出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
名西郡から
一宮は正式な手続を経て成立した庄園ではなく、阿波国の一宮社が集積した免田に起源をもつ社領がそのまま庄園制的支配関係のなかに組込まれた所領であったと考えられる。所領としての一宮の確実な初見は、建久二年(一一九一)一〇月の長講堂領目録(島田文書)で、年中課役を注進した多数の長講堂領のなかの一つに「阿波一宮」とみえる。所領一宮が成立するためには一宮社の成立が前提となるが、この一宮社についてはすでに久安二年(一一四六)七月一一日の河人成俊等問注申詞記(愚昧記仁安二年冬巻裏文書)に「一宮司河人成高」とみえていることから、遅くとも同年までには成立しており、その起源は院政期にさかのぼる。建久三年三月日の後白河院庁下文案(大徳寺文書)に一宮は「院御領」とあり、従二位高階栄子が領有した家領の一つとしてみえる。このことは後白河上皇が寵妃高階栄子に領家職を与えたものか、あるいは阿波国司などが上皇に機縁を求めてその寵妃に当地を寄進したかのいずれかであったことを示している。高階栄子は上皇の晩年に際して、自らの家領の保全を目的として前掲下文を得たものと考えられる。以上のことから、一宮は遅くとも後白河上皇の治世に本家後白河上皇、領家高階栄子の領有体制で成立したと推定される。なおこの一宮社は院政期頃に全国的に成立したとされる国一宮社であったと考えられる。従来阿波国一宮社は現鳴門市
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
愛知県の北西部の市。2005年4月旧一宮市が尾西(びさい)市,木曾川(きそがわ)町を編入して成立した。人口37万8566(2010)。
一宮市の中東部の旧市。濃尾平野の中央部に位置する。1921年市制。その後55年に萩原町など10町村を編入して現在に至る。人口27万3711(2000)。市名は尾張国の一宮である真清田(ますみだ)神社の門前町として発達したことに由来する。近世に周辺農村の綿作,綿布生産と門前の市とが結びついて織物の町の基盤ができ上がった。明治末期以降綿織物業に代わって毛織物産業が台頭し,旧尾西市とともに日本の毛織物産業の中心地となった。さらに名神高速道路一宮インターチェンジ開通(1964)にともなって縫製工業団地,繊維卸商団地などの大規模商業団地が造成され,この地方の産業活動は飛躍的に発展した。織物感謝祭としての一宮七夕祭は仙台,平塚と並んで日本三大七夕祭の一つに数えられている。近年,都市化が急速に進み,また農業部門でも大規模な養鶏に加えて,ナスのハウス栽培など都市近郊型農業が盛んである。東海道本線,名鉄本線が南北に並走し,名神高速道路から東海北陸自動車道が分岐する。
執筆者:溝口 常俊
真清田神社の門前町として発展したが,古くは真清田荘に属し,戦国時代には一宮城に関氏が拠って周辺を支配した。江戸時代には尾張藩領となって神領と蔵入地に分かれた。岐阜街道の開設にともなって宿駅として発展し,また,周辺で青物の栽培や,綿作が普及すると,1727年(享保12)には3・8の六斎市が開かれ,各地から商人たちが集まってにぎわいをみせた。また,織物の技術を導入して桟留縞,結城縞が盛んに生産されるようになった。
執筆者:吉永 昭
一宮市北西端の旧町。旧葉栗郡所属。人口3万1059(2000)。木曾川を隔てて岐阜県に接する。中央を東海道本線,名鉄本線,北東端を国道22号線,南西端を名鉄尾西線が通る。旧一宮市との境に東海北陸自動車道の一宮木會川インターチェンジがある。中心の黒田は古くは岐阜街道の宿駅で,1388年(元中5・嘉慶2)に土岐詮直と島田満貞が戦った黒田合戦の主戦場となった。織物業が盛んで,旧一宮市,旧尾西市とともに尾西毛織物業地帯の一翼をになう。町内には繊維関係の事業所が124あり,年間504億円の生産額を上げ,工業生産総額の82%を占める(1994)。
執筆者:萩原 毅
一宮市南西端の旧市。1955年市制。人口5万7956(2000)。尾西織物工業の中心地として知られる。江戸時代,起(おこし)は美濃路の宿場で,木曾川には美濃側への渡船場が設けられていた。自然堤防が卓越する地域のため古くから野菜をつくり,名古屋へ供給してきたが,特にワタ作は盛んで,江戸時代後期に織物業が発達した。明治期に入り,絹綿交織の織物の全盛期をむかえたが,明治30年代ごろから毛織物業に転じ,以後,隣接する旧一宮市とともに日本を代表する毛織物産地へと成長した。現在,市の工業生産の36%(1995)を毛織物関係が占めるが,プラスチック工業も26%と伸びている。市内には宿場の本陣跡,問屋場跡,渡船場跡や富田一里塚(史)が残る。名鉄尾西線が通じ,東海北陸自動車道のインターチェンジがある。
執筆者:溝口 常俊
古代末期より中世初頭にかけてつけられたことに始まる社格の一種。《今昔物語集》に周防国の一宮玉祖大明神の名のみえるのが文献上の初見とされ,鳥取県の倭文(しどり)神社境内より出土の康和5年(1103)銘の経筒にも一宮の語がみられるが,およそそのころよりの呼称とみられる。それは,神祇官や国司が公式に定めつけたものではなく,民間でつけられたもので,それも諸国同時でなく,1165年(永万1)の〈神祇官諸社年貢注文〉よりも察せられるように,古代末期より中世初頭にかけ,逐次国ごとにつけられ,全国に及んだものとみられる。その一宮選定理由,また基準について,江戸時代より諸説があり,神祇官より諸国神社へ移送布告する際,便宜的に国ごとに1社を定めておき,その社より国内各社へ伝達させたなごりとする説,また国司が任国へ着任ののち,その奉斎すべき社を参拝した順序よりつけられたとする説,さらに古代末期の国衙(こくが)在庁層が,神社をその支配体制下に組み入れる過程でつけたとする説などがあるが,定説はない。しかし,諸国において,由緒正しい古社で,国内で一番の崇敬をあつめ,経済的基盤も大きかった社を一宮と称したようである。また,それより,二宮,三宮と順次称することも生じた。そして,時代の下るとともに一宮に交替のあった国もあり,のち国内でなく郡内の一宮,二宮などの称も生じ,近世に入って,甲斐,肥前のごとく一宮争いが生じた国もある。(表参照)
→総社
執筆者:鎌田 純一
千葉県中南部,長生郡の町。人口1万2034(2010)。九十九里浜南端に位置し,町域の西部に房総丘陵の末端がかかる。中心集落の一宮は丘陵と平地の境界にあり,上総国一宮玉前(たまさき)神社の鳥居前町として発展,近世には海産物と農産物が交易される市場町としてにぎわい,5・10の六斎市が開かれていた。また一宮藩の陣屋もおかれた。現在も周辺の小商業中心である。トマト,キュウリの施設園芸が行われる。梨の生産も盛ん。海岸は海水浴場としてばかりでなく,避寒・避暑地として古くから知られ,別荘も多い。近年は外房線の便がよくなり,通勤住宅地化が進んでいる。東浪見(とらみ)はかつてイワシ漁で栄え,《東浪見甚句》にもうたわれたが,現在は園芸農業に変化している。毎年9月13日に行われる玉前神社の十二社祭は裸祭の名で知られる。
執筆者:千葉 立也
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平安中期~中世に国ごとに設定された社格の一種。国内第1の社。「今昔物語集」に周防国の一宮玉祖(たまおや)大明神とあるのが文献上の初見。一宮以下二宮・三宮の順位も生じた。存在形態は各国の歴史的条件や地域的特性により多様で,国衙近くにあって国衙在庁と深い関係をもつもの,国衙とは離れているものの古代以来の由緒をもつ国内の有力社などがある。時代の変遷とともに,一宮の交替や一宮争いなどもおこった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…カンボジアの首都。人口92万(1994)。メコン河口から約300km遡航した自然堤防上の河岸に開けた都市で,港は2500トンまでの船が横づけできる。プノンペンとはカンボジア語で〈ペンの丘〉を意味する。《王朝年代記》によれば,洪水のときに上流から仏像4体が流れつき,敬虔なペンという名の夫人がこの仏像を小さな丘の東斜面に安置したという。これが〈ペン夫人の丘の寺院〉説話で,プノンペン発祥伝説のもととなった。…
…式内社に対しては,神祇官から奉幣することが定められていたが,平安時代のはじめに,遠隔地の神社には国司が代わって奉幣を行うようになったので,国司奉幣の神社は,神祇官奉幣の神社を官幣社と呼ぶのに対して,国幣社というようになった。 国司は任国に着くと,まず国内の主要な神社に参詣し,その後政務を執るように定められているが,その参拝の順序が固定して一宮(いちのみや),二宮,三宮の呼称がおこり,それが国内の神社の序列をあらわすことになった。さらに平安時代の末になると,国内の数々の神社を一社に統合して奉幣を簡略にすることもはじまり,そうした神社を総社(そうじや)と呼んだ。…
※「一宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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