デジタル大辞泉 「保」の意味・読み・例文・類語
ほ【保】[漢字項目]
[学習漢字]5年
1 養い育てる。おもりをする。「保育・保母」
2 大切に守る。「保安・保健・保護・保身」
3 しっかりと持ち続ける。たもつ。「保温・保持・保守・保存・保有/確保・留保」
4 請け合う。「保険・保釈・保証・保障/担保」
5 雇われ人。「酒保」
6 隣組。「隣保」
7 「保険」の略。「健保・国保・生保」
[名のり]お・まもる・もち・もり・やす・やすし・より
[難読]日
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
(1)戸令(こりょう)(養老(ようろう)令)の第9条に定められた末端行政組織。五戸を一つの単位として設定し、1人の長(保長)を置き、五戸の内にきた旅人の宿泊や五戸の中の人の旅行などを掌握させた。五戸の中の人が逃亡した場合には五戸(五保とも称する)の人がこれを追い訪(とぶ)らうことになっていた。みつからない間は、五保と三親等の親族が均分して租税を代納する義務を負った。唐の五保の制度をまねたもので、江戸時代の五人組制度にも類似したところがある。唐では五保とともに一家の四隣による制度とが二重に置かれていたが、日本では四隣の制度は継受されなかった。唐は人為的な行政区画と並んで、村―隣という自然的な相互関係を国家が掌握していたが、日本ではそういう国家的掌握は実現しなかったのである。保が実施されたことは静岡県の城山(しろやま)遺跡および伊場(いば)遺跡出土木簡に保長の名称がみえることで確認される。平安時代には保は地域的な組織として変質し、徴税の単位に変わった。(2)条坊制の一単位。四町(一町は32戸主(へぬし))をもって一保とし、四保をもって一坊(面積180丈平方)とした。保には保刀禰(ほとね)が置かれた。
[鬼頭清明]
(3)平安後期、律令(りつりょう)制的郡郷組織の解体・再編に伴って成立した国衙(こくが)領の単位の一つ。畿内(きない)近国において11世紀後半~12世紀初頭に形成され、徐々に東国・鎮西(ちんぜい)などの遠隔地域にも波及したもので、史料的にはほぼ全国的に存在を確認できる。鎌倉時代の大田文(おおたぶみ)によれば、能登(のと)・若狭(わかさ)・淡路(あわじ)では全体の3分の1ないし5分の1が保であり、大きな比重を占めていたことが知られる。保は開発領主による田地開発の申請が国守によって認可されることでたてられ、開発申請者は保司職(ほししき)に補任(ぶにん)されるとともに保内の勧農や田率官物(かんもつ)収納の権限を与えられた。また保司は保内の住人に対して雑役(ぞうやく)賦課の権限を有したが、この点が他の国衙領の単位と区別される特徴であるとする説もある。申請者は在地領主ばかりでなく、しばしば中央大寺社の僧侶(そうりょ)、知行(ちぎょう)国主や国守の近臣、あるいは中央官司の中下級官人層など権門・官司に連なる在京領主で、この場合、申請者はその立場を利用して国守に働きかけて立保せしめ、自らは保司として資本を在地に投下する一方、有力在地領主層を保公文(くもん)職に任じて労働力編成など開発実務にあたらせた。国守側では立保によって国守が中央権門・官司に負う封戸(ふこ)物、上納物など国家的給付の滞納を補償できたため、この面からも保の形成は促進されたといえる。かかる在京領主の保はもちろん、在地領主の保も中央権門に寄進されるなどして、荘園(しょうえん)に転化した事例は少なくない。
[田村憲美]
『義江彰夫「『保』の形成とその特質」(『北海道大学文学部紀要34』所収・1973)』▽『網野善彦「荘園公領制の形成と構造」(竹内理三編『土地制度史 一』所収・1973・山川出版社)』
古代から中世にかけての地域行政的単位で,大きく分けて3種類の用法がある。
(1)律令制下で,郷(里)の下に置かれた末端行政組織。5戸をまとめて保とし(五保ともいう),保長のもと治安維持,徴税などについて,連帯責任を負わされていた。702年(大宝2)の美濃国戸籍にみえるのが確実な例であるが,それ以後の籍帳にはほとんどみえず,しだいに地縁的に家を基準にして組織されるようになった。
(2)平安京における地割の一単位。平安京の条坊制では四面を大路で囲まれた,180丈平方の一画を坊といい,さらに条坊は東西,南北それぞれ3条の小路により16の区画に分けられた。保はこの小区画(町)を四つ合わせた一区画で,保ごとに保刀禰(とね)が置かれた。
(3)平安後期に現れ,中世を通じて存在した所領単位。荘,郷,保,名(みよう)(別名(べちみよう))と並称された。その起源については,(a)令制の五保の保を継承したもの,(b)国衙が平安京の保を導入したもの,とみる説などがとなえられているが未詳。所領としての特質に関しても,(a)〈別名〉についての,在家(ざいけ)群に即した呼称,(b)住人支配を認められた所領,(c)国守が負っていた何らかの負担を土地に転嫁する際に立てられた所領,ととらえる説など,さまざまであるが定説はない。一般には開発の申請を契機とし,国守の認定のもとに立保され,申請者は保司(ほし)として保の所務権を掌握した。立保の申請者が在京の領主であったばあい,現地で開発を請け負った在地の領主は公文職(くもんしき)を与えられた。11世紀後半の保出現の当初は保司には在京の領主が多かったが,制度的発展にともない,在地の領主で保司となるものも現れ,京保と国保に区別されるようになる。国保は官物(かんもつ)が国衙に納められる純然たる国衙領で,保司は在地の領主に確保された。官物が中央官衙,権門勢家(けんもんせいか)に納められる京保は,実質的には荘園とさほど変りはなく,在京の領主が保司の地位に就いていた。封物や中央官衙への貢納物が便補された便補保(びんぽのほ)は,その代表的な例である。京保も本来は国守の交替ごとにその承認を必要としたようであるが,なかには官符,宣旨によって所領としての保証を与えられ,権門勢家や中央官衙領の荘園となるものもあった。しかし,保として存続したものに対しては,のちまで国衙領であるとの認識は残った。
執筆者:勝山 清次
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「ほう」とも。
1律令制下の行政組織。郷・里の下部の単位として人為的に編成された。5戸を1単位(五保とも)として保長がおかれ,貢租・徴税や防犯の徹底,浮浪逃亡の防止のために保内で相互に援助や監視を行った。702年(大宝2)の御野(みの)国戸籍では保が5戸から構成されるが,それ以後の奈良時代の戸籍・計帳では保の実態は不明瞭である。
2平安京の地割単位。1坊を4保,1保を4町として保を設定した。899年(昌泰2)には左右両京に結保帳(けつほちょう)を作成させるなど,平安初期には主として京内において重視された。
3平安後期~中世に現れる国衙(こくが)領内の所領の単位。荘・郷・別名と併称された。開発領主の保の設定申請を国司が承認することによって成立した。多くの場合,開発領主は保司(ほうし)または公文職(くもんしき)となって在地を支配した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…令制では50戸を1里(郷)として編戸し,国・郡・里の3段階からなる地方行政組織の末端に位置づけたが,各郡内の山間僻地などでは,この原則にとらわれず,便宜に里が設置されることになっていた。その際の最低戸数について,〈大宝令〉の注釈書である〈古記〉は25戸としており,これに満たない場合は里長を置かず,5戸を単位とする保の長に里長の職務を代行させるものとしている。これが余戸で,正式な里ではないが,それに準ずる特殊な行政単位としてやむなく置かれたものである。…
…――里正は兼ねて農桑を課植し,賦役を催駆す――。四家を隣となし,五家を保となす。保に長あり,もってあい禁約す〉と規定されている。…
…後者の例としては736年(天平8)の薩摩国正税帳(しようぜいちよう)や738年の駿河国正税帳に国司史生,郡司主帳,軍団少毅などを刀禰と総称している。(2)平安時代初・中期平安京の保(ほ)あるいは村落の有力者の称。平安京では土地の区画単位である坊をさらに四つに分けてその一区画を保と呼び,そこに保長がおかれたが,しだいに有名無実化したため,これにかわって保の有力者が刀禰に任命されるようになった。…
…中世的所領単位の一つである保の管理責任者。保は一般には開発の申請にもとづき,国守の認定を得て立保されるが,その際,立保・開発の申請者は保司の地位を与えられ,保の所務権を掌握した。…
…鎌倉幕府の職制。1238年(暦仁1)に上洛して京都の警固体制を整備した北条泰時は,鎌倉に帰ると京都にならって保という行政単位をしき,保官人(検非違使)にならって保奉行人を置いた。保奉行人は鎌倉中の地域別(保)の警備担当者であり,40年(仁治1)に鎌倉中に出された法令によれば,盗人,悪党以下の雑人の取締りや商売統制を任務の中心としている。…
…《管子》にも10家を什となし,5家を伍となし,什伍みな長あり,と言及され,《商君書》にも軍隊組織で5人組の伍が重要な機能を果たす記事が見える。 《続漢書》百官志に〈民に什伍あり,善悪をもって告ぐ〉と記され,南朝では同伍内の犯法に連座する場合,士の身分の者や奴婢の取扱いをどうするか論議されていて,五家で組織する保が郷里内で大きな役割を担っていた様相がうかがわれる。北朝の北魏で486年(太和10)に施行された三長制は,約1世紀にわたり均田・均賦制と組み合わせて警察・徴税機能の強化に成績をあげた。…
※「保」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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