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ナポレオン[3世] ナポレオン

百科事典マイペディアの解説

ナポレオン[3世]【ナポレオン】

フランス皇帝ナポレオン1世の甥。ルイ・ナポレオンと称し,フルネームはシャルル・ルイ・ナポレオン・ボナパルト。1848年二月革命に際し亡命先から帰国して大統領に就任。
→関連項目カベニャックカルノーセダンの戦第二共和政バレスビアリッツの密約フランスボナパルトボナパルト[家]マクシミリアンメリメ

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世界大百科事典 第2版の解説

ナポレオン[3世]【Napoléon III】

1808‐73
フランスの第二帝政の皇帝。在位1852‐70年。ナポレオン1世の弟オランダ王ルイ・ボナパルトの第3子で,フルネームはシャルル・ルイ・ナポレオン・ボナパルトCharles Louis Napoléon Bonaparte。第一帝政没落後亡命した。青年期カルボナリ党に参加し,サン・シモン主義の影響を受けた。1836年と40年の2度にわたって七月王政に対する陰謀を企てたが失敗した。48年の二月革命後帰国し,立憲議会議員に選出され,同年12月には共和国大統領に選出された。

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世界大百科事典内のナポレオン[3世]の言及

【第二帝政】より

…フランスの第二共和政のあと1852年12月ナポレオン3世の即位から70年9月普仏戦争の敗北による崩壊まで続いた政治体制で,ナポレオン1世の第一帝政(1804‐14)に対していう。
[政治]
 第二共和政の大統領であったルイ・ナポレオンは,1851年12月2日クーデタによって議会を解散し,52年12月2日皇帝ナポレオン3世となり,ここに第二帝政が成立する。…

【パリ】より

…しかしこの税金は,19世紀に入って急激に人口が増大していくパリの都市機能をまがりなりにも維持していく主要な財源となっていた。 1801年には54万6000であった人口は,51年には105万3000に膨張したが,これはナポレオン帝政以降の産業発展によって,稼ぎ口を求める人々が再びパリに流入してきたことによる。フランス革命期に後退した奢侈品や家具などの伝統的な工業が活気を取り戻し,1807年には建築業で2万5000,被服産業や食品業で各1万5000,金属産業で1万の労働者が働き,全人口の半数が工業で生活するにいたった。…

【普仏戦争】より

…プロイセン・フランス戦争ともよばれる。プロイセンが普墺戦争(1866)に勝利しながらも,ドイツ統一の完成に至らなかったのは,隣国ドイツに強大な統一国家の成立を恐れたフランス皇帝ナポレオン3世の干渉と妨害があったからである。このためドイツ統一の完成への道は,普仏両国の軍事対決を避けられないものとした。…

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