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応仁・文明の乱 おうにんぶんめいのらん

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世界大百科事典 第2版の解説

おうにんぶんめいのらん【応仁・文明の乱】

室町時代末期にあたる1467‐77年(応仁1‐文明9)に京都を中心に全国的規模で展開された内乱。この乱では,東軍(細川勝元方)と西軍(山名持豊(宗全)方)に分かれて,全国各地ではげしい合戦が展開され,中央の状況だけではなく各地の政治的状況が反映していた。
【原因】

[家督争い]
 乱の原因は複雑な要素からなっていたが,その中でも表面だった要因の一つに,有力守護家内部における家督争いと,有力守護大名間の対立があげられる。

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All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

世界大百科事典内の応仁・文明の乱の言及

【紀伊国】より


[畠山氏の分裂と根来・雑賀衆]
 永享年間(1429‐41)には,高野山で学侶と行人の抗争が起こり,守護畠山氏の勢力にもかげりがみえてくる。1460年(寛正1),細川勝元に支援された政長によって義就が守護を罷免されて以降,畠山氏は両派に分裂し,紀伊国は河内・大和国とともに激しい抗争の舞台となり,これが応仁・文明の乱に発展した。50年間にもおよぶ畠山氏の抗争は16世紀初頭に終息するが,この間に勢力をたくわえてきたのが根来衆と雑賀(さいか)衆である。…

【斯波義廉】より

…義敏が大内氏の力を背景に一時家督を回復すると,義廉はただちに義父山名持豊を頼んで再び家督についた。この家督争いが応仁・文明の乱の一因となった。西軍に加わった義廉は,67年(応仁1)管領となったが,朝倉氏の勢力台頭によって衰えていった。…

【斯波義敏】より

…61年斯波家の家督を義廉に替わられた。66年(文正1)大内氏の助力によって3ヵ国守護職を回復するが,山名持豊を頼った義廉に再び奪回され,細川勝元を頼ることとなり,応仁・文明の乱の要因になった。乱の過程で衰えた斯波家は二度と興隆しなかったが,81年(文明13)斯波家嫡流の事跡を記した義敏作の《斯波家譜》は,その顕彰碑だったともいえよう。…

※「応仁・文明の乱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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