人形(読み)ひとがた

精選版 日本国語大辞典 「人形」の意味・読み・例文・類語

ひと‐がた【人形】

〘名〙 (「ひとかた」とも)
① 人の形。人間のすがたかたち。
※有明の別(12C後)二「そのひとかたもあらずやせおとろへ給を」
※とむらい師たち(1966)〈野坂昭如〉「ヤレ紙を人形(ヒトガタ)に切って、これを火中に投じ、水子の成仏祈るんや」
② 人の姿かたちをかたどったもの。にんぎょう。
肥前風土記(732‐739頃)佐嘉「下田の村の土を取りて、人形(ひとかた)・馬形を作りて」
③ 人物像。肖像。
蔭凉軒日録‐永享八年(1436)六月二一日「絵乃張伯洪所図、人形也」
④ 禊(みそぎ)、祈祷のときに用いるかたしろ。紙などで作り、身体を撫でて身の災を移し、水に流してやるもの。撫物(なでもの)。《季・夏》
※順集(983頃)「思ひをも恋をもせじのみそぎするひとかたなでてはてはてはしお」
⑤ 身代わりの人。代理。かたしろ。
※源氏(1001‐14頃)東屋「かの人かたもとめ給人にみせたてまつらばやと」
⑥ 人相。人相書。
※俳諧・二息(1693)「御尋の人形にあふ身の不運」

にん‐ぎょう ‥ギャウ【人形】

〘名〙
① 木、紙、土などで人の形に作ったもの。装飾品にし、また、これを用いて演劇なども行なう。古くは信仰の対象だったが、中世以後は観賞・愛玩用として発達した。でく。でくのぼう。土偶。木偶。偶人。ひとがた。〔色葉字類抄(1177‐81)〕
※太平記(14C後)七「芥を以て人長(ひとだけ)に人形(ギャウ)を二三十作て」
② 人の形を絵にかいたもの。ひとがた。
※改邪抄(1337頃)「帰命尽十方无碍光如来をもて真宗の御本尊とあがめましましき。いはんやその余の人形においてあにかきあがめましますべきや」
③ 体を動かさない者、または自分の意志で行動できない者をたとえていう語。
※玉塵抄(1563)五五「嬰と云童稚の人を人形にして主と云て莽が天下をはからうたぞ」
④ 人形仕立て①の仕立てをした部分。八つ口。また、その仕立て方。〔随筆・守貞漫稿(1837‐53)〕
⑤ 男物の長着の袂袖(たもとそで)で、袖つけ下一〇センチメートルぐらいの部分で、女物の振りにあたる部分を縫い合わせたもの。

ひと‐かたち【人形】

〘名〙 (「ひとがたち」とも) =ひとがた(人形)〔観智院本名義抄(1241)〕
※浄瑠璃・四天王最後(1661)四「ふすまをもってひとがたちにとりつくろひ」

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デジタル大辞泉 「人形」の意味・読み・例文・類語

にん‐ぎょう〔‐ギヤウ〕【人形】

木や紙、土などで人間の形をまねて作ったもの。古くは信仰の対象であったが、中世以後は愛玩・観賞用として発達。演劇にも用いられる。
自分の意志では行動できず、他人のなすがままになっている人のたとえ。
男物の長着で、袂袖たもとそでの袖付けどまりから袖下までを縫いふさいだところ。
人の形を絵にかいたもの。ひとがた。
「見るにまばゆくなって、さながら―とは思はれず」〈浮・一代女・四〉
[類語](1縫いぐるみマネキンこけし

ひと‐がた【人形】

《「ひとかた」とも》
人の形。
形代かたしろ1」に同じ。
人の姿をかたどったもの。にんぎょう。
「かの山里のわたりに、わざと寺などはなくとも、昔覚ゆる―をも作り」〈・宿木〉
人相。人相書き。
「権八が―を返せ戻せとおっしゃるは」〈伎・吾嬬鑑〉

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改訂新版 世界大百科事典 「人形」の意味・わかりやすい解説

人形 (にんぎょう)

人形は,人間の生活する地域には必ずといってよいほど存在し,その表現法や材料に相違があって巧拙さまざまではあるが,人間の姿・形を作り出そうとしなかった民族はいない。また人形が作られる目的も今日のようにもっぱら児童の愛玩用や玩具として作られたのではなく,むしろその大多数は呪術宗教的な目的や習俗に関連して作られたもので,人形の起源もこれに由来すると考えられている。その呪術宗教的な目的も,形代(かたしろ)としての人形,逃げた霊魂を捕らえる捕霊のための人形,悪霊を防いだり豊作や幸運を招くための人形,神体や呪力をもつ人形,のろいや出産,葬式などの儀礼や祭礼に用いられる人形など一様ではない。

 日本の現行の民俗のなかにも,信仰的な意味をもった人形が多く残っている。こうした人形は,(1)災厄や病気を託して送り流す形式の人形,(2)呪詛用の人形,(3)神霊の形代,依代(よりしろ)としての人形に大きく分けることができる。(1)は年中行事に際して作られ,村境に送り出されたり水に流される人形送りや流し雛などの類である。これらは,罪や穢などを人形に負わせたり,災厄や病気をもたらすと考えられる悪神をかたどった人形を送り出すもので,神送りの一種である。二と八日,三月節供,五月節供,七夕,八朔(はつさく),九月節供などの年中行事のほか,虫送りや疫病送りのような臨時のものもある。また,撫物(なでもの)といって人形(ひとがた)にかたどった紙の形代で身体をなでて穢をはらう形式の行事も,神仏に参る際や夏越(なごし)の祓,12月の大祓などに行われている。(1)が感染呪術であるのに対し,(2)はむしろ類感呪術の一種で,のろう相手をかたどったわら人形などに五寸釘をさす風習(丑の時参り)のほか,子どもの虫封じに小さな人形の腹部に針をさす物を使う場合もある。古くは平城宮址からも,のろいに使われたと考えられる木製の人形が出土している。(3)には,村境や門口に立てて魔よけとする大型の草人形,わら人形のほか,祭礼の山車(だし)や屋台に神霊の依代として作られる迎え人形,飾人形,さらに厠神(かわやがみ)や船霊(ふなだま)の神体となっている人形もある。この種の人形のなかには,東北地方でいたこという巫女が遊ばせるオシラサマのように,信仰から操り人形や遊び人形へと芸能化・遊戯化を暗示しているものもある。

 いずれにせよ,民俗信仰における人形は災厄や穢を背負わされた形代として,饗応されたあと流し去ることによって,心身ともに浄化する呪物となっているものが多い。穢が強くあらわれる出産や葬送儀礼にも,人形が用いられる。たとえば,天児(あまがつ),這子(ほうこ)(はいはい人形),産屋道具の犬箱などは,穢を吸収して浄化させる呪物として魔よけともされるし,また1年に2度葬式を出した家では棺の中に人形を入れて,これ以上葬式がでないようにというまじないにする。さらに建築儀礼の際などに人形を納める風習もあり,やはりこれもスケープゴートとして宇宙のはじまりをもたらす呪物といえよう。
執筆者:

旧石器時代の〈ビーナス〉や日本の縄文時代の土偶,古墳時代の人物埴輪(はにわ),中国の(よう)も一種の人形といえるが,古代エジプトの王族の墳墓からは,前2000年ころの人形が発見されている。それは薄い板で作られ,衣装はなくて,胴の部分には絵具で幾何学的な模様を施し,頭には毛髪の代りに木製の数珠のごときものを数条たらしてある。また兵士,従者などにかたどった木彫人形もあり,これらは家屋や船などの模型とともに埋葬されていたものである。人形の長さは6~20cm余。また古代エジプトの第19王朝(前1306-前1186)の幼児の墓に,木彫彩色の長さ12cmの人形が埋葬されていた。手は木釘で胴にとりつけて動くようになっている。髪はカットし,目を黒くくまどり,白の肌着をつけるなど,当時の装いをしている。これによると,少女のもてあそびの人形が,このころすでにあったのである。ついで古代ギリシアの人形にも手と足を別に作り,それらを胴にとりつけ,手足の動くようになったものがあり,木製と粘土製とがあった。長さ16cm余。胴・手足の均斉も人間と同じに整っているので,衣装を着せたときの姿態は美しいものであったろう。また古代ギリシアの土人形にタナグラより出土したもの(タナグラ人形)があり,なかにはギリシア彫刻にみられるような写実にすぐれた人形がある。土人形にはまた稚拙素朴なこしらえの騎馬人形や,ガチョウに乗った子どもの人形もあり,これらは男の子どものおもちゃであろう。なお,古代ギリシアでは人形操りも演じられていた。織物は腐食しやすいので,それを材料にした人形は,紀元前後のローマやエジプトの遺物にようやくみられるが,早くから織物でも製作されていたのに違いない。

 中世ヨーロッパにおいては戦争のために都市が破壊されたためでもあろうが,人形の残るものはきわめて少ない。12世紀のドイツには土人形があり,体の均斉よりも顔のこしらえに関心を払っている。華美な装いの布帛(ふはく)人形では,フランス人形が名高いが,これはパリのデザイナーが新スタイルの衣装を案出すると,それを広めるのに人形を利用したからであり,それは14世紀のころからという。布帛人形の遺品には,16世紀のフランスやスペインの人形で,高さ60cmの貴婦人を作ったものがある。衣装ぎれも人形用の別織で,顔だちも類型的でなく,モデルがあるらしく,また姿態の均斉も整っている。西欧の人形史からは,〈人形の家〉を逸するわけにはいかない。〈人形の家〉は貴族が自分の邸宅と,そこに住む家族の者の模型を製作させたものである。いくつかの部屋があり,部屋には壁掛けもテーブルも食器もあり,あらゆる調度が実際のとおりに作られ,置かれている。それぞれの部屋には家族の者が休んだり,働いたりしている。このような精細をきわめた模型を作り,鑑賞するときは前面の壁をはずすのである。〈人形の家〉は16世紀にドイツの,ついでフランス,オランダ,イギリス,イタリアの貴族の間に流行した。〈人形の家〉の人形は大小さまざまで,小さい人形は10cm余。毛髪の一房,飾りぎれの一片もゆるがせにせず,貴族の姿態を実際のとおりに模して,ぜいたくをきわめている。さて,人形の頭の製作については,17世紀にドイツではセッコウ,粘土焼,蠟や張子細工などで製作され,19世紀には磁器製が現れた。人形の後世に残されるものは,とかく高級品であるが,一般の家庭で飾る人形も,おもちゃの人形も種々な品が現れていたのはいうまでもない。子どもの喜ぶ人形で,幼児の姿をよく製作して広く人気を博したのは,19世紀の初めのイギリスのベビー人形が初めであろう。諸国の人形にはその国の風俗から民族固有の顔だち,独特の表情まで写されている。また特産の材料を用いている。ロシアや北欧の人形は毛皮の帽子や上着を暖かそうに着けている。スイスでは木彫彩色を得意とするし,チェコではガラス製のすぐれた人形が製作されている。ロシアでは,湯を入れた容器がさめないようにおおいをかけるが,それを人形とそのスカートで作っているものもある。

 アジアの人形について略説すると,中国の創始した人形に張子があり,ここから東西へ伝えられた。信仰や演劇に用いられた人形ではマリオネット(糸操り),ギニョール(指人形)が古くからヨーロッパにもアジアにもある。インドネシア影絵芝居(ワヤン)に使用される人形も逸するわけにはいかない。現在,木彫彩色の人形の多く製作されているのはアジアであり,その人形にも,原始的な彫りを施したトコベイ島の人形から,ミャンマー,タイあたりの小ぎれいに作られた現代の生活風俗の人形まで千姿万態の作品がみられる。インドネシアではまた豊作をもたらしてくれる神の姿を,ヤシの葉などを編んで作っている。ヨーロッパの例では,ハンガリーの子どもはケシの花などで人形を作って遊ぶが,このように世界の人形の歴史は,現代の世界の人形のなかにもさまざまにみてとられる。

日本の古い人形について知ることのできるのは,平安時代の書物によってであるが,平安時代の人形には,(1)いわゆる形代に使ったものに草人形(くさひとがた)がある。疫病が流行すると,人々は大きな草人形を作って村境にたてたりした。この人形は穢や災いの精霊であって,その持ってきた穢などを再び持ち帰ってくれるものと信じられていた。農民の生活には,このほかに稲虫退治の虫送りの人形や病気平癒などのまじないのため臨時に作る人形があった。(2)操り人形 平安時代に傀儡子(かいらいし)/(くぐつ)(傀儡(くぐつ))は手操りの人形を舞わして歩いた。この人形は傀儡子の仕える神の形代であったといわれる。後世この手操りの人形は浄瑠璃と提携して人形芝居にまで発展する。(3)標山(しめのやま) 近世,神社の祭礼に山車を引き回すが,これは平安時代の標山に由来する。標山は大嘗祭(だいじようさい)のときに大嘗宮の前にすえるもので,山の形を作り,松などをたて,さらに仙人などの人形の作り物で飾る。これらは依代にしたものである。依代は天上の神にお降りを願うとき,降りてもらう場所にたてる目じるしである。後世の山車は,神のお供をするもののように考えられて,その意味が変わった。(4)人形(ひとがた) 人形は人間の形体で,紙などでこしらえ,それで身体をなでて,穢や災いを人形に移して,川などに流した。身体をなでるので,撫物ともいった。また平安時代の《延喜式》に,大祓に用いたと記されている木髪や金属髪の人形は,近年,平城宮址から出土しており,これらがすでに奈良時代からあったことが裏づけられた。なかには呪詛に用いたと思われる,木釘を打ちこんだものもある。(5)幼児の魔よけ 幼児のまくらもとに天児,這子や犬の形の箱(後世には犬張子となる)を置いて,幼児を襲う災いなどを吸い取らせることもおこなわれた。天児は木,竹などでT字形に作ったものに,幼児の衣装を着せる。(6)女子の人形 平安時代の女の子のままごと遊びに雛が用いられた。この雛の形は明らかでないが,少年少女の姿をこしらえたもので,雛遊びには,この男女の人形を対にして遊んだ。(7)男子の人形 《栄華物語》などに,物見車や駒競(こまくらべ)に模したおもちゃのことがみえている。当時の貴族の子どもは精巧な人形のおもちゃを持っていたようである。(8)説法の人形 仏法を説き聞かせるのに,経典の物語の場面を人形で作って信者に見せた。後世の人形の見世物の源流も,すでに信仰と結びついて平安時代末期からあったといえる。

人形は江戸時代に至っておおいに発達した。商工業の発展,都市生活の繁栄を背景として,人形製作も進み,商品としての人形製作も隆盛になり,また年中行事にしきりに人形が登場するようになり,人形に関する著作や記録も多くなる。江戸時代における人形を概観すると次のようである。

(1)信仰の人形 近世には,作物の害虫よけ,子宝の授かり,疱瘡(ほうそう)よけなどのまじないのほか,都会地では出世開運,商売繁盛の祈願なども人形に託すことが流行した。全国各地で,それらの人形を粘土で製作し,彩色意匠を施して商品にこしらえ,社寺参りのみやげ物として売り出すことも始められた。こうした人形の今日に残っているものが,いわゆる郷土玩具である。

(2)年中行事の人形 (a)とくに3月3日と5月5日の節供には形代でする祓のほか,いろいろな行事もみられたが,それらが習合されて,3月の雛祭や,5月の幟(のぼり)や武者人形飾が広くおこなわれた。(b)神社の祭りに山車を引き回すことも都市では一つの流行になった。なかでも京都の祇園会の山と鉾(ほこ),大坂の天満祭のお迎え人形,博多(福岡)の祇園祭の山笠,江戸の山王と神田明神の山車などは名高い。(c)盂蘭盆の行事にも人形が出され,京都御所では和漢の物語に取題して,人形の作り物をこしらえて飾った。かかる作り物は地方にもみられた。

(3)興行用人形 江戸時代に興った芝居や見世物には,(a)今日,文楽にみられるような操り芝居が,江戸時代の中ごろ完成した。諸地方にはこれを簡略化したような人形芝居が幕末近くに始められ,東京都八王子の車人形は,その一つである。(b)右手に人形をはめ,左手で人形の裾を扱って踊らせる指遣(ゆびつかい)人形も始まった。指遣人形は東日本にみられ,千葉県下の帛紗(ふくさ)人形,埼玉県下の手人形,岩手県下の水押人形などは,ながく残った。(c)糸操り人形は,人形に多くの糸をつけ,人形遣がその糸を操って,語り物にあわせて人形に芝居をさせる。これには芝居小屋で演ずる大がかりな操りのほかに,簡略な糸仕掛けの人形を宴席の余興に操ってみせる座敷芸もあった。のち明治の中ごろ,ヨーロッパの糸操りが伝わり,東京の浅草で興行した。ヨーロッパ式の指人形と糸操りは,昭和に入ってから学校演劇にもとり上げられている。(d)からくり人形は,人形の体内に仕掛けをして,人形がひとりでに動くかのように見せるもので,それには,ぜんまい応用や,水銀,砂,水の圧力を利用するもの,また陰に人が隠れ,糸を引いて動かすものなどがある。江戸時代ではこれらが見世物として興行価値をもった。(e)かご細工,貝細工などで人形や鳥獣を製作し,それらで和漢の物語の場面を装置した細工の見世物も,江戸時代後半に興行された。菊人形もその一つである。(f)この見世物の人形に,幕末のころ,本物の人間そっくりにこしらえた人形が現れ,〈生(いき)人形〉と呼ばれて評判をとった。この生人形系統の人形は,のちに西洋系統のマネキンの進出するにいたるまで,デパートのマネキンに用いられた。

(4)家庭子ども用人形 子どもの遊ぶ人形には,(a)姉様がある。女の子たちは,カモジグサや紙で人形の髪を結い,紙などで衣装を作ったりして遊んだ。このような手製の人形はおそらく古代からのもので,紙の貴重だった時代では草の葉の衣装にしたであろう。幕末には姉様人形の商品も現れ,姉様用の首人形も売られた。(b)祭の市や寺社参拝のみやげに売られていた人形に土人形(娘,天神,福助,布袋(ほてい),相撲など)や張子のだるま,お面などがあった。木製の人形もあった。これらの人形で,ただの玩具と称して売られたのは少なく,病気よけになるなど,なにかの縁起物にされていた。家庭における人形に裸人形があり,これは木彫や練物や張子細工に胡粉(ごふん)を塗り仕上げたもので,手足を動かせるようになっている。これは市松人形ともいった。これを買ってきて家庭で腹掛けや衣装を縫って着せた。この系統の人形は今日,〈やまと人形〉とも呼ばれて流行している。(c)人形の玩具には,前掲の指遣人形や糸操りの玩具化したもの,人形に竹の柄をつけて糸で操る管(くだ)人形(または糸引人形),飛んだり跳ねたりの飛び人形,人形をのせた台に装置した笛を吹けば動く笛人形,うちわであおいで走らせる車乗りの弥五郎人形,水上を走る浮人形,長いさおを持って平衡を保ちつつ倒れ落ちそうで落ちない張合い人形(弥次郎兵衛),米つき人形,相撲人形などがある。

(5)観賞用人形 おとなの愛玩した美術的な人形としては衣装人形があげられる。頭や手足はたいてい木彫に胡粉を塗り,毛髪を植え,衣装を着せる。江戸時代の書物に〈浮世人形〉とも称しているように,世上のさまざまな人物を作り,ポーズは初めより固定させた飾物の人形である。江戸時代の書物にまた〈若衆人形〉〈野郎人形〉〈おやま人形〉とみえるように,当代の俳優に似せたものが多かった。そのほかに,〈御所人形〉は江戸時代に京都を通過する諸大名が,皇室や公家に贈物をした返礼に与えられたものでこの名があり,肌は白く肉豊かな童形の人形で,あどけないうちにも気品がある。〈極込人形〉は,木彫の人形原型に各種の裂(きれ)地をきめこんだもの。きめこむとは裂地をはって,その端をみぞの中に埋めこむ手法。もと京都賀茂神社の雑掌が元文年間(1736-41)にくふうしたといわれ,賀茂人形ともいわれる。嵯峨人形は,木彫に金箔,群青,ロクショウなどの岩絵具で彩色を施した精巧な小人形。京都嵯峨で作られたのでこの名がある(のちには江戸でも作られた)。初期の題材は福神をはじめ道教,仏教関係の像が多く,京都の仏師がこの製作にたずさわったと思われる。奈良人形は素朴な刀法の味を伝える木彫彩色の人形。奈良春日神社の檜物職,岡野松寿が春日神社の祭礼に飾る人形にならって製作したといわれる。〈三つ折れ人形〉は前記の裸人形のうちの高級品で腰,膝,足首が曲がり,座ることもできた。

古代から江戸時代までの人形の製作者については,容易に知ることができない。古代では朝廷や貴族のもとに製作専門の者が仕えていたと思われる。前述の盂蘭盆の行事に使われる人形の作り物は,近世の初めでは奈良の寺院にいる者が製作していた。土人形などは下層町人,または農民が内職にしたりした。美術人形は木彫や胡粉塗,そのほかの技術の修練を必要とするので,仏師の兼業になるものもあるらしい。なかでも嵯峨人形はその彩色の技法からみると,仏師の作と思われる。御所人形のように胡粉塗にとくに練達を必要とする人形は能面作者の系統のものらしく,京都には〈面庄〉など,屋号に面の字を冠した人形師がいる。御所や公家の注文による雛は,御所に仕えて官服の製作をつかさどった高倉家や山科家で調製した。江戸時代の人形製作者の氏名の知られるものはきわめて少なく,極込人形の高橋忠重,奈良人形の岡野平右衛門(号松寿),同9代目松寿(別名を二皓亭),森川杜園,雛の雛屋次郎左衛門,原舟月,生人形の松本喜三郎,安本喜八などにとどまる。なお,人形製作の図は《職人歌合》《人倫訓蒙図彙》《広益国産考》などに載っている。

明治時代以降,全国各地で生産されていた土人形は衰えて,いわゆる郷土玩具のうちに加えられ,趣味家の間に愛好されるにとどまっていたが,現在は各府県の観光事業によって,その一部は復活した。〈こけし〉はもと東北地方の子どもの玩具であったが,今日では趣味玩具の主要なものになっている。こけしのような手足を省いた人形は,ヨーロッパでも古代から作られていたが,今日も人気を得ているのは,日本のこけしくらいであろう。年中行事の人形や演劇関係の人形については周知のとおりで,3月の雛祭,5月の武者人形,京都の山鉾,博多の山笠,そのほか各地の年中行事の人形は今日むしろ復活の気運がみえる。子どもの遊び相手の人形では,明治以降,着物を着せて売るやまと人形や,顔を焼物で作り,寝かせると目をつむる西洋風の人形が流行しはじめた。大正以降は,子どもの服装の洋装化とともに,やまと人形系統のものに洋装させた人形が現れた。また,ゴム製やセルロイド製の人形,縫いぐるみの文化人形が製作されるようになった。第2次大戦後は,新材料のビニル製の人形が多くなった。ビニル人形は製作しやすいうえにこわれにくく,子どもに危険でないという長所がある。遊びの趣向もいろいろこらされて,ミルクを飲んでおしっこをする人形,髪の毛をカールできる人形,歩く人形,話をする人形,手のこんだ着せ替え人形などが出現した。また小型の人形のコレクションをガラスケースに入れて室内に飾ることが流行した。美術的な人形で今にも存続しているのは,御所人形,極込人形であり,奈良人形は郷土玩具として残っている。極込人形の技法は雛その他に広く用いられている。

 さて,現在の日本人形界において特筆すべきことは,この飾物にする人形の製作についてで,それは女性の手芸としての人形作りと,日展や工芸展出品の人形によって代表されるような芸術人形創作のことである。

(1)女性の手芸 家庭で姉様をこしらえたり,裸人形を買ってきて衣装を縫って着せたりする女性の楽しみは,明治時代までみられていた。大正時代末からは都市の若い女性の間に,フランス人形作りが流行しはじめた。この流行には当時のいわゆる文化生活が背景となっていたが,かつての裸人形などにみられた女性の人形手芸への関心がフランス人形作りとなったのであろう。やがてフランス人形の製作技法によって,日本の風俗に取題した〈さくら人形〉と称する人形の製作も一時流行した。現在では一定の材料で手軽に作ることができる極込人形の教室などが,各地で開かれている。

(2)芸術的発展 女性の人形手芸は,また二つの注目すべき人形創作の運動を起こした。(a)男女を問わず人形製作を職業としない人々が,趣味として新しい人形を作りはじめた。これらの人々は木彫や胡粉塗などの修練は積んでいないので,そのほかの材料,技法,すなわち粘土,紙塑(紙を粘土のようにして用いる),張子細工や,またフランス人形式の布帛だけの扱いなどを試みた。これがかえって新しい趣の人形を生みだすこととなった。その題材は,女性や児童の生活のほか,あるいは昔の浮世絵に,あるいは童画に示唆を得ていた。このアマチュアの新人形製作の運動は,人形に新しい世界を開いた。(b)もう一つの動きは,このアマチュアの新人形に刺激されて,人形を家業としている人々の間に起こり,ここでは練達している従来の人形製作技法によって,新時代向きの人形を作ろうと努めた。アマチュアも本職の人々もそれぞれ研究団体をもった。さらに一部の人形愛好家は,これら両者を指導するために日本人形研究会を設け,学者,芸術家を招いて講習会を開き,美術についての基礎的知識を授けたり,人形展覧会を開催したりした。こうしたことの成果は,1936年から人形の帝展(のち日展)や工芸展への進出となって現れた。また第2次大戦後は,そのなかから女性1人を含む3人が重要無形文化財(人間国宝)に指定された。日本の美術人形の一部にあっては,日展出品の人形によって知られるように,従来の人形概念に修正を加えなければならないほどの,新しい傾向の人形も生まれている。たとえば,紙塑人形のような,また,旧来の極込人形,御所人形,衣装人形や写生風の人形にも,それぞれ新しい内容と技法が加えられ,新時代の人形として再生を果たした。

 美術人形以外では,近年テレビのアニメーションの人形化なども盛んに行われ,また人形劇も,テレビという新しい舞台を得て,旧来の技法のうえに,斬新な意匠の人形が次々とくふうされている。日本の人形文化は世界の先端をいくものといってよいであろう。
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人形 (ひとがた)

形代(かたしろ)

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百科事典マイペディア 「人形」の意味・わかりやすい解説

人形【にんぎょう】

土や木で人の形に似せて作ったもの。古くは呪術(じゅじゅつ)・宗教的意味をもつものが多く,エジプト,ギリシア等に木・粘土・骨・象牙・青銅製の人形があり,日本の土偶,埴輪(はにわ)人物像,形代(かたしろ)等もその例。中世以後装飾品,玩具(がんぐ)として発達,16世紀には貴族の間で〈人形の家〉が流行,のちフランス人形など各国特有の人形ができた。日本では,江戸時代以後信仰や年中行事と結びついて雛(ひな)人形武者人形あるいは郷土玩具が発達した。観賞用として京人形博多人形,子どもの遊戯用として姉様(あねさま)ややまと人形などがある。

人形【ひとがた】

形代

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「人形」の意味・わかりやすい解説

人形
にんぎょう
doll

人をかたどった宗教,儀礼,遊楽などの目的をもつ道具。もとは宗教的な意味をもち,旧石器時代から各地で作られた。目的としては,悪霊を防ぐ,死者の魂をとどめておく,人身供犠の代用など,各種の祈願の願望を付託して作られた。のちに遊戯具,観賞具としての側面が強まって表現も高度となり,形式も写実的なもの,表現性の強いものなど各様の発展をみせた。日本でも本来は生活に根ざした呪術信仰的なものとして用いられたが,現在,玩具または観賞品となっている。用材は粘土,木,紙,陶磁,金属,織物,天然植物に加えて,近年は化学合成材料も使われている。

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デジタル大辞泉プラス 「人形」の解説

人形

《Lalka》ポーランドの作家、ボレスワフ・プルス(本名:アレクサンデル・グウォヴァツキ)による小説。19世紀半ばのワルシャワを舞台に、没落しつつある貴族の令嬢に恋をした商人の姿を描く。1887年から1989年にかけて新聞連載されたのち、1890年に刊行。日本では関口時正による邦訳版が株式会社未知谷刊「ポーランド文学古典叢書」の第7巻として2017年に刊行され、第69回読売文学賞の研究・翻訳賞、第4回日本翻訳大賞を受賞している。

人形(おもちゃ)

日本のポピュラー音楽。歌は女性演歌歌手、香西(こうざい)かおり。1997年発売。作詞:荒木とよひさ、作曲:浜圭介。

人形(ギニョル)

佐藤ラギによる小説。2002年、第3回ホラーサスペンス大賞にて大賞受賞。2003年刊行。SMをテーマとする。

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普及版 字通 「人形」の読み・字形・画数・意味

【人形】じんけい

でく。

字通「人」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の人形の言及

【贖物】より

…6月,12月の晦日に行われる恒例の大祓(おおはらえ)の儀には,〈御贖(みあがもの)〉として〈鉄人像,金装横刀,五色薄絁,糸,安芸木綿,凡木綿,麻,庸布,御衣,袴,被,鍬,米,酒,鰒,堅魚,腊,海藻,塩,水盆,坩坏,匏,柏,小竹〉を使用したことが《延喜式》に見えている。一条兼良の《公事根源》(応永年間撰)は〈あが物は身のわざはひをあがふ物をいふ心なり,人形を作て,身の代とする事おなじ心なるにや〉と述べ,罪穢を移して河海に流しやる人形(ひとがた)と贖物との関係を指摘している。なお,刑罰の科料としての贖物は刑部省に収められた。…

【形代】より

…人,器財,動物などを模してそれに代わるべきものを作り,種々の呪術を行う道具。人形,馬・牛・鳥・鶏・犬形,刀・剣・鉾・鏃形,車・輿・舟形,男茎形など多種にわたり,素材も紙,布,木,鉄,スズ,銀,金,土製と多様である。飛鳥時代中国から伝わり藤原宮期に確立し,奈良・平安時代に盛行し後代につづく。…

【流しびな(流し雛)】より

…3月3日に雛人形を川に流し送る行事。雛祭の人形は,それで身をなでて穢れをはらったあと流し去る人形(ひとがた)(形代(かたしろ))という呪具の系統をひくものとされるが,現在の各地に残る流し雛はそのような古い心意を伝える行事と思われる。…

【人形】より

…人形は,人間の生活する地域には必ずといってよいほど存在し,その表現法や材料に相違があって巧拙さまざまではあるが,人間の姿・形を作り出そうとしなかった民族はいない。また人形が作られる目的も今日のようにもっぱら児童の愛玩用や玩具として作られたのではなく,むしろその大多数は呪術宗教的な目的や習俗に関連して作られたもので,人形の起源もこれに由来すると考えられている。…

【雛祭】より

…3月3日の(三月節供)の行事。この日の行事は雛人形を飾り祭るものと,山遊び磯遊びとに大別できる。雛人形を飾り祭るのは,中国伝来の3月上巳(じようし)の行事と日本に古くからある人形(ひとがた)によって身をはらおうとする考え,および貴族の幼女の人形遊びとが結合して,室町時代ごろに一応の形を整えたといわれる。…

【船霊】より

…船霊は多くの場合船大工が管掌し,新造した船の船下しの直前に船にこめるのが普通である。船霊の神体とされるものは,男女一対の人形,銭12文,さいころ,あるいは女の毛髪であることが多く,これに化粧品,櫛,かんざし,はさみなどの女の持物や五穀を加えることもある。また神社や寺のお札をはりつけるだけのところもある。…

【民間療法】より

…いぼの民間療法は多く,いぼとなにか他のものとの間に箸を1本渡し,〈いぼいぼこの橋渡れ〉というと,いぼは橋を渡って他に移るので治るなどという呪法もある。これは病気にかからぬまじないとして紙の人形(にんぎよう∥ひとがた)で身をなで,これを川に流す厄払いと同じく病気を穢れ(けがれ)の一種とみて,これを他に移動させて自分の病を治そうとする接触療法の一つである。この系統の考えは現在まで,風邪をひいたとき他人にうつせば全快するなどという思考法として尾をひいている。…

【形代】より

…人,器財,動物などを模してそれに代わるべきものを作り,種々の呪術を行う道具。人形,馬・牛・鳥・鶏・犬形,刀・剣・鉾・鏃形,車・輿・舟形,男茎形など多種にわたり,素材も紙,布,木,鉄,スズ,銀,金,土製と多様である。飛鳥時代中国から伝わり藤原宮期に確立し,奈良・平安時代に盛行し後代につづく。…

【玩具】より


【玩具の起源】
 現世人類がこの地球上に現れたころに,はたして玩具として位置づけられるものがあったかどうかは予測しがたいが,玩具に発展しうるものがすでに存在していたことははっきりしている。現存する最古の玩具は,古代エジプト時代の墳墓から出土しているものが多いが,その中には,人形,動物のミニチュア,舟のミニチュア,ボール,こま,がらがらなどがある。また,現代になっても,近代文明のいきわたっていない民族の間で親しまれている玩具を探ってみると,アメリカ・インディアンの鹿皮のボール,紀元前1500年ぐらいから続いているといわれるメキシカン・ボール,ニューギニアの木の葉を利用して作った帆舟,北アメリカのホピ・インディアンが儀式が終わると子どもに与えるという人形,アフリカのコーサ族のトウモロコシの穂軸で作られた人形などがある。…

【郷土玩具】より

…日本全国それぞれの土地で古くから自給自足的につくられ,主として子どもたちの遊び道具として親しまれてきた伝承的な人形玩具類。そのほとんどが江戸時代から明治期にかけて生まれたもので,いずれもその土地の生活風俗などに結びついている。…

【人形劇】より

…人形を操って演じる劇。人形芝居ともいう。…

【福助】より

…縁起人形の一種。童顔の大頭で裃をつけて座った人形。…

【民間療法】より

…いぼの民間療法は多く,いぼとなにか他のものとの間に箸を1本渡し,〈いぼいぼこの橋渡れ〉というと,いぼは橋を渡って他に移るので治るなどという呪法もある。これは病気にかからぬまじないとして紙の人形(にんぎよう∥ひとがた)で身をなで,これを川に流す厄払いと同じく病気を穢れ(けがれ)の一種とみて,これを他に移動させて自分の病を治そうとする接触療法の一つである。この系統の考えは現在まで,風邪をひいたとき他人にうつせば全快するなどという思考法として尾をひいている。…

※「人形」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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