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応仁・文明の乱(読み)おうにんぶんめいのらん

百科事典マイペディアの解説

応仁・文明の乱【おうにんぶんめいのらん】

15世紀後半の内乱。応仁1年(1467年)に起こり,一応の決着をみた文明9年(1477年)まで続いた。応仁の乱ともいう。将軍足利義政の弟義視(よしみ)と子義尚(よしひさ)の,さらに畠山・斯波(しば)両氏の相続争いを契機に,細川勝元山名宗全の二大勢力が激突。本陣の位置関係から細川方を東軍,山名方を西軍と呼んだ。この乱により幕府権力は失墜,荘園制は崩壊,在地武士勢力が台頭。戦国大名の領国化が進展した。→戦国時代西陣
→関連項目安居院芥川城浅井氏足利義尚足利義視足軽一条兼良一条家大部荘上京・下京河口荘観音寺城京都[市]河野氏後柏原天皇後土御門天皇後法興院記薩南学派実隆公記倭文荘斯波氏清見寺大乗院寺社雑事記高屋城垂水荘親長卿記坪江荘富樫氏富樫政親徳政一揆蜷川親元日記日本畠山政長畠山義就花の御所日野富子平安京碧山日録村櫛荘山城国一揆瑠璃光寺鹿苑寺六角氏六角征伐

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