デジタル大辞泉
「路」の意味・読み・例文・類語
ち【▽路/▽道】
みち。道路。
「大坂に遇ふや嬢子を道問へば直には告らず当芸麻―を告る」〈記・下・歌謡〉
[補説]地名の下に付くときは、「あづまぢ」「しなのぢ」のように、多く連濁で「ぢ」となる。→じ(路)
じ〔ぢ〕【路/▽道】
[語素]《「ち(道)」の濁音化》
1 地名を表す語の下に付いて、その地方への、また、その地方を通過する道という意を表す。「北陸―」「大和―」
2 日数を表す語の下に付いて、それだけかかる道のりという意を表す。「二日―」
3 十年を区切りとする年齢を示す。…十代。「四十―」
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じぢ【路・道】
- 〘 造語要素 〙 ( 「みち」の意の「ち」が連濁音化したもの )
- ① 「みち」の意を表わす。「長道(ながじ)」「山道(やまじ)」
- ② 地名に付けて、その地方への、また、その地方を通過する道を表わす。転じて、その地方をもいう。
- [初出の実例]「君が行きけ長くなりぬ奈良遅(ヂ)なる山斎(しま)の木立ちも神(かむ)さびにけり」(出典:万葉集(8C後)五・八六七)
- ③ 日数について、それだけかかる道のりであることを示す。
- [初出の実例]「二日路(ヂ)を隔てたる敵に恐て」(出典:太平記(14C後)三八)
ち【路・道】
- 〘 造語要素 〙 みち、道路の意。地名の下に付く時には、そこへ行く道、その地域を通っている道、その付近などを意味する。この場合、多く連濁で「ぢ」となる。→路(じ)。
- [初出の実例]「大坂に 遇ふや嬢子(をとめ)を 道問へば 直(ただ)には告らず 当芸麻(たぎま)知(チ)を告(の)る」(出典:古事記(712)下・歌謡)
路の補助注記
「みち」は、この「ち」に接頭語「み」の付いてできた語。
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普及版 字通
「路」の読み・字形・画数・意味
路
常用漢字 13画
[字音] ロ
[字訓] みち
[説文解字]
[金文]
[字形] 形声
声符は各(かく)。各に賂・輅(ろ)の声がある。各は祝して神をよび、神霊が降格することを示す字。夂(ち)は下降する足を示す。路とは神の降る道をいう。〔説文〕二下に「なり」として会意とし、〔伝〕に各声とする。は異族の首を携えて、道路を祓う儀礼。道路とは呪的に清められた通路をいう。路はまた天子のことに関して用い、路寝・路門・路車のようにいう。
[訓義]
1. みち、ゆくべきみち。
2. すじみち、わけ、ただしい。
3. たより、てづる、てだて、よるべ。
4. 大きい、人君の居る所に用いる。
[古辞書の訓]
〔名義抄〕路 ミチ・オホヂ・トコロ・ヒラク・オホイ(キ)ナリ・アタル・ツマヅク/大路 オホミチ
[熟語]
路引▶・路遠▶・路家▶・路岐▶・路軌▶・路弓▶・路衢▶・路隅▶・路径▶・路鼓▶・路梗▶・路祭▶・路資▶・路次▶・路室▶・路車▶・路渋▶・路宿▶・路照▶・路上▶・路寝▶・路人▶・路贐▶・路垂▶・路世▶・路阻▶・路側▶・路賊▶・路担▶・路程▶・路▶・路途▶・路頭▶・路灯▶・路▶・路馬▶・路陌▶・路畔▶・路陂▶・路費▶・路標▶・路符▶・路斃▶・路旁▶・路傍▶・路脈▶・路輿▶・路用▶・路糧▶
[下接語]
隘路・悪路・異路・一路・路・運路・雲路・駅路・沿路・遠路・王路・往路・遐路・回路・海路・街路・客路・活路・坎路・旱路・官路・姦路・間路・還路・巌路・危路・岐路・帰路・逵路・義路・旧路・去路・夾路・狭路・曲路・空路・径路・経路・血路・険路・賢路・言路・古路・故路・広路・江路・行路・路・皇路・荒路・航路・山路・讒路・仕路・失路・邪路・取路・就路・甃路・戎路・熟路・峻路・順路・遵路・小路・捷路・衝路・樵路・針路・進路・新路・水路・世路・正路・征路・川路・仙路・先路・船路・線路・前路・走路・塞路・村路・大路・長路・鳥路・直路・通路・鉄路・天路・塗路・当路・道路・半路・坂路・販路・筆路・篳路・路・別路・返路・遍路・本路・末路・迷路・冥路・野路・幽路・要路・理路・陸路・旅路・輦路
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路 (ろ)
lù
中国,宋代の監督,元代の行政区画名。宋は国初,唐の道(どう)を継承したが,2代太宗のときに路と改称し,行・財政,警察,軍事などの監督区分とした。それぞれの長官を転運使,提点刑獄,経略安撫使などと呼ぶ。最初全国を15路に分け,11世紀末には23路となったが,南宋は15~17路であった。なお北宋時代契丹,西夏と接する河北,陝西には別に軍事路という区分も設けられた。元は行省の下に中間行政区画として200の路を置き,これが明・清の府の前身となる。
執筆者:梅原 郁
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路
ろ
lu
中国,宋・金代の地方行政区画名。唐の道の跡を受継ぎ,宋の統一とともに太平興国年間 (976~983) にほぼ全国に及んだ。至道年間 (995~997) に 15路制が定められ,その財務行政を司る転運使が次第に路の実権を握り,地方最高の行政区画となった。元豊1 (1078) 年には 23路に増設。南宋ではだいたい 16路,金も宋にならい 19路をおいた。このほか宋では,北西辺の軍事上の路として河北4路,陝西6路があり,長官として経略安撫使がおかれた。
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世界大百科事典(旧版)内の路の言及
【道】より
…本項ではこうした道の歴史を日本,ヨーロッパ,中国について述べる。なお近代以降については〈[道路]〉の項目で,技術的な問題を含めて記したので参照されたい。また道を広義に考えれば[シルクロード]やキャラバン・ルート([キャラバン])などの広域ルートもあげられよう。…
【郡県制】より
…唐代740年(開元28),州は328,県は1573あった。なお漢の刺史州部に相当する郡県を統轄する監察区画として唐は道(10~15),宋では路(15~23)を設けたが,元になって[行省](こうしよう)ができると,それが最高の行政区画となり,その下が路,府州,県の3段階に変わった。明・清から民国時代までは省(本部18)の下で府州・県制がしかれ,明代では府140,州193,県1138を数える。…
【裁判】より
…[律令格式] 宋代の司法機構は行政のそれと平行し,第一審は行政の最末端にある県で行われ,第二審は県の上に立ち,事実上の地方政府ともいうべき州において行われる。州の上の路は監督機関であって,諸種の監督官が駐在する中に,提点刑獄,略して提刑は,州の判決した重罪事犯を審理し,疑義があれば中央の三法司(後出)に送るので,つごう四審制となり,あくまで慎重を期した制度である。県の長官たる知県は行政官たると同時に司法官を兼ねる。…
【宋】より
…末端の県の官吏は,五代のとき軍閥に籠絡されて,そのなすがままになっていたので,ここでも中央の官員を知県に任命し,政府が直接に県政を掌握することにした。一方,州の上には路という監督区分を設けて,転運司(漕),提点刑獄司(憲),経略安撫司(帥)を置き,それぞれ一路の財政,司法,軍事をつかさどり,のちに提挙常平茶塩公事(倉)を置き,総称して監司といった。路の数ははじめ15であったが,のちに23に増え,北宋末期には26路になった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」