コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

内閣(中国) ないかく

2件 の用語解説(内閣(中国)の意味・用語解説を検索)

百科事典マイペディアの解説

内閣(中国)【ないかく】

中国,明〜清代の中央政治機関。明の洪武帝が親政の補佐のために殿閣(でんかく)大学士を設置したのに始まる。のち内閣大学士と改称。本来行政権はないが明末には権力が増大した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

内閣(中国)
ないかく

中国、明(みん)・清(しん)代の政治機関。中央行政政府の最高責任者の大臣を、中国では古来、宰相と称し、正式の官名は時代によって異なり、丞相(じょうしょう)、司徒、相国、同平章事などとよばれた。内閣という行政府の成立は明初(1424ころ)に始まり、複数の内閣大学士が宰相の役を務めた。清はこの制度を受け継ぎ、内閣を宰相の府としたが、もと満州より興って漢人を征服したので、中央政府の大官には満人・漢人を同数ずつ任命する原則をたて、内閣大学士は満漢各2名、ほかに副宰相として満漢各1名を置いた。そのおもな職務は擬旨であって、天子の旨、すなわち意志を表明する詔勅の草案を起稿することにあった。しかし、内閣は機構複雑で政務が停滞遅延する傾向があったため、雍正(ようせい)帝(在位1722~35)のときから内閣を有名無実とし、かわって軍機処(ぐんきしょ)の大臣が真の宰相となった。1911年軍機処を廃して創立された新制内閣は、単に名称の変更にすぎず、総理大臣が皇族であり、各部大臣も旧人物で固めたので親貴内閣と非難された。同年、革命運動のさなかに袁世凱(えんせいがい)が総理大臣となり、初めて責任内閣の形をとった。翌年、中華民国が成立すると、内閣総理大臣は国務総理、各部大臣は各部総長と改称された。[宮崎市定]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

内閣(中国)の関連キーワード魚鱗図冊洪武帝都察院洪武洪武銭三省中央政府統治機関自治機関魏天

今日のキーワード

プレミアムフライデー

経済産業省と日本経済団体連合会などの経済界の団体が個人消費を喚起するため、毎月末の金曜日に午後3時をめどに仕事を終えるよう企業に対応を呼びかけるキャンペーンの名称。2016年12月12日、政府と経済界...

続きを読む

コトバンク for iPhone