デジタル大辞泉 「洞ヶ峠」の意味・読み・例文・類語
ほら‐が‐とうげ〔‐たうげ〕【洞ヶ峠】
《の筒井順慶の故事から》有利なほうにつこうと形勢をうかがうこと。
[類語]うやむや・不確か・曖昧・あやふや・漠然・おぼろげ・ぬらりくらり・ぬらくら・のらりくらり・のらくら・ぼやかす・無節操・言を左右にする・言葉を濁す・煮え切らない・どっちつかず・要領を得ない・小心・弱気・引っ込み思案・気弱・内弁慶・陰弁慶・臆病・大人しい・こわがり・内気・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都府八幡(やわた)市と大阪府枚方(ひらかた)市との境にある峠。生駒山地北部から北へ突き出た標高50~60mの洪積丘陵が京都盆地(山城国)と大阪平野(河内国)とを区切っており,東高野街道が通じ,古くからの交通の要所であった。枚方市峠集落北西を通る現在の国道1号線は,洞ヶ峠を切り込んでいる。《太平記》にもみえる1352年(正平7・文和1)の八幡合戦をはじめ,たびたび合戦の場となったり,陣地が置かれたりした。また,北側の淀川対岸にある山崎および天王山を望む位置にあることから,1582年(天正10)の明智光秀と豊臣秀吉の山崎の戦の際,筒井順慶がこの峠から形勢をうかがって去就を決めたという俗説を生み,勝敗の分け目を天王山というのに対し,洞ヶ峠は日和見を意味する語として使用されるようになった。現在,峠の北側には住宅・都市整備公団の男山団地があり,西側には大阪府の企業団地があるなど,付近一帯の市街地化は著しい。
執筆者:金田 章裕
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…82年の山崎の戦に際しては,動揺しつつも結局豊臣秀吉にくみする。このとき洞ヶ峠にて彼が形勢をうかがったというのは後世の潤色。以後秀吉に仕えて大和の支配権を安堵された。…
…明智光秀と羽柴(豊臣)秀吉の山崎合戦に順慶は光秀の招きには答えず,郡山城で戦局を観望,勝利した秀吉のもとに参じて保身した。出世の恩人の光秀を憤死させた打算的行動が,後日痛罵されて〈洞ヶ峠(ほらがとうげ)の順慶〉と評されるが洞ヶ峠に出陣したというのは虚飾である。 秀吉は近畿随一の大名の順慶を利用するため大和をしばらく順慶に与えたが,85年,政権安定化工作の一環として弟の秀長を郡山城主として大和,和泉,紀伊の3国を支配させた。…
※「洞ヶ峠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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