ヘンリー[7世](読み)ヘンリー

百科事典マイペディアの解説

ヘンリー[7世]【ヘンリー】

イングランド王(在位1485年―1509年)。ランカスター家出身。ばら戦争でリチャード3世を破って即位。チューダー朝の始祖となった。ヨーク家のエドワード4世の娘と結婚。封建家臣団を解体させて貴族の勢力をそぎ王権を強化,商工業を奨励して財政を固め,絶対主義国家の基盤をつくった。
→関連項目ヨーク朝

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世界大百科事典 第2版の解説

ヘンリー[7世]【Henry VII】

1457‐1509
チューダー朝初代のイングランド王。在位1485‐1509年。リッチモンド伯エドマンド・チューダーとランカスター系のマーガレット・ボーフォートの子。ランカスター派の王位継承者とみなされ,ばら戦争においてボズワースの戦でリチャード3世を破って1485年即位。ヨーク家のエリザベスと結婚し,両家を統一した。星室裁判所によって貴族勢力を弱め,新たに獲得した王領地を国王直属の役人によるチェーンバー行政でもって管理させ,さらに国王後見権を強化させるなど王室財政の安定・拡大につとめた。

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世界大百科事典内のヘンリー[7世]の言及

【イギリス】より

…以後宗教改革期まで,国民国家の台頭による王権と教皇権の対立にもかかわらず,イギリスの教会はカトリック教会の枝として存続した。 1534年ヘンリー8世は離婚問題を契機とする宗教改革で,イギリスの教会をローマより分離し,長年イギリスの社会・宗教生活に大きな役割を果たしてきた修道院を解散した。ヘンリーの死後二転三転した宗教事情は,エリザベス1世登位(1558)後〈教義的にはプロテスタント,礼拝様式ではカトリック〉といわれた英国国教会として定着した。…

【ウェールズ】より

…しかしウェールズ諸首長はやがて反撃に転じ,イングランドのスティーブン王時代の内乱に乗じて自立を回復した。続く12世紀後半ヘンリー2世時代にもしばしば反乱をおこしてイングランドを悩ませた。しかし1170年ころからヘンリー2世はアイルランド征服に着手するため対ウェールズ懐柔策に転じ,南ウェールズの首長リースに率いられた諸首長は,イングランドとの友好関係に入ることになった。…

【チューダー朝】より

…ヘンリー7世(在位1485‐1509)に始まり,17世紀初頭に至るイギリスの王朝。ウェールズ系のリッチモンド伯ヘンリー・チューダーは,その母がエドワード3世(在位1327‐77)の子ジョン・オブ・ゴーントの末裔であったために,ランカスター派の王位継承者とみなされ,ばら戦争最後の戦闘ボズワースの戦でリチャード3世を破ってヘンリー7世として即位。…

【ばら戦争】より

…しかし,ばら戦争の結果,貴族層は深刻な打撃を被り,歴史上イギリスの中世は終りを告げ,チューダー朝の絶対主義時代に移行した。
[発端と経過]
 ランカスター朝3代目のヘンリー6世の治世に,ヨーク公リチャードはランカスター家以上にヨーク家の王位継承権が正当であると主張して決起,戦争は1455年セント・オールバンズの戦で始まった。これ以後,封建家臣団を擁して戦闘の機会をうかがっていた貴族がしだいにランカスター,ヨークの両派に系列化されて,断続的に戦闘が繰り広げられた。…

【ヨーマン】より

…(2)国王親衛隊員Yeoman of the Guard。1485年ヘンリー7世の戴冠式に際し創設され,50名から成った。1520年ヘンリー8世期に600人に増員。…

※「ヘンリー[7世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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