小麦粉、ライ麦粉、ライ小麦粉などパン用の穀物の粉を、イースト、水、食塩を中心とした材料を使ってよく混ぜ、練って発酵させた生地(きじ)を焼いた香りのよい、おもに主食として食べる食品の一種。転じて食糧、生活の糧(かて)を表す語として用いられる。パンという日本語は、その初めをポルトガル語のpãoからとっている。ポルトガル語や、スペイン語のpan、フランス語のpain、イタリア語のpaneはラテン語のpanisと同系の語である。ドイツ語のBrotはbrauen(醸造する)からきているが、英語のbreadはpieceまたはloafにつながる語である。パンを食べている国々では、国境線を越えると呼び方もその国独自のものになり、型、作り方、使われる種なども違っていて、味や食感、食生活などその国が生きてきた歴史、文化の違いを物語っている。
哺乳(ほにゅう)動物の1億5000万年の進化に伴って、食性は昆虫食→草食→果実食→肉食→雑食と進み、ヒトは完全雑食の段階に達したが、集団的にはパン食民族(肉類を主要食糧としてパンを補完する)と粥食(かゆしょく)民族(穀類を主要食糧とする)とに分かれているのが現状である。
日本人の生活スタイルは第二次世界大戦を境に大きく変化した。食生活の面についてみると、第二次世界大戦中・戦後の飢餓時代を体験した後、昭和30年代の充足期を経て、さらに合理化時代、成熟期と急速な変化を遂げ、飽食とよばれる時代となった。スーパーマーケットなどの食品売場には世界のさまざまな食品があふれており、一人の人間の生涯を通してこれだけ大きな変化を体験できたのは、昭和の時代を通して生きた者にとっての冥利(みょうり)といえよう。このなかで、大きな変化を遂げた食品の一つにパンがある。第二次世界大戦直後の1945、1946年(昭和20、21)ごろのパン生産高は、原料小麦粉換算で5万トン程度であったが、その後は急成長を続け、途中若干の停滞期はあったものの1981年には120万トンに達し、2001年(平成13)時点の出荷額で約8500億円という一大食品産業分野を形成するに至っている。この背景には日本の食糧事情や食習慣の変化によるところが多く、パンの生産がとくに急増した1955年ごろまでは米の不足をカバーする形で発展してきたが、1965年ごろからは食生活の欧風化・多様化の波に乗って成長を続けてきたものであった。
パン食普及の要因として、第二次世界大戦後、子供たちが学校給食で取り入れられたパンを食べ始め、パンになじんできたことがあげられる。パンの品質向上がもう一つの要因である。東京オリンピックの際に、外国人スポーツ選手が大ぜい来日したが、彼らの食事に供されるパンをつくるために、日本のパン職人が海外で研修を重ね、製パンの知識・技術を高め、これがパンの品質向上のきっかけとなった。また、海外旅行へ出かける人々が年々多くなり、本場のパン食を味わって、パンに対する知識を向上させた。忙しい生活が、朝食などの簡素化をもたらし、朝はコーヒーとパンとサラダといった食生活が取り入れられるようになった。1998年(平成10)には、うどん、パン、パスタなどに用いられる小麦粉類の消費が米の消費量を抜くほどに、日本の食生活は変化した。
[阿久津正蔵・竹野豊子]
小麦の原産地(メソポタミア)に近い地域で小麦を粗粒につぶし薄焼きし始めたのは、およそ紀元前7000年ごろとみられている。オリエントでは古くから平焼きパンが焼かれていた。1972年発見されたブルガリアの金彩文文化のバルナ遺跡(前4500~前4000)にもその跡がみられる。ユダヤ人もエジプトにきて発酵パンを知ったが、旅を続ける民族には無発酵平焼きパンのほうが生活の支えになる。
小麦粉を発酵させてつくる今日のパンの祖型は古代エジプトにあり、およそ前4000年にさかのぼる。エジプトの太陽・万物の神オシリスは穀物の神でもあった。エジプト学者がbread eaterと評するほど古代エジプト人はパン好きであり、前2600年ごろから前1500年ごろまでにパン作りは大きな進歩を遂げた。前2500年ごろ、スイス湖上生活民族もパンをつくっていたと考証されているが、エジプト学における類型区分によると、古代エジプトでは前2600年当時、すでにパンの類型区分A類71種、B類40種、C類47種、D類29種のものがつくられていたという。前3000年ごろ、バビロニア人は小麦を発酵させてビールをつくっていたといわれるが、古代エジプト人がナイル川の小麦からつくった発酵パンにはそのまま食べる固体のパンと、これを液体として飲むビール用のパンがあった。
古代ギリシアでは前1000年ごろから大麦粉の平焼きであるマザイをつくっていたが、エジプトの発酵パンの技法を学んだのは前800年ごろとされている。エジプト法によったと思われるアポピーリアス、コリックス、エレイノーンなどのパン類はギリシア特有のもので、さらに有閑階級の間でケーキに発展し、前200年ごろには種類も増えて72種にも及んだといわれている。
さらに古代ローマによってパンは飛躍的に発展した。前312年には、ローマ市に254人のベーカーがいてギルドをつくり、パン学校も経営されていた。当時のローマは人口も増加し、家庭でパンを焼く余裕のない階層が多くなったことや、パン焼き用焚(た)き込みオーブンが火事をおこしやすいことから、中央広場に国営のオーブンが築かれ、生地を持ち寄って焼いていた。やがてパンが工業生産に入り、ベーカリーが独立業として現れたという前107年の記録がある。古代ローマでは、製パンの技法は、貴族と教会が中心となって発展させたため、宗教とともに広まっていった。ローマの衰亡とともにこの技法も失われたかにみえたが、教会と貴族によって伝えられ保存されていたため、ルネサンス時代によみがえり、多数のベーカリーが現れ、市民階級も容易にパンを食べられるようになった。このイタリアの製パン法が、メディチ家のカザリン姫(カトリーヌ・ド・メディシス)の結婚によってフランスに伝えられ、今日のヨーロッパ大陸系パンの基礎となった。さらに海路を経てイギリスにも伝えられた。今日のロンドンは古代ローマの植民地(4世紀)として開発されたが、ここに新しい系統のパンが定着し、良質の小麦の生産によってよい発酵パンがつくられていった。このイギリスのパンが新大陸のアメリカに移されて、アングロ・アメリカ系のパンが生まれるのである。
このように古代エジプト、ギリシア、ローマのシンプルなパン(粉、イースト、食塩、水の基本材料のみでつくる)は、宗教と深く結び付いて中世から近世へと伝えられ、大陸系のリーンleanなパン(シンプルなパンにごく少量の砂糖、油脂などの副材を加える)として発展し、アングロ・アメリカ系のリッチrichなパン(副材を増してスキムミルクなども加える)はヨーロッパの伝統から脱して合理化、機械化を進め、とくに第一次、第二次両世界大戦を経て生産力の増大をみるに至っている。
20世紀後半になると、アメリカ系のリッチなパンだけでなく、ベーグル(アメリカのドーナツ型のパン)系のリーンなパンの市場が拡大した。このパンは、一度蒸して(スチーム)油分を取ってからつくるという変わった製法で、歯ごたえがあり、よく噛(か)んで食べるということから、健康面でも受け入れられ、全米に広がった。これにアルチザンブレッドなども加わり、ますますバラエティに富んだ市場となっている。アルチザンブレッドは、ヨーロッパやアメリカで人気のあるパンで、「職人技のパン」という意味。大量生産に向いている酵母と違い、発酵のむずかしいブドウやリンゴなどの自然の酵母を、職人がパンにあわせて調合しつくりあげるもので、大きくて素朴なパンが多い。
[阿久津正蔵・竹野豊子]
日本に初めてパンが伝わったのは、1543年(天文12)にポルトガル人が種子島(たねがしま)に鉄砲をもたらしたときといわれるが、実物を見たのは織田信長の時代に宣教師からであり、製法を知ったのは長崎貿易のオランダ商人からである。長崎居留地のパンは、鎖国令(1639)が出てからはキリシタンの信仰との関係で製造禁止になったため、一般にパンがみられるようになるのは1858年(安政5)の日米修好通商条約以降である。これより先、1842年(天保13)には砲術の研究家江川英龍(ひでたつ)(太郎左衛門)が軍用の携帯食糧として乾パンを試作している。1868年(明治1)には中川屋嘉兵衛(かへえ)のパンの広告が新聞にみられ、翌1869年には東京・芝の木村屋(開店当時の店名は文英堂といった)、下谷(したや)の文明軒などが開業、木村屋が1874年に創製した餡(あん)パンは、日本伝統の餡餅(もち)の皮をパン生地に変えてこれに小豆(あずき)餡を包んで空焼きにした、ヨーロッパのパンと和菓子とを組み合わせた日本独自のパンである。ヨーロッパのパン生地はビール系のサカロミセス・セレビシエを発酵源としているが、餡パンでは日本酒系のサカロミセス・サケを用いて日本人愛好の味と香りにあわせ、また糖分を増してもよく発酵し膨らむようにくふうを凝らしている。明治の初期はもっぱらフランス系小形パンのクーペとファンデュが手本とされていたが、やがてイギリス系の三斤棒型焼きパンが普及するようになった。1885年、海軍は兵食にイギリスパンを採用した。陸軍は、ドイツに留学した森鴎外(おうがい)によってパン食が否定され、第一次世界大戦のシベリア出征まで兵食として採用されなかった。
アメリカパンが日本に入ったのは第一次世界大戦後であったが、第二次世界大戦後、日本の飢餓を救うために配給されたコッペパンは津々浦々にまで広められた。これはアメリカの占領政策として「日本人を米と魚から解放するには、よいパンを給することである」とし、日本人の食糧栄養構成の変革を目ざしたものである。
東京オリンピック(1964)を境に、世界のパンが街のリテールベーカリー(ホームベーカリー、街の手作りパンの小売店)で売られるようになった。一方、1990年代なかばごろから急速な発展を遂げてきたコンビニエンス・ストアが本格的にパン市場に参入してきた。コンビニエンス・ストア各社は、自社独自のパンを大手パン屋に焼かせて納入させたりしている。コンビニエンス・ストアや大手パンメーカーは、その目的のためだけの工場(ベンダー工場)でパンを焼いたり、主要大工場(ナショナルベーカリー)とともに「安い」「大きめ」「食べやすい」というような厳しい条件をつけて新製品を開発したり、無添加で安全性の高いパンの研究開発をするなど、新しいコンセプトの商品開発を進めており、パン業界での競争は激化している。
[阿久津正蔵・竹野豊子]
ドイツの民族学者ハインリッヒ・エドワード・ヤコブは、名著『6000年のパン』(1954刊)のなかで、「およそこの世には、宗教、政治、技法に関連しないパンは一切れもない」と述べているように、パンはそれぞれの民族の歴史と生活のなかで発展してきた。日本にはキリスト教とともに伝来したが、宗教との関連性はほとんどみられず、明治以降になっても技法は単に形態をまねるのみで、商品としての価値に重きが置かれていた。しかし、製造技術や消費者のニーズが高まってくると、パン製造者は工場のなかで新技法を研究開発し、消費者のニーズにあわせて新しい付加価値をつけるなど、その時期の流通のバランスを考えて、それにあったパンを製造している。また、海外の製法を取り入れた工業化が進み、製造方法もめまぐるしく変化している。たとえば1994年にアメリカでつくり出された冷凍生地法が日本へも上陸して、低温に強いイースト菌が開発され、冷凍生地が店の希望にあわせて手軽にできるようになった。そこで次の二つの方法が海外から取り入れられた。
(1)アドミ法 アメリカのミルク製造会社がつくり出したパンの製法。ミルクを多量に用いたパン種を、連続的に機械にのせることによって、安定した品質のパンを量産できる。
(2)水種(みずだね)法 18世紀から19世紀にフランスやドイツで使われていた製法。水種という元の種をつくり、それに小麦粉を継ぎ足していくことにより、ケーキのようなふわふわした食感のパンができる。
ヨーロッパでは、それぞれの国が宗教と技法によって伝統的な独自のパンをもっており、政治的統合や経済共同体ができてもパンを統一化することはむずかしい。たとえば、フランスとドイツは隣国でありながら、パンの本質と形態は著しく異なる。ドイツがフランスパンのバゲットを取り入れるには、ライ麦粉を5%程度は小麦粉に加えなければドイツ人の嗜好(しこう)にあわないといわれる。経済統合が進んでヨーロッパ連合(EU)が誕生しても、このように域内のパンの統一には困難な問題が多いが、それでもパンはクラスト(外皮)とクラム(中身)からなるという共通概念を基として、合理化が進められてきた。
2000年にドイツのミュンヘンで開催された世界最大規模のパン関係の展示会では、オーガニック(有機農作物とその加工品)の食材を使った製品や、冷凍生地を使ったバラエティー・ブレッド(ドライフルーツ、ナッツ、穀類などを練りこんだパン)が多く紹介された。また、少人数で多量のパンがつくれるような機械の研究なども盛んで、ヨーロッパでは工業生産化が進められている。製造体制もくふうされ、成形して発酵前に冷凍したもの、成形して発酵後に冷凍したもの、焼成後に冷凍したものなど多様化している。
アメリカのパンはヨーロッパの伝統を早くに脱して合理化され、また栄養強化されて大衆保健の面で成果をあげた。パン消費量の総カロリー、総購買価格、総タンパク質量は1960年代にはチーズと同位にあったので、さらに大豆タンパクやアミノ酸リジンを補って、チーズより安価な肉食の補完食品を目ざして食糧構造のなかに位置づけてきた。しかし、今日のアメリカは栄養過剰に陥り、栄養疫学的にパンの位置を変えようとする新しい政策がとられるに至った。
20世紀後半には、アメリカと日本の合弁会社が設立され、ベーグルパンの工業生産を開始した。「ゆでてから焼くので、餅(もち)のような噛(か)みごたえのある食感である」「動物性油脂を含まず、咀嚼(そしゃく)するので消化吸収がよくヘルシー(健康的)」といううたい文句で人気を集め、消費拡大を成し遂げた。
[阿久津正蔵・竹野豊子]
日本では農林水産省基準に従ってパンの種類とその分類が分けられ、また原材料標準配合割合は、文部科学省資源調査会によって指示されている。
製パン法には、直捏(じかこね)生地法、冷凍製パン法、中種(なかだね)生地法、液種(えきだね)生地法、サワー種法、麹種(こうじだね)法、ホップ種(だね)法、連続生地法、中麺(ちゅうめん)生地法、ファーメント法、バーム生地法がある。
〔1〕直捏生地法(ストレート・ドウ法) 配合材料を全部同時に混捏(こんねつ)して生地をこね上げる方法。一度こね上げた生地は、温度や硬粘度の修正が困難であるため、製造工程の失敗が製品に現れやすく製品の振れが大きいという難点があるが、比較的低温に仕込めば発酵安定が長いので、仕上げに長時間を要する小規模ベーカリーでは、この方法が多くとられている。直捏法でつくられたパンは、ほかの製法のパンに比べやや固いが、食感を含めたフレーバー(香味)に優れており、ストレート法、直捏法、じかポンともよばれる。またこの基本に近い製法に、ノー・ドウ・タイム法やレミックス・ドウ法などがあり、ヨーロッパ大陸流の連続生地法もこの系統のものである。
〔2〕冷凍製パン法 製パン工程で生地を凍結した冷凍生地を用いる製パン法が、1940年にアメリカで考案された。これは20世紀最大の開発になったが、冷凍生地には通常のパン生地には付加されない冷凍貯蔵および解凍工程に伴うストレス(悪影響)がつきまとうために、生地中のガス発生力、ガス保持力が低下しやすい。そこで高品質を保持するためには、それらの障害を把握し適切な対応をすることがたいせつであり、技術者の高度な能力が必要とされる。この方法には次のような利点がある。(1)新鮮なパンの提供、(2)夜間・早朝作業の廃止ないし軽減、(3)休日対策、(4)作業ピークの平均化、(5)多種目少量生産、(6)労働の省力化、(7)配送の合理化、(8)老化返品の減少、(9)設備スペースの節減などである。
冷凍製パン法で用いられる生地の種類には、(1)生地玉冷凍(安定した製品が得られる)、(2)成形冷凍生地(作業の合理化が図れてコストも安い)、(3)ホイロ後冷凍生地(作業が大幅に合理化できる)がある。ホイロとは、最終発酵(ファイナル・プルーフ)のことをいう。冷凍製パンの工程は、ミキシング→フロアタイム→(寝かし)分割、丸め(生地玉冷凍生地)→成形(成形冷凍生地)→ホイロ(ホイロ後冷凍生地)となっている。
〔3〕中種生地法(スポンジ・ドウ法) 小麦粉のパン用適性が不安定な場合にとる製法。普通1こね分の小麦粉の55~75%、イーストの全量あるいは大部分、イーストフード、モルトおよび水で中種をやや固めに仕込み、一定時間発酵させたのちに、残りの材料を加えて本捏(ほんこね)生地に仕込む。中種の発酵状態によって本捏生地の仕込みを調節できるので製品の振れは少ないが、発酵安定が比較的短いので、短時間に仕上げ工程を処理し、温度や時間を厳しく管理することがもっとも重要であるため、そうした機能をもつ中規模以上のプラント(工場)で多くとられる方法である。スポンジ法、中種法、ファーシー法ともよばれ、100%スポンジ法、フルフレーバー法はこの応用法である。
〔4〕液種生地法(プレファーメント・ドウ法) イースト、糖、食塩で液種をつくり、pH緩衝剤として脱脂粉乳または炭酸カルシウムを加えて、発酵、貯蔵期間の液種のpHを安定させ、残りの材料をあわせて生地に仕込む方法。生地発酵時間が短く、グルテンの伸張が少ないので、ある程度機械的に助ける必要がある。製品は小麦粉の発酵によるフレーバーにやや欠けるが、液種の管理により仕込み間の振れを少なくできるので、液種管理機能の十分なプラントで採用されることが望ましい。この方法は、元来アメリカ粉乳協会(ADMI)が脱脂粉乳を緩衝剤として用いた開発が基となっており、日本でもアドミ法とよばれている。これに対し、アメリカのフライシュマン社が考案した方法は緩衝剤に炭酸カルシウムを用い、この液種をブルーとよび、ブルー法と名づけている。
〔5〕サワー種法 (1)ライ・サワー ライ麦粉生地の発酵を乳酸菌、酢酸菌によって行う方法。昔はバクテリアの自然発酵に依存していたが、現在では発酵源としてイースト菌を用いたり、生地仕込みのときにイースト菌を添加することもある。(2)ホイート・サワー 乳酸菌、酢酸菌を用いて、培養基を小麦または小麦粉でサワーを生産する。製品ではサンフランシスコ・サワー・ドウ・フレンチ・ブレッドが有名。
〔6〕麹種(酒種)法 精白米と若い麹種とで新種をつくり、これに飯と麹を加えて元種とし、発酵熟成させて麹種とする。日本の菓子パンに用いられる独特のパン種である。
〔7〕ホップ種法 ホップの煮汁に小麦粉とビールを加えて誘元種(さそいもとだね)を仕込み、別にホップ、小麦粉、水から元種をつくり、これに誘元種を加えて自然発酵させる方法。パンは特有の香味をもつ。
〔8〕連続生地法(コンティニュアス・ドウ・メーキング法) 従来パン生地は1こね分1かま入りで焼き上げる回分法(バッチ・システム)によっていたが、これは生地を連続的に製造する機械設備を用いるもので、アメリカで開発された連続生地法は液種生地法を進展させたものである。かつて行われていたアムフロー法は、液種に小麦粉を加えてフレーバーを改良する点に特色があるが、加える小麦粉の量が50~70%にまで増加するようになって、中種生地法のフレーバー生成法に近づいている。
ヨーロッパでも連続生地製造機が数種開発されたが、いずれも液種を用いず、直捏生地法やノー・ドウ・タイム法と同じ工程である。1970年代に入ってドイツに液種およびサワーのタンクを兼備したコンペトウア装置が開発され、多元システム型で広範な生地製造が可能になったが、一般化には至っていない。1960年代初期にオーストラリアでブライメック法、イギリスでチョーリーウッド法が開発され、連続生地法に匹敵する方法としてとくにチョーリーウッド法はイギリスで大きな成功を得ている。ロシアでは小麦パン用の連結ミキサーが用いられており、日本独自の連続自動仕上げの機械も、革新的な装置として欧米に採用されている。
〔9〕中麺生地法(ソーカー・ドウ法) 1こね分小麦粉の10%、イーストおよびイースト用水以外の全材料で中麺に仕込み、一定時間水づけしたのちに、残り材料を加えて生地に仕込む方法。これは、おもに小麦粉のグルテンが固い場合、中麺の段階で小麦粉中のプロテアーゼの作用によりグルテンに伸展性を与えるためにとられる方法である。なお、最近の家庭製パンの自動装置に中麺生地法を巧みに採用しているものもある。
〔10〕ファーメント法 ドライ・イーストで種おこしして元種をつくり、生地に仕込む方法。バレイショ(ジャガイモ)を培養基にイーストを増殖させるので、ばれいしょ種ともいわれる。
〔11〕バーム生地法 スコットランド西部に発達した種おこし法。パンに独特の香味を生ぜしめる種として現在も用いられている。バーム1ガロン(約4.5リットル)はおよそイーストの3~4オンス(約85~110グラム)に相当するという。
これらの方法でつくられて市場に出回るパン類を整理するため、日本では製品分類と商品分類が立案されている。それぞれの製品評価も採点によって行われるが、たとえばアメリカのワンローフパンは、科学的な評価採点法をとり、完全perfect100点、企画planning90点、実価practice80点の3P法による。さらに最低50点を素材価値への製造付加価値出発点としている。フランスパンにおいては、宗教的に評価の単位を3(宗教では聖なる数字)にとり、9点を素材価値に置き、12点を加工実価と評点し、15点を企画目標得点として、完全製品を18点としている。
日本においてパンに関する公式採点様式をもっているのは、文部科学省の示す学校給食用のパンのみとなっている。その配点表は、製品の品質を100点満点とした場合、最低品質は現物があれば0点にはならず、販売可能な製品であれば50点以下の品質はないという考え方により100~50点の範囲でつくられている。最適条件下(実験室規模の厳密な管理下)で製造される最高品質を90点として、製造工場でつくられる最高品質を80点とするが、製造条件が厳密な管理状態に近づくにつれて最高品質は80点から90点に近づく可能性をもたせる。したがって80~50点の範囲内で採点されている。
良いパンの基本条件は、(1)パンの中心部まで穀物起源のデンプンが十分に糊化(こか)していること、(2)発酵食品としての優れた性質(香味・内相)をもっていること、(3)商業圏の消費者が好む水分と比容積をもっていることである。品質評価の際にもっとも重点を置く審査項目は、(1)外観(表皮色と焼き上げの均等)、(2)内相(すだち、焼き上げたパンの断面に見える気泡の跡)、(3)香りと味(クラストとクラムのフレーバー)としている。
[阿久津正蔵・竹野豊子]
パンは小麦粉主体でつくられるため、カロリー源ではあるが栄養的には不十分な食品である。しかし、原料が粉状であるためビタミン類やカルシウムなどを混ぜやすく、パン自体の栄養価を高めるとともに、日常の食事に不足しがちな栄養分を補うために栄養強化が行われる。
厚生労働省の定める特殊栄養食品の基準は1995年(平成7)に大幅に改正され、市販食パン100グラムにつきビタミンB10.07ミリグラム、B20.07ミリグラム、カルシウム36ミリグラム以上とされ、学校給食用小麦粉では100グラムにつきビタミンB10.10ミリグラム、B20.05ミリグラム以上とされている。製パン工程中に損失する割合はB120~30%、B210~20%である。また、すでに認定されている化学的合成指定物質489種については使用してもよいが、新しいものについては安全性についてのテストをしてから使用を許可することとなった。
リジンは、小麦粉のタンパク質に不足している必須(ひっす)アミノ酸を強化するために用いられるが、厚生労働省の基準は小麦粉100グラムにつき100ミリグラム、パン100グラムにつき100ミリグラム、学校給食用には小麦粉100グラムに200ミリグラム以上としている。製パン過程で損失する割合は、実験値から11~22%とされている。リジンは発癌(はつがん)性に絡んで消費者から不安の声が高く、この対応として、スキムミルク入りのミルクパン、大豆の新加工粉入りのソーヤパンの強化が重視され、また麬(ふすま)の入ったファイバー入りパン(ファイバーブレッド)は栄養疫学的に新しいパンとして注目されている。過酸化ベンゾイルは、パンの内相を白くみせるために小麦粉の漂白剤として、小麦粉100グラムに添加する量は希釈過酸化ベンゾイル300ppm以下の制約で用いられていたが、無漂白粉のほうがビタミン類の損失が少なく、香りも優れていると評価が高く、学校給食用小麦粉は無漂白粉に改められた。臭素酸カリウムは、小麦粉のグルテンを強化するのにもっとも経済的に有効な酸化剤である。50ppmまでの添加が許されていたが、変異原性から発癌物質の問題に絡んで、さらに厳しく30ppmに制限されるに至った。現在WHO(世界保健機関)では禁止の動きはないが、フランスとドイツでこの添加を禁止している。フランスでは、血液中のヘモグロビンから酸素をとってしまうということから、またドイツでは、小麦粉中のビタミンB群を破壊してしまうという科学的な実験の結果から、それぞれその禁止の理由をあげている。日本では、かまぼこなどの練り製品については中止になったが、パンについては、そのできあがりに影響が大きいことから自粛になった。
食品衛生法上、パン生地およびパン用に許されている添加物には、保存料(プロピオン酸塩)、品質改良剤(エル・システイン塩酸塩、ステアリル乳酸カルシウム)、乳化剤(モノグリセライド、レシチン)、酵素剤(モルトフラワー、アミラーゼ、プロテアーゼ)、酸化防止剤(アスコルビン酸、トコフェロール。生地に入って酸化防止剤に変わる)、膨張剤(ベーキングパウダーの化合物)、離型剤(流動パラフィン)、強化剤(各種ビタミン、アミノ酸類、ミネラル類)などがある。ほかに調味料、甘味料、着香料、着色料などがあるが、イーストの栄養源や水の改良剤を中心として、その他の添加剤を配合したものがイーストフードといわれる生地改良剤で、広く使われている。以下の16種の添加物をイーストフードとして使用する場合は、全面表示することになっている。(1)塩化アンモニウム、(2)グルコン酸カリウム、(3)炭酸アンモニウム、(4)炭酸カルシウム、(5)硫酸カルシウム、(6)リン酸三カルシウム、(7)リン酸二水素アンモニウム、(8)リン酸二水素カルシウム、(9)塩化マグネシウム、(10)グルコン酸ナトリウム、(11)炭酸カリウム(無水)、(12)硫酸アンモニウム、(13)硫酸マグネシウム、(14)リン酸水素二アンモニウム、(15)リン酸一水素カルシウム、(16)焼成カルシウム。
そのほか、1991年(平成3)ごろから表示しなくてもよい改良剤が多く開発され、上記のような働きをするにもかかわらず無添加をアピールできる酵素剤が販売されるようになり、2000年以降もその種類は増えている。
[阿久津正蔵・竹野豊子]
食パンにはプレーンなもの(普通食パン)以外に、餅(もち)のような食感のある、小麦粉以外のデンプンを利用したもの、じっくりと発酵して独特の香りや食感を出したもの、小麦粉デンプンだけを湯種(ゆだね)にしてパン生地に混ぜ込み、生地にして焼いたものなどがある。バラエティ豊かなパンが消費者のニーズにこたえてつくられており、サンドイッチにあうものや焼いてそのまま食べるものなど、そのパンの特質にあわせて調理される。また、1990年代にアメリカから入ってきたベーグルが人気を集めたのを契機に、フォカッチャ、パニーニ、ピタ、ナン、チャパタなど国際色豊かなものが製造販売されるようになった。
パンにはその国ごとの食文化が反映され、その国で食べられているような材料を使うのが、うまくパンを利用するポイントになる。柔らかくふわふわした食パンであれば、ソフトハムやしゃきしゃきとした歯ごたえのある野菜がよくあい、ベースにするマーガリンやバター、マヨネーズも春夏秋冬季節にあわせて変化をつけることがたいせつである。ピタやナンなどは香辛料を使い、食材もマトンや干し肉などを和(あ)えて詰め込む。クレープのように薄く焼かれたものはローストビーフなどをそぎ切りにし、野菜とタルタルソースや塩・こしょうなどで味を付け、具を巻き込んで(ラッピング)切り分けるなど、それぞれにあったやり方がある。パニーニやフォカッチャは、オリーブ油をベースに塩をきかせたパンチェッタ(イタリアの、塩をきかせた干し肉。薄く切って、サンドイッチやピッツァなどに使う)などがよくあう。これら1990年代以降日本で製造販売されるようになったパン類の特徴を以下に説明する。
(1)フォカッチャ ピッツァの原型になった、丸いイタリアのパン。オリーブ油を使い、強火で香ばしく焼いたもの。主食にしたり、チーズやハムなどを挟んで食したりする。
(2)パニーニ パニーニはイタリア語でもっとも一般的なパンを意味し、1個ならパニーノ、複数に切りわけたらパニーニとよぶ。チーズやハム、野菜などを挟んで食べたりする場合もパニーニとよぶ。
(3)ピタ エジプトやヨルダン、アラブ諸国などで食べられている、精製しない粉やコーンミールを使って焼いたパン。二次発酵させずに焼くので生地が薄く、中が空洞になるので、半分に切って、中に干し肉などを詰め、主食にするのが一般的。
(4)ナン わらじ型をしたインドのパン。自然の酵母を使い、塩と粉だけでこねて発酵させた生地を、石釜(いしがま)で素焼きにしたもの。柔らかくて味わいもよい。インドでは週に1回の割でディナーとして上流階級の人が食べるぜいたくなパン。日本ではインドカレーにはかならずナンがついてくるほどポピュラーなものだが、インドでのナンは少し違うニュアンスで食べられている。
(5)チャパタ スリッパやわらじのような形をしたイタリアやトルコでよくみかける塩味のパン。
古くなって固くなったパンについては、1センチメートル幅に切って焼き、水分をしっかり抜いたあと、熱いうちにフォンダン(砂糖に水を加えて沸騰させたものを40℃まで急激に冷やし手早く混ぜて白く固めたトッピング)を塗る。フォンダンの中にコーヒーを2%入れるとコーヒーフォンダンになり、ココアを入れるとチョコレートフォンダンになる。これを冷ますとおいしいラスクになり、朝食などに食べるとよい。また、パンを乾燥させておろし金でよく削ってパン粉にしたり、パンを賽(さい)の目に切り、油で揚げてクルトンにし、スープの浮き身にするといった利用法もある。そのほかにもアイデアとセンス、それに旬(しゅん)の食材を生かし、幅広い二次利用が可能である。
パンは冷蔵保存すると劣化を早めてしまうので、かならず冷凍保存する。ラップにしっかり包んで密封し、さらに袋に入れて零下5℃~零下20℃くらいまでの冷凍庫に保存しておくとよい。
[阿久津正蔵・竹野豊子]
日本では1999年(平成11)時点で、パンを製造する企業の工場総数は5337あり、このうち大手企業は27社で126工場である。年間販売量は127万1000トン、販売額は7810億円となっており、対前年比101.3%、伸長率104.1%で市場は拡大している。種類別構成比は食パンが28.8%、菓子パンが56.0%、その他のパンが12.3%、学校給食が2.9%である。流通別動向では、量販店が2990億円で44.5%、コンビニエンス・ストアが1995億円で29.7%を占めており、パン菓子店からコンビニエンス・ストアへの業態転換が多くみられる。用途別販売動向は、市販用が6678億円で85.5%を占めており、実績を拡大しているが、外食産業でパンを採用するところが急増しているため、業務用の需要も高まりつつある。
テレビや雑誌などでは、おいしいパン屋が数多く取り上げられるようになった。それに伴い、消費者の期待にこたえるようにパンの種類も著しく増え、新商品も1週間で約20種類生まれるなど、競争が激化してきた。手作りのパン屋(リテールベーカリー)は「手作り感」「焼きたて」で消費者に訴求し、店舗数を伸ばしてきた。一方、1990年代後半にはコンビニエンス・ストアが、検品、検食を重ねて安定した商品を提供できるようにしたこと、1994年に開発された冷凍生地の向上によってその配送システムを変化させ、焼きたてのパンを店内に並べるようにしたこと、店舗数を増やし、消費者がいつでもどこでも商品を入手できるようにしたことなどの企業努力を重ねた結果、消費者の心をつかんで市場を拡大している。そのため、開発における技術に差が生じて、売れる店とそうでない店の格差が広がってきた。
また消費者のほうでも、健康志向のパンや、メーカー独特の味が出ていて、食感、風味などがあるものを重要視するようになった。こうして大手企業や街のパン屋の生存競争はますます激しくなり、新製品は3週間ぐらいのサイクルで店頭に出ては消えていくという激しい競争になっており、それに追いつけない企業が競争から脱落している。一方、アルチザンブレッドなどヨーロッパの手作り感のあるパンを並べたり、アメリカで流行しているパンといえばすぐ取り入れたりと、ますます多様化してきている。この風潮は今後しばらくの間続く傾向にある。
パンの消費を総務庁(現、総務省)および食糧庁の調査によってうかがうと、朝食はパン、昼食は麺(めん)、夕食は米飯という食事構成の一般的な傾向から、朝は食パン、昼はサンドイッチ、おやつに菓子パンという傾向がみられる。また、フランスパン、ドイツパンなど各種のバラエティー・ブレッド類が「その他パン」に増加している。
1978年のパン生産高は小麦粉換算にして116万8000トン、1984年は120万3000トンで、この6年間に3万5000トンの増加をみるに至ったが、1985年には117万7594トン、1986年には117万5700トンへとパンの消費の漸減傾向がみられた。しかしその後パン生産のハイテク化が進み、1996年には118万8000トン、2000年には127万7000トンとふたたび増加傾向にある。
[阿久津正蔵・竹野豊子]
『阿久津正蔵他著『パンの教室』(1975・東京教育学院)』▽『阿久津正蔵・越後和義著『パンの研究』(1976・柴田書店)』▽『阿久津正蔵・小林町子著『バラエティ・ブレッド』(1984・東京教育学院)』▽『安達巌著『パン食文化と日本人――オリエントからジパングへの道』(1985・新泉社)』▽『W・ツアー著、中沢久監訳『パンの歴史』(1985・同朋舎出版)』▽『安達巌著『パンの日本史――食文化の西洋化と日本人の知恵』(1989・ジャパンタイムズ)』▽『田中康夫・松本博編『製パンの科学(1) 製パンプロセスの科学』(1991・光琳)』▽『田中康夫・松本博編『製パンの科学(2) 製パンの材料の科学』(1992・光琳)』▽『江崎修著『プロのためのわかりやすい製パン技術』(1996・柴田書店)』▽『長尾精一監修、清水弘煕編著『独・英・日 製粉・製パン・製菓用語辞典』(1997・三修社)』▽『日本パン技術協会編『創造技術製パン教書 素材を生かした新アイテム集』(1997・パンニュース社)』▽『ブランジュリーフランセーズ・ドンク著『フランスパン・世界のパン 本格製パン技術』(2001・旭屋出版)』▽『竹谷光司著『新しい製パン基礎知識』改訂版(2001・パンニュース社)』▽『『マーケティング便覧』(2001・富士経済)』▽『締木信太郎著『パンの百科』(中公文庫)』