百科事典マイペディア「ロック」の解説
ロック
→関連項目ウォーカー|ウッドストック・フェスティバル|ガイ|クラフトワーク|崔健|サザンオールスターズ|ザ・バンド|ジャングル(音楽)|ズーク|ディラン|テックス・メックス|ニュー・ウェーブ|ニュー・エイジ・ミュージック|ブルース|ベリー|ライ|リー|リンガラ|レゲエ|ロカビリー
ロック
→関連項目アステル|アメリカ独立宣言|感覚論|権力分立|政治学|抵抗権|バークリー|ヒューム
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…また,水位差の大きい2河川を結ぶ運河を造る場合,急流や水量不足のため運河化できないことがある。このような場合に,船の航行を可能にするために造られる構造物が閘門で,ロックとも呼ばれている。もっとも単純な閘門は,図に示したように上流および下流の二つの扉室(ひしつ)と,その中間の閘室および扉によって構成されており,船の通過は,上・下流の扉の開閉および暗渠(あんきよ)を通じての水の流入,排出によって閘室の水位を上・下流と一致させて行う。…
…このころからアフリカでは黒人指導者たちによる独立が相次ぎ,アメリカ国内にあっては白人・黒人の共学問題,バス・ボイコット運動,公民権獲得運動など黒人差別撤廃の動きが大きくなった。57年のリトル・ロック事件で,州兵を動員してまで白人の味方をしたアーカンソー州知事フォーバスを罵倒したチャールス・ミンガスの《フォーバスの寓話》や,黒人受難史を描いたローチの《フリーダム・ナウ組曲》は,黒人側のラディカルな抗議として,現れるべくして現れた作品といえる。一時的にもウェスト・コーストの白人に主導権を奪われた黒人たちは,ジャズのバックボーンをなす黒人ブルースや,黒人教会の中でのみ歌われ演奏されるゴスペル・ソングをジャズに盛りこみ,再びジャズ界の主流となった。…
…もとはイタリア語,スペイン語などで〈レコード〉を意味した(フランス語のディスクdisqueにあたる)。しかし1970年代後半から,ロックないしソウル系のダンス(ディスコ・ダンス),およびダンス向きに作られた音楽(ディスコ・ミュージック,ディスコ・サウンド)を指す言葉として広く使われるようになった。これは,1960年代にフランスで,ダンス・バンドの代りにレコードを使用するダンスホールを〈ディスコテークdiscoteque〉と呼んだことからきている。…
…多くの場合,大陸合理論と呼ばれる思想潮流との対照において用いられる哲学史上の用語。通常は,とくにロック,G.バークリー,D.ヒュームの3人によって展開されたイギリス哲学の主流的傾向をさすものと理解されている。通説としてのイギリス経験論のこうした系譜を初めて定式化したのは,いわゆる常識哲学の主導者T.リードの《コモン・センスの諸原理に基づく人間精神の探究》(1764)とされているが,それを,近代哲学史の基本的な構図の中に定着させたのは,19世紀後半以降のドイツの哲学史家,とりわけ新カント学派に属する哲学史家たちであった。…
…彼は,神は神の前では個人の身分は問わぬのだから,ある種の人々だけの知能を開発するのでは不公平であるとし,すべての人にすべてのことを教える技術の創造の必要を説き,学習全体を精密に学年に区分し,先の学習が後に続く学習への道を平らにし,それを照らすたいまつにすることを提案していた。イギリスのJ.ロックも,当時の学校におけるスコラ的な古典知識のつめ込みに強く反対し,伝統的な修辞学や論理学より数学の教育を重視していた。 ロックや,それに続くルソーにみられるのは,家庭教育の重視である。…
…他方イギリス経験論においては,感覚はあらゆる認識の究極の源泉として尊重され,その思想は〈感覚の中にあらかじめないものは知性の中にはない〉という原則に要約されている。ロックによればわれわれの心は白紙(タブラ・ラサtabula rasa)のようなものであり,そこに感覚および内省の作用によってさまざまな観念がかき込まれる。ここで感覚とは,感覚器官が外界の可感的事物から触発されることを通じて心に伝えるさまざまな情報のことである。…
… 観念を真に経験的な意味での人知の対象へと徹底させたのは近世におけるイギリス古典経験論であった。ロックは人間の知識や信念の可能性,限界を探究するという,認識論,知識哲学の創始者となったが,それには精神の直接の対象である観念の探究が必要であるとして,観念の博物学,観念理論とよばれる方法を唱導した。ロックの観念はおよそ心の対象となるすべてのものをいう最広義の存在で,概念をも含んでいたが,ロックは観念の発生源上の分類として,感覚と反省の2種を区別した。…
…イギリス人の権利は市民革命によって人間一般の権利にまでたかめられるが,それには,近世の合理的な自然法論の与えた影響が大きい。とくに近代立憲主義の思想を体系的に示したジョン・ロックの《統治二論》(1690)は重要である。彼によれば,人は自然状態のもとで人間としての生存に不可欠の自然権として固有の所有権propertyを有し,これには生命,自由,財産が含まれるのであるが,自然権をよりよく確保し,社会の安全を維持するために,他人との合意により政治社会すなわち政府を設立する。…
…T.ホッブズは,人間には法以前に生命防衛権があり,それを保護するために国家がつくられるが,国法が生命を侵そうとする場合には,個人は法や拘束を免れると主張した。J.ロックもこの自然権保護の制度として国家を設立したとし,その思想はアメリカ独立宣言を経て日本国憲法に流れている。この権利中心の法思想と,義務中心の法思想の対立は,ある程度まで,自然法論と法実証主義の対立に対応している。…
…大日本帝国憲法では,天皇が〈統治権ヲ総攬〉(4条)するという根本的なたてまえのもとで,天皇の立法権の行使を帝国議会が〈協賛〉(5条)し,行政については国務大臣が〈輔弼(ほひつ)〉(55条)し,司法権も〈天皇ノ名ニ於テ〉裁判所がおこなう(57条)という構造であったのと比べ,日本国憲法は三権分立の根本原理により忠実であるが,三権分立の骨格を前提としたうえで,国会を〈国権の最高機関〉(41条)として位置づける点で,近代憲法確立期の議会中心主義を継承すると同時に,司法権に法令違憲審査権を与える(81条)点で,現代憲法に共通する傾向をもあわせ示している。
[権力分立思想の系譜]
権力分立論には,古代ギリシアのヒッポダモスやアリストテレスの混合政体論にさかのぼる背景があるが,近代憲法の権力分立に大きな影響を及ぼしているのは,ロックとモンテスキューの思想である。ロックの《統治二論》(1689)は,生命・自由・所有物に対する固有の権利propertyを保全するために,各人が〈自然状態〉においてもっていた〈自然の権力〉を放棄して〈政治社会〉(〈市民社会〉)をつくりあげるのだという説明を前提とし,〈政治社会〉を形成した人民の意思による意識的な法制定作用として,〈立法〉というものを位置づける。…
…ここに合意の観念は政治社会そのものの構成原理の問題となった。ホッブズにおいては設立された政治社会の意思は君主の意思に体現されるため,君主の絶対性が結論されるが,自然状態における自然法の支配を前提とするロックは,政治社会の目的を自然権の保障とし,近代自由民主主義を基礎づけた。またルソーは政治社会の意思を一般意思と規定し,その現実化たる法の支配によって,自由と平等の理念の貫徹をはかった。…
…心が固有の精神現象であるなら,その成立ちや機能を改めて考える必要があり,17世紀後半からの哲学者でこの問題に専念した人は多い。心を〈どんな字も書かれていず,どんな観念もない白紙(タブラ・ラサtabula rasa)〉にたとえた経験論のロック,心ないし自我を〈観念の束〉とみなした連合論のD.ヒューム,あらゆる精神活動を〈変形された感覚〉にすぎないと断じた感覚論のコンディヤックらが有名で,こういう流れのなかからしだいに〈心の学〉すなわち心理学が生まれた。ただし,19世紀末までの心理学はすべて〈意識の学〉で,心の全体を意識現象と等価とみなして疑わなかった。…
…かくして,市民社会を高く評価する人々は,国家に対してはむしろ消極的態度をとる。たとえば,J.ロックは国家と市民社会を区別し,市民社会は国家に一定限度内で統治を信託しているにすぎないと主張した。またA.スミスは,人間は〈神の見えざる手〉によって導かれているとして,市民社会の自律性を説き,最小の政府こそ最良の政府であるとした。…
…自然権は当然人間の自由・平等と結びつき,政治的・社会的関係をすべて人為的にみずからつくり出していくという視座をもっている。ロックによって自然権はより明確な政治的・社会的権利として位置づけられた。社会契約説による政治社会の構成を,自然権を保障するためのものとした。…
…この最も基本的な問に対する答として,従来いくつかの考え方が提示されてきた。西洋近代初頭の17世紀において社会科学の出発点をなしたホッブズとロックにあっては,この問題は次のように答えられた。 まずホッブズは,人間の自然状態を〈万人の万人に対する闘争〉の状態として想定し,このような状態のもとでは〈継続的な恐怖と,暴力による死の危険とが存し,人間の生活は,孤独で貧しく険悪で残忍でしかも短い〉ので,人間たちは相互に契約を結び,個々人に与えられた自然権の一部を主権者に譲渡したのである,と説明した。…
…自然科学の方法原理とは経験科学(実証科学)のそれであるから,この源泉は要するに社会科学を経験科学(実証科学)として確立しようとする努力にほかならなかった。イギリスのロック,ヒュームに始まる経験論,フランスのサン・シモン,コントに始まる実証主義,これらの流れの中に社会科学の源流があった。 ロックの《人間知性論》は,人間の悟性的能力がすべて経験によって習得されたものであって,なんら生得的な能力によるものではないということを論証することを主題としたが,このことはまた,人間の社会生活における道徳的・実践的原理がなんらかのア・プリオリな超越的根拠から出てきたものでなく,人びとが経験を通じてお互いの利益になるように取り決めたものだという,《統治二論》の主題たる近代民主主義のテーゼとつながる。…
…しかし,自然状態―社会契約―社会状態という図式を理論的に確立したのはホッブズであって,彼は自然状態を戦争状態と考え,その無秩序を克服するために絶対無制限の権力が必要であるとして,各人が特定の自然人または合議体を主権者として受けいれることを相互に契約するとき,その間に政治社会すなわち国家が生まれると説いた(《リバイアサン》1651)。これに対して,ロックはまず相互契約によって社会を構成した諸個人が,多数決によって選んだ立法機関に統治を委託すると説き,その目的を私有財産を含む個人の自由権の保障に求めることによって,権力に制限を加えた(《統治二論》1689)。 18世紀に入ると,社会生活の組織化が進み,また社会契約は歴史的事実でないという経験科学的批判が起こったが,その中でJ.J.ルソーはこの図式に新しい内容を与え,この理論の革命的意味を明らかにした。…
…伝統的な価値秩序に代えて新しい秩序を構成しようとしたホッブズは,自由とは〈障害の存在しないこと〉であると定義したが,それは自然権としての消極的自由とともに,契約による秩序の構成という積極的自由をも含意するものであった。そして,この第2の側面は,ロックにおいては,私有財産権の保障を基礎に,政治社会の構成員として秩序を自発的に形成することが〈人間の自由〉であるとされるようになるし,またルソーはよりラディカルに,政治社会の再構成の担い手になることこそが自由を意味するとし,さらに〈自由であるように強制する〉ことまで説くのである。このような自由概念の展開は,君主主権論から国民主権論ないしは人民主権論への転換と表裏をなすものであったといえよう。…
…17世紀のイギリスを代表する哲学者J.ロックの政治学上の主著。1689年に匿名で刊行された。…
…17世紀のイギリスを代表する思想家ロックの主著。1689年刊。…
…その背景には,当時〈信仰の自由〉が自由の最大の課題であったことがある。 J.ロックはホッブズの抵抗権を革命権にまで発展させ,また宗教的寛容を説いて,近世人権思想の先駆となった。イギリスはロックの時代に名誉革命(1688)を通じて人民主権を確立した。…
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出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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