キュビスム

デジタル大辞泉 「キュビスム」の意味・読み・例文・類語

キュビスム(〈フランス〉cubisme)

20世紀初めに、フランスを中心に興った美術運動。対象を複数の角度から幾何学的面に分解し、再構成する技法を創出。現代抽象美術に大きな影響を与えた。ピカソブラックらが代表。立体派キュービズム

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精選版 日本国語大辞典 「キュビスム」の意味・読み・例文・類語

キュビスム

  1. 〘 名詞 〙 ( [フランス語] cubisme ) ⇒キュービズム

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百科事典マイペディア 「キュビスム」の意味・わかりやすい解説

キュビスム

1907年ころからピカソブラックによってパリで推進された絵画運動で,彫刻,建築にも影響を及ぼした。対象のフォルムの面を幾何学的に分解し,画面の造形秩序に基づいて再構成する。キュビスム自体は対象に固執したが,フォルムを自然の秩序から解放したことにより抽象芸術への道を開いた。ピカソの《アビニョンの娘たち》(1907年)が最初の作品とされるが,その名称は1908年にブラックの描いた一連の風景画が〈小さな立体(キューブ)の集り〉と評されたことに由来する。セザンヌの影響が濃い前期(1908年―1909年),対象が細かく分解され,ほとんど識別できなくなる分析的時代(1910年―1912年),単純化された形で対象の全体像が回復される総合的時代(1912年―1914年)に大別される。またJ.ビヨンレジェドローネーらは〈セクシヨン・ドール〉を結成し,キュビスムの支流を形成した。日本では〈立体主義〉という訳語があてられ,1915年ころから受容が始まり東郷青児万鉄五郎らの作品にその反映がみられた。
→関連項目アーモリー・ショーアール・デコオザンファンオルフィスム川端実カンピーリグリスグレーズグロメールザツキンサロン・ドートンヌシャガールシュレンマースゴンザックセベリーニタトリンタマヨ抽象表現主義デュシャンデュシャン・ビヨンデュフィデュフレーヌニコルソンネベルソンパピエ・コレピカビアピュリスムファイニンガーフージュロンブローネルペブスナーベントンマグリットマッソンマルクマレービチミロメッツァンジェモンドリアンラ・フレネーリプシッツリベラルイスロートローランサン

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改訂新版 世界大百科事典 「キュビスム」の意味・わかりやすい解説

キュビスム
cubisme

1900年代フランスに起こった,20世紀ヨーロッパ美術における最も重要な運動,またその様式。キュビスムはルネサンス以来ヨーロッパ美術を支配してきた写実主義と決別して,経験によって認識された対象や情況の全体像を二次元的に再呈示するという,まったく新しい絵画の方向を確立した。この方法は視覚における革命といわれ,それが人間の意識に与えた変革は物理学における相対性理論の発見に匹敵するとさえいわれる。キュビスムはまた現実の描写に依存しない自律的存在としての絵画のあり方を明確にし,抽象絵画成立へのひとつの道を開いた。〈キュビスム〉の名は,1908年にG.ブラックが描いた風景画中の家が立方体(キューブ)に近い形態に簡略化されていたことに由来し,本来嘲笑的な呼称であった。

 20世紀の初頭,印象主義の諸特徴を温存しながらも自然の構造を概念的にとらえようとしたセザンヌの芸術への注目が,パリの若い画家たちの間に急速に高まった。ピカソが1907年に完成した《アビニョンの娘たち》を皮切りに,彼らは事物の細部や情緒的ニュアンスを捨てて,印象派の見失った対象の基本的形態や量感を強調する傾向を強めていった。ピカソとブラックが08年に開始した方法は,セザンヌの〈自然を球,円筒,円錐として処理する〉(エミール・ベルナールあての手紙。1904年4月)という絵画理念を端的に実現したものであったが,これがキュビスムの起りとされる。ボークセルLouis Vauxcellesをはじめとする批評家たちはこの傾向をヨーロッパ美術の栄誉ある伝統を汚すものと非難したが,芸術運動の目的を社会改革におく象徴主義文学運動の後継者であるアポリネールやサルモンらがこれを弁護,支援し,積極的な運動に結束させた。キュビスムにはピカソ,ブラック,グリスらの〈洗濯船Bateau lavoir〉のグループと,画家ジャック・ビヨンJacques Villon(1875-1963。本名Gaston Duchamp)を中心とする〈ピュトーPuteaux派〉(ビヨンの仕事場がパリ西郊のピュトーにあったため,こう呼ばれる)があり,前者がこの様式の美学的可能性を論理的に探究し深化させる一方,集団示威のような運動には無関心だったのに対し,運動としてのキュビスムの展開を担い,内外から多くの共鳴者を獲得したのは後者であった。

 〈ピュトー派〉は,11年のアンデパンダン展での大規模な集団展示を皮切りに,波状的な示威運動を続けたが,特に12年の〈セクシヨン・ドールSection d'or(黄金分割)〉展には,ピカソとブラックの創始者を除いて,この造形的傾向に共鳴するほとんどの画家や彫刻家が参加した。おもな出品者は,ビヨン兄弟(J. ビヨン,彫刻家のデュシャン・ビヨンRaymond Duchamp-Villon(1876-1918),マルセル・デュシャン),グレーズAlbert Gleizes(1881-1953),メッツァンジェJean Metzinger(1883-1957),ピカビア,ラ・フレネーRoger de La Fresnay(1885-1925),レジェローランサン,マルクーシスLouis Marcoussis(1878-1941。本名Ludwig Markus),〈洗濯船〉グループのグリス,それに彫刻家のロートAndré Lhote(1885-1962)らである。彼らの攻撃的ともいえる運動は社会的スキャンダルとなり,市会や国会でも論議されたが,キュビスムを容認する批評家や画商も徐々に数を増した。運動としてのキュビスムは第1次大戦の勃発により事実上崩壊したが,その造形的探究はピカソとグリスによって続けられた。

 〈洗濯船〉グループの功績は,キュビスムの造形的可能性をひとつの新しい美学として深化させたことにある。ピカソとブラックは上記のセザンヌ的方法から09-10年に〈分析的キュビスムcubisme analytique〉と呼ばれる方向に転じ,さらに12年ごろに〈総合的キュビスムcubisme synthétique〉に移行する。〈分析的〉段階では対象が線と面の要素に解体されて色彩が抑制され,無味乾燥な抽象化の道をたどるが,その一方,絵画は三次元的空間の再現を捨てて一個の自立的存在としての新しい価値を獲得する。〈総合的〉段階では絵画に現実性と日常的な親しみを回復する努力がなされ,トロンプ・ルイユ,新聞紙やラベルを画面に貼りつけたパピエ・コレpapier collé(コラージュ)が導入され色彩も徐々に復活された。ここでは前段階で十分に吟味された色彩,形態,空間,対象の解体によって得られた象徴的言語,といった個々の造形的要素が,意図された構想を達成するために〈総合〉された。ここでは〈分析的〉段階において見失われた現実世界の事物を連想させる要素が大幅に回復されているが,それはもはや再現ではなく,ひとつの創造であった。キュビスムはイタリアの未来派,イギリスのボーティシズムに造形的影響を及ぼし,またここからR.ドローネーのオルフィスム,オザンファンらのピュリスムが派生した。
抽象芸術
 日本におけるキュビスムの受容は1915年ごろに始まり,東郷青児,万鉄五郎らの作品にまずその反映がうかがえる。20年代に入ると,矢部友衛古賀春江黒田重太郎川口軌外坂田一男と,なんらかの形でキュビスムあるいはそれに類する様式を取り入れる画家はその数を増し,ひとつの流行の観を呈した。しかし彼らはキュビスムと未来派,あるいはキュビスムから派生したピュリスムや抽象的傾向を厳密に識別していたわけではなく,またそれぞれの理念を理解していたわけでもなかった。キュビスムの方法のうち,日本の画家たちが消化し得たのは〈セザンヌ的〉段階の形態と量感の簡略化であり,それ以外のものは皮相な装飾的効果として取り入れられたにすぎず,結局〈概念のレアリスム〉というキュビスムの根本理念は十分に理解されることはなかった。また早くからキュビスムに与えられた〈立体主義〉〈立体派〉という訳語は,本来絵画の平面性を主張したこの様式が,日本では逆に立体性の強い方法と受け取られたいきさつを物語っている。キュビスムや未来派の受容は,それまで日本の画家たちが追従してきたアカデミズムや写実的傾向に対する反動としての反自然主義的傾向の一端にすぎず,同じ時期にフォービスムや表現主義,あるいは点描主義,エコール・ド・パリの諸傾向が並行して行われていた。
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知恵蔵 「キュビスム」の解説

キュビスム

20世紀初頭、フォービスムに続いて、ピカソとブラックが始めた革新的な美術表現と思考の試み。単一の焦点に縛られたルネサンス以来の遠近法によって現実を再現するのではなく、複数の視点から眺められた姿を平面上に合成して表現しようとした。名称は、1908年のブラックの個展について美術評論家ルイ・ボークセルが「幾何学的な図式や立方体(キューブ)に還元する」、あるいはマチスが「立方体としての集まり」と述べたことに始まる、とされる。ピカソのキュビスム期の最初期の代表作「アビニョンの娘たち」では、遠近法を無視した造形や、呪術的な力を感じさせるアフリカの仮面彫刻の影響が強く見られる。またブラックは、セザンヌの影響を受けて事物を単純な形に戻し、永続的な形態を求めた。対象を線と色調を抑えた単色の明暗によって細分化(分析化)し、結晶体のような切り子面を重ねたような画面を作り出した分析的キュビスムから、さらに細分化された要素を再統合する総合的キュビスムの時代へと至り、第1次世界大戦前後に収束する。日本では萬(よろず)鉄五郎が、色系のモノトーンによる人物像の幾何学的な表現を試みている。多面的な視覚の総合や、断片の引用、イメージの再編集など、キュビスムの与えた影響は現代も続いている。

(山盛英司 朝日新聞記者 / 2007年)

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世界大百科事典(旧版)内のキュビスムの言及

【遠近法】より

…透視図法が今日のような形に最終的に完成されたのも17世紀であって,これにはイタリアの力学・数学・天文学者グイドバルド・デル・モンテGuidobaldo del Monte(1545‐1607)の業績があずかっている。西洋近世の正統な空間表現法とされた透視図法の権威の崩壊は,自然主義的絵画理念の危機とともに19世紀末に起こり,20世紀初頭のキュビスムによって決定的なものとなった。キュビスムの画面は,多視点から見られた個体の断片から構成されている。…

【カーンワイラー】より

…マンハイムに生まれ,1902年よりパリに定住,07年パリに画廊を開く。翌年,サロン・ドートンヌに落選したブラックの初期キュビスムによる一連の作品の個展を開催するが,これがキュビスムの最初の展示となる。ピカソとは1906年に知りあい,ブラック,ピカソともに,初期はカーンワイラーの画廊でのみ作品を展示している。…

【ピカソ】より

…その名声と評価もかつて例をみない。20世紀における造形上のもっとも大きな変革であったキュビスムの創始者として知られるが,様式は写実主義からシュルレアリスムに至るまで,きわめて幅が広い。ピカソの長い画歴は,直線的な発展として跡づけることは困難で,めまぐるしいほどに技法も主題も変化する(そのため,しばしば〈変貌の画家〉と名づけられる)。…

【ブラック】より

…フランスの画家。ピカソと並ぶキュビスムの創始者。アルジャントゥイユに生まれ,ル・アーブルで育つ。…

※「キュビスム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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