旭(市)(読み)あさひ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「旭(市)」の意味・わかりやすい解説

旭(市)
あさひ

千葉県北東部、九十九里浜北端に位置する市。1954年(昭和29)、旭町富浦(とみうら)村、矢指(やざし)村が合併し(旭町)、同年共和村、豊畑(とよはた)村を編入の後、海上(うなかみ)町の一部を編入し市制施行。2005年(平成17)、香取(かとり)郡干潟町(ひかたまち)、海上(かいじょう)郡海上町(うなかみまち)、飯岡町(いいおかまち)を合併。旭将軍木曽義仲(きそよしなか)の子孫で安土桃山時代にこの地を領有した木曽氏にちなんで地名がつけられた。JR総武本線が通じ、国道126号が走る。この地域は古くは椿海(つばきのうみ)とよばれる湾入であったが、1670年(寛文10)幕府の援助で干拓が進められ、干潟八万石(ひがたはちまんごく)の水田地帯が形成された。中心地の十日市場は市場集落として発達し、今日でも農村地域を背景に商業機能が強い。農業が盛んで、かつての米とイモ、麦の生産から、米とキュウリ、トマトなどの野菜栽培や養豚へと比重も変化し、とくに共和地区では施設園芸の大規模なハウスが立ち並ぶ。また内陸工業団地もある。椿海干拓を祈願して建立された鎌数伊勢(かまかずいせ)大神宮の神楽(かぐら)は県指定無形民俗文化財であり、境内に明治初期の千葉県ラッカセイ栽培の功労者、金谷総蔵(かなやそうぞう)(1848―1892)をたたえて建てられた「落花生の碑」がある。そのほか、矢指ヶ浦は海水浴場や好釣り場で、地名は、源頼朝(よりとも)が矢を海岸に立て6丁を1里として測り、九十九里浜と名づけた伝説にちなむ。2011年の東日本大震災では震度5を観測し、津波・液状化による被害が続発、死者14人・行方不明2人、住家全壊318棟・半壊847棟の被害を受けた(消防庁災害対策本部「平成23年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)について(第159報)」平成31年3月8日)。面積130.45平方キロメートル、人口6万3745(2020)。

[山村順次]

『『旭市史』全3巻(1973~1980・旭市)』


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