浅間神社(読み)せんげんじんじゃ

精選版 日本国語大辞典 「浅間神社」の意味・読み・例文・類語

せんげん‐じんじゃ【浅間神社】

[一] (「ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ(富士山本宮浅間大社)」の略称) 静岡県富士宮市宮町にある神社。旧官幣大社。祭神は木花開耶姫(このはなさくやひめのみこと)瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)大山祇神(おおやまつみのかみ)。神体は富士山八合目以上。垂仁天皇三年(前二七)の創建と伝えられる。駿河国の一宮。
[二] 山梨県笛吹市一宮町一ノ宮にある神社。旧国幣中社。祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)。貞観七年(八六五)の創建と伝えられる。甲斐国の一宮。
[三] 静岡市葵区宮ケ崎町にある神社。旧国幣小社。祭神は木花開耶姫命。延喜元年(九〇一)の創建と伝えられる。府中浅間神社。静岡浅間神社

あさま‐じんじゃ【浅間神社】

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デジタル大辞泉 「浅間神社」の意味・読み・例文・類語

せんげん‐じんじゃ【浅間神社】

静岡県富士宮市にある神社。旧官幣大社。祭神は木花開耶姫命このはなのさくやひめのみこと富士山の山頂に奥宮がある。駿河国一の宮富士山本宮浅間大社
山梨県笛吹ふえふき市にある神社。祭神は木花開耶姫命。甲斐国一の宮。
静岡市葵区にある神社。祭神は木花開耶姫命。
[補説]静岡県の富士山本宮浅間大社・山宮浅間神社・村山浅間神社・須山浅間神社・冨士浅間神社・人穴浅間神社(人穴富士講遺跡)と、山梨県の北口本宮冨士浅間神社河口浅間神社冨士御室浅間神社は、平成25年(2013)「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の一つとして世界遺産に登録された。→富士山

あさま‐じんじゃ【浅間神社】

せんげんじんじゃ(浅間神社)

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日本歴史地名大系 「浅間神社」の解説

浅間神社
あさまじんじや

[現在地名]一宮町一の宮

御手洗みたらし川に大石おおいし川が合流する地点の下流右岸に鎮座する。木花開耶姫命を祭神とする旧国幣中社。一宮と称される。「延喜式」神名帳の八代郡に「浅間神社名神大社」とあるのが、当社にあたると伝える(社記)。社伝によれば、垂仁天皇八年正月に神山の麓に祭神を祀ったことに始まり、同地が故地として山宮となった。貞観七年(八六五)一二月九日に現在地に遷地したという(甲斐国志)。「三代実録」同日条に、清和天皇の勅令により甲斐国八代郡に浅間明神祠を立て、官社に列して祝・禰宜を置くことが決定された記事があり、これが当社の成立とされるが、同書同月二〇日条に山梨郡にも浅間明神祠を立てた記事がみえ、これを当社とする説が有力である。当社の成立の直接の契機は、この前年に富士山の大噴火と、それに伴う地震が相次ぎ、霊峰である富士を鎮めるために造営されたものである。すでに浅間明神は富士山を鎮める社として駿河国に鎮座していたが、同六年の大噴火では甲斐国も甚大な被害に見舞われ、甲斐国が、駿河国浅間明神の祝・禰宜が富士山鎮火のための祈祷を怠慢したことによるものと反発したこと(同書同年七月五日条)を背景に、甲斐国にも造営されることになったと考えられる。

甲斐国志」は建久五年(一一九四)鎌倉幕府によって殿舎が修造されたとするが、同年一一月に源頼朝が近国一宮・国分寺の修復を命じた法令が(「吾妻鏡」同月二七日条)、当国の一宮にも適用されたと考証してのものであろう。「吾妻鏡」寛元四年(一二四六)三月三〇日条に「甲斐国一宮」とみえる。甲斐国の地頭層が、幕府の出した鷹狩停止令を根拠に「供税鳥」を拒否したため、一宮権祝守村(三枝氏)が幕府に訴えたものである。在庁官人三枝氏が一宮を掌握、その祭祀権に依拠して甲斐国地頭層に影響力を保持しようとし、これらと対立していたことがうかがわれる。

浅間神社
あさまじんじや

[現在地名]六郷町宮原

上門うわどに鎮座し、表門うわど神社とも称する。勧請時期は不詳だが、「甲斐国志」によれば景行天皇五六年に国造塩海ノ足尼が幣帛を奉納。岩間いわま葛籠沢つづらさわ宮原みやばらの三ヵ村の産土神で一宮と称し、岩間庄の総鎮守であった。また宮原村に鎮座する山宮明神を二宮、八幡宮を三宮(武宮)と称したという。鎌倉期にこの地域に勢力をもっていた岩間氏との関係が想定されるが、詳細は不詳。当社は下山しもやま(現身延町)の一宮賀茂神社や南部なんぶ(現南部町)の諏訪神社と並んで、広く河内かわうち谷の尊崇を集め、壮大な祭礼が執行されていた。なかでも四月一三日に神輿が山宮へ移る河内御幸の神事は有名で、十島とおしま(現南部町)から落合おちあい(現甲西町)に至る東河内領と、箱原はこばら(現鰍沢町)から南部村に至る西河内領から人夫が出され、供奉に当たった。

浅間神社
せんげんじんじや

[現在地名]稲毛区稲毛一丁目

大山おおやまに鎮座する。浅間様と通称される。祭神は瓊瓊杵尊・木花咲耶姫命・猿田彦命。旧村社。若宮神社・稲荷神社・香取神社・小御嶽こみたけ神社・庚申こうしん社・神明宮・厳島いつくしま神社・みず神社を合祀。大同三年(八〇八)創建、治承四年(一一八〇)千葉常胤が源頼朝の命で社殿を再建したと伝える。千葉氏の崇敬厚く、文治三年(一一八七)の社殿再建に際しては境内に富士山の盛土をし、富士山参道に倣って参道を三方に設け、富士山を正面に建立したという。

浅間神社
せんげんじんじや

[現在地名]藤里町藤琴字馬坂

馬坂うまざかと称する丘陵上にある。祭神は木花開耶姫。正徳元年(一七一一)の山本郡藤琴村寺社数調帳(藤里町誌)に、富士権現堂、草創年は不詳とある。旧村社。

当社の祭典には、豊作踊として獅子舞・駒踊・奴踊が奉納される。駒踊は佐竹氏が常陸から秋田へ移封の際、道中を慰めたことに起源があるといわれるが、駒踊の所作は近世末に米内沢よないざわ村(現北秋田郡森吉もりよし町)、八幡平はちまんたい村(現鹿角かづの市)から、獅子舞と奴踊は松木まつき(現大館市)から伝わったという(藤里町誌)

浅間神社
せんげんじんじや

[現在地名]御殿場市新橋 大通

新橋にいはしの北西端にある。主祭神は木花咲耶姫命で、ほかに誉田別命(八幡宮)・菅原道真(天満宮)・瓊瓊杵命(愛鷹明神)を合祀する。江戸時代には五社浅間宮などと称し(延宝八年「新橋村差出帳」鈴木家文書など)、現在は新橋浅間神社ともよばれる。社伝によれば、建久四年(一一九三)源頼朝がいわゆる富士の巻狩を催した時、その成功と豊猟を祈願して建立した神社といい、境内には頼朝が座ったとされる腰掛石がある。ほかに竹行李二十五年の碑(大正三年建立)や富士山東表口開鑿記念碑などがあり、竹行李は明治二〇年(一八八七)頃から盛んに生産された御殿場地方の特産品であった。

浅間神社
せんげんじんじや

[現在地名]裾野市茶畑

茶畑ちやばたけ集落の中央部に位置する。木花開耶姫命などを祀り、旧村社。中世には佐野さの郷の中核をなした神社で、古くは浅間五社・佐野浅間宮(佐野郷浅間宮)、あるいは富士浅間社などともよばれた(駿河志料)。また中世当社の神主であった柏氏は江戸時代以降、柏木氏を称し、茶畑村の名主を勤めている。天文二〇年(一五五一)一二月晦日葛山氏元は当社神主柏宮内丞に対し「浅間禰宜」の懸銭を免除し、二九貫四〇〇文を寄進している(「葛山氏元判物」柏木文書)

浅間神社
せんげんじんじや

[現在地名]総和町磯部

磯部いそべ集落西端、西に釈迦しやか沼のヤト田を望む台地に築かれた小高い丘上に鎮座。祭神木花咲姫耶命。社伝によれば創立は江戸時代。寛政四年(一七九二)の村鑑書上帳(永塚家文書)によれば別当は真浄しんじよう院。

浅間神社
せんげんじんじや

[現在地名]守谷町高野

利根川の遊水地帯を望む高台に鎮座。祭神は木花咲耶姫命。旧村社。大同年間(八〇六―八一〇)坂上田村麻呂の創建、また寛永年間(一六二四―四四)の創建とも伝えられる。

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百科事典マイペディア 「浅間神社」の意味・わかりやすい解説

浅間神社【せんげんじんじゃ】

木花開耶(このはなのさくや)姫をまつった神社で,神体は富士山とされる。浅間は〈あさま〉とも。浅間信仰に基づき東海道・東山道周辺に1000を超える神社がある。(1)山梨県東八代郡一宮町(現・笛吹市)に鎮座。旧国幣中社。清和天皇の時,現地に遷祭されたと伝える。延喜式内の名神大社とされ,甲斐国の一宮。武田氏の尊崇が厚かった。例祭は4月15日。(2)静岡県静岡市宮ヶ崎町に鎮座。富士新宮とも。旧国幣小社。神部神社大歳御祖神社と三社で同一の境内にある。例祭は4月5日。(3)正称は富士山本宮浅間大社。静岡県富士宮市大宮に鎮座。旧官幣大社。垂仁天皇の時,富士山の神霊をまつったのが始まりと伝える。延喜式内の名神大社とされ,駿河国の一宮。浅間信仰の中心で全国の浅間神社の総本社である。社殿は富士山を神体としているので,拝殿と幣殿(ぬさでん)だけで,本殿はない。富士山頂の富士宮口からの終点に奥殿がある。社殿は浅間造の典型。例祭は11月4日。ほかに流鏑馬(やぶさめ)祭(5月4〜6日),御田植祭(7月7日)など。2013年,富士山の構成資産として世界文化遺産に登録。
→関連項目浅間神社一宮[町]駿河国火祭富士山富士宮[市]富士吉田[市]山宮

浅間神社【あさまじんじゃ】

せんげん〉神社とも。富士山の神霊をまつった神社で,木花開耶姫(このはなのさくやひめ)を主祭し,東海,東山の各地域を中心に1300余の分社がある。→浅間(せんげん)神社
→関連項目湧玉池

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改訂新版 世界大百科事典 「浅間神社」の意味・わかりやすい解説

浅間神社 (せんげんじんじゃ)

静岡県富士宮市宮町に鎮座。現在正式には富士山本宮浅間(あさま)大社という。浅間大神(あさまのおおかみ),またの名木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)命をまつる。創建年代不詳。富士山そのものを神とみた古代信仰より発する社で,社伝では孝霊天皇のとき,富士山が噴火し国中が荒れたので,垂仁天皇のときに神霊を鎮めるため山麓にまつったのが起源で,のち806年(大同1)坂上田村麻呂が平城天皇の勅で現在地に移建したという。859年(貞観1)正三位,延喜の制で名神大社,のち駿河国の一宮。中世源頼朝は強く崇敬して神領を寄進,実朝も社殿を造営,以下北条,武田氏も保護し,近世徳川氏も朱印領867石を寄せた。現社殿は1604年(慶長9)家康の修造で浅間造といわれる重層の特殊型式。明治の制で官幣大社,例祭11月4日。
執筆者:

浅間神社 (せんげんじんじゃ)

山梨県笛吹市の旧一宮町に鎮座。木花開耶姫(このはなのさくやびめ)命をまつる。社伝では垂仁天皇のとき,現在の摂社山宮神社の地神山のふもとに鎮祭したことに始まるといい,《三代実録》に865年(貞観7)富士山噴火のあと神託により現在地にまつったとある。延喜の制で名神大社,のち甲斐国の一宮となる。中世,源頼朝が崇敬,保護したあと,甲斐源氏の武田氏が崇敬,信玄は社領を寄進し,近世に徳川氏も朱印領234石を寄進した。明治の制で国幣中社。例祭は4月15日。この日釜無川畔の甲斐市旧竜王町まで片道約24kmの大神幸(おおみゆき)祭があり,甲府盆地の水防を祈願する川除(かわよけ)祭(水防祭)が行われる。宝物に後奈良天皇宸筆般若心経(重文)がある。
執筆者:

浅間神社 (せんげんじんじゃ)

静岡市葵区に鎮座。木花開耶姫(このはなのさくやびめ)命をまつる。901年(延喜1)醍醐天皇の勅願により,富士宮市鎮座の浅間神社(現,富士山本宮浅間大社)より勧請と伝え,よって古く富士新宮と呼ばれ,のち駿府浅間,現在では静岡浅間と通称されている。中世,北条氏に,ついで今川氏,武田氏に崇敬されて社領を寄せられ,近世徳川家康の駿府入りとともに崇敬保護され,朱印領をうけ,1634年(寛永11)家光の社殿造営のあと1773年(安永2),88年(天明8)火災にあったが,家斉が文化年間復興した。明治の制で,同一境内に鎮座の神部神社,大歳御祖(おおとしみおや)神社とともに国幣小社。例祭4月5日。
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浅間神社 (あさまじんじゃ)

浅間神社(せんげんじんじゃ)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「浅間神社」の意味・わかりやすい解説

浅間神社
せんげんじんじゃ

静岡県富士宮市に鎮座する元官幣大社(→官幣社)。正式には富士山本宮浅間大社。浅間大明神ともいう。なお浅間は「あさま」とも読む。祭神はコノハナノサクヤヒメ(木花開耶姫)で,アマツヒタカヒコホノニニギノミコト,オオヤマツミノカミを配祀する。駿河一の宮と称され,全国浅間神社の総本宮。富士山の 8合目以上を神体とし,山頂に奥宮がある。例祭 11月4日。富士山と周辺の湖などとともに,2013年世界遺産の文化遺産に登録された。

浅間神社
あさまじんじゃ

浅間神社」のページをご覧ください。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「浅間神社」の解説

浅間神社
せんげんじんじゃ

静岡県富士宮市宮町に鎮座。現在の正称は富士山本宮浅間大社。富士山頂上に奥宮がある。式内社・駿河国一宮。旧官幣大社。祭神は木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)命。富士信仰の中心で全国1300余に及ぶ浅間神社の総本宮。富士山を神体として仰いだことに発生し,806年(大同元)現在地に奉遷したと伝える。平安末期には山岳仏教と習合し富士浅間大菩薩ともよばれた。源頼朝・同実朝,北条義時,足利尊氏,武田信玄・同勝頼らの崇敬をうけ,江戸時代には徳川家康により社殿が再建され,神領約1100石に及んだ。例祭は11月4日。5月5日は流鏑馬(やぶさめ)祭。現社殿は1604年(慶長9)家康の建立で浅間造(せんげんづくり)(重文)。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

デジタル大辞泉プラス 「浅間神社」の解説

浅間神社

山梨県笛吹市にある神社。貞観年間の創建と伝わる。祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)。甲斐国一之宮。

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