パン(読み)ぱん(その他表記)pão ポルトガル語

デジタル大辞泉 「パン」の意味・読み・例文・類語

パン(Pān)

ギリシャ神話で、牧人と家畜の神。あごひげをたくわえ、山羊の角と脚を持った半獣神。山野を走り回り、好んで笛を吹いたという。ローマ神話ファウヌスにあたる。
(Pan)土星の第18衛星。1990年に発見。名はに由来。A環の「エンケの空隙」にある羊飼い衛星の一つであり、空隙の維持形成に寄与している。非球形で平均直径は約30キロ。

パン(pan)

底が平らで取っ手の付いている鍋。「フライパン」「シチューパン
[類語]土鍋平鍋手鍋揚げ鍋中華鍋焙烙ほうろくフライパン

パン(pan)

[名](スル)
映画・テレビの撮影技法で、カメラを1か所に据えたまま、レンズの方向を水平に動かすこと。上下に動かすことにもいう。「パンさせて町の全景を撮る」→チルト
スマートホンタブレット型端末で、拡大した画像などの一部だけが表示されているとき、画面を指で押したまま上下左右に動かすこと。

パン(pan)

[接頭]他の外来語に付いて、広くそのすべてにわたる、の意を表す。はん。「パンアラブ主義」

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精選版 日本国語大辞典 「パン」の意味・読み・例文・類語

ぱん

  1. 〘 副詞 〙 ( 多く「と」を伴って用いる )
  2. 物を勢いよく打ったり置いたりする高い音やそのさまを表わす語。
    1. [初出の実例]「ちと音が、うは調子にござって、パンと申ました」(出典:雲形本狂言・鐘の音(室町末‐近世初))
  3. 物が破裂する音を表わす語。ぱあん。
    1. [初出の実例]「蓋をするとき、ぱん とふっくらした音の」(出典:銀の匙(1913‐15)〈中勘助〉前)

パン

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] pan )[ 異表記 ] パーン 映画・テレビの撮影技法の一つ。撮影機を一か所に据えたまま、左右に動かしながら撮影すること。上下に動かすことにもいう。〔写真百科大辞典(1933)〕
    1. [初出の実例]「カメラを校門の外にすえ、登校してくる学生を写し、パーンして」(出典:白く塗りたる墓(1970)〈高橋和巳〉五)

パン

  1. ( [ギリシア語] Pán ) ギリシア神話の牧神。上半身はあごひげをたくわえた老人で、山羊の足と角をもつ半獣神。音楽と踊りを好み、牧人の音楽をつかさどる。ローマ神話のファウヌスと同一視される。
    1. [初出の実例]「牧羊神(パン)の髯いとながながと吹きみだす神無月ともなりにけらしな」(出典:酒ほがひ(1910)〈吉井勇〉 PAN )

パン

  1. 〘 接頭語 〙 ( [英語] pan- ) 他の外来語の上につけて、「すべて」の意を添える語。汎(はん)

パン

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] pan ) 取っ手のついた、底の平らな洋式の鍋。「フライパン」「ソースパン」

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「パン」の意味・わかりやすい解説

パン(食物)
ぱん / 麺麭
pão ポルトガル語

小麦粉、ライ麦粉、ライ小麦粉などパン用の穀物の粉を、イースト、水、食塩を中心とした材料を使ってよく混ぜ、練って発酵させた生地(きじ)を焼いた香りのよい、おもに主食として食べる食品の一種。転じて食糧、生活の糧(かて)を表す語として用いられる。パンという日本語は、その初めをポルトガル語のpãoからとっている。ポルトガル語や、スペイン語のpan、フランス語のpain、イタリア語のpaneはラテン語のpanisと同系の語である。ドイツ語のBrotはbrauen(醸造する)からきているが、英語のbreadはpieceまたはloafにつながる語である。パンを食べている国々では、国境線を越えると呼び方もその国独自のものになり、型、作り方、使われる種なども違っていて、味や食感、食生活などその国が生きてきた歴史、文化の違いを物語っている。

 哺乳(ほにゅう)動物の1億5000万年の進化に伴って、食性は昆虫食→草食→果実食→肉食→雑食と進み、ヒトは完全雑食の段階に達したが、集団的にはパン食民族(肉類を主要食糧としてパンを補完する)と粥食(かゆしょく)民族(穀類を主要食糧とする)とに分かれているのが現状である。

 日本人の生活スタイルは第二次世界大戦を境に大きく変化した。食生活の面についてみると、第二次世界大戦中・戦後の飢餓時代を体験した後、昭和30年代の充足期を経て、さらに合理化時代、成熟期と急速な変化を遂げ、飽食とよばれる時代となった。スーパーマーケットなどの食品売場には世界のさまざまな食品があふれており、一人の人間の生涯を通してこれだけ大きな変化を体験できたのは、昭和の時代を通して生きた者にとっての冥利(みょうり)といえよう。このなかで、大きな変化を遂げた食品の一つにパンがある。第二次世界大戦直後の1945、1946年(昭和20、21)ごろのパン生産高は、原料小麦粉換算で5万トン程度であったが、その後は急成長を続け、途中若干の停滞期はあったものの1981年には120万トンに達し、2001年(平成13)時点の出荷額で約8500億円という一大食品産業分野を形成するに至っている。この背景には日本の食糧事情や食習慣の変化によるところが多く、パンの生産がとくに急増した1955年ごろまでは米の不足をカバーする形で発展してきたが、1965年ごろからは食生活の欧風化・多様化の波に乗って成長を続けてきたものであった。

 パン食普及の要因として、第二次世界大戦後、子供たちが学校給食で取り入れられたパンを食べ始め、パンになじんできたことがあげられる。パンの品質向上がもう一つの要因である。東京オリンピックの際に、外国人スポーツ選手が大ぜい来日したが、彼らの食事に供されるパンをつくるために、日本のパン職人が海外で研修を重ね、製パンの知識・技術を高め、これがパンの品質向上のきっかけとなった。また、海外旅行へ出かける人々が年々多くなり、本場のパン食を味わって、パンに対する知識を向上させた。忙しい生活が、朝食などの簡素化をもたらし、朝はコーヒーとパンとサラダといった食生活が取り入れられるようになった。1998年(平成10)には、うどん、パン、パスタなどに用いられる小麦粉類の消費が米の消費量を抜くほどに、日本の食生活は変化した。

[阿久津正蔵・竹野豊子]

歴史

世界

小麦の原産地(メソポタミア)に近い地域で小麦を粗粒につぶし薄焼きし始めたのは、およそ紀元前7000年ごろとみられている。オリエントでは古くから平焼きパンが焼かれていた。1972年発見されたブルガリアの金彩文文化のバルナ遺跡(前4500~前4000)にもその跡がみられる。ユダヤ人もエジプトにきて発酵パンを知ったが、旅を続ける民族には無発酵平焼きパンのほうが生活の支えになる。

 小麦粉を発酵させてつくる今日のパンの祖型は古代エジプトにあり、およそ前4000年にさかのぼる。エジプトの太陽・万物の神オシリスは穀物の神でもあった。エジプト学者がbread eaterと評するほど古代エジプト人はパン好きであり、前2600年ごろから前1500年ごろまでにパン作りは大きな進歩を遂げた。前2500年ごろ、スイス湖上生活民族もパンをつくっていたと考証されているが、エジプト学における類型区分によると、古代エジプトでは前2600年当時、すでにパンの類型区分A類71種、B類40種、C類47種、D類29種のものがつくられていたという。前3000年ごろ、バビロニア人は小麦を発酵させてビールをつくっていたといわれるが、古代エジプト人がナイル川の小麦からつくった発酵パンにはそのまま食べる固体のパンと、これを液体として飲むビール用のパンがあった。

 古代ギリシアでは前1000年ごろから大麦粉の平焼きであるマザイをつくっていたが、エジプトの発酵パンの技法を学んだのは前800年ごろとされている。エジプト法によったと思われるアポピーリアス、コリックス、エレイノーンなどのパン類はギリシア特有のもので、さらに有閑階級の間でケーキに発展し、前200年ごろには種類も増えて72種にも及んだといわれている。

 さらに古代ローマによってパンは飛躍的に発展した。前312年には、ローマ市に254人のベーカーがいてギルドをつくり、パン学校も経営されていた。当時のローマは人口も増加し、家庭でパンを焼く余裕のない階層が多くなったことや、パン焼き用焚(た)き込みオーブンが火事をおこしやすいことから、中央広場に国営のオーブンが築かれ、生地を持ち寄って焼いていた。やがてパンが工業生産に入り、ベーカリーが独立業として現れたという前107年の記録がある。古代ローマでは、製パンの技法は、貴族と教会が中心となって発展させたため、宗教とともに広まっていった。ローマの衰亡とともにこの技法も失われたかにみえたが、教会と貴族によって伝えられ保存されていたため、ルネサンス時代によみがえり、多数のベーカリーが現れ、市民階級も容易にパンを食べられるようになった。このイタリアの製パン法が、メディチ家のカザリン姫(カトリーヌ・ド・メディシス)の結婚によってフランスに伝えられ、今日のヨーロッパ大陸系パンの基礎となった。さらに海路を経てイギリスにも伝えられた。今日のロンドンは古代ローマの植民地(4世紀)として開発されたが、ここに新しい系統のパンが定着し、良質の小麦の生産によってよい発酵パンがつくられていった。このイギリスのパンが新大陸のアメリカに移されて、アングロ・アメリカ系のパンが生まれるのである。

 このように古代エジプト、ギリシア、ローマのシンプルなパン(粉、イースト、食塩、水の基本材料のみでつくる)は、宗教と深く結び付いて中世から近世へと伝えられ、大陸系のリーンleanなパン(シンプルなパンにごく少量の砂糖、油脂などの副材を加える)として発展し、アングロ・アメリカ系のリッチrichなパン(副材を増してスキムミルクなども加える)はヨーロッパの伝統から脱して合理化、機械化を進め、とくに第一次、第二次両世界大戦を経て生産力の増大をみるに至っている。

 20世紀後半になると、アメリカ系のリッチなパンだけでなく、ベーグル(アメリカのドーナツ型のパン)系のリーンなパンの市場が拡大した。このパンは、一度蒸して(スチーム)油分を取ってからつくるという変わった製法で、歯ごたえがあり、よく噛(か)んで食べるということから、健康面でも受け入れられ、全米に広がった。これにアルチザンブレッドなども加わり、ますますバラエティに富んだ市場となっている。アルチザンブレッドは、ヨーロッパやアメリカで人気のあるパンで、「職人技のパン」という意味。大量生産に向いている酵母と違い、発酵のむずかしいブドウやリンゴなどの自然の酵母を、職人がパンにあわせて調合しつくりあげるもので、大きくて素朴なパンが多い。

[阿久津正蔵・竹野豊子]

日本

日本に初めてパンが伝わったのは、1543年(天文12)にポルトガル人が種子島(たねがしま)に鉄砲をもたらしたときといわれるが、実物を見たのは織田信長の時代に宣教師からであり、製法を知ったのは長崎貿易のオランダ商人からである。長崎居留地のパンは、鎖国令(1639)が出てからはキリシタンの信仰との関係で製造禁止になったため、一般にパンがみられるようになるのは1858年(安政5)の日米修好通商条約以降である。これより先、1842年(天保13)には砲術の研究家江川英龍(ひでたつ)(太郎左衛門)が軍用の携帯食糧として乾パンを試作している。1868年(明治1)には中川屋嘉兵衛(かへえ)のパンの広告が新聞にみられ、翌1869年には東京・芝の木村屋(開店当時の店名は文英堂といった)、下谷(したや)の文明軒などが開業、木村屋が1874年に創製した餡(あん)パンは、日本伝統の餡餅(もち)の皮をパン生地に変えてこれに小豆(あずき)餡を包んで空焼きにした、ヨーロッパのパンと和菓子とを組み合わせた日本独自のパンである。ヨーロッパのパン生地はビール系のサカロミセス・セレビシエを発酵源としているが、餡パンでは日本酒系のサカロミセス・サケを用いて日本人愛好の味と香りにあわせ、また糖分を増してもよく発酵し膨らむようにくふうを凝らしている。明治の初期はもっぱらフランス系小形パンのクーペとファンデュが手本とされていたが、やがてイギリス系の三斤棒型焼きパンが普及するようになった。1885年、海軍は兵食にイギリスパンを採用した。陸軍は、ドイツに留学した森鴎外(おうがい)によってパン食が否定され、第一次世界大戦のシベリア出征まで兵食として採用されなかった。

 アメリカパンが日本に入ったのは第一次世界大戦後であったが、第二次世界大戦後、日本の飢餓を救うために配給されたコッペパンは津々浦々にまで広められた。これはアメリカの占領政策として「日本人を米と魚から解放するには、よいパンを給することである」とし、日本人の食糧栄養構成の変革を目ざしたものである。

 東京オリンピック(1964)を境に、世界のパンが街のリテールベーカリー(ホームベーカリー、街の手作りパンの小売店)で売られるようになった。一方、1990年代なかばごろから急速な発展を遂げてきたコンビニエンス・ストアが本格的にパン市場に参入してきた。コンビニエンス・ストア各社は、自社独自のパンを大手パン屋に焼かせて納入させたりしている。コンビニエンス・ストアや大手パンメーカーは、その目的のためだけの工場(ベンダー工場)でパンを焼いたり、主要大工場(ナショナルベーカリー)とともに「安い」「大きめ」「食べやすい」というような厳しい条件をつけて新製品を開発したり、無添加で安全性の高いパンの研究開発をするなど、新しいコンセプトの商品開発を進めており、パン業界での競争は激化している。

[阿久津正蔵・竹野豊子]

パンと民族性

ドイツの民族学者ハインリッヒ・エドワード・ヤコブは、名著『6000年のパン』(1954刊)のなかで、「およそこの世には、宗教、政治、技法に関連しないパンは一切れもない」と述べているように、パンはそれぞれの民族の歴史と生活のなかで発展してきた。日本にはキリスト教とともに伝来したが、宗教との関連性はほとんどみられず、明治以降になっても技法は単に形態をまねるのみで、商品としての価値に重きが置かれていた。しかし、製造技術や消費者のニーズが高まってくると、パン製造者は工場のなかで新技法を研究開発し、消費者のニーズにあわせて新しい付加価値をつけるなど、その時期の流通のバランスを考えて、それにあったパンを製造している。また、海外の製法を取り入れた工業化が進み、製造方法もめまぐるしく変化している。たとえば1994年にアメリカでつくり出された冷凍生地法が日本へも上陸して、低温に強いイースト菌が開発され、冷凍生地が店の希望にあわせて手軽にできるようになった。そこで次の二つの方法が海外から取り入れられた。

(1)アドミ法 アメリカのミルク製造会社がつくり出したパンの製法。ミルクを多量に用いたパン種を、連続的に機械にのせることによって、安定した品質のパンを量産できる。

(2)水種(みずだね)法 18世紀から19世紀にフランスやドイツで使われていた製法。水種という元の種をつくり、それに小麦粉を継ぎ足していくことにより、ケーキのようなふわふわした食感のパンができる。

 ヨーロッパでは、それぞれの国が宗教と技法によって伝統的な独自のパンをもっており、政治的統合や経済共同体ができてもパンを統一化することはむずかしい。たとえば、フランスとドイツは隣国でありながら、パンの本質と形態は著しく異なる。ドイツがフランスパンのバゲットを取り入れるには、ライ麦粉を5%程度は小麦粉に加えなければドイツ人の嗜好(しこう)にあわないといわれる。経済統合が進んでヨーロッパ連合(EU)が誕生しても、このように域内のパンの統一には困難な問題が多いが、それでもパンはクラスト(外皮)とクラム(中身)からなるという共通概念を基として、合理化が進められてきた。

 2000年にドイツのミュンヘンで開催された世界最大規模のパン関係の展示会では、オーガニック(有機農作物とその加工品)の食材を使った製品や、冷凍生地を使ったバラエティー・ブレッド(ドライフルーツ、ナッツ、穀類などを練りこんだパン)が多く紹介された。また、少人数で多量のパンがつくれるような機械の研究なども盛んで、ヨーロッパでは工業生産化が進められている。製造体制もくふうされ、成形して発酵前に冷凍したもの、成形して発酵後に冷凍したもの、焼成後に冷凍したものなど多様化している。

 アメリカのパンはヨーロッパの伝統を早くに脱して合理化され、また栄養強化されて大衆保健の面で成果をあげた。パン消費量の総カロリー、総購買価格、総タンパク質量は1960年代にはチーズと同位にあったので、さらに大豆タンパクやアミノ酸リジンを補って、チーズより安価な肉食の補完食品を目ざして食糧構造のなかに位置づけてきた。しかし、今日のアメリカは栄養過剰に陥り、栄養疫学的にパンの位置を変えようとする新しい政策がとられるに至った。

 20世紀後半には、アメリカと日本の合弁会社が設立され、ベーグルパンの工業生産を開始した。「ゆでてから焼くので、餅(もち)のような噛(か)みごたえのある食感である」「動物性油脂を含まず、咀嚼(そしゃく)するので消化吸収がよくヘルシー(健康的)」といううたい文句で人気を集め、消費拡大を成し遂げた。

[阿久津正蔵・竹野豊子]

種類と製法

日本では農林水産省基準に従ってパンの種類とその分類が分けられ、また原材料標準配合割合は、文部科学省資源調査会によって指示されている。

 製パン法には、直捏(じかこね)生地法、冷凍製パン法、中種(なかだね)生地法、液種(えきだね)生地法、サワー種法、麹種(こうじだね)法、ホップ種(だね)法、連続生地法、中麺(ちゅうめん)生地法、ファーメント法、バーム生地法がある。

〔1〕直捏生地法(ストレート・ドウ法) 配合材料を全部同時に混捏(こんねつ)して生地をこね上げる方法。一度こね上げた生地は、温度や硬粘度の修正が困難であるため、製造工程の失敗が製品に現れやすく製品の振れが大きいという難点があるが、比較的低温に仕込めば発酵安定が長いので、仕上げに長時間を要する小規模ベーカリーでは、この方法が多くとられている。直捏法でつくられたパンは、ほかの製法のパンに比べやや固いが、食感を含めたフレーバー(香味)に優れており、ストレート法、直捏法、じかポンともよばれる。またこの基本に近い製法に、ノー・ドウ・タイム法やレミックス・ドウ法などがあり、ヨーロッパ大陸流の連続生地法もこの系統のものである。

〔2〕冷凍製パン法 製パン工程で生地を凍結した冷凍生地を用いる製パン法が、1940年にアメリカで考案された。これは20世紀最大の開発になったが、冷凍生地には通常のパン生地には付加されない冷凍貯蔵および解凍工程に伴うストレス(悪影響)がつきまとうために、生地中のガス発生力、ガス保持力が低下しやすい。そこで高品質を保持するためには、それらの障害を把握し適切な対応をすることがたいせつであり、技術者の高度な能力が必要とされる。この方法には次のような利点がある。(1)新鮮なパンの提供、(2)夜間・早朝作業の廃止ないし軽減、(3)休日対策、(4)作業ピークの平均化、(5)多種目少量生産、(6)労働の省力化、(7)配送の合理化、(8)老化返品の減少、(9)設備スペースの節減などである。

 冷凍製パン法で用いられる生地の種類には、(1)生地玉冷凍(安定した製品が得られる)、(2)成形冷凍生地(作業の合理化が図れてコストも安い)、(3)ホイロ後冷凍生地(作業が大幅に合理化できる)がある。ホイロとは、最終発酵(ファイナル・プルーフ)のことをいう。冷凍製パンの工程は、ミキシング→フロアタイム→(寝かし)分割、丸め(生地玉冷凍生地)→成形(成形冷凍生地)→ホイロ(ホイロ後冷凍生地)となっている。

〔3〕中種生地法(スポンジ・ドウ法) 小麦粉のパン用適性が不安定な場合にとる製法。普通1こね分の小麦粉の55~75%、イーストの全量あるいは大部分、イーストフード、モルトおよび水で中種をやや固めに仕込み、一定時間発酵させたのちに、残りの材料を加えて本捏(ほんこね)生地に仕込む。中種の発酵状態によって本捏生地の仕込みを調節できるので製品の振れは少ないが、発酵安定が比較的短いので、短時間に仕上げ工程を処理し、温度や時間を厳しく管理することがもっとも重要であるため、そうした機能をもつ中規模以上のプラント(工場)で多くとられる方法である。スポンジ法、中種法、ファーシー法ともよばれ、100%スポンジ法、フルフレーバー法はこの応用法である。

〔4〕液種生地法(プレファーメント・ドウ法) イースト、糖、食塩で液種をつくり、pH緩衝剤として脱脂粉乳または炭酸カルシウムを加えて、発酵、貯蔵期間の液種のpHを安定させ、残りの材料をあわせて生地に仕込む方法。生地発酵時間が短く、グルテンの伸張が少ないので、ある程度機械的に助ける必要がある。製品は小麦粉の発酵によるフレーバーにやや欠けるが、液種の管理により仕込み間の振れを少なくできるので、液種管理機能の十分なプラントで採用されることが望ましい。この方法は、元来アメリカ粉乳協会(ADMI)が脱脂粉乳を緩衝剤として用いた開発が基となっており、日本でもアドミ法とよばれている。これに対し、アメリカのフライシュマン社が考案した方法は緩衝剤に炭酸カルシウムを用い、この液種をブルーとよび、ブルー法と名づけている。

〔5〕サワー種法 (1)ライ・サワー ライ麦粉生地の発酵を乳酸菌、酢酸菌によって行う方法。昔はバクテリアの自然発酵に依存していたが、現在では発酵源としてイースト菌を用いたり、生地仕込みのときにイースト菌を添加することもある。(2)ホイート・サワー 乳酸菌、酢酸菌を用いて、培養基を小麦または小麦粉でサワーを生産する。製品ではサンフランシスコ・サワー・ドウ・フレンチ・ブレッドが有名。

〔6〕麹種(酒種)法 精白米と若い麹種とで新種をつくり、これに飯と麹を加えて元種とし、発酵熟成させて麹種とする。日本の菓子パンに用いられる独特のパン種である。

〔7〕ホップ種法 ホップの煮汁に小麦粉とビールを加えて誘元種(さそいもとだね)を仕込み、別にホップ、小麦粉、水から元種をつくり、これに誘元種を加えて自然発酵させる方法。パンは特有の香味をもつ。

〔8〕連続生地法(コンティニュアス・ドウ・メーキング法) 従来パン生地は1こね分1かま入りで焼き上げる回分法(バッチ・システム)によっていたが、これは生地を連続的に製造する機械設備を用いるもので、アメリカで開発された連続生地法は液種生地法を進展させたものである。かつて行われていたアムフロー法は、液種に小麦粉を加えてフレーバーを改良する点に特色があるが、加える小麦粉の量が50~70%にまで増加するようになって、中種生地法のフレーバー生成法に近づいている。

 ヨーロッパでも連続生地製造機が数種開発されたが、いずれも液種を用いず、直捏生地法やノー・ドウ・タイム法と同じ工程である。1970年代に入ってドイツに液種およびサワーのタンクを兼備したコンペトウア装置が開発され、多元システム型で広範な生地製造が可能になったが、一般化には至っていない。1960年代初期にオーストラリアでブライメック法、イギリスでチョーリーウッド法が開発され、連続生地法に匹敵する方法としてとくにチョーリーウッド法はイギリスで大きな成功を得ている。ロシアでは小麦パン用の連結ミキサーが用いられており、日本独自の連続自動仕上げの機械も、革新的な装置として欧米に採用されている。

〔9〕中麺生地法(ソーカー・ドウ法) 1こね分小麦粉の10%、イーストおよびイースト用水以外の全材料で中麺に仕込み、一定時間水づけしたのちに、残り材料を加えて生地に仕込む方法。これは、おもに小麦粉のグルテンが固い場合、中麺の段階で小麦粉中のプロテアーゼの作用によりグルテンに伸展性を与えるためにとられる方法である。なお、最近の家庭製パンの自動装置に中麺生地法を巧みに採用しているものもある。

〔10〕ファーメント法 ドライ・イーストで種おこしして元種をつくり、生地に仕込む方法。バレイショ(ジャガイモ)を培養基にイーストを増殖させるので、ばれいしょ種ともいわれる。

〔11〕バーム生地法 スコットランド西部に発達した種おこし法。パンに独特の香味を生ぜしめる種として現在も用いられている。バーム1ガロン(約4.5リットル)はおよそイーストの3~4オンス(約85~110グラム)に相当するという。

 これらの方法でつくられて市場に出回るパン類を整理するため、日本では製品分類と商品分類が立案されている。それぞれの製品評価も採点によって行われるが、たとえばアメリカのワンローフパンは、科学的な評価採点法をとり、完全perfect100点、企画planning90点、実価practice80点の3P法による。さらに最低50点を素材価値への製造付加価値出発点としている。フランスパンにおいては、宗教的に評価の単位を3(宗教では聖なる数字)にとり、9点を素材価値に置き、12点を加工実価と評点し、15点を企画目標得点として、完全製品を18点としている。

 日本においてパンに関する公式採点様式をもっているのは、文部科学省の示す学校給食用のパンのみとなっている。その配点表は、製品の品質を100点満点とした場合、最低品質は現物があれば0点にはならず、販売可能な製品であれば50点以下の品質はないという考え方により100~50点の範囲でつくられている。最適条件下(実験室規模の厳密な管理下)で製造される最高品質を90点として、製造工場でつくられる最高品質を80点とするが、製造条件が厳密な管理状態に近づくにつれて最高品質は80点から90点に近づく可能性をもたせる。したがって80~50点の範囲内で採点されている。

 良いパンの基本条件は、(1)パンの中心部まで穀物起源のデンプンが十分に糊化(こか)していること、(2)発酵食品としての優れた性質(香味・内相)をもっていること、(3)商業圏の消費者が好む水分と比容積をもっていることである。品質評価の際にもっとも重点を置く審査項目は、(1)外観(表皮色と焼き上げの均等)、(2)内相(すだち、焼き上げたパンの断面に見える気泡の跡)、(3)香りと味(クラストとクラムのフレーバー)としている。

[阿久津正蔵・竹野豊子]

栄養・添加剤

パンは小麦粉主体でつくられるため、カロリー源ではあるが栄養的には不十分な食品である。しかし、原料が粉状であるためビタミン類やカルシウムなどを混ぜやすく、パン自体の栄養価を高めるとともに、日常の食事に不足しがちな栄養分を補うために栄養強化が行われる。

 厚生労働省の定める特殊栄養食品の基準は1995年(平成7)に大幅に改正され、市販食パン100グラムにつきビタミンB10.07ミリグラム、B20.07ミリグラム、カルシウム36ミリグラム以上とされ、学校給食用小麦粉では100グラムにつきビタミンB10.10ミリグラム、B20.05ミリグラム以上とされている。製パン工程中に損失する割合はB120~30%、B210~20%である。また、すでに認定されている化学的合成指定物質489種については使用してもよいが、新しいものについては安全性についてのテストをしてから使用を許可することとなった。

 リジンは、小麦粉のタンパク質に不足している必須(ひっす)アミノ酸を強化するために用いられるが、厚生労働省の基準は小麦粉100グラムにつき100ミリグラム、パン100グラムにつき100ミリグラム、学校給食用には小麦粉100グラムに200ミリグラム以上としている。製パン過程で損失する割合は、実験値から11~22%とされている。リジンは発癌(はつがん)性に絡んで消費者から不安の声が高く、この対応として、スキムミルク入りのミルクパン、大豆の新加工粉入りのソーヤパンの強化が重視され、また麬(ふすま)の入ったファイバー入りパン(ファイバーブレッド)は栄養疫学的に新しいパンとして注目されている。過酸化ベンゾイルは、パンの内相を白くみせるために小麦粉の漂白剤として、小麦粉100グラムに添加する量は希釈過酸化ベンゾイル300ppm以下の制約で用いられていたが、無漂白粉のほうがビタミン類の損失が少なく、香りも優れていると評価が高く、学校給食用小麦粉は無漂白粉に改められた。臭素酸カリウムは、小麦粉のグルテンを強化するのにもっとも経済的に有効な酸化剤である。50ppmまでの添加が許されていたが、変異原性から発癌物質の問題に絡んで、さらに厳しく30ppmに制限されるに至った。現在WHO(世界保健機関)では禁止の動きはないが、フランスとドイツでこの添加を禁止している。フランスでは、血液中のヘモグロビンから酸素をとってしまうということから、またドイツでは、小麦粉中のビタミンB群を破壊してしまうという科学的な実験の結果から、それぞれその禁止の理由をあげている。日本では、かまぼこなどの練り製品については中止になったが、パンについては、そのできあがりに影響が大きいことから自粛になった。

 食品衛生法上、パン生地およびパン用に許されている添加物には、保存料(プロピオン酸塩)、品質改良剤(エル・システイン塩酸塩、ステアリル乳酸カルシウム)、乳化剤(モノグリセライド、レシチン)、酵素剤(モルトフラワー、アミラーゼ、プロテアーゼ)、酸化防止剤(アスコルビン酸トコフェロール。生地に入って酸化防止剤に変わる)、膨張剤(ベーキングパウダーの化合物)、離型剤(流動パラフィン)、強化剤(各種ビタミン、アミノ酸類、ミネラル類)などがある。ほかに調味料、甘味料、着香料、着色料などがあるが、イーストの栄養源や水の改良剤を中心として、その他の添加剤を配合したものがイーストフードといわれる生地改良剤で、広く使われている。以下の16種の添加物をイーストフードとして使用する場合は、全面表示することになっている。(1)塩化アンモニウム、(2)グルコン酸カリウム、(3)炭酸アンモニウム、(4)炭酸カルシウム、(5)硫酸カルシウム、(6)リン酸三カルシウム、(7)リン酸二水素アンモニウム、(8)リン酸二水素カルシウム、(9)塩化マグネシウム、(10)グルコン酸ナトリウム、(11)炭酸カリウム(無水)、(12)硫酸アンモニウム、(13)硫酸マグネシウム、(14)リン酸水素二アンモニウム、(15)リン酸一水素カルシウム、(16)焼成カルシウム

 そのほか、1991年(平成3)ごろから表示しなくてもよい改良剤が多く開発され、上記のような働きをするにもかかわらず無添加をアピールできる酵素剤が販売されるようになり、2000年以降もその種類は増えている。

[阿久津正蔵・竹野豊子]

利用

食パンにはプレーンなもの(普通食パン)以外に、餅(もち)のような食感のある、小麦粉以外のデンプンを利用したもの、じっくりと発酵して独特の香りや食感を出したもの、小麦粉デンプンだけを湯種(ゆだね)にしてパン生地に混ぜ込み、生地にして焼いたものなどがある。バラエティ豊かなパンが消費者のニーズにこたえてつくられており、サンドイッチにあうものや焼いてそのまま食べるものなど、そのパンの特質にあわせて調理される。また、1990年代にアメリカから入ってきたベーグルが人気を集めたのを契機に、フォカッチャ、パニーニ、ピタ、ナン、チャパタなど国際色豊かなものが製造販売されるようになった。

 パンにはその国ごとの食文化が反映され、その国で食べられているような材料を使うのが、うまくパンを利用するポイントになる。柔らかくふわふわした食パンであれば、ソフトハムやしゃきしゃきとした歯ごたえのある野菜がよくあい、ベースにするマーガリンやバター、マヨネーズも春夏秋冬季節にあわせて変化をつけることがたいせつである。ピタやナンなどは香辛料を使い、食材もマトンや干し肉などを和(あ)えて詰め込む。クレープのように薄く焼かれたものはローストビーフなどをそぎ切りにし、野菜とタルタルソースや塩・こしょうなどで味を付け、具を巻き込んで(ラッピング)切り分けるなど、それぞれにあったやり方がある。パニーニやフォカッチャは、オリーブ油をベースに塩をきかせたパンチェッタ(イタリアの、塩をきかせた干し肉。薄く切って、サンドイッチやピッツァなどに使う)などがよくあう。これら1990年代以降日本で製造販売されるようになったパン類の特徴を以下に説明する。

(1)フォカッチャ ピッツァの原型になった、丸いイタリアのパン。オリーブ油を使い、強火で香ばしく焼いたもの。主食にしたり、チーズやハムなどを挟んで食したりする。

(2)パニーニ パニーニはイタリア語でもっとも一般的なパンを意味し、1個ならパニーノ、複数に切りわけたらパニーニとよぶ。チーズやハム、野菜などを挟んで食べたりする場合もパニーニとよぶ。

(3)ピタ エジプトやヨルダン、アラブ諸国などで食べられている、精製しない粉やコーンミールを使って焼いたパン。二次発酵させずに焼くので生地が薄く、中が空洞になるので、半分に切って、中に干し肉などを詰め、主食にするのが一般的。

(4)ナン わらじ型をしたインドのパン。自然の酵母を使い、塩と粉だけでこねて発酵させた生地を、石釜(いしがま)で素焼きにしたもの。柔らかくて味わいもよい。インドでは週に1回の割でディナーとして上流階級の人が食べるぜいたくなパン。日本ではインドカレーにはかならずナンがついてくるほどポピュラーなものだが、インドでのナンは少し違うニュアンスで食べられている。

(5)チャパタ スリッパやわらじのような形をしたイタリアやトルコでよくみかける塩味のパン。

 古くなって固くなったパンについては、1センチメートル幅に切って焼き、水分をしっかり抜いたあと、熱いうちにフォンダン(砂糖に水を加えて沸騰させたものを40℃まで急激に冷やし手早く混ぜて白く固めたトッピング)を塗る。フォンダンの中にコーヒーを2%入れるとコーヒーフォンダンになり、ココアを入れるとチョコレートフォンダンになる。これを冷ますとおいしいラスクになり、朝食などに食べるとよい。また、パンを乾燥させておろし金でよく削ってパン粉にしたり、パンを賽(さい)の目に切り、油で揚げてクルトンにし、スープの浮き身にするといった利用法もある。そのほかにもアイデアとセンス、それに旬(しゅん)の食材を生かし、幅広い二次利用が可能である。

 パンは冷蔵保存すると劣化を早めてしまうので、かならず冷凍保存する。ラップにしっかり包んで密封し、さらに袋に入れて零下5℃~零下20℃くらいまでの冷凍庫に保存しておくとよい。

[阿久津正蔵・竹野豊子]

パン産業の現状と将来

日本では1999年(平成11)時点で、パンを製造する企業の工場総数は5337あり、このうち大手企業は27社で126工場である。年間販売量は127万1000トン、販売額は7810億円となっており、対前年比101.3%、伸長率104.1%で市場は拡大している。種類別構成比は食パンが28.8%、菓子パンが56.0%、その他のパンが12.3%、学校給食が2.9%である。流通別動向では、量販店が2990億円で44.5%、コンビニエンス・ストアが1995億円で29.7%を占めており、パン菓子店からコンビニエンス・ストアへの業態転換が多くみられる。用途別販売動向は、市販用が6678億円で85.5%を占めており、実績を拡大しているが、外食産業でパンを採用するところが急増しているため、業務用の需要も高まりつつある。

 テレビや雑誌などでは、おいしいパン屋が数多く取り上げられるようになった。それに伴い、消費者の期待にこたえるようにパンの種類も著しく増え、新商品も1週間で約20種類生まれるなど、競争が激化してきた。手作りのパン屋(リテールベーカリー)は「手作り感」「焼きたて」で消費者に訴求し、店舗数を伸ばしてきた。一方、1990年代後半にはコンビニエンス・ストアが、検品、検食を重ねて安定した商品を提供できるようにしたこと、1994年に開発された冷凍生地の向上によってその配送システムを変化させ、焼きたてのパンを店内に並べるようにしたこと、店舗数を増やし、消費者がいつでもどこでも商品を入手できるようにしたことなどの企業努力を重ねた結果、消費者の心をつかんで市場を拡大している。そのため、開発における技術に差が生じて、売れる店とそうでない店の格差が広がってきた。

 また消費者のほうでも、健康志向のパンや、メーカー独特の味が出ていて、食感、風味などがあるものを重要視するようになった。こうして大手企業や街のパン屋の生存競争はますます激しくなり、新製品は3週間ぐらいのサイクルで店頭に出ては消えていくという激しい競争になっており、それに追いつけない企業が競争から脱落している。一方、アルチザンブレッドなどヨーロッパの手作り感のあるパンを並べたり、アメリカで流行しているパンといえばすぐ取り入れたりと、ますます多様化してきている。この風潮は今後しばらくの間続く傾向にある。

 パンの消費を総務庁(現、総務省)および食糧庁の調査によってうかがうと、朝食はパン、昼食は麺(めん)、夕食は米飯という食事構成の一般的な傾向から、朝は食パン、昼はサンドイッチ、おやつに菓子パンという傾向がみられる。また、フランスパン、ドイツパンなど各種のバラエティー・ブレッド類が「その他パン」に増加している。

 1978年のパン生産高は小麦粉換算にして116万8000トン、1984年は120万3000トンで、この6年間に3万5000トンの増加をみるに至ったが、1985年には117万7594トン、1986年には117万5700トンへとパンの消費の漸減傾向がみられた。しかしその後パン生産のハイテク化が進み、1996年には118万8000トン、2000年には127万7000トンとふたたび増加傾向にある。

[阿久津正蔵・竹野豊子]

『阿久津正蔵他著『パンの教室』(1975・東京教育学院)』『阿久津正蔵・越後和義著『パンの研究』(1976・柴田書店)』『阿久津正蔵・小林町子著『バラエティ・ブレッド』(1984・東京教育学院)』『安達巌著『パン食文化と日本人――オリエントからジパングへの道』(1985・新泉社)』『W・ツアー著、中沢久監訳『パンの歴史』(1985・同朋舎出版)』『安達巌著『パンの日本史――食文化の西洋化と日本人の知恵』(1989・ジャパンタイムズ)』『田中康夫・松本博編『製パンの科学(1) 製パンプロセスの科学』(1991・光琳)』『田中康夫・松本博編『製パンの科学(2) 製パンの材料の科学』(1992・光琳)』『江崎修著『プロのためのわかりやすい製パン技術』(1996・柴田書店)』『長尾精一監修、清水弘煕編著『独・英・日 製粉・製パン・製菓用語辞典』(1997・三修社)』『日本パン技術協会編『創造技術製パン教書 素材を生かした新アイテム集』(1997・パンニュース社)』『ブランジュリーフランセーズ・ドンク著『フランスパン・世界のパン 本格製パン技術』(2001・旭屋出版)』『竹谷光司著『新しい製パン基礎知識』改訂版(2001・パンニュース社)』『『マーケティング便覧』(2001・富士経済)』『締木信太郎著『パンの百科』(中公文庫)』



パン(牧神)
ぱん
Pan

ギリシア神話の牧神。とくにアルカディア地方では山野の神、さらに牧畜の神として古くから崇拝されていた。彼はヘルメスの子とされているが、ほかにもいくつかの異説がある。また「すべての」を意味する形容詞パンpanと彼の名を関連させ、後世にはさまざまな命名由来譚(たん)がつくられたが、語源的にはまったく無関係である。彼は上半身が人の姿で、髭(ひげ)だらけの顔と山羊(やぎ)のような耳と角(つの)をもち、下半身は山羊の足に蹄(ひづめ)がついている。また、杖(つえ)を手にし、頭には松葉の冠(かんむり)をつけていた。陽気ですこしばかり淫蕩(いんとう)な性質で、山野を自由に駆け巡ってはニンフたちと戯れる。夏の真昼時には木陰で眠るが、これを妨げられるとたちまち怒り、人間と家畜にパニックpanic(恐慌)を送り込む。彼は牧笛(ぼくてき)(シリンクス)を発明した。パンに関する神話は少ないが、アレクサンドリア時代以降になると、牧歌的趣味には不可欠の存在となった。ローマでは、ファウヌスFaunusまたはシルバヌスSilvanusと同一視される。

[伊藤照夫]

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改訂新版 世界大百科事典 「パン」の意味・わかりやすい解説

パン

麵麭,麪包とも書く。日本語のパンはポルトガル語のpãoからきた名で,pãoはラテン語のpanisを語源とする。フランス語のpainも同じである。英語ではbread,ドイツ語ではBrotと呼ぶ。

 パンという語は二通りの意味があり,一つは〈生命の糧〉というように,人間を養ってくれる食糧一般に対して,畏敬の念をこめて,象徴的な意味で用いられている。次に狭義のパンは,小麦,ライ麦などの穀物の粉に,水とイーストその他の材料を加え,こね上げたもの(ドウdoughという)を発酵させて焼いたものをいう。

しかし,ヨーロッパ以外でも,世界のさまざまな小麦栽培地帯を中心に,パンに類似した多様な食物が存在する。それらを大別すると発酵したドウを加熱して作るものと,無発酵のまま料理するものとの2種がある。発酵のものでも,ヨーロッパのパンのようにイースト菌を加え人工的に発酵させるものはむしろ例外で,多くは,ドウを一夜ねかせて自然発酵させる。中尾佐助の《料理の起源》によると,ユーラシア大陸でのパン類の分布は次のようなものである。中国の麦作地帯である華北平野では,発酵蒸しパンのマントウと無発酵・発酵の両方が混在するピン(餅)類がある。ピンは,小麦粉をこねて,焼いたり,蒸したり,煮たり,油で揚げたりしたものの総称である。パンジャーブ地方を中心とするインド,パキスタンの麦作地帯では,全粒の小麦粉をねって無発酵のまま鉄板で焼いたチャパーティーをはじめ精白粉を発酵させてつくるナンなど(パン類を総称してローティーと呼ぶ)が食べられている。チャパーティー利用圏はアフガニスタン,イランにも及んでいるが,チャパーティーに類似したものも多く,油で焼くパラタ,油で揚げるプウリーなども無発酵のものである。ナーンはインド以西,中東,北アフリカの地中海岸にかけて広く普及している。ナーンは,発酵したいわば薄パンで,一晩置いたドウの薄板を,高熱のカマドの側壁に貼って焼く。二つ折り,四つ折りにして羊の串焼き(シシカバブ)や野菜を包んで食べるが,発酵性でかまどを用いるという点では,ヨーロッパのパンに近似している。中東の農村では,ナンをさらに薄く焼いたタンナワーを食べる。これと並んで中東には,かまどの底で高温で焼いたバラディーという丸く平らなパンもあり,西へいくほど,パン類の種類は豊富になる。そのほかでは,トウモロコシを材料としたメキシコのトルティリャは無発酵のパン類,テフという雑穀を材料としたエチオピアのインジェラは発酵性のパン類の一種ということもできよう。世界のパン類文化は自然,気候,材料から調理道具,食器などにいたるさまざまな条件によって多様だが,以下ここでは,狭義のパンの歴史を中心に記述する。
(かまど)

ヨーロッパを中心にしたいわゆるパンの歴史は,粒食→粥食→平焼きパン(無発酵パン)→発酵パンという段階を経たと考えられている。熱い灰や焼石の上へこぼれた粥が焼けかたまって平焼きパン(Fladen,galette)が生まれ,平焼きパンのドウを焼くようになってから,放置しておいた残りもののドウが翌日には野生の酵母菌や乳酸菌などによって膨らんでおり,それを焼いたところ美味かつ消化のよい発酵パンができたというのが定説のようである。パンは,小麦栽培が最初に行われたメソポタミアにおいて今から6000年ほど前に発祥したといわれる。古代エジプトではメソポタミアの影響を受けて早くからパンの製造が行われ,中王国時代(前22~前18世紀)には発酵パンも作られていた。前16世紀ころからはとくに盛んだったようで,ラメセス3世(在位,前1198-前1166)はイシスとオシリスの神殿へ600万個ものパンを捧げたといわれる。この時代にはまだ石臼はなく,平らな石の上で穀粒をすりつぶして粉を作っていた。また,ドウをこねるには足で踏みつける方法で行っていたことを,ヘロドトスは記している。かまどは粘土製の釣鐘形のもので,たきぎを燃したあと,おき火をかき出し熱い床や灰の中で焼いた。のちにはかまどの内壁に,平らにのばしたドウを貼りつけて焼くといった方法もとられた。

 古代ギリシアでは前6世紀前後から発酵パンが焼かれていた。最初は大麦によるものが主であったが,のちには大麦パンは奴隷や兵士の食物となった。ギリシアではドウの発酵を,ブドウのしぼり汁を加えることによって行っていた。ワイン酵母を利用したのである。前5世紀になるとパン屋という職業が生まれ,果実やはちみつを混ぜた菓子パンも作られるようになった。ギリシアのパンは形も豊富であり,動物や半月の形を模した〈形象パン〉も作られ,神々への供物とされた。古代のローマ人たちは大麦の粥を主食としていたが,前3世紀に至って,ようやくギリシアからパン職人をつれてきてパンを作らせるようになり,前2世紀にはローマにパン屋があらわれた。初期には大麦による発酵パンが好んで食べられていたが,しだいに小麦パンへと移行していった。ポンペイの遺跡からは当時のパン屋のあとがそっくり出土しており,当時のベーカリーがどのようであったか如実にわかるが,すでにこの時代には牛馬を使っての大がかりな製粉用石臼やドウの混捏(こんねつ)機も使われていた。かまども長足の進歩をとげ,燃焼炉を別に設けた石造りの大規模なものになっている。このローマ式のかまどは,以後19世紀になり近代的オーブンが出現するまで,ほとんど変化することなくヨーロッパ中世,近世を通じて使用されていた。4世紀のローマには300軒ものパン屋があって,同業組合を結成し,消費者の階層別に質を異にするさまざまなパンを作っていた。

 ヨーロッパ中世における発酵パンについての最古の資料は10世紀のものである。もっとも,それ以前にもゴート人は発酵パンを知っていたともいわれるし,6世紀にはライ麦パンも作られていた。10世紀になり,都市の成立とともにパン屋の同業組合が生まれ,量目や品質について厳密な規定が設けられ,徒弟制度も始まることになった(中世のパンについては次章[ヨーロッパのパン屋]を参照されたい)。

 ヨーロッパでは古代・中世を通じて,パンは必ずしも庶民の日常的な食べ物とはいいがたいものであった。たいていは小麦以外の雑穀を粥にして食べていたのであり,とくに小麦による白パンは民衆レベルではめったに口にできないものであった。しかし時代とともにパンは広い層へと浸透し,人々もパンを食べるのを渇望するようになった。1789年10月,パリ市民は女性を中心として,いわゆる〈ベルサイユ行進〉を行ってパンを要求し,フランス大革命の口火となった。18世紀以後,パンの発酵用にビールの醸造業者が酵母菌を供給するようになり,それまでなん世代にもわたって野生酵母を培養,利用していた手間が省けるようになった。また1890年代に入ると近代的なスチーム・オーブンが開発され,ローマ時代以来不変だったかまどにも大きな変革が起こって,その能力は飛躍的に向上した。製粉技術も,蒸気を利用したロール式製粉法が生まれ,粉自体の品質が大きく改善されることになった。
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犂(すき)起しと種まき,収穫の祭りのときなどにパンは力と恵みのシンボルとして大きな役割を果たしていたが,同時に魔よけとしても用いられていた。このようなパンをめぐる多彩な生活習俗は,本来家庭の主婦が焼く自家製のパンをめぐる伝統に基づくものであった。

 かまどには2種類あり,発酵させない平形パンを焼く半球形の粘土製のかまどは,ケルトとローマからドイツに伝えられたといわれている。他方でスラブからドイツに伝えられたかまどは石でできており,パン焼き専用ではなく料理もできた。後者のかまどが普及するようになるとかまどはどこの家でもつくられるようになった。しかし,中世においては領主の水車を使用して粉をひかなければならない強制権と並んで,パンを焼くときにも領主のかまどを使用することが農民に義務づけられており,農民にとっては大きな負担となっていた。中世後期になると大荘園は姿を消すが,パン焼専用のかまどの設置には費用がかかったから,領主は隷属民に荘園内のかまどを使用させるか,あるいは村落内にかまどを作り,パン屋に賃貸したのである。

 農村のパン屋は耕地をもつ半農半工の手工業者であって,農民はあらかじめ自宅で粉をこねてからパン屋を呼ぶ。パン屋は馬車でそれをパン焼小屋に運んでパンを焼いてから客に届けた。一定量の穀粉からつくられるパンの数は定められており,パン焼き賃はつねに一定数のパンで支払われた。村のパン屋は領主の特権を行使していたから,村内でやや特殊な地位を占めていた。農民は1年間の労働の結晶である粉をパン屋にゆだねるにあたって警戒を怠らなかった。ところによってはパン屋が練粉を小屋に運ぶとき客の前を歩かなければならないとされている。パン屋が練粉をくすねないよう監視するためである。またパン屋が大きさの不ぞろいなパンを焼き,いちばん大きなパンを焼賃としてとらないように,パン屋は焼き上がったパンをすべて客の家に運び,そこで焼賃のパンを受け取ることになっていたところもある。

 12~13世紀に成立した都市のパン屋は,農村のパン屋と違って都市の食糧供給の要の地位にあったから,早くから肉屋と並んで市内で有力な地位を占めていた。都市の成立とともにパンは市場向けに生産,販売された。市民がみずから粉を練り,パン屋が焼くという農村と同様な形式も,長い間商品生産としてのパン焼きと並んでのこっていた。このような賃しごととしてのパン焼業者は,ツンフトを結成したパン屋の手工業者から蔑視(べつし)されていた。

 パン屋がツンフトを結成し,食糧供給の要の位置を占めていたから,市当局は早くからパン屋が独占価格を恣意(しい)的に設定しないよう公定価格の上限を定めていた。原則としてパンの公定価格は変えず,穀物価格が変動するにつれて,パンの大きさを変えていったのである。しかし,一定限度以上に穀物価格が上がった場合,パンの目方が減らないように消費者保護の政策がとられていた。19世紀にオーストリアの俳優J.ネストロイは舞台の衣裳にウィーンのパンの形をしたボタンをつけて登場し,観客の喝采(かつさい)をあびた。当時のウィーンのパンが小さくなり,人々の不満の的だったからである。しかし,ウィーンのパン屋組合が訴えを起こしたために,ネストロイはパン屋を侮辱したかどで逮捕され,留置された。釈放されたとき,おおぜいの人々が迎えに出た。友人が〈ネストロイ,獄中でおなかがすかなかったかね〉とたずねると,ネストロイは〈いやいや獄吏の娘が私にほれてね,ウィーンのパンを鍵穴からこっそり差し入れてくれたから,ひもじくはなかったよ〉といってまたもや大喝采をあびたのである。この話にみられるようにパン屋の独占はかなり強力であったから市当局は規制措置も講じていた。市民は余裕があれば,みずからかまどを設置しえたし,市当局はパンが不足になると農村のパン屋に自由市場を開かせた。肉屋の場合と同様にパンの品質についても厳しい規定があった。白パン作りは大麦を買うことすら禁じられていた。白パンに大麦を混ぜることは禁じられていたためである。1786年のビュルテンベルクでは,ミョウバン,しっくい,白亜,灰,そら豆などを混ぜることも禁じられている。この規定からこれらのものがときどき混ぜられていたことを推察しうるのである。
執筆者:

日本人がはじめてパンを知ったのは天文年間(1532-55)に来航したポルトガル人によってであったが,パンの名が文献に見られるのは18世紀に入ってからのことになる。《和漢三才図会》(1715)は,蒸餅(じようべい)というのはあんなしのまんじゅうで,オランダ人は常食として食事ごとに1個ずつ食べており,それを〈波牟〉,つまりパンと呼んでいると書いている。パンというのは中国式の〈饅頭(マントウ)〉だという認識だったわけで,たしかに江戸参府のオランダ使節にはそうした蒸しパンが供されていた。ただし,オランダ人が長崎の居留地で食べていたのも蒸しパンだったかどうか,彼らが自国語のブロートbroodではなく,ポルトガル語でパンと呼んでいたかどうかは別問題である。しかし,一部にはエジプト以来の発酵パンの焼き方も伝わっていた。1718年(享保3)刊の《御前菓子秘伝抄》という本にそれが書かれている。まず,小麦粉を甘酒でこね一晩ねかせて〈ふるめんと〉を作る。〈ふるめんと〉はポルトガル語のfermentoで発酵した物の意で,このふるめんとを小麦粉に加えて水でこね,適宜の形にして数時間置くとふくれてくる。それをかまどで焼くというのであるが,かまどは土を厚く塗りたてた釣鐘形のもので,その中でたきぎをたいて,おきや灰をかき出し,そこへ並べて余熱で焼くというものであった。まさにヨーロッパのパンのつくり方がほぼそのまま伝えられていたのであるが,残念ながら江戸時代にはこの方式でパンを焼いた記録は見られないようである。
執筆者:

パンは長い歴史の中で,それぞれの地域独自の発展をとげており,“地方のパン”がそれぞれ特色のある“民族のパン”,または“ナショナルなパン”を形成している。しかも,ドイツだけでも300種類ものパンがあるといったぐあいで,分類も一様には行いがたいが,通常は以下のように区分している。

 パンは大別すると,無発酵パンと発酵パン,および化学的膨張剤--例えばベーキング・パウダーやソーダで膨らますものとに分かれる。無発酵パンというのは,インドのチャパーティーのように,うすく焼くものであって,化学的膨張剤によるものとしては,中国の饅頭,イギリスのスコーンといったものがある。ここでは発酵パンを中心にみていくことにする。

 発酵パンはそこに使用される穀粉によって,小麦パン(白パン)とライ麦パン(黒パン),および両者の粉を混ぜた混合パンに分けうる。フランスのバゲット,ドイツ圏のゼンメル,米英の食パンといったものが,白パンの代表的なものである。黒パンはドイツのロッゲンブロートやプンパーニッケル,混合パンには百姓パンと呼ばれるバウエルブロートやミッシュブロートなどがある。配合材料からは,リッチなパンとリーンなパンとに分けることもできる。上にあげたような,穀粉,水,イースト,塩のほかには何も加えないようなパンはリーン(貧しい)なパンと呼ぶ。これに対して,バターや鶏卵をたっぷり加えたブリオシュやクロワッサンなどはリッチなパンという。また,乾果をたっぷり混ぜるイタリアのパネトーネやドイツ系のシュトレンといったものは,菓子パンといったほうがよいが,やはりリッチなパンに属する。英米のものではローフパン(食パン)はリーン,バターロールはリッチに分類される。このほか,折り込みパイと同じように,イースト入りのパン生地(ドウ)で油脂を包み,なん回か折りたたんで作る,いわゆるデーニッシュペーストリーも,パンの一つとして欠かせない分野である。

 パンの製造工程は,種類や材料の配合によってドウの仕立て方に若干の相違があるが,材料を混捏したあとは,第1次発酵,ガス抜き,分割とまるめ,第2次発酵,整形,ほいろ,焼成,冷却といった順序で行われる。材料の混捏はイーストを小麦粉その他にまぜ合わせてこねる操作で,直捏(じかこね)法,中種(なかだね)法,水種(みずだね)法などがある。直捏法は,ドウを作る際,水でといたイーストをそのまま他の材料へ混ぜてこねあげる方法で,混捏工程が一度ですみ,発酵に要する時間も少なくてすむ。中種法は,小麦粉の一部にイーストと水分を加え,この発酵を待って,残りの材料を混ぜ合わせる方法で,時間と手数はかかるが,香味のすぐれたパンを作ることができる。水種法は,液種法ともいい,水に少量の砂糖をとかし,イーストを加えてドロドロの液体を作り,それを発酵させたのち,小麦粉や他の材料を加えてこねあげるやり方で,製品の質を均一化するのに便宜である。以上,いずれかの方法で混捏したひと塊のドウを発酵器などに入れ,温度27~28℃,湿度75%程度にたもつ。これが第1次発酵で,1~1.5時間するとドウは2~3倍のかさに膨れ上がる。これを手で押しつぶし,端から中心に向けて折りたたむようにして,発酵によって生じた炭酸ガスを抜き,新しく酸素を補給する。このガス抜きによってイーストは再び活発な発酵をはじめ,ドウは粘りと弾力を増し,細かい気泡が密に含まれるようになる。このドウを所定の目方に分け,それぞれを丸めたあと,30~32℃で10~15分間ドウをねかせる。これが第2次発酵で,このあとまたガス抜きを行い,製品としての形を整えて〈ほいろ〉にかける。温度38~42℃,湿度85~90%の密室へ入れて膨張させることで,これを行ってからかまどへ入れ,200℃以上の高温で焼成する。焼成後はあまり時間をかけて冷却すると,α化したデンプンがβ状にもどって,いわゆる老化が生じるので,1時間程度でパンの中心温度が33~36℃に冷めるようにして仕上げる。
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食パン,菓子パン,学校給食用パンなどパンを生産する産業。日本におけるパンの生産量(小麦粉使用量)は約122万tで,種類別にみると食パン64万t,菓子パン34万tなどとなっている(1994)。また製パン業は食パン製造を中心とする大手メーカーと学校給食用パンを製造する中小メーカーに分けられるが,しだいに大手メーカーの比率が高まり,資本金1億円以上の大企業のシェアは1973年に39.4%だったのが,82年には53.4%となった。また1980年では山崎製パン,敷島製パン,フジパン,第一屋製パン,日糧製パンの大手5社で42.1%のシェアを占めている。

 日本のパン工業は明治維新前後から始まった。最初はホテル,西洋料理店などで外国人向けにパンを焼いていたが,海軍が1873年から全面的にパン食を採り入れ,陸軍でも佐賀の乱,西南戦争の際大量のパンを使用した。74年に木村屋の木村安兵衛が米こうじを使ったパンにあんを入れた〈あんパン〉を売り出したのが評判となって一般に普及するようになった。その後90年の凶作のときの代用食として,また日清,日露戦争の軍用食糧として生産されたことも普及につながった。しかし当時のパンは現在の固いビスケットのようなもので,日本産の小麦では現在のようなパンの製造はできなかった。第1次大戦後日本でもパン製造に適した小麦が栽培されるようになり,アメリカからイースト菌による製パン技術が導入されたことにより,パン工業も近代化が進んだ。第2次大戦中は統制により製パンメーカーの合同が行われた。戦後はアメリカから小麦,小麦粉の援助があり,学校給食用にパンが生産され始めたことなどによりパン工業は急速に拡大し,企業数も増加した。1950年代後半になって,米価が低下すると,パンへの需要も一時停滞したが,経済の高度成長期に入ると,食生活の欧風化によりパンの需要も再び拡大し,74年には生産量が103万tと100万tの大台に乗った。しかし,1970年代後半にはパンへの需要も飽和化し,消費者の好みもそれまでのアメリカ風の食パンからフランスパンへと移ってきている。
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西洋人にとってパンは,日本人にとっての米に相当し,一般に生命の源としての象徴的意味をになっている。古くはデメテルをはじめとする地母神の恵みをあらわす具体物として,小麦の初穂が神に捧げられた。これら麦類にかかわるシンボリズムや儀礼がパンにも引き継がれている。また,ちぎったパンには文字通り生命を分かち与えるという意味があり,ここから〈もてなし〉〈自己犠牲〉という隠喩が生じてくる。人々の糧となる穀物の枯死と生長を神格化したと考えられる。バビロニアのタンムズ(ドゥムジ)やギリシアのアッティスなどの葬礼祭には,パンをはじめ臼でひいた穀物を口にするのが慎まれた。キリスト教の聖餐(せいさん)でもパンをイエス・キリストの肉に,ブドウ酒を血にたとえる。また,エジプトの葬礼においてちぎったパンは死者の食物とされた。

 パンを投げ捨てることは,ヨーロッパの家庭でとくに嫌われる。かけがえのない食物を粗末にするなとの戒めが生んだ習慣であるが,ローマ神話には次のような話もある。昔ローマが蛮族に包囲されたとき,ユピテルは敵の目の前にパンを惜し気なく投げ捨てよと神託を下した。ローマ市には大量の食糧備蓄があると見せかけ,敵に包囲戦をあきらめさせるためだったという。したがって,ローマでは彼を〈パン屋のユピテルJupiter pistor〉と呼んだ。一方,キリスト教においては,パンは生命を支える最重要の糧として多くの奇跡譚と関係している。《マタイによる福音書》には,空腹をかかえる信徒のためにイエスがわずか七つのパンと少しの小魚をさき,4000人の腹を満たしたことが語られる(15:32~38)。また伝説によれば,ドミニクスが弟子たちと食卓に座ったとき,食べものが何一つない卓に天使がパンを運んできたという。この話にちなみ,パンはドミニクスの持物となった。さらに,オランダの静物画では聖餐を表すものとしてこれが描かれ,ちぎったパンにはイエスの自己犠牲が寓されることになった。

 中世から近世にかけて,パンは,ありきたりの食品の典型として〈取るに足らぬもの〉を意味するようになった。18世紀以後には〈バター付きパンbread and butter〉という成句が定着し,転じて〈食いぶち稼ぎのしごと〉という意味に使われたり,精神的豊かさを欠く必需品あるいは〈無味乾燥〉を表す用法ともなっている。なお,〈人はパンのみにて生くるにあらず〉というイエスのことばがよく引かれることがある。これは《マタイによる福音書》4章4節に出てくるもので,石をパンに変えよと試した悪魔への返答に含まれている。
イースト →小麦 →ライ麦
執筆者:


パン
Pan

ギリシア神話の牧人と家畜の神。その名は〈養う者〉の意。ローマ神話のファウヌスにあたる。もともとアルカディア地方の神で,同地方に多いヤギの脚と角を持つ姿に想像された。彼は山野に美少年やニンフを追いかける好色な神とされ,彼の発明した楽器で常時携えて吹き鳴らすシュリンクスsyrinx(パンパイプとも呼ばれる葦笛)も,かつては彼の追跡を逃れようとして葦に変容した同名のニンフであったという。彼はまた牧人や家畜にえたいのしれない突然の恐怖(英語パニックの語源)を送ることでも知られるが,その原因は彼の昼寝を妨げて怒らせることにあると考えられた。のちにローマ第2代の皇帝ティベリウスの治世に,イオニア海のパクソス島付近でなぎにあった船のタムスという名の舵取りに〈大いなるパンは死せり〉と叫ぶ声があり,これを聞き及んだ皇帝は学者たちに命じてこの神の調査にあたらせた,とプルタルコスが伝えている。
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百科事典マイペディア 「パン」の意味・わかりやすい解説

パン

ギリシア神話の家畜と牧人の神。ローマではファウヌスと同一視された。上半身は人間だが,山羊の足,耳,角をもち,全身剛毛に包まれている。ヘルメスとニンフの子。昼寝を妨げられると人びとや家畜に恐慌(英語パニックpanicの語源)を与えるという。ニンフのシュリンクスSyrinxを慕って追ったが,彼女は葦に変身してのがれ,嘆きのパンは葦笛(シュリンクスすなわちパンパイプ)を作って自らを慰めた。プッサンなど,後世好まれた画題。
→関連項目シルウァヌスパニックパンの会パンパイプミダスやぎ(山羊)座

パン

日本語のパンはポルトガル語から転化したという。小麦粉やライムギ粉を主原料としイーストを加えてこね,発酵膨張させて焼いた食品。メソポタミアが発祥とされ,古代エジプトでも作られた。ヨーロッパで主食として発達。製法は材料全部を混ぜてこね,発酵させて焼く直捏(じかこね)式と,粉の一部とイーストで生地(ドウ)を作り,発酵させてから残りの原料を加え再び発酵させる中だね式がある。ライムギ粉による黒パン,麩(ふすま)入りのグラハムパン,まくら形のワンローフ,山形のイギリスパン,小麦粉に食塩とイーストを入れ表皮を堅く焼いたフランスパン,バターや卵を多くしたクロワッサン,ブリオシュなど,また日本で創製されたあんパン,ジャムパンなどの菓子パンがある。なお,インド北部などのチャパーティーは無発酵のパンである。

パン

映画の撮影技法。panoramicの略。一定の位置でカメラを左右または上下(または斜め)に旋回しながら撮影すること。上下の場合はティルトともいう。
→関連項目イントレランス

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パン」の意味・わかりやすい解説

パン
bread

小麦粉またはライ麦粉に水を加えてこね上げてできる生地を焼いた食品のうち,炭酸ガスを含ませて組織を膨化させたものをいう。その歴史は古く,すでにエジプト第5王朝 (前 2494頃~2345頃) 時代に小麦パンをつくった記録がある。日本には天文 12 (1543) 年にポルトガル人によって鉄砲とともに伝えられたといわれる。明治5 (1872) 年に木村屋,文明軒が売出してから,次第に一般に好まれるようになった。名称はスペイン語の pan,ポルトガル語の pão (「糧」の意) から出ている。製法には発酵法と無発酵法とがある。発酵パンは,パン酵母 (イースト菌) で発酵させ,発生する炭酸ガスでパン生地をふくらませたもので,発酵過程の生産物によって独特の芳香,風味が生じる。無発酵パンは,ベーキングパウダーから発生する炭酸ガスでパン生地をふくらませたもので,製法が簡単である。

パン
Pan

ギリシア神話の半人半獣神。牧畜の神で,アルカディア起源だが,ギリシア全土で崇拝され,ローマではファウヌスと同一視された。ひげもじゃで,額に2本の角のある怪異な面貌と,やぎの下半身をもち,一伝ではヘルメスの子で,生後すぐ父にオリュンポスに連れていかれたとき,こっけいな姿がすべての神々の心を楽しませたので,ギリシア語で「すべて」を意味するパンという名をつけられたという。別伝では,ペネロペイアがオデュッセウスの留守中に,すべての求婚者と不倫な関係を結び生んだ子であるので,この名を与えられたともいわれる。すこぶる好色で,ニンフや美少年に恋しては跡を追いかけ,逃げられると自慰や獣姦にふけるとされ,また「恐慌 (パニック) 」を引起すとも信じられた。

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音楽用語ダス 「パン」の解説

パン [pan pot] (パンポット)

音の左右の定位のこと。正しくはパンポットという。音楽をステレオ装置で聴くときに、バランスつまみを調整することで音像の定位をコントロールできるようになっている。同様にMIDIでも設定によってギターは右から、エレピは左から聞こえるというような効果を得ることができる。実際にはコントロールチェンジのナンバー「10」で設定する。範囲は0から127までで、64がちょうどセンターにあたる。また機器、ソフトによってはセンターが0で表示され、左寄りがマイナス、右寄りがプラスの数値で表示されるものもある。

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和・洋・中・エスニック 世界の料理がわかる辞典 「パン」の解説

パン【pão(ポルトガル)】

小麦粉を水で練った生地をイーストを用いて発酵させ、焼いた食品。ライ麦粉を用いたり、ライ麦粉と小麦粉と混ぜて用いたりするものもあるほか、砂糖・卵・バターなどの油脂・牛乳などを配合した生地を用いるもの、ドライフルーツやチーズを生地に混ぜるもの、クリーム・ジャム・甘く煮た果物などをのせたり中に入れたりして焼いたものなど、さまざまなものがある。

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栄養・生化学辞典 「パン」の解説

パン

 コムギ,ライムギなどの粉を練ってドウを作り,それを焼いたもの.

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世界大百科事典(旧版)内のパンの言及

【映画】より


〔映画の歴史〕

【映画の前史】
 初めに〈動く絵〉に対する衝動があった。それはアルタミラの洞窟壁画にもすでに見られるともいわれるが,映画の前史にまず記録されるのは,1780年代にスコットランドの風景画家R.バーカーが考案した〈パノラマpanorama〉で,このことばは現在も〈パン〉(英語ではpan,フランス語ではpanoramique)という映画用語に生き残っている。〈パノラマ〉とは,円筒形の建物の内側に装備された巨大な画布が,薄暗い歩廊の中央にいる観客のまわりをゆっくりと回転し,戦闘の光景が眼前に展開していく動きを見せる見世物で,ちょうど首を回すようにカメラをふる〈パン〉の技法によるイメージと同じ効果を出すものだった。…

【言語遊戯】より

…英語ではカリグラムcalligram∥calligramme,シェープト・ポエムshaped poemという。すでに古代ギリシアに,卵を歌った卵形の詩や,牧神(パン)を歌った笛の形の詩があるが,印刷術の発明・進歩とともに技法は複雑になる。ラブレーは〈徳利明神〉を酒瓶の形で描き,17世紀イギリスの宗教詩人は祭壇の形をした《祭壇》という題の詩を書いている。…

【愛】より

… そこで,既存の説を離れて愛の本質を考える一助に,哺乳類の生態に注目すると,意外な事実が認められる。まず,ピグミーチンパンジーの性行動は,普通のチンパンジーとでなく,人間と酷似する。さらに,ゴリラの雌は群中の母なし子を養護するが,これについでおおらかな父親らしさを発揮するのは,他の類人猿でなくライオンである。…

【ファウヌス】より

…その名は〈恩恵を施す者〉の意。早くからギリシアの牧神パンと同一視されたため,美術ではパンと同様,ヤギの角と脚を持つ姿で表現される。彼はもともと森の神で,とくに森の中で聞こえる不思議な音は彼の声と想像されたところから,予言を伝える神としてファトゥウスFatuus(〈語る者〉の意)と呼ばれることもあった。…

【ヤギ(山羊)】より

…新約聖書では最後の審判において,キリストが,ちょうど羊飼いがヒツジとヤギを分けるようにすべての人間を善き者と悪しき者に分けると書かれている(《マタイによる福音書》25:32~33)。ギリシア神話における牧神パンは牧人たちの崇拝する神であって,その姿は下半身はヤギで足にはひづめをもち,上半身はいちおう人間の形をもつが,額にはヤギ角,あごにはヤギひげをもつとされた。パンのほかに,ギリシアではサテュロス,シレノス,北欧民話の森の精リェシー,ローマではファウヌスといった半獣神がいる。…

【かまど(竈)】より

…すり石とすり臼の存在は,粉食の体系を暗示するものである。自然物を利用した容器のなかで粉をこね,熱した石板や土面で焼きあげる,パン焼きの原初的な萌芽を想定しうる。この場合,火床は地面または少し掘りくぼめた地面を利用する。…

【コムギ(小麦)】より

…最も広範な地域で栽培されて最大の生産量をあげ,イネ,トウモロコシとともに世界三大穀物の一つで,人類の主食をまかなう重要な作物。長い農耕の歴史の中でしだいに生産性の高い品種にかわってきたが,現在栽培されているのは大部分がパンコムギT.aestivumL.(英名common wheat,フツウコムギともいう)(イラスト)である。
[種と分布]
 コムギは一粒系コムギ(二倍種,染色体数2n=14,ゲノムA),二粒系コムギ(四倍種,2n=28,ゲノムAB),チモフェービ系コムギ(四倍種,2n=28,ゲノムAG)および普通系コムギ(六倍種,2n=42,ゲノムABD)の4群からなる。…

※「パン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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