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モット Mott, Lucretia

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

モット
Mott, Lucretia

[生]1793.1.3. マサチューセッツ,ナンタケット
[没]1880.11.11. ペンシルバニア,アビントン近郊
アメリカの社会改革運動家,女権運動家。旧姓 Coffin。若い頃勤めた小学校で,男女の差だけで給料が半分であったことから,女権問題に興味をもった。 1811年同僚の J.モットと結婚,フィラデルフィアに移り,夫妻ともフレンド協会に入会。ともに反奴隷制協会に加わり彼女は婦人部長として活躍。 40年夫とともにロンドンの世界反奴隷制会議にアメリカ代表として参加したが,女性であるため出席を拒否された。これ以後もさらに婦人の権利を主張し,48年 E.スタントン夫人とともにニューヨーク州セネカフォールズにおいて婦人地位権利拡大のための大会を主催。その後も黒人,婦人の解放,地位と生活の向上,平和運動にその生涯を捧げた。

モット
Mott, Sir Nevill (Francis)

[生]1905.9.30. リーズ
[没]1996.8.8. バッキンガムシャー,ミルトンケーンズ
イギリスの理論物理学者。ケンブリッジ大学卒業後,マンチェスター大学講師 (1929) ,ブリストル大学教授 (33~48) を経て,ケンブリッジ大学教授 (54~71) 。ロイヤル・ソサエティ会員 (36) 。初めは原子核物理学を専攻し,N.ボーアや E.ラザフォードとともに研究したが,その後,興味の中心を金属,半導体,写真乾板などに移し,のちには非晶質体の電気伝導の研究もした。原子核による粒子線の散乱,伝導体と絶縁体との間の転移を表わす公式などにモットの名を冠したものがある (→モット転移 ) 。 1962年ナイトの称号を授けられ,77年ノーベル物理学賞を授与された。

モット
Mott, John Raleigh

[生]1865.5.25. ニューヨーク州,リビングストン
[没]1955.1.31. フロリダ,オーランド
アメリカの宗教活動家。 1888~1915年 YMCA国際事務局の書記をつとめる。 1910年エディンバラで開かれた世界宣教会議で議長。同会議は近代教会統一運動のさきがけであり,最終的に世界教会協議会 (WCC) の成立にいたった。 21~42年世界宣教協議会議長,26~37年 YMCA世界同盟会長。 46年ノーベル平和賞を E.G.ボルチと共同受賞。 48年 WCC名誉会長に選出される。

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百科事典マイペディアの解説

モット

米国のキリスト教青年会(YMCA)指導者。世界宣教と世界教会運動の中心的人物として活躍した。1946年ノーベル平和賞。

モット

英国の物理学者ケンブリッジ大学卒。1933年ブリストル大学教授,1954年キャベンディシュ研究所長。原子核などの衝突現象,固体量子論,乱れた系の物性等を研究。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

モット Mott, John Raleigh

1865-1955 アメリカのキリスト教伝道者。
1865年5月25日生まれ。YMCA運動の指導者,国際宣教協議会会長。日本には明治29年(1896)以来10回おとずれ,日本YMCA活動の発展につくす。1946年ノーベル平和賞。1955年1月31日死去。89歳。ニューヨーク州出身。コーネル大卒。

モット Mott, Frank Luther

1886-1964 アメリカのジャーナリズム学者。
1886年4月4日生まれ。GHQの新聞顧問として昭和22年(1947)来日。約2ヵ月滞在し,新聞社幹部,学生新聞関係者などを指導した。アイオワ大,ミズーリ大の新聞学部教授で,1939年ピュリッツァー賞を受賞。1964年10月23日死去。78歳。アイオワ州出身。シカゴ大卒。著作に「アメリカの新聞」。

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世界大百科事典 第2版の解説

モット【Lucretia Coffin Mott】

1793‐1880
アメリカのクエーカー派牧師で,夫ジェームズとともに奴隷制廃止運動,女性の権利のための運動を指導。1833年,アメリカ奴隷制反対協会組織の際,会規約起草を手伝ったが女性の加入は認められなかったため,フィラデルフィア女性奴隷制反対協会を設立した。40年,ロンドンでの世界奴隷制反対大会にアメリカ代表として臨んだが女性の出席を拒否された。このとき知り合ったエリザベス・スタントンとともに,8年後,セネカ・フォールズで女性の権利のための大会を開き,アメリカ女権運動の端緒をつくった。

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大辞林 第三版の解説

モット【Nevill Francis Mott】

1905~1996) イギリスの理論物理学者。電子の散乱研究などのほかに、金属の結晶構造、合金・半導体などの固体量子論的研究に多くの業績をあげた。晩年は超伝導体研究にも取り組んだ。

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367日誕生日大事典の解説

モット

生年月日:1785年8月20日
アメリカの外科医
1865年没

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世界大百科事典内のモットの言及

【城】より


【中世】
 西欧中世初期の封建領主は,ほとんどすべて簡素な木造の建物に住み,その周囲を土塁や木柵で囲む程度の防衛施設しかもたなかった。やや進んだ形式を備えるようになったのはノルマン人騎士たちの居城で,〈モット・アンド・ベーリーmotte and bailey〉システムと呼ばれる。モットは小丘のことで,円形の空堀を掘り,その土で中央に小山を築き,その頂上に丸太杭を密接させて打ち込んで円塔形の天守(キープkeep,ドンジョンdonjon)をつくり,それを城主の居館とした。…

【婦人参政権運動】より

…大衆の前で奴隷制廃止を訴えたグリムケ姉妹は,自分たちが女性であるためにその行為を非難されたことを知り,奴隷の権利とともに女性の権利を要求するようになった。L.C.モットE.C.スタントンも,同様な経験から女性解放の必要性を痛感し,48年,スタントンたちはニューヨークのセネカ・フォールズで女性の大集会を開いた(セネカ・フォールズ会議)。これはアメリカ合衆国における婦人参政権運動の開始を告げる集会となり,ここで採択された〈所信宣言〉には,婦人参政権をはじめ,女性解放のための諸要求が列挙された。…

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