生物の動きのなかで、もっとも大きい動きとして「飛ぶ」という動作がある。飛ぶことによって餌(えさ)を探し、生息地や異性を求め、さらに自らの身を守るなどの、生きるうえでのくふうができることになる。しかし、水中で誕生した「生命」が、やがて陸上にはいあがり、さらに飛びはね、飛び上がることができるようになるまでには、相当の長い時間が必要であった。いまから3億年前に「飛翔(ひしょう)」する昆虫の仲間が現れるようになるまでは、生物は、空気や、空気の流れを利用して地表を離れて空中に浮くということは、難事業だったと考えられる。
飛ぶという動作は、生物にとって広い生活空間の利用という効果をもたらし、したがって種族の維持、個体の維持といった、本能に直接かかわるたいせつな「生きるうえでのくふう」を与えることになった。しかし、ひとことで飛ぶといっても、もっとも早い時代に飛ぶことを覚え、利用しだした生物(昆虫)から、進んだ型にまで進化している鳥の仲間に至るまで、飛ぶために使用する装置、その仕組みはけっして一様ではない。
原始的な節足動物といわれるムカデ(多足類)の仲間が水からはい出して陸上に現れたのが、4億年くらい以前といわれる。そしてその後、肢(あし)が6本(3対)の昆虫へと進化が及び、体表の一部に「はね(羽・翅)」とよばれる装置が生じてくる。そのことから、これを動かす筋の分化、さらに空中への飛翔という、それまでの遊泳→匍匐(ほふく)→歩行といった動作から、一歩進んだ動きをつくりだすことができるようになる。昆虫の飛翔は、胸部の外骨格の発達によって(とくに背側部分の発達で)、空間的に広い生息域をもつようになってきた。胸部の外骨格は、はねを動かすための筋肉の発達に伴って、より大きい飛翔の能力をもつように分化してきたと考えられている。
もちろん、飛翔の際の筋運動は、効率のよいガス代謝(呼吸)のできるような形態上の分化をも伴っている。このことは環境域に酸素が十分に供給されるような地表の変化(植物相の分化)、さらに天敵から身を守る手段として、昆虫の仲間は、地上から空中へと飛び出す手だてを身につけたらしいことも、化石その他の証拠からわかってきている。
同じ「飛ぶ」ことのできる昆虫でも、はねを背中で折り畳むことのできない仲間(たとえばトンボ)と、畳むことのできる仲間(イナゴ、バッタなど)とがいる。また、胸部に4枚(2対)のはねのあるうち、前のはねが固くなって、後ろのはねだけが膜状の構造になっているもの(たとえばカブトムシ)や、前のはねだけで飛び、後ろのはねは失われ形を変えてしまっているもの(たとえばカやハエ)、さらに、前のはね、後ろのはねで飛翔するものなど、飛ぶための道具立てはいろいろである。
[藍 尚禮]
しかし、飛ぶ目的でのはねの動かし方は、「飛翔筋」とよばれる筋肉の繰り返し収縮と、胸部外骨格の弾性とを利用している点では共通している。
この場合、はねと筋との連結の仕方で、次の二つに分かれる。つまり〔1〕はねを動かす筋が、直接はねの基部に付着しているもの(おもに石炭紀・3億年以前に発生したと考えられる昆虫の仲間で、トンボ、バッタ、キリギリス、チョウなど)と、〔2〕胸部外骨格に筋が付着していて、はねは外骨格に挟まれ、てこの原理で動かされる、つまり筋とはねとは直接接していないもの(前者の1億年くらいあと、三畳紀になって現れたとされるミツバチ、ハエ、カなど)とに大きく区分されることがわかっている。
〔1〕の筋付着の型式で飛翔するようなトンボでは毎秒20~30回、チョウの場合で8~12回の「羽ばたき」がみられるが、〔2〕の間接的に筋付着がみられるミツバチなどでは1秒間に180~250回、ハエでは100~300回、カの場合では2000回以上という大きい値が知られている。
飛ぶときのはねの動かし方によって、体を左右に傾けたり、方向変換をしたりすることができるが、それは、はねを、「前側に倒す」ようにしたり、「後方にのけぞらせる」ようにしたりすることで行うこともわかっている。ちょうど、飛行機が昇降舵(だ)、補助翼、方向舵によって、機首の上げ下げや方向変換したりするのと同じ要領と考えればよく、そのための筋が、はねの基部についていて、「はねの傾きぐあい」をコントロールしている。いうまでもなく、筋に収縮の指令を出すのは頭部の脳神経、胸部の胸部神経系がその役目を担っているが、光、風、音、匂(にお)いなどの外からの信号(刺激)が、飛ぶ運動の最初のシグナルとなっているのである。
[藍 尚禮]
また、はねの動きを「開始」させたり「中断」させたりする、いわゆる制御のメカニズムもわかってきているが、その一つに「跗節(ふせつ)反射」がある。これは、6本(3対)の肢のそれぞれの先端部を「跗節」とよび、ここに「物」を触れさせると、「はね運動」を中断し、物を離してやると、はね運動を始めるのである。肢で物に触れると飛行をやめ、物をけって空中に浮くと、はねを羽ばたかせるといった仕組みで、飛ぶという動作が、実によくコントロールされている。これらはすべてバイオセンサーの働きによるものといえよう。
飛ぶときの姿勢はそれぞれ昆虫によってさまざまであるが、はねの上下運動のうち、とくにすばやい打ち上げに対して、ゆっくりとした打ち下ろしによって、身体を上方に持ち上げる力(揚力)が生じてきていることなど、飛ぶ仕組みについては昆虫の場合でもよくわかってきている。
[藍 尚禮]
飛ぶことで知られる鳥の場合を、昆虫の場合と対比させながらみてみると、飛ぶ動作の生物学上の相違と意味がいっそうよくわかる。気管呼吸によって筋へ直接酸素が供給できる昆虫の場合に比べて、恒温動物でかつ閉鎖血管系をもつ鳥の場合には、ガス交換の時間的な速度および効率、筋運動にかかる仕事量の大きさ(大きい体重を支えて空中に飛び出すという仕事)からしても、昆虫の場合とは比較できないほどの不経済さがある。
そのうえ、昆虫の場合、体腔(たいこう)内には空気の通る道(気管)があり、体に浮力をつけやすくなっているばかりでなく、はねの構造そのものも、中空の細いパイプがつなぎ合わされた形をとり、重さに比べてじょうぶさが増しているといった、巧みな進化上のくふうがみられる。そのほか、体の小さいことで、飛翔中に受ける空気抵抗も小さくてすむことなどの有利さがみられる。
しかし鳥の場合には、翼面が羽毛でできていることから、翼面積を変えることが可能であり、羽ばたきの頻度をいろいろ変えることができる高度な調節機構をもっている点で、むだなエネルギーの消耗を避け、飛ぶくふうが備えられている。とくに「渡り」といわれる長距離の飛行をする鳥の場合には、これらのくふうはみごとで、ツルの飛行、停止のようすなどは、よくみることのできる「制御された飛行」である。
[藍 尚禮]
これらの動物のほか、海面上を数メートルにわたって飛ぶトビウオや、前肢と後肢との間に大きい膜状の翼をもつムササビなどの場合には、翼を振るメカニズムがないため、「滑空」soarという型の「飛び」を示すもので、移動、摂餌(せつじ)という目的での運動の一つといえよう。同じ滑空でも、トビウオは速度滑空、ムササビなどは重力滑空(滑降)と区別している。日本語では飛ぶと1語でいうが、英語では、いわゆる飛ぶはフライflyで、滑空はソーアsoarである。なかでもトビウオの場合には、前肢に相当する胸びれを大きく広げ、尾部を強く振る推進力で海面を離れ滑空するようすは、その身体の流線形に分化している点からも、揚力を持続させながら空気抵抗を極力少なくさせるくふうがよく表れている。
[藍 尚禮]
生物は最初に微小なものから発達した事実は疑う余地がない。このとき、飛ぶことに関しては、小さいことはよいことであった。なぜかといえば、寸法が基準生物(形は相似形とする)の10分の1の生物は、体積が1000分の1となり、体重も1000分の1(同じ物質で構成されているとする)となるが、表面積は100分の1にしかならない。100分の1の表面積へ風圧を受けて、1000分の1の体重を支える生物は、寸法が1の基準生物より10倍楽である。この法則を2乗3乗則という。
このような微小生物にとって、風によって飛んだり飛ばされたりすることは、もっとも容易な移動手段であった。ところが、生物の進化は寸法増大を伴う。このとき2乗3乗則は不利に作用する。すなわち、基準寸法1の生物より、寸法が2倍の生物は、体重は体積とともに8倍に増加したのに、表面積は4倍にしか増さないから、飛ぶことは2倍つらくなる。そこで、生物の場合単に風に乗って飛ぶだけではむずかしいから、はねを動かして羽ばたきする方式を使った。これが原始昆虫の段階であろう。
[佐貫亦男]
昆虫より寸法が大きくなった飛ぶ生物は、爬虫(はちゅう)類であった。たとえば翼竜とよばれる爬虫類は、全幅が10メートル近くあった。しかし、いくら体重を軽くし、羽を大きくしても、まことに無器用な飛び方であった。そこへ、進化の大革新ともいうべき鳥類が出現した。これは羽毛をもって身体を装い、軽く、保温性があり、羽ばたきによって効率よく風圧を発生した。鳥類は2乗3乗則に従って、当然昆虫類よりははるかに困難な飛行を実行している。それにもかかわらず、ようやく飛べたにすぎない始祖鳥から進化し、翼竜が絶滅したのちにも繁栄し、現在に至っている。その原因は、昆虫が薄片にすぎないはねを速く羽ばたきするのに対し、鳥類はゆっくりと、制御しながら高能率で羽ばたきする知恵である。その知恵はきわめて高度のもので、渡り鳥は長大な海洋横断飛行をも敢行する。
鳥が高度の飛行士である証拠は、その胴体が流線形を形成し、羽は翼型を構成している事実から容易に発見できる。昆虫は小型であり、低速であるから、通常の形態のまま飛行し、とくに流線形とは感じられない。ただし、トンボのような高性能昆虫にはその気配があるけれども、カブトムシのような昆虫はとても流線形とはいえない。
このような空気力学的に高性能の鳥であっても、2乗3乗則によって、ついに寸法の上限に達した。体重10キログラム以上の鳥はきわめて少なく、20キログラム以上の鳥はない。これは、羽ばたきの毎秒回数が大型鳥になるとともに少なくなり、ついにはとても体重を持ち上げる力がなくなったときである。
[佐貫亦男]
人間はその力だけで羽ばたき飛行することは不可能である。レオナルド・ダ・ビンチは腕と脚で羽ばたきする装置を考案したが、それは天才の想像力の象徴に終わった。ただし、脚力でプロペラを回転し、緩い上昇飛行を行う人力飛行機は成功している。自然がもし、こうしたプロペラのようなものを使う大型鳥へ進化させたとしたら、実現可能であったかもしれない。しかし、無限に回転するプロペラのような機構は自然には存在しないので、巨大鳥は出現しなかった。
[佐貫亦男]
ヘリコプターは人間が考えた羽ばたき飛行機といってよい。このとき、大型鳥でも離陸時には走る必要があった煩わしさを解消して、ヘリコプターはその場で垂直に離陸できる。これは大型プロペラである回転翼を強力なエンジンで駆動するためである。
ヘリコプターの回転翼は、直径を大きくしてゆっくりと、先端速度は飛行機のプロペラ先端速度の半分程度に回転する。このために推力(回転軸方向の力、ヘリコプターでは機体を持ち上げる力)は馬力当りにつき、飛行機用プロペラの2~3倍を発生する。この理由は、上手な泳ぎ手が多量の水をゆっくりと、効率よくかき分けるのに似ている。
[佐貫亦男]
人間はヘリコプターと別に、翼が固定した飛行機を開発した。それにピストンエンジンとプロペラ、さらにはジェットエンジンを装備して、鳥の大型化限界を軽く突破し、総重量約350トンのジャンボジェット機を実現した。羽ばたく必要もなく、また回転翼もないので、巨大な人工鳥である飛行機はいくらでも大きくなりそうに考えられる。
ところが、飛行機にも2乗3乗則は当てはまる。事実において、小型のYS-11よりジャンボははるかに飛びにくい。それなのに、初め重重しく始動したジャンボが離陸するころは力強く、急角度で上昇する。これは強力軽量なジェットエンジンと、3段フラップによる高揚力で2乗3乗則をある程度回避したからである。逆にいえば、ジャンボより大型のスーパージャンボ(700人乗りの計画だけはある)を実現しようとしたら、いまより強力なジェットエンジンと、4~5段フラップの技術が必要になる。もし、それが困難になったとき、飛行機の大型化限界が到来する。
ジェットエンジンは、生物でイカが緊急避難のときに使う水噴射推進法を、高圧・高温・高速のジェット排気を使って実現したものである。それによって、鳥では思いもよらなかった超音速飛行まで可能となった。ただし、乗客数が少ないため、イギリス・フランス協同開発超音速輸送機コンコルド(2003年10月運航終了)は採算ベースに達していなかった。いずれにしても、飛行機の巨大化の前には、2乗3乗則が重く立ちはだかる。
[佐貫亦男]
人間のつくった独特の航空機に飛行船がある。これは、体積に比例するガス浮力で、やはり体積に比例する重量を持ち上げるから、もはや2乗3乗則と無関係で、いくらでも大型化は可能である。実際に巨大なツェッペリン飛行船が過去に出現した。それが現在もはや消滅した理由は、気象災害による難破であった。これほど巨大な構造物を暴風中で安全に操作する技術はまだ未完成であった。現在では大型タンカーのように技術的に可能と思われるが、過去の悪夢が消えないため、再現の兆しはない。自然はこの事実を知っているかのように、空中を浮力で飛ぶ動物はない。水中で生息するクジラだけが浮力と体重つり合いの利点によって最大の動物となっている。
[佐貫亦男]
『栗林慧著『昆虫の飛翔』(1981・平凡社)』▽『タイムライフ編集部編、H・ガイフォード・スティーバー、ジェームス・J・ハガティ著、日本語版監修木村秀政『人間と科学シリーズ(飛行の原理)』(1981・西武タイム)』▽『佐貫亦男著『進化の設計』(1982・朝日新聞社)』