愛宕山上福院と号し、高野山真言宗。本尊愛宕権現。近世は京都嵯峨大覚寺末。現在、別堂として愛染堂・行者堂・荼枳尼天堂がある。「権輿雑集」に引く寺伝に「応仁文明ノ比マテ、当国一志郡滝野川ノ山中ニ、弘法ノ開基ト謂伝ル伽藍アリケル、愛宕ノ社モ其所ノ鎮守タリト」とみえる。現在当寺が所蔵する古文書のうち、最も古い文明一一年(一四七九)七月二五日付北畠政具御教書には、
とあり、宛名が滝野河下坊、安堵されているのが一志郡中村上庄中坊供僧職および坊領である。現在、
稲荷山と号し、曹洞宗。本尊は釈迦如来。現義倫が建立したという(浜名郡誌)。大永五年(一五二五)閏一一月二三日の瀬名氏貞判物(龍泉寺文書)には「蒲東方之内稲荷山龍泉寺領」とみえ、前年の検地増分も含めて寺領が寄進された。天文一〇年(一五四一)に田地一町が安堵された(永禄一一年一一月二八日「今川氏真判物」同文書)。慶長八年(一六〇三)徳川家康から蒲東方飯田郷のうち三〇石が寄進され(同年九月一九日「徳川家康寺領寄付朱印状写」同文書)、幕末に至った。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報