。いずれの場合も一人の演者が扮装を変えるだけで通して演ずる。シテは一曲一人に限り,そのたてまえは厳守されているが,特別な場合に両ジテという扱いがある。たとえば《蟬丸》のシテは逆髪(さかがみ)だが,ツレの蟬丸もシテに準ずる重要な役なので,両方をシテとみなして両ジテと称する。狂言《武悪》では,武悪がシテだが,主人の役をシテ格で演ずることがあり,太郎冠者も大役なので俗に三人ジテなどと呼ぶこともある。なお,シテは一曲の主役であると同時に,多くの場合演出家の機能をもはたす。
→シテ方
執筆者:羽田 昶
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シテ
能の役柄。主役のこと。古くは〈仕手〉などとも書かれた。1曲1人。男性のほか女性,神,精,鬼等に扮(ふん)し,能面をつける特権をもつ。ワキに対する言葉。また演出,監督の権限を有する。中入りのある能では前シテ,後(のち)シテの別があり,同一人が演ずるのが原則。シテ方というのはシテ,ツレ,子方,地謡,後見の職能をもつ人びとをいい,流派には五流がある。狂言の主演者もシテと呼ぶが,能ほど絶大な位置を占めない。
→関連項目アド|オモ|太夫|能
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シテ
して
(1)能の主役。仕手、為手。一曲のなかで絶対的な重さをもつ演者であると同時に、演出、監督の権限を有する。つねに現実の男性の役であるワキに対し、シテは女・老人・神・鬼・霊などにも扮(ふん)し、能面をつける特権をもつ。前後2段に分かれ、シテがいったん楽屋などに退場(中入(なかいり))する能では、中入前を前シテ、中入後を後(のち)ジテとよぶ。同一人物が扮装を改めて再登場するのが普通だが(例『井筒』『三井寺(みいでら)』)、前後まったく異なる人物の場合もある(例『船弁慶』)。そのときも同一役者が演ずるのが原則。シテは一曲一人であるが、とくに重要なツレを両ジテとして同格に扱う場合もある(例『二人静(ふたりしずか)』『蝉丸(せみまる)』)。三役(ワキ方、囃子(はやし)方、狂言方)に対するシテ方には、観世・金春(こんぱる)・宝生(ほうしょう)・金剛・喜多(きた)の五流がある。喜多流を除く四つの座は、江戸時代までは専属の三役を擁していた。明治以降は催しごとの自由契約制となっている。シテのほか、ツレ・トモ・子方などシテに従属する役、地謡(じうたい)方、後見方、作り物の製作はシテ方の職責である。
(2)狂言の主役。オモともいう。能のように独立の職種ではなく、狂言方はシテにも相手役のアドにも扮する。
[増田正造]
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シテ
能楽の役柄。通常かたかなで書くことを原則とするが古くは「仕手」「為手」とも書いた。能ではシテが主役であり,1曲に1人。他の役はすべてシテに従属する。1曲が前後2段に分れる複式の能の場合は,前半を前ジテ,後半を後ジテという。前,後の役柄が変っても同一の役者が演じるのを原則とする。シテに付随する役がシテヅレであり,ツレの役がシテと並ぶほどに重要なとき,便宜上両ジテという場合がある (『二人静』『蝉丸』『曾我兄弟』など) 。狂言においても,1曲の主役をシテという。古くはオモという呼称もあったが,今日ではすべてシテといっている。 (→アド )
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シテ
能、狂言の主役。前後二場に分かれている時は前シテ、後ジテという。主役の相手方をワキ、助演の役をツレ、シテに属するツレをシテツレ(略してツレ)、ワキのツレをワキツレとそれぞれいう。狂言の脇役はアド。
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世界大百科事典(旧版)内のしての言及
【カルカソンヌ】より
… 町は二つの部分から構成される。シテとよばれるオード川右岸丘陵上の都市は古代に起源をもち,13世紀初頭の破壊ののち[ルイ9世],フィリップ3世によって復旧,補強された。その後,軍事上の意義が失われ,城塞都市は荒廃の一方であったが,19世紀になって,作家で歴史家のメリメの進言に基づいてその歴史的意義が認められ,美術史家[ビオレ・ル・デュク]がもとの姿に復元した。…
【ブール】より
…しかし,これらの地方でも11世紀末から12世紀にかけて,〈ブルグス〉という言葉も併用されるようになった。初期のブールは,伝統的な都市的中心である[キウィタス](シテ)の近傍に,道路や川に沿う交通の要地に,修道院などを中心として建設され,初めは木柵,やがては石の城壁を周囲にめぐらした。したがって,いずれかといえば都市的な郊外集落で,中世都市がふつう〈シテ〉と〈ブール〉という二元構造をとるのもこのためである。…
【狂言】より
…
[江戸時代]
江戸時代に入ると,狂言は能とともに武家の式楽となって幕藩体制に組み込まれる。能のシテ方支配が確立し,[狂言方]はワキ方・囃子方とともにその服属下に入った。しかしそれは同時に,狂言方が武士に準ずる待遇を受け,演目も定着し,役者は技芸を磨くことに専念できるという体制でもあった。…
【能】より
…なお,このころ[喜多(きた)七大夫]が一流([喜多流])の創立を許され,併せて〈四座一流〉と称された。また座の制度のほかに,[シテ方],[ワキ方]など専門別の役籍が定められ,各役籍に数個の流派が確立した。流派には家元があって芸を統制し,習事(ならいごと),免状,伝授手続きなどの形式が整えられた。…
※「して」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」