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シュミット シュミット Schmid, Joseph

36件 の用語解説(シュミットの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

シュミット
シュミット
Schmid, Joseph

[生]1893.1.26. ホルツハウゼン
[没]1975.9.4. ミュンヘン
ドイツ新約聖書学者,カトリック司祭。ディリンゲン・ドナウ神学校教授 (1945) ,ミュンヘン大学新約聖書釈義学教授 (51) を歴任。著作活動のかたわら後進の養成に努め,現代ドイツ・カトリック聖書学の更新と発展に貢献した。

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シュミット
シュミット
Schmid, Karl Christian Erhard

[生]1761.4.24. ハイルスベルク
[没]1812.4.10. イェナ
ドイツの哲学者。 1791年ギーセン,93年イェナの各大学教授。カント哲学の信奉者で,『純粋理性批判概要』 Kritik der reinen Vernunft im Grundrisse zu Vorlesungen (1786) ,『カント哲学用語辞典』 Wörterbuch zum leichteren Gebrauch der kantischen Philosophie (88) を著わした。

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シュミット
シュミット
Schmidt, Arno

[生]1914.1.18. ハンブルク
[没]1979.6.3. ツェレ
西ドイツの作家。第2次世界大戦で捕虜生活を体験,戦後文筆活動に入る。一種の前衛派で,『レビアータン』 Leviathan (1949) から『ツェッテルの夢』 Zettels Traum (70) まで,リアリスティックでありながらロマンチックな文体によるユニークな散文作品がある。

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シュミット
シュミット
Schmidt, Bernhard Voldemar

[生]1879.3.30. エストニア,ナイサー
[没]1935.12.1. ハンブルク
ドイツの光学技術者。 1898年まで電信技師,写真技師,設計士などの仕事をしていたが,1901年ドイツ,ミトワイダの工業学校に入り,卒業後そこで光学機械の製作所と天体観測所を開いた。 26年ハンブルク天文台に迎えられ,30年シュミット・カメラを発明。

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シュミット
シュミット
Schmidt, Franz

[生]1874.12.22. プレスブルク
[没]1939.2.11. ウィーン近郊ペルヒトルツドルフ
オーストリアの作曲家。 1880年からウィーンでヘルメスベルガーに学ぶ。 96年ウィーン宮廷オペラ管弦楽団チェロ奏者,のちウィーン音楽院のチェロとピアノの教授を経て,1925~27年院長をつとめた。

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シュミット
シュミット
Schmidt, Friedrich, Freiherr von

[生]1825
[没]1891
オーストリアの建築家。シュツットガルトで修業し,のちウィーンで活躍。 E.ツウィルナーの助手として,ケルン大聖堂の修復にたずさわった。またフュンフハウス聖堂 (1868~75) を設計。代表作にはウィーン市庁舎 (72~83) があり,ウィーンにおけるゴシック・リバイバルの主導者であった。

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シュミット
シュミット
Schmidt, Fritz

[生]1882.3.13. ザクセン,ワーレンブリュック
[没]1950.2.1. ヘッセン,オーベルウルゼル
ドイツの経営経済学者。 E.シュマーレンバハ,H.ニックリッシュなどとともに第2次世界大戦前のドイツ経営経済学を代表する。高校卒業後実務についたが,のちにライプチヒ商科大学に学んだ。 1914年フランクフルト大学教授。

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シュミット
シュミット
Schmidt, Helmut H. W.

[生]1918.12.23. ハンブルク
西ドイツの政治家。第2次世界大戦中は兵役に服し,復員後ハンブルク大学で経済学を学んだ。 1949~53年ハンブルク市庁経済・運輸局勤務。 46年社会民主党入党,53~61年および 65年以降連邦議会議員,68年同党院内総務

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シュミット
シュミット
Schmidt, Isaac Jacob; Jakov Ivanovich

[生]1779. アムステルダム
[没]1847
ロシアの東洋学者。モンゴル学の創始者の一人。 1798年ロシアに移住,最初商業に従事しながらカルムイク語チベット語を学び,1812年ペテルブルグに移って聖書協会に勤務。聖書をモンゴル語に全訳して注目された (1827刊) 。

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シュミット
シュミット
Schmidt, Johannes

[生]1843.7.29. プレンツロー
[没]1901.7.4. ベルリン
ドイツの言語学者。 A.シュライヒャーに学んだが,その言語系統樹説に対し,言語波動説を唱えた。主著『インドヨーロッパ諸語の親縁関係』 Die Verwandtschaftsverhältnisse der indogermanischen Sprachen (1872) 。

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シュミット
シュミット
Schmidt, Julian

[生]1818
[没]1886
ドイツのジャーナリスト,文学史家。著書に『ドイツ文学史』 Geschichte der deutschen Literatur (5巻,1886~96) など。

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シュミット
シュミット
Schmidt, Karl Ludwig

[生]1891.2.5. フランクフルト
[没]1956.1.10. バーゼル
ドイツのプロテスタント新約聖書学者。ベルリン大学講師 (1918) ,ギーセン (21~25) ,イェナ (25) ,ボン (29~33) 各大学教授。スイスで牧師 (33~35) ののちバーゼル大学新約聖書学教授 (35) を歴任。

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シュミット
シュミット
Schmidt, Kurt Diertrich

[生]1896.10.25. ウトレーデ
[没]1964.7.27.
ドイツのプロテスタントの教会史学者。ゲッティンゲン大学講師 (1924) ,キール大学教授 (29~35) ,ドイツ教会闘争に参加して告白教会に加わり,罷免されて,ヘルマンスブルクの宣教師養成学校の神学教師 (36) ,第2次世界大戦後ハンブルク大学教授となる (52) 。

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シュミット
シュミット
Schmidt, Wilhelm

[生]1868.2.16. ホールダ
[没]1954.2.10. フライブルク
ドイツの民族学者,カトリックの聖職者,人類学者。ウィーン大学,フライブルク大学各教授。歴史科学としての民族学の意義を強調し,文化圏と文化層の仮説のもとで世界の民族の文化を歴史的に体系化しようと試みた。

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シュミット
シュミット
Schmitt, Carl

[生]1888.7.11. ウェストファーレンプレッテンベルク
[没]1985.6.3. ウェストファーレン,プレッテンベルク
ドイツの公法学者,政治学者。ボン,ケルン大学などを経て 1933~45年ベルリン大学教授。ナチスの政権掌握直後ナチス党に入党したが,36年党から批判された。第2次世界大戦後ナチスに協力したとして一時投獄されたが,50年釈放され学界に復帰。

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シュミット
シュミット
Schmitt, Florent

[生]1870.9.28. ムルトエモーゼル,ブラモン
[没]1958.8.17. ヌイイシュルセーヌ
フランスの作曲家。パリ音楽院で G.フォーレと J.マスネに学び,1900年ローマ大賞を受け,イタリアに留学。ドイツ,オーストリア,トルコに滞在して帰国。 21~24年リヨン音楽院院長。ドイツ・ロマン派の作風と E.シャブリエの才気,ドビュッシーの色彩感を融合して大編成の曲を書いた。

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シュミット
シュミット
Schmidt, Brian P.

[生]1967.2.24. モンタナミズーラ
アメリカ合衆国生まれの天文学者。1989年アリゾナ大学を卒業,1993年ハーバード大学天文学の博士号を取得。オーストラリア国立大学研究員などを経て 2010年から同大学特別教授。アメリカとオーストラリアの両国籍をもつ。

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デジタル大辞泉の解説

シュミット(Carl Schmitt)

[1888~1985]ドイツの政治学者・公法学者。全体主義的国家論を提唱し、ナチスに理論的基礎を与えた。政治的なものの本質が友と敵との対立にあるとする、友敵理論でも知られる。著「政治的なものの概念」「政治神学」など。

シュミット(Helmut Schmidt)

[1918~2015]ドイツの政治家。第二次大戦に参加。1946年社会民主党SPD)に入党。69年ブラント政権で国防相・経済相・蔵相を歴任。ブラントが辞任した74年、西ドイツ首相に就任。82年首相を辞任。その後も「OBサミット」などで国際的に幅広く活躍した。→コール

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百科事典マイペディアの解説

シュミット

ドイツの作家。言語に関してきわめて急進的な実験を試みた前衛作家で,短編集《レビアータン》ほか多くの小説,またロマン派の作家フケーについてのすぐれた伝記がある。

シュミット

ドイツの光学技術者。1926年ハンブルク天文台に勤務,1929年コマ収差のない広視野の光学系であるシュミット望遠鏡を発明。

シュミット

スイスの映画監督,オペラ演出家。アルプス山中の小村に生まれ,長編第1作《今宵かぎりは……》(1972年)の舞台となった祖父の所有する城館で,オペラや映画を好む少年期を過ごす。

シュミット

オーストリアの作曲家。プレスブルク(現ブラチスラバ)出身。ウィーン音楽院でブルックナーらに学び,宮廷歌劇場管弦楽団のチェロ奏者を経て1925年母校院長に就任。シェーンベルクと同年生れながらブルックナーマーラーなど後期ロマン派の流れを汲む作風を堅持。

シュミット

ドイツの経営経済学者。フランクフルト大学教授。主著《有機的貸借対照表学説》(3版,1929年)で,企業を国民経済という有機体の一細胞としてとらえ,財産評価に再調達価格を用いて市場との関連を保った財産計算を唱えた。

シュミット

西ドイツの政治家。ハンブルク大学卒。1946年ドイツ社会民主党に入党,1953年連邦議会議員。1969年国防相,1972年経済相兼蔵相等を歴任。1974年ブラントに代わり首相に就任。
→関連項目コール

シュミット

ドイツの言語学者,宗教学者,人類学者。精神的・宗教的要素を中心としながら,社会組織と経済様式とを規準として文化圏と文化層の概念を提唱し,それによって人類文化の空間的広がりおよび歴史を再構成しようとした。
→関連項目アウストロアジア語族石田英一郎岡正雄文化圏説

シュミット

ドイツの政治学者,公法学者。ケルン,ベルリン各大学教授。具体的秩序の思想を説き,ブルジョア民主主義の政治的・法的概念をワイマール共和国の解体過程で鋭く批判した。

シュミット

フランスの作曲家。パリ音楽院マスネーフォーレに学び,1900年カンタータ《セミラミス》ローマ大賞を受賞。ローマ留学中に作曲されたソプラノ,合唱,オルガンと管弦楽のための合唱曲《詩編47番》(1904年,初演1906年)で一躍注目を浴び,続けて,女性舞踊家ロイ・フラー〔1862-1928〕によって初演されたバレエ音楽サロメの悲劇》(1907年),《ピアノ五重奏曲》(1901年−1908年)などを発表。

シュミット

ソ連の探検家,地球物理学者,天文学者,数学者。キエフ大学を出て,モスクワ大学教授(1926年),地球物理学研究所長(1938年―1949年),ソビエト連邦科学アカデミー副総裁(1939年―1942年)等を歴任。

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世界大百科事典 第2版の解説

シュミット【Bernhard Voldemar Schmidt】

1879‐1935
ドイツの光学器械技術者。シュミットカメラ,あるいはシュミット望遠鏡呼ばれるコマ収差のない広い視野をもつ光学系を発明した。彼は通信技士,写真技師,設計技師などとして働きながら,天文学と光学について独学して経験を積んだ。やがて,小さい光学工場と天文台をもって,光学技師としての評判を得るに及んで,1926年からドイツのハンブルク天文台で働くことになった。シュミット望遠鏡の着想を得たのは29年の日食のときといわれる。

シュミット【Carl Schmitt】

1888‐1985
ドイツの公法学者,政治思想家。ウェストファーレンのカトリック系の家庭に生まれる。第1次大戦と戦後の混乱に衝撃をうけ,19世紀の自由主義法治主義,議会制などがその歴史的基盤を失ったと主張した。彼によれば20世紀は法をこえて〈政治〉が発動する時代であり,その〈政治〉とは規範の拘束を受けない敵味方の関係である。〈政治〉が規範的拘束から解きはなたれて発現する場が〈非常事態〉であり,主権者とは〈非常事態の決断者〉である。

シュミット【Franz Schmidt】

1874‐1939
オーストリアの作曲家。プレスブルク(現,ブラティスラバ)に生まれ,1888年にウィーンへ移住。90年よりウィーン音楽院に学ぶ。1896‐1911年,宮廷歌劇場チェロ奏者を務めるかたわら,1901‐08年母校のチェロ教師。14年より母校が改組された国立アカデミーの教授としてピアノ,対位法,作曲法を教え,25年に同校院長,続いて27~31年,音楽・造形芸術専門学院院長を歴任。34年にウィーン大学より名誉博士号を授与される。

シュミット【Florent Schmitt】

1870‐1958
フランスの作曲家。パリ音楽院でマスネーやフォーレに師事し,1900年にカンタータ《セミラミス》でローマ大賞をうけた。あらゆるジャンルの作曲に手を染め,とりわけ合唱曲《詩篇47番》(1904),バレエ曲《サロメの悲劇》(1907),ピアノ五重奏曲(1901‐08),弦楽四重奏曲(1948),《交響曲第2番》(1958)などが高い評価を得ている。その音楽は,力強さと優しさ,悲劇性とユーモア,記念碑的な偉大さと細密画風の装飾的な繊細さ,といった互いに相反するものが両立して均衡を目ざすところに,独特な個性を示す。

シュミット【Wilhelm Schmidt】

1868‐1954
ドイツに生まれ,スイスで没したが,おもにオーストリアで活躍した民族学者,言語学者。言語学者として出発し,東南アジアオセアニアの言語分類に貢献したが,のち民族学を主とし,文化圏説の大成者,ウィーン学派の総帥となった。カトリック教,神言会派の神父で,宣教師の民族学的調査を奨励,指導した。神観念の起源をいわゆる原始一神教に求めたが,主著《神観念の起源Der Ursprung der Gottesidee》全12巻(1912‐55)はその成果である。

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大辞林 第三版の解説

シュミット【Wilhelm Schmidt】

1868~1954) ドイツ生まれの民族学者。神言会修道士。オーストリアで活躍。単系的進化論を批判、文化圏説を発展させ、いわゆるウィーン学派の基礎を築いた。著「神観念の起源」など。

シュミット【Carl Schmitt】

1888~1985) ドイツの公法・政治学者。一時、ナチス学界で指導的な地位にあった。政治的なものの本質が友と敵の対立にあるとする友敵理論は有名。著「政治の概念」「政治的ロマン主義」など。

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世界大百科事典内のシュミットの言及

【シュミット望遠鏡】より

…B.シュミットが考案した光学系をもつ望遠鏡。この光学系を利用した天体写真儀をシュミットカメラSchmidt cameraという。…

【議会】より

…そうしたなかで,ワイマール共和国期のドイツでは,ひときわはげしく議会制論がたたかわされた。カール・シュミットは,〈議会制〉と〈民主主義〉のむすびつきをきりはなし,それどころか,その二つを相互排斥的なものとして位置づけ,議会主義への信念は民主主義でなく自由主義の思想界に属するとし,民主主義の名において議会主義を否定した。彼によれば,民主主義は議会によってではなく,国民の歓呼とアクラマチオAkklamatio(喝采)によって支持される独裁によってこそ,よりよく実現されるというのである。…

【憲法改正】より

… 改正限界説は,憲法変更現象を認識する理論という性格と同時に,すぐれて実践的主張としての性格をもった理論である。もともと改正限界説は,所説の内容からして,憲法改正権から憲法の基本原理を防衛するという実践的主張としての性格(保守的機能)を本質的にもつが(ワイマール憲法のもとで限界説を主張したC.シュミットの基本的な狙いのひとつは,社会主義勢力が多数を占める議会=憲法改正権者から憲法を防衛する点にあった),今日のドイツや日本の一部の学説で主張されている限界説のように,憲法の基本原理を超実定法的自然法原理とし,憲法制定権力もこのような基本原理に拘束されるとする限界説の場合には,限界をこえた〈改正〉に対しては国民の抵抗権の発動が要請されることになり,憲法保障のための実践的主張という性格をいっそう強くもつことになろう。これに対して,C.シュミットのように,群集の歓呼や喝采に国民の憲法制定権力の発動をみる場合には,限界説は,逆に非合理的な憲法破壊を弁証する実践的主張としての性格(変革機能)を強くもつことになる。…

【憲法制定権力】より

…シエイエスの母国でも,近代憲法の確立期であった第三共和政期の憲法学は,pouvoir constituantという言葉を,もっぱら憲法所定の形式に服する憲法改正権という意味で使用し,本来の憲法制定権を法的思考の外に締め出したのであった。その後,憲法の現代的危機の時代になって,この観念は,C.シュミットによって,ふたたび意義づけを与えられた。彼は,基本的な政治的諸決定を実体とする〈憲法〉と,普通の〈憲法律〉を区別し,〈憲法律〉に基づいて規律される憲法改正権の上位に,みずから〈憲法〉を制定する憲法制定権力の存在を考える。…

【国家緊急権】より

…第3に,憲法の規定によらずに,国家緊急権が行使される場合である。 C.シュミットは,第2のものを委任的独裁,第3のものを主権的独裁とよぶ。第2のものの基礎には,緊急権の濫用を防止するためには,それを実定法上認めたうえで,条件,期間,手続等の点で制限を加えた方がよいとする考え方がある。…

【戦争】より

…革命の戦争化である。 実際,第1次世界大戦は〈ヨーロッパ国際法の在来的な国家間の戦争として始まり,革命的な階級敵対関係の世界内戦で終わった〉(C.シュミット)。そして1918年のドイツとハンガリーでの革命は,ヨーロッパ社会の伝統的な枠組みを破壊し,国際体制を基礎づけていたイデオロギー的合意の否定を意味するほどの衝撃力をもっていた。…

【代表】より

…ヨーロッパ語でこの言葉の原型にあたるラテン語のrepraesentareは,あるものを現前させる(目の前にあらわれさせる),ということを意味する。C.シュミットが,〈代表するとは,ひとつの目に見えぬ存在を,公然と現存する存在によって目に見えるようにし,現前させることである〉と述べ,〈目に見えないものが現存しないと前提され,しかも同時に現存するとされる〉という〈弁証法〉について語るのは,そのような言葉の系譜をふまえながら,憲法上の代表論のなかに,一定の形而上学的含意をもちこもうとするものであった。 私法の分野では,講学上,法人の機関の行為が法律では法人の行為としてあつかわれることを指して,機関が法人を代表するという。…

【独裁】より

…同時に,この手段的性格,臨時的性格が,やがて自己目的化し恒常化して私的で恣意的な専制政治一般に転化していったという点でも,独裁のメカニズムを示している。
[独裁概念の分類]
 ワイマール期ドイツの政治学者C.シュミットは上記の(2)(3)に着目し,独裁を専制政治と区別する特徴を,〈具体的例外性konkrete Ausnahme〉に見いだした。すなわち,独裁官は非常事態における法秩序の侵犯者としてあらわれるが,この侵犯は現行法秩序そのものを防衛するための形式的法規範の侵犯であり,この侵犯によりかえって法そのものは実現される,とする。…

【アウストロネシア語族】より

… アウストロネシア語族の故地は,1889年オランダのケルンH.Kernによってインドシナ半島北東部沿岸であったろうと推定され,多くの学者によって支持されているが,アメリカのダイエンI.Dyenは,アウストロネシア諸語の現在における分布状態から推測し,ニューギニアが故地であった可能性を示唆している(1956,65)。
[他語族との関係]
 オーストリアのW.シュミットは,アウストロネシア語族とアウストロアジア語族が親縁関係にあったとし,両者を合わせてアウストリック語族なる名称を与えたが,科学的に証明されたわけではない。近年アメリカのベネディクトP.K.Benedictは,アウストロネシア語族がコーチシナや海南島の非漢語系の言語(カダイ諸語と呼ばれる)を介してタイ諸語と親縁関係があるとし,アウストロ・タイ語族を提唱しているが,いまだ定説とはなっていない。…

【文化圏説】より

…文化圏Kulturkreisという用語は,以前から一般的な概念として存在していたが,民族学の専門用語として1898年にL.フロベニウスが初めて導入した。1904年におけるF.グレーブナーの《オセアニアにおける文化圏と文化層》,H.アンカーマンの《アフリカにおける文化圏と文化層》の講演,さらに1911年のグレープナーの《民族学方法論》において,文化圏説は確立し,W.シュミットとW.コッパースは《民族と文化》(1924)において全世界にまたがる文化圏体系を設定した。シュミットやコッパースは,その学問を文化圏説とは呼ばず,文化史的民族学と称した。…

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