字
寛永一九年高松藩主として入部した松平頼重は、
平賀家旧記には天文一二年(一五四三)平賀弘保・隆宗が社殿を造営した旨の棟札写を収める。また同旧記の天正六年(一五七八)三月の白鳥社祭礼事書には、当社の三度の大祭のうち、九月九日の鳥居原御幸の神事に平賀弘保が干渉して古例をまげようとしたが、馬で当社に向かった弘保の使者桂孫太郎が転落死したため干渉をやめ、祭礼に名代として近習一人、家老一人を社参させることとし、積極的に祭礼を援助したと記す。
千曲川の北岸
「参考源平盛衰記」に木曾義仲が依田城挙兵のあと「信濃・上野両国ノ勢催集メ二千余騎ヲ相具シテ、白鳥川原ニ陣ヲトル」とみえる白鳥川原は、千曲川畔にある白鳥神社前の川原であろう。
上田城主仙石忠政の時社領没収、のち忠俊により三貫五〇〇文を寄進された。宝暦三年(一七五三)の「千曲之真砂」には「海野入口に白鳥社有、(中略)此社の前ニ茶屋かずかず有、例年八月十二日祭礼相撲有、近里群集す」とある。
社伝によれば景行天皇の時、和泉国大鳥郡
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…房総三山の一つで,房総丘陵の西端を占め,山頂からの九十九谷の眺望はすばらしい。南房総国定公園に属し,山頂に聖徳太子の創建という神野(じんや)寺と日本武尊を祭る白鳥神社がある。神野寺の本堂は五間四面,入母屋造で県文化財,宝物殿の表門は室町後期の建築で国の重要文化財。…
※「白鳥神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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